◆ 約束 ◆


血しぶきが飛び散る。
逃げまどう女達の背後を守る最後の兵が、その場に倒れる。
侍達の死体が点々と残る庭に、ひときわ豪華が着物を着た女が虚ろな目で座り込んだ。
震えながら薙刀を構える侍女達の蒼白な顔に、蛇骨は恍惚とした笑みを浮かべた。


軽く蛇骨刀を振るう。
数人の女がまとめて倒れる。中年の女が、座り込んだ女を逃がそうと必死に揺さぶるが、女は動こうとしない。
女は知っているのだ。自分の夫――この城の殿様がとっくに討ち死にしたことを。
蛇骨は笑い顔のまま、刀を持ち上げた。
ただの一刀で逃げ遅れた女達を皆殺しにしようと思ったのだ。

「蛇骨!退くぞ!」

不意に背後から声がした。誰の声かは判っていたが、蛇骨は振り向かない。
「すぐに終わるよ、大兄貴」
女達を見下ろしたまま、そう言った。
「女共は殺すなって言われてる。その奥方、おれ等の殿さんの妹姫なんだとよ」
「そんな事、知らねーよ。この城の連中を殺すのが、おれ等の仕事だろ?」
「その女は殺すな」
蛮骨がさらに言う。
あと一振り、というところを邪魔されて、蛇骨は面倒くさそうに答えた。
「知らねーって言っただろ」
次の瞬間、蛇骨は乱暴に襟首掴んで振り向かされた。そして、唇に鋭い痛み。
蛇骨は呆然となった。
唇に噛みつかれていたのだ。
苦い血の味がして蛇骨が顔を顰めると、噛みついていた蛮骨が口を放し、呆気にとられて固まっている蛇骨に冷たく言い放った。

「このおれに、減らず口叩いた口はどれだ?」

蛇骨はぞっとなって息を飲んだ。自分を見据える蛮骨の目の冷ややかさは、今まで見たことがない物だったからだ。
「行くぞ」
蛮骨は、反抗を許さない声でそう言うと背を向けた。反射的に蛇骨はその後を追いかける。
庭から渡り廊下に上がり、外へと向かう。途中で家老が配下の侍を従え、何かを探すように急ぎ足で歩いているのを見かけ、蛮骨は呼びかけた。
「奥方様だったら、奥の曲輪の庭にいるぜ」
「おお、ご無事だったか。者ども、早くお迎えに」
侍達が奥方が震えていた庭に向かって駆けていく。不意に家老が蛮骨達を見て言った。
「その方ら、姫様にご無礼を働いてはおらぬだろうな!」
「手向かいした侍女を数人ぶったぎった。奥方様には手出ししてねぇよ」
傭兵など信用ならんと言いたげな顔をしたが、すぐに奥から「姫様がいらっしゃいました、ご無事です!」という声が聞こえると、いそいで走って行ってしまった。
蛮骨は肩を竦めた。そして、すぐ背後に身を縮めるようにして立つ蛇骨を見ると、おかしそうに言う。
「妹姫様とやらの身を案じるくらいなら、攻め込まなきゃいいだろうにな」
蛇骨はすぐに頷いた。雇い主側の事情は知らないが、蛮骨の言葉に逆らってはいけないのだと思った。

◆◆◆◆◆◆


数日後、蛮骨と煉骨は、雇い主である武将から約束の報奨金を受け取ってきた。
彼等が宿にしているのは、主を亡くして空き家になった下級武士の住まいだった。 城の外周の曲輪の、さらに外れの家なので周辺は静かで、他の傭兵や侍に煩わされることもない。
金を手に入れたら、後は次の戦場を探すだけ。翌日にはここを発つ予定になっている。
出発前の夜、しんとした家の中で煉骨が道具の手入れをしていると、こっそりと蛇骨が現れ、「煉骨の兄貴、…ちょっといい?」と殊勝な声で話しかけてきた。
「なんだ、いたのか」
答えながら、煉骨は分解した砲筒の内部を磨いてる。そのまま振り向かないでいると、そろそろと背後に近付いてきた蛇骨が、ぺたりと背中に張り付いた。
「鬱陶しい、離れろ」
という煉骨の言葉を無視し、蛇骨は不安そうな声で訊いた。
「大兄貴、おれのこと、怒ってない?」
「なんだ、戦の後、妙に大人しいと思ったら、何かやらかしたのか?」
「……女共片付けようとしたら、怒られた…」
しゅんと沈んだ声で答えると、煉骨は手を休めないまま肩を竦める。
「女は殺すな、奥方を見つけたら、すぐに外に連れ出せ、と事前に言われていただろう」
「そうだったっけ?」
「お前は人の話を覚えねぇからな。奥方を殺しかけたのか」
「……たぶん。侍女連れて、立派な打ち掛け着てたから」
「そりゃ、怒られるな。あの奥方様、次の嫁ぎ先が決まってるんだそうだ。この城よりも立派な国の殿様に。殺しちまったら、間違いなくおれ達の首もとんでる」
そう言ってから、煉骨は振り向いた。普段は脳天気な蛇骨がしょんぼりと項垂れ、煉骨の背中に顔を埋めてる。

「……大兄貴、おれの事、もういらなくなってないかな」
「なんでそう思う?」
「言う事聞かなかったんで、おっかない目で見られた」
「悪いと思ったら、さっさとわび入れてくればいいのに」
「だって、……どっか行けって言われたら、やだから」
もごもごと言う蛇骨に、煉骨はおかしくなった。
「いらない奴なら、腹立てたときにぶち殺してるだろうよ、大兄貴は」
「わび入れたら、大丈夫かなあ」
おそるおそるそう言いながら、蛇骨は顔を上げる。
「わび入れにいきゃ、判るだろ」
半分笑いながらの煉骨の言葉に、蛇骨は恨めしそうな顔で立ち上がった。
「大兄貴、いる?」
「囲炉裏端で酒飲んでたぜ」
それを聞くと、蛇骨は躊躇うような足取りで部屋を出ていく。
蛇骨が行ってしまうと、煉骨は作業を止めて肩に手を当てた。
ただでも細かい作業で肩が凝っていたというのに、蛇骨にべったりと張り付かれてますます肩こりが酷くなっている。
「やれやれ」と呟くと、煉骨は強ばった肩をほぐすために首を鳴らした。


◆◆◆◆◆◆


そろりと足音を忍ばせるようにして、蛇骨は柱の影から囲炉裏のある板の間を覗き込んだ。煉骨の言ったとおり、蛮骨は囲炉裏の灯りの中で、一人で酒を飲んでいた。雨戸は開きっぱなしで、細い月が夜空に朧に浮かんでいるのが見える。
静かに近付いて、蛇骨は蛮骨の斜め後ろにそっと座った。
なんて言ってわびようか、そんな風にぐずぐずと考えていると、不意に蛮骨が振り向く。
「おい」
言うなり、蛮骨は蛇骨の腕を取って引き寄せた。
「え?」
心の準備がまだできていなかった蛇骨が咄嗟に逃げかけると、蛮骨は両手で蛇骨の顔を挟み込んだ。
緊張した蛇骨がぴたりと動かなくなる。そのまま、蛮骨は蛇骨の口元を触りながら顔をしげしげと眺め、何気なく言った。
「やっぱ、唇、切れてんな」
「……え?」
「カサになってるな。痛かったか?」
「……痛かった」
聞かれるままにぽそりと答えると、蛮骨は一人で判ったような顔で頷く。
「血の味がしたからさー、やりすぎたかなとは思ったけどさぁ。お前が悪いんだぜ、人の言う事、聞かねぇからさ」
「悪ぃ…」
「悪ぃと思ったらさ、今度からはちゃんと人の話聞けよ、ん?」
「わかった」
「じゃ、いい。お前も飲むか?」
一人で話を進めた蛮骨は、酒が半分残ってる自分の椀を惚けた顔つきの蛇骨に押しつける。
考える間もなく話が終わってしまったことに力が抜けたのか、蛇骨は素直に椀を受け取ると一口飲んだ。
その間に、蛮骨は台所の隅からもう一つ椀を探し出し、改めて酒を注いでいる。
蛇骨は椀を下ろして、じっと蛮骨の顔を見た。
「ん?もっと飲むか?」
そう言って酒を注ごうとする蛮骨に、いそいで「いい、飲まない」と断り、蛇骨は不思議そうに訊いた。

「蛮骨の兄貴さー、もう、おれのこと、怒ってない?」
「誰が誰を怒ってるって?」
けろりとして蛮骨は聞き返す。
「噛みついたときさ、怒ってたじゃん」
「ああ、あん時か」
今更思いついたように蛮骨は言った。
「あん時は頭きたからさぁ。今は別に怒ってねぇよ」
「……そか…よかった」
ほっとした顔の蛇骨を見て、蛮骨は声を上げて笑いだした。
「なんだよー、お前、怒られるかと思って、ここんとこ、小さくなってたのかよ」
「わ、笑うことねぇじゃん!本気で、どうしようかって思ってたんだっつーの!」
笑われた蛇骨は、ふくれっ面でそう答えた。その顔にますます笑いながら、蛮骨は親しげに肩を引き寄せる。

「あのなー、今から言う事、よく覚えとけよ。これだけはぜってーに忘れんなよ」
そう前置きをし、蛮骨は真顔になって蛇骨を見据えた。
「お前がさ、普段何しようとそれは勝手だ。男追いかけるもよし、誰を切り刻むもよし、好きにしろ。だがな、戦の時はおれの言う事を聞け。お前はおれの物なんだから、絶対に逆らうな」
蛇骨がきょとんとした顔で、目を丸くして蛮骨を見返す。
それに念を押すように、蛮骨は重ねて言う。
「言ってること、判ったな」
蛇骨は何度も何度も、真剣な目で頷いた。
「判った。逆らわない」
「それでよし」
蛮骨はにっと笑うと、また蛇骨の顔に手を添えた。
そして、口元の傷をなぞりながら、ぽそりと言う。
「やっぱり痛そうだな」
「唾つけときゃ治るよ」
目を細め、くすりと笑いながら蛇骨は答える。
「そうだよな」と、やはり笑いながら蛮骨は言った。

「おれが唾付けてやるよ」

その言葉通り、蛮骨は蛇骨の唇をぺろりと舐めてやった。






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