◆ 魂送り ◆


サラサラと流れる水面に、灯りが揺れる。
それは川岸にしゃがみ込んだ蛇骨の前を通り過ぎ、海に向かって流れていく。
精霊流し。
小さな船に乗せられた灯籠が、いくつも川を流れていく。
大寺院の境内いっぱいにつるされた灯りが、夜風に頼りなく揺れている。
盆に現世に戻ってきた魂が、またあの世に帰っていくのだという。
その標となる小さな灯り。
大大名の菩提寺であるその寺では、盂蘭盆の法要が数日間に渡って大々的に執り行われていた。

「おい、蛇骨」
唐突に声をかけられ、蛇骨は鈍い動きで顔を上げた。
「煉骨の兄貴」
「お前、また、配備場所からとんずらしてたな」
「もう終わりじゃん、みんな、お流れの酒かっくらってるよ」
蛇骨はまた川面に目を向けた。
列席していた隣国の大名達はそれぞれの接待役の用意した屋敷に戻り、今、寺に残っているのは、主家の主と、その腹心達。
今は子飼いの侍達だけが要所を守り、蛇骨達のような寺まわりの警備に回っていた足軽や傭兵達はその場で食べ物などを振る舞われ、適当にくつろいでいる。

「大兄貴達も、休んでるんだろう」
「まあな、退屈な仕事だ」
煉骨は不服そうに呟く。
「なあ、兄貴。なんで、こんなに火を焚くんだ?」
「先祖の魂をあの世に送り返すためなんだとさ」
「じゃあさ、送り返さないと、この世は先祖だらけになるの?」
蛇骨は煉骨に顔を向けると、ぼんやりと聞いた。
「なんだ、珍しい事に興味を持ってるじゃねぇか」
煉骨がおかしそうに笑う。
「だってさ、変じゃん。見えねぇのに、帰ってきてるとかってさ」
「そうでもしねぇと、坊主共がありがたがられねぇだろ」
蛇骨は顔を顰めて、物問いたげな顔になった。

「先祖様、いねぇの?」
「さあな、帰ってきてるのかも知れねぇし、坊主共が大嘘言ってるだけかも知れねぇ」
「はっきりしねぇなあ、兄貴にも分かんない?」
「本当のことは死んだ奴じゃねぇとわからねぇだろな。あの世があるのか、本当に地獄の釜のフタが開いて戻ってこられるのか」
「ふーん」
蛇骨はつまらなそうに川を流れていく小舟を見送った。
最後の一艘が川の向こうに消えていく。
それは早くに死んだ姫君を送るためなのか、綺麗な布で作った姫人形と花も添えられていた。

「戻ってこられるのは、きっと殿さんとか姫さんとか、そういう偉い人ばっかりなんだろうな」
蛇骨がそう呟く。
「なんでそう思うんだ」
と、煉骨が問うと、蛇骨は当たり前、と言わんばかりに断言した。
「だってさ。その辺で骨になってる連中のためにさ、いちいちこんなの流してやったり、迎え火とか焚いたりしないじゃん。誰も呼んでくれないから、きっと、戻り道が分かんないから、戻ってこられないんだよ」
「そうかもな」
と、煉骨は苦笑いしながら頷く。

「別に戻ってこなくたっていいだろ」
「そりゃー、…どうでもいいけどさ」
蛇骨は裾を払って立ち上がった。
川面に、微かに炎の影が揺れる。

「おれ、死んでも兄貴達と一緒にいたいな」
誰に言うともなく、蛇骨はそう口にする。
「どこに戻れなくてもいいし、どこに帰れなくてもいい。兄貴達とずっと一緒に居たいな」
暗闇の中、表情すら定かでない蛇骨の顔を、煉骨は目を凝らすようにして見た。
灯籠の明かりは完全に手の届かない場所へと流れさり、それを待っていたように川岸から瞬く光が舞い上がる。
無数の蛍がとりとめのない動きで飛び回っている。
それは行き場を見失った、灯籠の明かりの欠片のようにも見える。
その光の軌跡を蛇骨は目で追った。
しばらく蛇骨の次の言葉を待っていたらしい煉骨が、ぼそりと答える。

「今から死んだ後のことなんか考えたって、どうにもならんだろ」
「なんだよ。いつも『もう少し後先考えて行動しろ』っていうくせに」
「先過ぎだ、バカ」
「ばかってなんだよー、ったく」
不服そうなふくれっ面で蛇骨は煉骨を睨んだ。
「いい加減、戻るぞ」
「判ってるって」
踵を返す煉骨の後を追って、蛇骨は歩き出す。そして、黙って前を行く煉骨の後ろ姿をじっと見やった。

――前を見れば、いつだって兄貴達が道を教えてくれた。
その後を追いかけていれば良かった。寄り道しても、きっと迎えに来てくれると思ってた。
死んだらどうなるんだろう。
魂はどこへ行くんだろう。
あっちへ行ったら、みんなバラバラになるんだろうか。それとも一緒にいられるのだろうか。
死は怖くないし、生きている時とどう違うのかもよく分からない。
死んだ後のことを誰も知らないというのなら、もしかしたら、死んだら独りぼっちになってしまうのだろうか。
そんな事をとりとめなく考えていると、いきなり煉骨の背中にぶつかった。
「いて!兄貴、何立ちどまってんだよ!」
そう文句を言うと、煉骨は冷静に「お前がふらふらして付いてこないからだろう」と言い返した。
「ふらふらしてたっけ?」
「してただろうが」
悪びれない蛇骨に突き放すようにそう言ってやる。
「ふらふらしてたっけ…」
本気で考えているらしい蛇骨の間抜け顔にため息を付きつつ、煉骨は低く言い添えた。

「蛇骨。死んだ後の事なんか誰にも判らねぇが、少なくとも行き先はおれ達全員同じだぞ」
「へ?」
「おれ達が極楽に行けるわけはねぇからな。行き先は同じ地獄に決まってるだろ」
「あ、一緒なんだ!」
単純に蛇骨は嬉しそうな顔になった。地獄行きを宣言されて、何がそんなに嬉しいのだろうと煉骨は思うが、蛇骨にとってはたとえ行き先がどこであっても関係はない。

「逝って一緒なら、戻っても一緒だよな、きっと」
「おれ達の魂を迎えようなんて奇特なやつが、居るわけねえだろ。戻ることを考えてどうする」
「いないんならいなくても良いよ、だってずっと一緒だしさ」
はしゃいだ声を上げながら、蛇骨は明かりが消えて暗闇に包まれた水面を見た。
「そうかそうか、一緒か…」
「安心したなら、とっとと行くぞ」
「おうよ」

夏草を踏み散らし、今度こそ二人の姿は寺の方へと消えた。
人気が消えて静まりかえった川面に、戻ってきた蛍の光が一つ二つと瞬き、たちまちのうちに無数の輝きになると、ゆっくりと川の先に向かって移動し始めた。
まるで、行き先を示される事のない無数の魂を見送っているかのように。


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