◆ 流転 5 ◆


無言のまま石段を登り続ける煉骨と蛇骨の前に、古ぼけた門が姿を現した。
半分崩れ欠けている土壁の隙間から境内に入り、木の影に潜んで寺の様子を窺う。
「どうする、兄貴。寺ごと燃やして中の連中を燻し出す?」
「いきなり物騒なことを言ってるんじゃねぇ。とりあえず、本当に睡骨がいるのかどうか確かめてからだ」
「へーい」
気の抜けた返事をして、蛇骨は茂みの中に身体を隠した。
ややあって、寺の板戸が開き、中から少年が数人出てくる。
てんでに鍬や鎌を持っているので、これから朝の農作業に出るところなのだろう。
続いて少女が現れて井戸へと近づき、水汲みを始める。
少し遅れて菜っぱの入った籠を持った少女も現れ、二人でそれを洗い始めた。

「これから飯の支度らしいな」
「……なーんか、あれ見てたら、おれも腹減ってきた〜」
「干し飯でも囓ってろ」
「全部食っちまった」
あっさりとした蛇骨の答えに、煉骨は呆れ顔で自分の兵糧袋を渡してやった。
「少しは後先考えて食え」
「うん」
そう言って袋の中身を取り出しかけた蛇骨の動きが止まった。
寺の中から、二人の大人が外に出てきたのだ。
一人は歳をとった僧。もう一人は籠を背負った若い男。若い男は老僧と二言三言言葉を交わし、少女達とも少しだけ話をして、山の中へ入っていった。
それを見て煉骨は息を付いた。
たったいま目にした男は、どこをどう見ても彼の知っている睡骨とは違いすぎた。
大人しくて生真面目そうな表情にきっちりとまとめた髪。何よりも、子供達に対する慈愛のこもった眼差しは、外道と称される七人隊にまったくふさわしくない。
人違いだったのかと舌打ちしかけた煉骨の袖が、唐突に掴まれた。
「……あれ、睡骨だ」
「誰が?」
「あの籠背負った奴、あれ、睡骨だよ」
男の消えた方向をじっと見ている蛇骨の言葉を、煉骨は最初信じられなかった。だが確信的に言い張る蛇骨に、半信半疑ながらも煉骨も頷く。
寺に残っている者達に気づかれないよう回り込み、山に入っていった男の後を追った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


山に入り、睡骨は山菜を採っていた。

たらの芽やワラビ。フキは食べても上手いし、せき止めにもなる。子供達が風邪を引いた時のために場所を覚えておこう。
その他にも様々な木々の恵みが山中にあふれている。
季節事に子供達を連れ、様々な薬草を教えてやりたい。薬を作って医者を始めたら、小銭も多少稼げる。そうしたら、次は一人一人に晴れ着を作ってやろう。古くなっている和尚様の僧衣も、新しいものが用意できるかも知れない。
睡骨はそう先のことを考え、一人で顔をほころばせた。


黙々とつみ取った山菜を籠に入れていた睡骨は、近くに人がいることに気が付いていなかった。「睡骨」と唐突に名前を呼ばれ、驚いて顔を上げる。
そこに、見ず知らずの男――いや、記憶のどこかに引っかかる、そんな変わった風体の男が1人立っていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「よう、睡骨」
結い髪に簪を差し、派手な色合いの着物を着た男が、見下すような目つきで睡骨の名を呼ぶ。睡骨はごくりと唾を飲み込み、緊張した面もちで立ちすくんだ。

「なんだよ。おれの顔を忘れたのかよ。お医者先生よ」
ずかずかと近付いてくる男の背で、大きな刀の柄がゆれる。睡骨はようやくその相手が誰かを思いだし、掠れ声で呻くように言った。

「お前は、あの時の……」
「覚えてたか?おかげさんで足は良くなったよ。あんた、腰抜けだけど腕はいいんだな」
「わ、私になんの用だ」
怯えた声で問う睡骨に、蛇骨は足を止めた。七人隊の仲間になっていた間のことをまったく覚えていないのに、剣呑な顔になる。睡骨は必死の顔で言う。
「怪我が治ったのなら、私にもう用はないだろう。放っておいてくれ!」
それだけ言うにもかなりの勇気を振り絞ったのか、睡骨は緊張で青ざめでいる。蛇骨が返事をしないでいると、それで判ってくれたと思ったのか、睡骨は固い顔のままで背を向けた。
「待てよ」
蛇骨はその背に言った。睡骨はびくりとして立ち止まる。その、自分を拒絶している強ばった背中に向かい、蛇骨は足早に近付いた。
「用があるのは、お医者先生じゃないんだよ。さっさと目を覚ませよ、睡骨」
「……何のことだ…」
おっかなびっくりといった様子で振り向きかけた睡骨の胸ぐらを、蛇骨は乱暴に掴んだ。
「とっとと目を覚ませってんだよ!このまんまじゃ、話にもなんねーだろうがよ!」
そう怒鳴りながら、蛇骨はこぶしで医者の顔を殴りつけた。医者は声を上げて地に倒れこむ。
少し離れた所でその様子を見ていた煉骨は、いまだに信じられないでいた。
医者はどう見ても大人しい善良な男で、彼の知っている睡骨とは別人過ぎた。だが、あの医者は蛇骨を知っていた。それは間違いない。いったいどういうことなのかと黙って見ている煉骨の前で、蛇骨は倒れた男を無理矢理引き起こしていた。


「いい加減にしろよな、おれだって怒るぞ!」
すでに怒っている口調で蛇骨はそう責め立てる。訳が分からないまま、睡骨は逃げように腕を振り回す。背負っていた籠が腕から抜け落ち、睡骨は咄嗟にその籠を蛇骨に投げつけ、そして距離を取った。木に縋って立ち、怯えた顔で目をつり上げた蛇骨を見る。

「なぜ、私を連れて行こうとするのだ!」
「だから、用があるのはてめぇじゃねえって、言ってんだろが」
「私はお前に用はない!お前と一緒に行くつもりもない!放っておいてくれ!」
悲鳴のように叫び、睡骨は寺へと逃げ戻ろうと駆け出す。ぎりっと唇を噛んだ蛇骨は、すぐさま後を追いかけ、睡骨の後ろ襟を掴む。
体格では勝るものの、完全に気合い負けしている医者は、狂暴な目つきを向ける蛇骨に怯えて目を閉ざしたまま叫んだ。
「私はここでする事がある!ここで素朴な良い人達と暮らし、子供達を育て、そして生きていく!戦を行うお前達と一緒に行く気はない!私に関わらないでくれ!」
その嫌悪感に満ちた声を聞いた瞬間、蛇骨の頭に血が上った。
思いっきり殴りつけ、俯せに倒れた睡骨の身体をまたいで屈み込む。そして髪を掴むと、躊躇うことなく睡骨の額を地に打ち付けた。

「ふざけた事いってんじゃねぇよ!どうせ、その素朴とかいう連中だって、落ち武者がその辺逃げてんの見つけたら、山狩りしてとっつかまえるんだろ?野伏共の目をかすめて、なんか金目の物はねぇかと死骸の懐探るんだろうがよ!みんな戦の上で生きてんだよ、甘ったるいこと抜かしてるんじゃねぇよ!」
怒鳴りながら、苦痛に呻く睡骨の顔を何度も地面に打ち付ける。割れた額から飛び散る血により興奮して、蛇骨は声を荒らげた。
「そんなふぬけた寝言抜かしたいんならよ!とっとと首差し出せ!首差しだして、あの世で思う存分寝言いってやがれ!」

どくん、と、男の背中の筋肉が、はりつめたのが判った。
されるがままにぐったりとしていた医者が、唐突に両手をついて勢いよく身体を起こす。いきなりの動きに蛇骨は傍らに転げ落ち、尻餅を付いた。
その目の前で、大人しかった医者は様子を変えていった。

ぴしぴしと逆立つ髪が元結いの紐を引きちぎる。肩の筋肉が盛り上がり、今までとは体格までが違っていく。
目の当たりにした変化にぽかんとしたまま座り込んでいた蛇骨の腕が、近付いてきていた煉骨に引かれた。立ち上がらされた蛇骨は、逆に煉骨の腕を掴んだ。自分の手が震えているのが判る。蛇骨は小さく「……煉骨の兄貴」と呼んだ。

「……成る程な。こういうことか…」

すっかり姿をかえてこちらを向いた睡骨に、煉骨は唸るように言った。
そこに立つのは、彼が知っている睡骨に間違いなかった。額から流れる血を無造作に拭い、自分を見ている仲間二人を無表情に見やる。

「おれ達が判るか、睡骨」
「ああ…」
煉骨の呼びかけに素直に答え、睡骨はその隣の蛇骨をちらりと見る。
「むちゃくちゃやってくれるぜ」
「てめぇが寝ぼけてるからだろうが」
憮然と答える蛇骨にそれ以上文句を言うでもなく、睡骨は視線を煉骨に戻した。
「お前を迎えに来た。戻る気はあるか」
「……もともと、おれの意志でここに来たわけじゃねぇ」
「それなら一緒に来い」
くどくど言うつもりもなく、煉骨は簡潔にそれだけを言う。いやだと言ったら首を取るだけ。説得などする気は最初から無い。
睡骨の方も弁明したり、誤魔化す気はない。あっさりと頷いた。
「判った」
「じゃあ、行くぜ」
煉骨は山の麓に向けて踵を返した。その後をついて蛇骨も背を向ける。睡骨にはもう目もくれない。
ふん、と小さく自嘲気味に苦笑し睡骨は、ふと、地に落ちて中身をまき散らしている籠に目を留めた。

自分で摘んだ物だ、という意識はある。寺で待つ子供達や僧のために、自分はこれらを喜々として摘み、それから色々と先の夢を見ていた。
善良な医者として、子供達の先行きをあれこれと考え、これから自分がすべき事を計画していたのだ。

くらりと目眩のような物を感じた。血に怯え、意識を閉ざしたはずの医者が、どこかで蠢くような気がする。
戻りたがっているのだ。あの穏やかで優しい場所へ。
何かに引き寄せられるように籠に手を伸ばしかけた睡骨の背に、乱暴にどやしつける声が飛んだ。

「睡骨!」

振り向くと、蛇骨が睨み付けている。口をへの字に歪め、顔を顰めて、駄々をこねる子供の目つきで、じっと睡骨を見てる。

「睡骨、こいよ!」

もう一度蛇骨の声が呼んだ。戻りたい――と、そう睡骨の中で囁いた医者の意識は、その声に怯えるように小さくしぼんで消える。
睡骨はもう一度落ちている籠を見た。そこには、もうなんの感傷も浮かばなかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


城下にほど近い草原。そこに張られた城方の陣を見下ろす位置に、蛮骨達が所属する寄せ手の陣が敷かれている。その外れの、七人隊の野営場所に本陣からの命令が届いた。使い番と共に横柄な顔つきの太郎左が現れ、書状を自ら読み上げた。

「明朝、一斉攻撃を掛ける。七人隊首領蛮骨は先鋒隊であるわしの隊と共に出陣。他の者は本陣において総大将警護の任に当たること」
「おれ一人が出陣か?」
背後に霧骨達を従え、蛮骨は胡散くさげに聞いた。太郎左は鼻であしらうような、下卑た笑い声を小さく漏らす。
「一人では怖いか?」
「いや、別に」
そっけない蛮骨に、太郎左は「小童が虚勢をはっている」と言いたげな目になった。
「特別に騎乗を許す。後れをとられては、雇った意味がないからな。安心しろ、馬はわしの陣の内から用意してやる」
「じゃあ、身体が大きくて若い駿馬を頼む。駄馬じゃ、敵陣に乗り込む前につぶれちまう。何てったって、おれの相棒もしっかり運んでもらわないといけないからな」
蛮骨はこれ見よがしに大鉾を誇示した。見るからに威圧感を覚える厚みのある鋼に、太郎左の目が光る。
「口先だけで終わらぬよう、しっかり戦ってもらうぞ。敵大将の首を取ると宣言したのは、貴様自身なのだからな」
吐き捨てて太郎左は自分の陣へと戻っていった。

それを冷ややかに見送り、蛮骨は自分の指示を待っている弟分達に向き直り、告げた。

「聞いたとおりだ。明日はお前等は本陣付き。金の袋だと思って、しっかり守って差し上げろ」








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