◆ 流転 4 ◆


普段であれば、市の立つ日以外はひっそりしていると思われる往来が妙に忙しない。
ここは田舎の神社の門前町である。多少の宿場や茶屋はあるが、それほど賑わっているとは思えない町並みだ。だが今日は、家財を背負った男や、子供の手を引く女達の姿があちらこちらに見える。また家族にはぐれたらしい子供が、さらに小さい子供の手を引いて、人の顔を覗き込むようにしてとぼとぼと歩いてもいる。
戦を避けて逃げてきた者達の姿だった。

「部隊が国境を越えたな」
無感情に煉骨がそう言った。


睡骨を探す煉骨と蛇骨がこの町に来るまで、すでに数日が経っていた。城下に続く街道から少し外れた位置にあるこの門前町は、川沿いから国境を越えて最初にたどり着く大きな集落でもある。野伏達の言う砦から見つからぬよう途中から山中を進んだため、先を行った睡骨よりも多少余分に時間がかかってしまったと思われる。
その間に街道を進んだ部隊も、国境の守備部隊を蹴散らしたらしい。

山を挟んで並びあう南北の国の間での戦は、田畑を巡っての争いといってもいい。北側の国――七人隊が雇われている郷――は南方に比べ、土地が貧弱だった。それこそ、僅かの日照りでも名主達が額をつき合わせ、眉を寄せて米の収穫高の心配をしなくてはならないほどに。逆に南は水も農地に都合の良い平原もふんだんにあった。北側の国は豊かな土地の一部でも削り取ろうと何度も山越えを試みるが、国力が豊かな南方は多くの兵を雇うことで北側を押し返す。これの繰り返し。
疲弊の度合いが強かった北側は、今度こそ、との意地をかけて七人隊を雇い入れたのである。数で勝る南方ではあるが大半の兵が農民に毛が生えた程度の、悪く言えば数が頼りの烏合の衆ともいえる。初戦で大敗した今、士気が激減している事は間違いなく、国境を越えた以上、城を落とさずに途中で寄せ手が引き返す筈がない。

自分達が戻る前に城が落とされるのではないかと、蛇骨はヤキモキしてきた。
「大兄貴、あのクソ侍連中にねちねち苛められてねーかな」
「決戦がすむまでは大事にしてくれるだろうさ」
こともなげに答え、煉骨は一軒の茶屋に入った。情報を集めるためなのだが、面倒くさそうに後をついてきた蛇骨は、店の奥から漂ってくる食べ物の匂いに空腹を思い出して騒ぎ始めた。

「煉骨の兄貴ーー、腹へったー腹ーーー」
駄々をこねる口調に顔を顰め、煉骨は顔を出した茶屋の親父に、
「なんでもいい。腹の足しになるような物があれば、あいつの口に突っ込んでやれ」
と蛇骨を指差しながら注文した。
「すぐというと、昨日の残りのキビ団子くらいしかございません。朝に用意した糅飯(かてめし)は生憎、全て売れてしまいまして、次のは今用意している最中でございます」
「残り物でいい」
言われて親父は笹の葉に乗せた団子を運んでくる。
「おれ、先に食ってていい?」
さっそく目を輝かせる蛇骨に、煉骨は頷く。
「やりい」とはしゃいだ声を上げ、情報集めを煉骨一人に押しつけた蛇骨は、団子を抱えて茶屋の外に並べてある床机に腰掛けた。
さっそく頬張ろうとした蛇骨は、ふと、じっと自分の手元を見ている子供に気が付いた。まだ10才にみたない年頃の子供が二人。少し年長に見える少年が、自分より小さめの少女の手を引き、じっと蛇骨が持つ団子を見ている。
その哀れっぽい目に眉をしかめた蛇骨はそっぽを向くと、無言で団子を口に入れた。咀嚼している間もずっと子供達の視線を感じる。
親がいないのか、いても貧しくて食べ物が十分でないのか。子供達は無言のまま、口に団子を運ぶ蛇骨の手元をずっと眺めている。

「うっとーしーんだよ!あっちにいきやがれ!」
苛立った蛇骨は目をつり上げて怒鳴った。その声に少女はびくりとし、少年は期待しても無駄だと悟ったのか、少女の手を引いて通りの向こう側に消えた。
子供達と入れ替わるようにして、店の中から煉骨がでてくる。一部始終を見ていたのか、おかしそうに「施ししてやりゃよかったのに。功徳になるぜ」などと言う。
「飯が欲しけりゃ、芸の一つもしてみせろっつーの!」
蛇骨は怒ったように言い捨てた。
「黙って欲しがってりゃ誰か何かくれるだろうなんて、そんなの甘過ぎだっての」
イライラとした顔つきの蛇骨を含みのある目で眺めた後、煉骨は僅かに肩を竦めて言った。

「睡骨らしい男を、此処の親父が見かけたらしいぞ」
蛇骨はぱっと顔を上げた。
「ここからずっと山を登ったところに、古い貧乏寺があって、そこで坊主が一人ガキ共の面倒を見ているらしいんだが、おとついの市の日に、そこのガキを連れて若い男が買い物に降りてきたんだそうだ。米や白布をかなり気前よく買い込んだんで、珍しいことだと覚えていたらしい。ガキ共はその男の事を『睡骨様』と呼んでいたそうだ」
「本人かな」
「可能性は高いな。様子を見に行くか」
「そりゃ、いかなきゃわかんねーもん」
勢いよく立ち上がった蛇骨は、そこで受け取った団子を一人で全部食べてしまっていたことに気が付いた。皿代わりの笹の葉が、空っぽになって膝から落ちる。
「……あー…ごめん。残すの忘れてたぁ」
蛇骨はえへらっとした誤魔化し笑いをした。煉骨は判っていたと言いたげな息を一つ付くと、包みを一つ差し出す。
「ほら、お前の分だ」
「あ、弁当だ」
糅飯の握り飯を確かめ、蛇骨は嬉しそうに言った。
「弁当まで用意させてたんだ〜〜、さすが兄貴」
「世辞を言っても、もう何もでねぇぞ。途中で夜明かしして、そこへは明日向かう」
素っ気なく言いながら歩き出す煉骨の後ろを、蛇骨はチャラチャラとした歩き方で追った。ふと横を見ると、向こう側の通りで、どうやら少しばかり暮らしが裕福らしい女が、さっきの子供達に餅を買って与えている。
子供達は嬉しそうな顔を見合わせながら、手にした餅を頬張っている。
蛇骨は忌々しげに背を向けた。
子供達に礼を言われて悦に入っている女の笑顔が、無性に癪に障った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「睡骨様、お針下手くそ〜」
けらけらと少女が弾んだ笑い声を上げる。
「下手くそか?わりと上手く縫えたと思うが」
「ううん、縫い目めちゃくちゃ」
別の少女がそう言って睡骨の手元を覗き込む。
買ってきた布を裁断し、子供達の新しい肌着を仕立てている真っ最中である。年長の少女二人と一緒に小さな肌着を縫っていた睡骨は、縫い目の不揃いさを指摘され、困り顔で笑った。
「お前達は上手いなぁ」
「そりゃ、そうだもん。みんなの着る物は、全部あたし達が仕立ててるんだもん」
「ねー」
少女達は顔を見合わせて笑う。囲炉裏端に広げられた布を、這い寄ってきた赤ん坊が手にとって喰わえ、子守の幼女が急いで取り上げる。
その間に畑仕事から返ってきた少年達が、掘ってきたばかりの芋や青菜を厨(くりや)に運び込み、竈に火を入れている。
「睡骨様ー、今日の雑炊にもお米入れて良い?」
夕餉の支度を始めた少年が、期待に頬を赤くしてそう聞く。
「あんまり贅沢すると、すぐにお米無くなっちゃうよ」
すぐにしっかり者の少女達がそうたしなめる。
「少しくらいなら良いだろう。ちゃんと分量を計って入れるんだよ」
そう睡骨が言うと、少年達ははしゃぎながら、米を大事そうに鍋に移した。
老僧は元気に笑う子供達の姿に、嬉しそうに目を細めた。

「あの子たちがこんなに楽しそうなのを見るのは初めてです。睡骨殿がいらして、私も肩の荷が下りた気がします」
「いえ、和尚様があの子達をよく育ていらしたからです。本当に、素直なよい子供達です」
子供達が眠ってしまった後、睡骨と僧はそうしみじみと語り合う。
僧は睡骨の穏やかな顔つきを眺めながら、微かに縋るような声音になる。
「私ももうこの年です。睡骨殿がずっといらしてくだされば、あの子供達のことも安心なのですが…」
「……いられるものなら、私もずっとここにいて、あの子達の力になりたいのですが…」
睡骨は口ごもった。
ずっと子供達と供にいて、医術や読み書きや、その他、あの子達のためになるような事を教えて過ごせたら――そう思う傍ら、どうしても消えない不安がある。

所々消えている、自分自身に関わる記憶。
今まで医者として関わってきたはずの人達の事を思い出すたび、不吉な赤い色でその記憶は途絶えていく。
いったい自分の過去はどうなっているのだろう。 そう不安に苛まれつつも、それ以上に、何も思い出さないままでこのままの暮らしを続けていきたい、という想いの方が強い。

ずっとこうやって生きていきたい。

子供達のために、良い人々のために、自分に出来ることをして、力を尽くして生きていきたい。
ふっと目の前に広がった不吉な赤い色の記憶を、睡骨は目を閉じてやり過ごした。
ずっと忘れたままでいたかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「こーんな山の上に寺建てた連中は、きっと凶骨並にデカかったんだ。一歩進めば山の半分くらい登れたんだ」
「何ふざけた事言ってやがる」

朝露の残る早朝、古寺に続く崩れかけの長い石段を登りながらだるそうに文句を言う蛇骨を、煉骨は振り向いて叱りつけた。
「敵がいるとなれば、火のついた猪みてぇに走り回るくせに」
「敵がいるなら、まだ登る楽しみあるじゃん」
減らず口をたたく蛇骨に、煉骨は何度目かも知れない肩を竦める動作をした。
「睡骨を探すのは大兄貴の言いつけなんだ。ぐずぐず言ってねぇでさっさと歩け」
「判ってるって」
蛇骨は袖の中に両手を入れて腕を組むと、とんとんと身軽に登って煉骨の前に出る。
「こんな近いところに本当に睡骨いるのかな」
「近いのか?文句ばかり言ってたくせに」
蛇骨の独り言を聞きつけ、煉骨はからかう。「そうじゃなくてさ」と振り向く蛇骨は、意外と真面目な顔をしていた。

「おれ達から逃げ出した割りにはさ、わりと分かり易いところにいるじゃん、と思って」
「……逃げたつもりじゃねぇのかもな」
意味ありげなことを言い、煉骨は足を止めた蛇骨の横を追い抜いていく。
「逃げたんじゃなくて、なんで勝手なこと、するのさ」
理解できずに、蛇骨は足を速めて煉骨と並んで聞いた。
「その化けた睡骨がおれ達の知ってる睡骨と別人なら、最初からおれ達の所へ戻る理由がねえ。逃げるも何もない、自分がいるべき場所に帰っただけかもな」
蛇骨はむっつりとなって立ち止まった。
睡骨が自分達のことなど忘れ、最初から知らない顔で、別の生き方をしようとしている。それが許し難い裏切りのように感じる。
普段は別にどうとも思っていないはずの男なのに、勝手に自分から離れていくことが許せない。
自分の不機嫌の原因が身勝手で理不尽であることに蛇骨は気が付いていない。
ただ、腹が立ったのだ。

構わず先に行きかけた煉骨は、途中で足を止めて振り向く。
「どうした」
「なんでもねぇよ」
投げやりに答えて、蛇骨はまた石段を登り始めた。そのふてくされた顔に、煉骨は首を傾げる。
「……おめえ、なんか荒れてないか?」
「荒れてねぇよ」
その声音に煉骨は肩を竦めた。それっきり、声をかける事はしなかった。





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糅飯(かてめし)←雑穀とお米の混ぜご飯。当時の主食の一つだそうです。


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