◆ 流転 6 ◆


まだ夜の明けきらない早朝。眼前に広がる城方の部隊を遮る靄がゆっくりと晴れていく。
先鋒隊を指揮する部隊長でもある男と並び、蛮骨は最前列に陣取っていた。
用意された馬は周りを見回しても一回りは大きい若馬だ。相当の重量のある蛮竜を携えた蛮骨が乗っても、びくともしない。
その力強さを気に入り、蛮骨は首を軽く叩いてやる。いい馬だ、と思った。

「さて、そろそろ開戦の下知が下る。覚悟はよいか、小童」
「別にいつでもいいぜ」
気負い一つない蛮骨の返事が気に入らないのか、太郎左は顔を顰めながら従者を呼んだ。
すぐに駆け寄ってきた従者は一つの兜を持っていた。

「小僧。本陣に達する前に流れ矢にでも当たったら無念であろう。特別に兜を貸してやる。使うがいい」
あからさまに恩を売る口調とともに差し出された兜を一瞥し、蛮骨は肩を竦める。
「いらねーよ。そんな物被ったら、敵兵におれの顔が見えねぇじゃないか。これから自分らを薙ぎ払う男の顔だ。しっかり見せてやらなきゃな」
そううそぶく蛮骨に、太郎左は顔を青黒い色に染め、「思い上がるなよ、小僧」と吐き捨てる。その時、敵と味方、ほぼ同時に戦の始まりを知らせる陣鐘が打ち鳴らされた。
平原全てを飲み込むように、双方の鬨の声が響いた。


弓兵の矢を防ぐための盾を前にし、槍を持った足軽部隊が前進する。中央付近での最初の攻防の後、陣形が崩れて寄せ手の部隊が押され始めたのを見計らい、最初に城方が動いた。騎馬侍を交えた一軍が突撃してくる。それに応じるように蛮骨のいる先鋒隊本隊にも突撃命令が出された。騎馬武者、それに付き従う徒歩の足軽軍が地響きを上げ、一斉に戦場になだれ込んだ。
接敵直前に蛮骨は背中に衝撃を感じたが、振り返って確かめる暇はない。
左右に展開する騎馬侍達と共に、蛮骨は敵の最前線に斬り込んだ。
流れ矢に当たった雑兵が倒れていく中、激突した双方の兵はたちまち混戦になり、蛮骨は馬上から左右に鉾を振るう。
人体を撫で斬る蛮竜の威力に恐れを成したか、それとも巨大な鉾を小刀のように楽々と操る蛮骨を鬼神と見たのか、前に群がった雑兵共が怖じけて道をあける。
にやりと笑い、蛮骨はその中を突っ切った。蛮骨の突入を許した人垣は彼が通り過ぎた背後でまた群がり、後続を遮る。
蛮骨は一人だけ突出した形になった。
矢が何本か身体を掠めるが、戦いに意識を集中している今は、痛みも恐怖も何も感じない。
彼が乗った馬は相当の駿馬だった。歩行の兵は蹴散らかされ、追いすがってくる騎乗の敵侍も、馬上から振るわれた蛮竜にはじき飛ばされ馬から落ちて転がっている。
背後に続くはずの味方の事など忘れたように、蛮骨は馬を駆った。
彼を避けて逃げまどう歩兵の槍の向こうに、敵本陣の天幕が見える。その周りには大将を守る親衛隊ともいえる直属部隊。
鍛え上げられた侍であるその男達は、突進してくる蛮骨に臆することなく、長柄の得物を連ねて迎え撃つ。
蛮骨は唇の端だけ上げて笑うと、鐙(あぶみ)から片足を抜いて鞍の上にのせ、もう片方の足は軽く鐙に引っかけるだけにしておく。手綱を握っていた手を放し、馬の首の付け根に軽く手を添えて上体を安定させ、中腰になる。賢い馬はまっすぐ敵陣にむかって疾走を続ける。敵の間合いにはいるギリギリの瞬間を見計らい、蛮骨は鞍を蹴った。馬の頭部を飛び越え、一気に敵兵の中へと斬り込む。一瞬視界から消えた蛮骨の姿を求めて構えが崩れた敵侍は、大鉾に薙ぎ払われ、短いうめき声だけ上げ、刈られた草のように倒れていく。陣形が乱れた敵兵の間を乗り手をなくした馬は駆け抜け、何人か跳ねとばしてその場から走り去っていった。

若い少年じみた身体が重武装の敵の間を軽々と動き回り、血煙を上げさせる。
目の前に突き出された槍をかわし、蛮骨は一撃でその侍を切り捨てた。
大鉾と一体化したようにその動きは鋭くてよどみない。目の前で大鉾が閃いた、と思った次の瞬間、鎧ごと叩き斬られた身体が数体まとめて地に転がる。その光景にさすがに勇猛な武将達も後退る。
目の前で槍を構えたまま打ちかかってこない侍達を、血に染まった顔で蛮骨は鋭く見回した。
油断なく構えた大鉾で侍達を牽制すると、身を翻して一気にその場を走り抜け、本陣を囲む幕を切り裂く。目の前を布がひらめくと同時に、中にいた部将が蛮骨に襲いかかった。
蛮骨は振り下ろされた長巻を身体を沈めてやり過ごし、戻す暇を与えずに蛮竜を低い位置から斬り上げた。
腰から真っ二つになって崩れる武将の血煙の中、太刀を抜いたひときわ立派な赤漆の鎧を纏う大将の顔が見えた。
ここが最後の防衛地であることを示すように、総大将の顔は歴戦を勝ち抜いてきた巌の強さを持っている。
本来ならば敬意を持って対峙するべきの、それだけの格のある武将であろうが、そんな事は蛮骨には関係なかった。蛮骨にとっては、取るべき首の一つに過ぎない。
総大将を庇うように、まだ若い小姓が蛮骨に斬りかかる。
それを易々と叩き伏せ、蛮骨は大将の前に立った。
「……傭兵ごときが…」
「それがどうした」
敵大将の言葉を軽くいなし、蛮骨は大鉾を高く構え、鋭く踏み込んで振り下す。
巨大な刃を防ごうと掲げた武将の刀が僅かな衝撃とともに真二つに折れる。驚愕に目を見開いた武将のその身体を、蛮骨の大鉾は切り裂いていた。


左肩から右腰まで――斜めに切り下げられた大将の身体がどうっと倒れた。
蛮骨はすでに絶命している大将の側に膝をつき、兜を脱がせて首を露出させた。
「この首はちゃんと持ち返らねぇとな」
そう言う彼の背後で、じゃりっという鋼の擦れる音がする。
誰かが鞘から刀を抜いのだ。屈み込み、無防備な背中を曝す蛮骨の後ろで。
構わず大将の首に蛮竜の刃をあて、軽く力を込める。
頭上から鋼が空気を切り裂く音が迫る。
蛮骨は振り向きざまに、取ったばかりの首を相手に向けて突き出した。
討ち取られた大将首を掠める直前で、背後にいた侍の刃は止まる。
蛮骨はゆっくりと立ち上がると、相手の顔を確かめて鼻で笑った。
「…あんた、遅かったなぁ」
そこにいたのは――先鋒隊の指揮官である太郎左だった。


蛮骨は目を細め、剣呑な視線で相手を睨め付けながら、それでも態度だけは最低限の礼節を守って言った。
「約束の大将首だ。こいつで間違いないだろうな」
言いながら、血まみれの首を太郎左の鼻先に押しつけるように突きつける。
「……そうだ」
太郎左はようやく言うと、青ざめた顔で後ろに離れた。
「自分の後ろで何をする気だった?」と問いつめることを蛮骨はしなかった。意味ありげに笑うと、太郎左に少し遅れて駆け込んでくる侍や足軽によく見えるように首を高く掲げ、そして大音声で呼ばわった。

「大将首、七人隊、蛮骨が討ち取った!」

勝ち鬨の声が一斉に挙がった。勝利を告げる自軍の太鼓が高らかに打ち鳴らされ、戦場の隅々に響く。敗走を始めた敵軍にたいし、勢いに乗った自軍の兵は追撃していく。蛮骨は立ちすくむ太郎左の傍らに行き、にんまりと笑った。
「これで貸しは返したよな?侍大将さんよ」
太郎左の手から抜き身の刀が落ちた。この戦で一番の手柄を上げる、たとえどんな手段を使ってでもと――その野望が完全に潰えた瞬間だった。

地に落ちた布を踏んで、さっき戦場から走り去ったはずの馬が戻ってきた。蛮骨が近付くと、慣れた主に再会したかのように、鼻面を押しつけてくる。
蛮骨は笑ってその鞍に取った大将首をくくりつけようとした。
「……もうし、……兜をお忘れです」
不意に年若い雑兵が、さっき捨て置いてきた大将の兜を差しだした。それから声を潜めて囁く。
「作法を守らぬと、せっかくの手柄にケチを付けられては業腹です。お持ちになって下さい」
「へえ、こいつも持っていった方がいいのか」
蛮骨が物珍しそうに言うと、若者は自ら兜を紐で鞍にくくりつけた。そして憧れと称賛の目で蛮骨を見ると、太郎左に聞こえないようにと一層声を低くする。
「私は太郎左様の馬取りをしておりますが、あのお方は、強欲で野心家で、ご自分以外のお方が手柄を立てると、何くれと影口を叩く癖がございます。剛力自慢のくせに、本当に器の小さい……」
そこまで言ってから、若者ははっと口を押さえ、慌てて手綱を蛮骨に差しだした。
「どうぞ、お気をつけてお戻りください」


身分など関係なく力を示した蛮骨は、この若い男だけでなく、武勇で名を挙げる夢を見ている若者達すべての憧れとも言える存在だった。
がっくりと肩を落とし一気に老け込んだ主の存在も今は眼中になく、若者は蛮骨を眩しげに見る。
不意に太郎左は肩をそびやかすと、声を大きくして自分の部下を怒鳴りつけた。
「何をしておる!戦はまだ終わっておらぬ!わしの馬はどうした!」
「は、はい!申し訳ありません!今引いて参ります!」
馬取りの若者は跳ね上がる勢いでそう答えると、小さく蛮骨に頭を下げて幕の外に走り出ていった。続いて太郎左も大股で出ていく。姿が見えなくなっても聞こえる大声に、蛮骨は面白くも無さそうな顔で笑う。
滑稽な話だ。少し前まで、あの若者にとっては主こそが最高の勇者で、憧れの的だったに違いない。
ほんの僅かなきっかけで人の心は変わる。自分に都合のいい方へと転がり、そして流されていく。
もっとも、蛮骨はあの若者の新しい偶像になる気などない。
自分は傭兵であって、勇者ではないと承知している。称賛の目など必要ない。
自分にとって必要なのは――蛮骨は小さく苦笑すると馬の腹を軽く蹴った。馬が歩き出したのを機に、彼等について思いを巡らすことを止める。

侍の野心も、若者の憧れも、彼にはなんの価値もないことだった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


蛇骨達三人が城下にたどり着いたときは、もう全てが終わった後だった。
城は落ち、寄せ手の総大将が臨時の城代となって城を守っている。
蛮骨達は城から少し離れた場所にある館にいると城の門番から聞き、急いでそこに駆けつける。
館に行くと、蛮骨は広い縁の端近に座り、上半身を曝した短袴だけの恰好で、霧骨に傷の手当てをさせている最中だった。

「よう、戻ったか」

けろりとして手を挙げる蛮骨の肩や腕に残る赤黒い矢傷の痕に、蛇骨は慌てて駆け寄った。

「大兄貴!怪我したのか?」
「たいした事はねえよ」
笑いながら蛮骨は、縁の外に立つ煉骨と睡骨に目を留める。
「ごくろうさん」
軽く言う蛮骨に、煉骨は無表情で頭を下げる。
「なんだよ、お前等!一緒にいたくせになんで大兄貴に怪我させるんだよ!」
いきなり蛇骨は霧骨に怒鳴りつけた。
困り顔で言い訳しようにも、目をつり上げた蛇骨の形相は反論を聞いてくれそうにない。焦った霧骨に、蛮骨が助け船を出す。
「こいつ等のせいじゃねぇよ。まあ、色々とこっちの事情ってもんだ。霧骨、行って良いぜ」
蛇骨に胸ぐらを締めあげられ、半分窒息しかけていた霧骨は蛇骨の手から逃れると、急いで館の奥に消えた。
「なんだよ、事情って〜」
「ま、色々だって。それよか、霧骨がいっちまったから、お前、代わりにこれ巻けよ」
そう言って蛮骨は、不服気な蛇骨に白布を押しつけた。
「背中までは手がまわんなくてさ」
軽い言い様だったが、首を傾げながら蛮骨の背中を見た蛇骨は目を見開いた。
背中の真ん中に矢傷があった。
完全に突き立った訳ではないようで、さほど傷は深くない。

(でも――)
と蛇骨は疑問に思う。
いくら蛮骨でも、確かに四方から矢を撃ち込まれたら無傷でいられるわけはない。
でも、この位置は――戦っている最中の蛮骨の背中の中心を、こんなに綺麗に狙えるものだろうか。まるで、身体の真後ろから狙いを付けたような――。

そう考えた蛇骨はある可能性に思い至り、ゾクリとなった。思わず蛮骨にむかってその疑問をぶつけようと口を開きかけた瞬間、その考えを読んだように蛮骨は言う。
「黙っとけよ」
「……だって、大兄貴」
「黙っとけって。どうせ、今になっちゃ、誰の矢かなんてわからねぇからさ」
その言葉に、蛇骨はきゅっと唇を噛みしめた。
布を蛮骨の肩にあてたまま動かなくなってしまった蛇骨の手を、蛮骨は宥めるように二、三度軽く叩いてやる。
蛇骨は何か言いたげに顔を歪めながらも、結局何も言わないままゆっくりと傷口を布で覆い始めた。

「さてと、睡骨」
蛇骨に布を巻かせながら、蛮骨は今始めて気が付いたような口振りで、煉骨の後ろに立つ睡骨に声をかけた。
睡骨は無言で前に出る。罰を受けるなら、それはそれで仕方ない、と覚悟を決めているようだった。
「一つだけ質問に答えろ」
冷たく言う蛮骨に、睡骨は黙って頷く。
「お前――おれ達から逃げたかったのか?」
「……違う」
「そうか。なら、いいや」
僅かな沈黙の後の短い睡骨の答えに、これまた短い言葉で蛮骨は詮議を終わらせてしまった。
「戻ってくる気があったんなら、それでいい」
煉骨からみても、拍子抜けするくらいのあっけなさだった。
当然、咎められると思っていた睡骨の方はもっと戸惑った風で、何か言いたげな顔つきで蛮骨を見ている。その目を無視し、蛮骨はそしらぬ顔だ。

蛇骨はそんな二人を交互に見やりながら布を巻終え、傍らにあった短袖の短着を蛮骨の背中から着せかける。それに腕を通しながら、不意打ちに蛮骨は言った。

「そういや、睡骨。お前が助けたっていうガキ、死んだぜ」
睡骨の目が微かに動いた――ように見えた。
「城攻めの号令がかかる直前、城主とその息子の首二つ、そろって届けられた。首を差しだして女子供、一族郎党の命乞いをしたんだとさ」
そう言ってから、蛮骨は鋭く睡骨の表情の変化を探る。
一瞬だけ動いたように見えた睡骨の表情は、すでに普段の無表情に戻り、揺らぐこともない。
それを見定めて満足げに蛮骨は笑い、そしてふっと真顔に戻る。

今の遣り取りの意味が分からなかったらしい蛇骨が、隣にぺたんと座って蛮骨の顔を覗き込んだ。いつになく大人しい態度が可笑しかったのか、蛮骨はにまっと笑うと蛇骨の肩に腕をかけて引き寄せた。引き寄せられた蛇骨が、自分からも腕を回してしがみついてくる。
それを受け止め、蛮骨はようやく荷を下ろしたような顔になった。

腹を探る必要のない相手が近くにいるのは心地よい。力が抜けて、気分が楽になる。
蛮骨はほうっと長い息を付き、庭先から遠くへ視線を移す。
遙か彼方の空を、白い雲がゆったりとした動きで流れていく。
それを眺めながら、
「ま、侍ってのは面倒くせぇもんだな」
ぽつりとそう言った。




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