◆ 誘う手 ◆


触れている肌の温度が、急に冷たくなった気がした。
快感に閉じていた目をゆっくりと開くと、自分の身体の下に仰向けになった男の顔からは完全に血の気が失せ、蝋のような色合いに変わりつつある。

「ちぇ、くたばっちまったのか……これからだったってのに」

つまらなそうに舌打ちをし、蛇骨は男の下腹部から腰を浮かした。体内からずるりと抜け出した男の一物は未だ天を向き、先端は最後に放った物で濡れている。
「固いのはいいけどなぁ、やっぱ、冷たいとあんまりよくねぇな」

ゆるんだ下帯を直しながら、蛇骨は息を止めた男の顔を見下ろした。
森の中で残党狩りをしていて見つけた、小生意気な男だった。
そこそこ身分がありそうな若侍で、追いつめられておきながらもまだ居丈高に蛇骨に命令をしようとしていた。
手負いの侍が必死に命令を繰り返す様子が面白かったので、動けなくなっている身体にさらに浅く傷を付け、血まみれになった鎧をはだけて「やめろ」と怒鳴るのを無視して、素肌に舌を這わせてやった。そうして刺激してやると、面白いくらい簡単に男の部分が反応した。

自分を従えようと吠えていた相手が、自分の手の中で逆に無防備に従えられていく様を見るのは、実際に身体から与えられる快感に勝ると蛇骨は思う。
夢中になって攻めたてているうちに、若くて整った顔はいつのまにか動かなくなり、放り出された手が厚く積もった落ち葉に埋もれていた。蛇骨は仕方ない、と言いたげな顔で独りごちた。
「もうちょっと頑丈なら、なお好みだったんだけどなぁ」

襟を引っ張って裾を整え、刀を袋に入れて背負うと、蛇骨はその場にあっさりと背を向けた。一物をさらけ出したままの死体は置き去りとなり、踏みだした足下で小枝が小さな音を立てて折れる。
自分がたてたのとは別にもう一度同じような音が聞こえ、蛇骨は木の陰に潜む人物に声をかけた。
「よーう、睡骨。そんなとこ隠れて覗きか?」
「誰が覗きだ、このうつけが」
忌々しげに姿を現し、睡骨は吐き捨てる口調で言った。
「そこここに残党がいるって状況で、よく盛っていられるな。やってる最中に首取られたらどうする気だ」
「そんなヘマしねーよ」
「さて、どうかな」
その口調に、蛇骨はふと睡骨が潜んでいた辺りを目をやった。茂みから突き出す血まみれの腕が見える。
気まずげに口を尖らせた蛇骨は、横目で睡骨を見てから舌打ちをした。

「ちぇ、覗きヤロウがこんなにいるとは思ってなかったんだよ」
「後ろから首を取られても、そんな戯言ほざいていられるかな」
皮肉な物言いが癪に障ったのか、蛇骨はしかめ顔のまま、睡骨の脇を通り過ぎる瞬間に草摺の間に手を滑り込ませた。
突然腰の物を握られ低く声を上げた睡骨に、蛇骨はにやりと笑う。
「てめーも盛ってたんじゃん。人がやってるの見て、気分出してたんだろ?」
「うるせぇ」
ばつの悪い顔つきで睡骨は背を向けた。自分の方を見ようとしない睡骨に、蛇骨はしてやったりと言いたげな顔で声をかける。
「なあ、抜いてやろうか?おれもちーっとばかし物足りなくてよ」
「いらねーよ。てめぇを楽しませるために、自分の身体を切り刻んでやる気はねぇ」
「ふつーに気持ちよくしてやるって」
「いらねぇってんだろ」
荒っぽい拒絶に、気分を損ねた蛇骨はふくれっ面になった。
「判ったよ、もう頼まれたって相手なんてしてやんねーからな!たるんだババァとでもやってやがれ!」
そう吐き捨てると、顔を背けたままの睡骨を置いてきぼりに、蛇骨はひとりで森の外へ向かって走り出した。

◆◆◆◆◆


とぷんと、重く粘つくような水音が響く。
動かない男に跨り、一人快感に浸っていた蛇骨は鬱陶しげに目を開けた。
そこにあるのは血で汚れた顔に、どんより濁った目を見開いた若い男。
だらしなく開いた口元からは血のアワが溢れ、舌が垂れ下がっている。
胴丸は大きく割れ、その下からは弾けた真っ赤な傷。そこから血まみれの手が一本突き出ていた。
蛇骨はその奇妙な手をじっと見つめた。奇怪な水音はその手が発していたのだ。
とぷんとまた音がした。手が動くと指先から赤い血が滴り落ちた。
手は蛇骨に向かって手招きしているようだ。
「おいでおいで」というように。
首を傾げ、男の胸からはえた手を眺めていると、むき出しになった太股に濡れた物が当たる。
横を見ると、足のすぐ横からまた別の手が生えていた。どうやら、男が流した血溜まりから生えているようだ。

音を立てて反対側からも手が生える。男の血が流れた至る所から、赤い手は生え、そしてそれが一斉に蛇骨を手招く。

「おいでおいで」と。
「血の中にお前もおいで」と。

そう、声にならない声が蛇骨の脳裏に響く。
濃い血の臭いに全身を浸され目を閉ざすと、喘ぐような吐息が零れた。
「……血の臭いって、なんでこうやる気にさせるんだろうな」
背筋を快感が走り抜け、蛇骨は小刻みに体を震わせた。
足を伝わって登ってきた手が顔に触れようと指を伸ばす。それに自分から頬をすり寄せ、長い息を付く。
「あーーーー……なんか良い……」

頬から口元にはい上がってきた指を舐め、血の味が口腔に広がるのを楽しむ。
これは自分が与えた傷から流れる血。
苦痛に勝る快楽に手を伸ばす、哀れな男が流した血。
強い快感だけが蛇骨を支配し、言葉一つを思い浮かべるのも面倒になってきた。全身に闇がのし掛かってきたような気がする。
その重さすら心地よく感じながら、赤く濡れる血色の闇に、蛇骨は意識の全てを預けた。

◆◆◆◆◆


遠くから聞こえる虫の声に、蛇骨は目を覚ました。
そこは村外れの空き家だった。
戦の後、ねぐらに選んだ家の中で、適当な場所に横になった仲間達の寝息が聞こえる。
半分壊れた障子の向こうに高く昇った月が見え、そしてその下に炎の灯りが見える。蛇骨はのっそりと起きあがると、外に出た。
家の外では焚き火が燃え、その横では睡骨が不寝番をしている。ぼんやりした動作で頭を掻き、蛇骨はのろのろと火の側に行った。

「何の用だ」
火の傍らにぼうっと立つ蛇骨に、睡骨は素っ気なく訊いた。その声を聞き、蛇骨は駄々をこねるように早口でまくし立てた。
「何やってるじゃねーよ。やっぱ、てめーのせいだぞ。昼間人がもの足りねーっていってんのに知らんぷりしやがるから、おかげでこのおれが霧骨みてーに寝ながら気をやるなんて情けねー事しちまったんだぞ」
「それがおれのせいかよ」
勝手な言い分に呆れた声を上げる睡骨に、さも当然と言いたげに蛇骨は答える。
「てめえのせいに決まってんだろ」
「つきあいきれねぇよ」
そっぽを向いた睡骨に、蛇骨は唇を尖らしたまま隣に座り込んだ。

「なんかさー、すっげー生々しい夢みちまった」
「どうせ男を引っかけてる夢だろ」
「男は男なんだけどさー、うごかねーんだよ。その代わり、血まみれの手が何本もはえてきて、おれの事、こう手招きすんの。おいでおいで〜〜って風にさ」
蛇骨は夢の中で見た手の動き通りに、手招きして見せた。
「なんかさ……すっげー血の臭いがして、それがまたすんごく気持ちいいんだ。おれ自身も血だらけになってるみてぇで、それもまた気持ちよくて」
「血の臭いがするのは当たり前だろ。お前の着物、血だらけじゃねぇか」
当たり前と言わんばかりの睡骨の言葉に、蛇骨は襟や袖を引っ張って目の前に翳した。
昼間の戦いで付いた返り血は、自分で思っていた以上に広範囲に渡って着物を赤く染めている。くんと鼻を鳴らし、蛇骨は一人納得した風に頷いた。

「確かに臭いがする。血の臭い、べったり」
「それだけつけておいて、身体に染みついてなきゃその方がおかしいだろ。着物についた血の臭いだけで良くなれるとは、随分とお手軽だな」
「うわ、その言い方、すんげー嫌みくさい」
「嫌みで言ってるんだから、当たり前だろ」
「てめーって性格悪いよな」
「お前に言われたくねぇよ」
苛立った手つきで睡骨は小枝を火に放り込んだ。
しかめ顔でその動作を眺めていた蛇骨は、頭を低くして下から睡骨の顔を覗き込んだ。

「なあ、やっぱりやらねぇか?」
「頼まれたってやらねぇって言ってただろが」
「頼まれたってやらねぇよ。今は、俺がやりたいって言ってんの」
そう言ってにまりと笑うと、不意に腕を伸ばして睡骨の股間を袴の布地ごと握りこむ。
「たってるじゃん」
「てめえが握ってるからだろ!」
上擦った声を上げて手を振り解こうとする睡骨に、蛇骨は食い下がった。
「いいじゃん、せっかく用意できてるんだからさぁ」
「なんで、てめぇはそうやって勝手に人の物を触るんだ!」
「別にそう怒ることねぇだろ?気持ちいいから、たってんだろうってーの」
握った物を放さないまま、蛇骨は向かい合うようにして睡骨の膝に座り込んだ。目の前で目を怒らせている睡骨の顔に、蛇骨は挑発的に言い放った。

「ひょっとしてさぁ、てめぇ、おれとやるの怖いのか?骨抜きになっちまいそうで」
「よくもまあ、それだけ自惚れられるもんだ」
「自惚れなんかじゃないぜぇ?」
粘つく口調で蛇骨は言う。

「最初は嫌がっててもさぁ、血まみれの死にかけだって、おれがこうやって……」
蛇骨は腰をずらし、布越しにも判るほど固くなっている睡骨の一物に自分の秘所をすり寄せた。
「こうやってさ、おれの中に入れてやるだろ?そうすると、むちゃくちゃ喜ぶんだよ。痛い痛いって泣きわめいていたのがさ、自分から手を伸ばしておれの腰を掴むんだよ。そうやって、もっと深く突き入れてこようとするんだ」
昼間、そうやって楽しんだ事を思い出したのか、蛇骨は心地よさげに笑い、唇が乾くのか、しきりに舌を出して舐めた。
炎の灯りが揺れ、濡れた唇を歪ませて笑う蛇骨の顔に奇妙な陰影をつける。
我しらず睡骨は唾を飲み込んだ。目の前でゆっくりと身体を揺らす蛇骨は、今まで見たどんな豊満な女よりも強烈に睡骨の欲情を煽る。薄気味悪いのに目が離せない。
唐突に怒りが込み上げ、睡骨は乱暴に蛇骨の襟首を掴んだ。強い力にのけぞりながら、なおも誘う目を向けてくる蛇骨に、睡骨はぞっとなった。

「……てめぇ、頭おかしいぞ」
「それがどうした。つーか、てめぇはまともなつもりかよ」
その言葉を遮るように、睡骨は噛みつく勢いで蛇骨の舌を吸った。強引な行為に蛇骨の唇が切れたのか、血の味がする。唇が離れると、蛇骨は笑いながら唇に滲んだ血を舌で舐めとった。 男が自分を拒めないと、そう確信している目をしていた。

突き放そうとして、そうすることの出来ない苛立ちに、睡骨は軋む声を出した。
「てめぇの都合は聞いてやらねぇぞ」
「いいよ」
勝ち誇った笑みでそう答えた瞬間、掴まれていた襟が力任せに背後に引かれ、蛇骨は大きく上半身を揺らした。着物の袷が乱れ、晒された裸身はそのまま地面に押しつけられる。
自分にのし掛かってきた男の背に腕を回し、蛇骨は満足げに喉声で笑った。
その笑い声を耳元で聞きながら、睡骨は不意に昼間目にした男の亡骸を思い出した。

全身を朱に染め、袴の間から取り出された一物をさらけ出したまま息絶えていた男。
その死に顔は、いったいどんな顔をしていたのだろうか。

しっとりと汗に濡れた蛇骨の肌は、二つの身体の隙間を感じさせない程にぴったりと密着してくる。
このまま抱き合っていると、己の身体が全て蛇骨の身体に吸い込まれていくような、そんな錯覚さえする。
強い快感にのめり込んでいく意識の片隅で、睡骨はとりとめなく考えた。

蛇骨に抱かれたまま死んでいった男は、最後にどんな顔をしたのだろうか。

その最期の瞬間に感じていたのは死に至る傷からもたらされる苦痛だったのか、それとも――苦痛すら消し去るほどの快楽だったのだろうか――。






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