◆ 戦国一夜漬け ◆
一夜漬けの戦国豆知識。間違いを発見したら、遠慮なくこっそりと指摘してやってください。




先日のアニメで鉄砲隊が登場しましたので、調べてみました。

【火縄銃・種子島】

鉄砲が日本に伝来したのは、1543年、種子島に流れ着いた難破船に乗っていたポルトガル商人が持ち込んだのが最初です。この時試射を行い、その命中精度に驚いた種子島領主、種子島時堯(ときたか)さんが二丁買い込んで同じ物を作るように家臣に命じました。
当時日本ではねじ(銃底を塞ぐのに必要)の製造法が知られておらず、翌年やってきた外国人の鉄工に教わって完成させたのだそうです。
完成した火縄銃は、「種子島式」「種子島」と呼ばれました。

その後、献上品として将軍に送られたり、種子島にいた商人が技術を学んだりなどして全国に広まったとのこと。1551年には全国ですでに万単位の銃が存在していたらしいので、犬夜叉時代に鉄砲が登場してもおかしくなかったんですね。ふむふむ。田舎の大名までが持ってたかどうかは疑問ですが、アニメで登場した部隊の領主はきっと新しもの好きで虎の子の数丁の銃を持ち出したのでしょう。凄いぞ、アニメ、ちゃんと時代考証してる!

日本産鉄砲は生産地事に特色があって名前も違うようですが、犬夜叉時代の鉄砲はまだ全て「種子島」なんじゃないかと思います。

ポルトガルの銃に先駆けて、中国式火器も伝わっていたとも言います。それは小型の大砲に近く、命中精度も良くなかったので実用には至らなかったらしいです。煉骨が使っていたのは、中国式が元になってるんでしょうかね。




戦国時代とはあまり関係ありませんが。

【お坊さん】

弥勒をはじめよくお坊さん達が登場しますが、袈裟の形がそれぞれ違ったりします。

桔梗と戦った僧――たぶん七条袈裟。修行着として用いられるもので、左腕に大きく被さっています。

凶骨を見て逃げていった僧(笑)――おそらく五条袈裟。左肩と腕に紐が付いています。日常着として用いられる物です。

煉骨の偽坊主――これも五条袈裟。ただし、上に書いた坊さんよりもかなり格式がある人が着るもの……かもしれない。外から入ってきた仏教と日本にもとからある宗教が融合し、日本仏教が成立されたときにつくられた形式らしいです。あの分厚い襟は僧綱襟(そうごうえり) といいます。

弥勒様――実はこの方の袈裟はよく分かりません。(--;)ただし、子供の頃の弥勒が胸から下げていた前掛けみたいなものは「威儀細(いぎぼそ)」と呼ばれる浄土宗系の袈裟のようです。というと弥勒様は浄土宗系の僧?浄土宗では衣(中国風で左右の腰前で紐で結ぶ)の上にインド風の袈裟をつけるそうなので、ただ今インド風袈裟の資料を探し中です…。

*追加*
曹洞宗にも「絡子(らくす)」といわれる前掛け状の袈裟がありました。うーん、ますます判りません、弥勒様の袈裟…。浄土真宗は頭髪あっても大丈夫らしいので、やっぱりそっち系の坊さん説もすてがたい…。(--;)




【即身仏】
山岳信仰、湯殿山での即身仏への過程です。

1.山野を歩く行を続け自然と一体化し、現世への未練を捨て去ります。

2.穀物を断ち、ドングリやクルミ等の木の実、木の皮などを食べる木食行を数年続けます。最後の数十日は水と塩だけで過ごします。

3.木食行の仕上げにウルシを飲みます。生きながら体質を木に変え、木像となります。

4.入定。箱に入って埋められます。空気穴として竹筒をいれます。

5.読経が聞こえなくなり、その3年後掘り出されて寺に安置されます。

日本の気候は湿気があるので、自然の状態でミイラになるのはよほど条件が揃わなければ難しそうですね…。合掌。




【肌着】
白状いたします。作中で、うちの殺生丸はよく長襦袢姿でうろうろしております。が、実はこれ大嘘だったりします。(^^;;
「襦袢」という言葉は元はポルトガル語で、一般にそう言われるようになったのは江戸時代の頃。ですから、戦国時代の頃は普通に「肌着」とよばれていたようです。
では、ありますが!【肌着】では今一つ色気にかけますし(犬夜叉が着物の下に着てる短着を連想してしまう)、【単衣】と書くと普通の着物っぽいし……という事で、【襦袢】表記にはお願いですから、突っ込まないでください…。

なお、これは完璧大勘違いなのですが、下の兄のファッションの辺りで書いてる大袖って広袖と同じなんですね。(^^;;小袖って袂が小さい着物のことかと思ってました。(は、恥じ〜〜)
袂が長く脇が開いている小袖は、古くから10代の少年少女の着物として用いられていたとの事。って事は兄上の振り袖姿は、外見10代だとしたら別におかしくも何ともないスタイルだったのですね。着物って奥が深い…。




【お風呂】
戦国時代来たての頃かごめが「お風呂がないなんて信じらんない〜〜」と言っておりましたが、戦国、室町時代の頃の一般庶民はお寺の湯屋で入浴させてもらうのが普通で「施湯」と呼ばれておりました。
当時は蒸し風呂が一般的だったようです。
入浴料金を取る町湯もあったようですが、一般的に公衆浴場(銭湯)が広まったのは江戸時代に入ってからです。
侍の家には風呂場が付いてたみたいですね。

温泉は古くから利用されていて、武将やら侍やら坊さんなんかが入浴していた記録とか残ってるようですが、一般的に湯治場として発展していったのは江戸時代に入ってから。戦国の頃だと治安も悪いし、庶民はのんびり温泉旅行なんてそうそうできる余裕はなかったのだと思います。




【灯り】
当時は蝋燭も高級品。一般武士などは受け皿に油を入れ、それに灯心を入れて火を灯した物を使うのが普通。もっと下の身分の場合だと油の多い「松」などを明かりとりに利用していたとのこと。基本的に早寝早起きで日が暮れたらいつまでもぐずぐず起きてたりしなかったんでしょうね。蝋燭は一部の公家や大名クラスが利用してただけだとか。
灯心は山吹の芯などで、当時は専門の灯心売りもいたそうです。
 
と、この記述を本で見つけて焦りまくったのが私です。うちの妄想置き場にある妄想にそのものずばり蝋燭を使ってるシーンが!(タイトルもそのまんまのやつですね)
アニメの18話で一行が泊めてもらったお屋敷で蝋燭が使われていたのでそのイメージで書いてしまったのですが、原作では灯りは蝋燭ではなくお皿に芯を入れて火を灯しておりました。
武士でもめったに使えない高級品の蝋燭。
こんな物、うちの弥勒様はどうやって調達したのでしょう。
確かにあちこちでお払いなど引き受けてお礼を頂いたり、たまには手に入れた品物を売っぱらったりして小金を手に入れることはあるでしょうが、見る限りあまり宵越しの金を持つ主義ではないよう。1人旅の頃ならぱーっと豪遊していたのでしょうし、老後の蓄えなんて物は空しいでしょうし。一行に加わってからは4人分(+七宝)の路銀も必要ですし、そんなにそんなに無駄にお金を持ってるのだろうか、弥勒様!
……と、一瞬本気で焦りかけたのですが、蝋燭一本がまさか一般庶民の年収1年分、ってほどの値段でもないでしょうし、別に毎日使うわけではないんだから何とかなるんじゃないかとか、場所が古寺だから、仏様に掲げていた蝋燭の使い差しの一本や二本くらい落ちてても不思議はないんじゃないかと思い返しました。そういう事なので、皆様、蝋燭の描写があってもお気になさらず!(って1人で焦ってただけじゃ……)
 


 
【お伽衆】
主君の知的ブレーンで、話術上手で経験豊富で、万般に通じている人のこと。主君の側近くに仕えていたらしい。冥加じいちゃんにまさしく当てはまる役職?
 
【歩き巫女】
神社にいないで、各地を回って病人を世話したりしていた巫女さん。桔梗さんが好きな時に好きな所へ移動して、そしてどこでもあっさり地位を獲得できるのは、元々こういう地盤があったからだったんですね〜。武田信玄はこれを利用して、女忍者を歩き巫女として各地に放っていた。
 
【お食事】
弥勒様が一行に加わって以来、立派なお屋敷に泊めてもらってお食事を出してもらう事もあるけれど、この当時の調味料といえば塩と味噌だけ。醤油は味噌を造ったときにでる味噌ダレみたいなもので、今で言う醤油とは別物。ご飯も白米は貴重品なので量が少ないか、玄米か赤米(お米の先祖。収穫量が多いので、当時はこれが多かったらしい)。
食材も今のように種類が豊富なわけもないので(保存技術と流通が発達してなかったので山間部ではわかめも高級品だったそうな)、本当ならファーストフードになれてる現代人のかごめが美味しい、と感じたりしないだろう…。にもかかわらずにニコニコしながら食べてるのは、馴染んでる証拠なのだろうか。好き嫌いのないええ子や…。
 
なんにせよこの当時、農産物の収穫高は今ほど高くなく、一般農民は雑穀の雑炊などが主食。万が一のための備蓄分とか考えたら、日常的に好きなだけ食べられるほど余裕があるわけはないと思われるので、一般民家に泊めて貰うときはイノシシの一匹でも手土産代わりに用意するのが筋だと思うが、一番狩り上手そうな犬君はあまり食べないのでそこまで気が回らないらしい…。
 
 
【お坊さん】
当時は全国を遊行して民間療法や呪術を施したりする坊さんや、恰好だけのなんちゃって坊さんもたくさん居たらしい…。弥勒様も独自に法力を鍛えてはいても、正式には「何々宗」とかには所属してないのかも知れない。ロン毛だったり、袈裟も他の坊さんとちょっと違ったり、堂々と女性を口説いたりしてるしと、かなり胡散臭いし。とはいえ、胡散臭くはあるけど、弥勒様の知識や法力はたいした物なので、むしろ何々本山とかの戒律に縛られてない立場の方が魅力的でいい感じがする。
 
【ファッション】
木綿は戦国時代輸入品の高級品だったそうな。反物で輸入されていて、綿花の栽培法が伝わったはその後。日本で栽培されるようになったのは15世紀末から16世紀にかけてだから、犬君達の時代だとちょうど国産品が作られるようになった頃?(信長がまだうつけ呼ばわりされていた頃だから、1550年前後くらいですかね)
ただし一般庶民に広まったのは江戸時代になってかららしいので、珊瑚ちゃんや弥勒様が着てるのは多分麻だと思われる。
当時はよほどの身分がない限りは着物は着たきり雀で当たり前なようで、残っている当時の侍の娘の手記によると10代半ばの数年間、麻の単衣(帷子)一枚で過ごしていたとか。冬はさぞかし寒かったろうし、若い女性なので脛が見えるのが恥ずかしかったらしく、脛が隠れる着物が欲しかったと書き残しているのも納得。
 
【ファッション・おまけ】
今で言ったら兄ちゃんの振り袖は女物疑惑になるが、武家や一般人の小袖に対して、貴族はどうやら「大袖」という物を愛用していたらしい…。と、いうか、元々小袖は貴族の下着が原型。大袖というのが広袖と違う振り袖形の事なら、兄ちゃんの袖はただの貴族趣味?
 
【ファッション・おまけのおまけ】
当時の女性の一般スタイル、小袖に細帯の姿をなんとなく旅館とかで出される浴衣と帯みたいなものかと思っておりまして、あれだとちょっと動けば着崩れして大変だったろうに、などと思っておりましたが、当時は片膝を立てて座るのが一般的だったという事もあって、今の着物よりも身幅が広く作られていたとの事。という事は、幅広の着物を身体に巻き付けるようにして着て、帯で抑えていたんでしょうね。この方が確かに動きやすそう…。
 
ところで!史実よりも気になるのは妖怪達のお着物事情。奈落の旦那は一応お城の若様なので、人間が作った良い着物を着てるんでしょう、ヒヒのかぶり物は自前としても。
蛾天丸の兄さんはその辺で人間からかっぱらった物を着用と思われる。本性表したときに壊れてたんで、着物着用のまま変化できる七宝ちゃんより、ひょっとして格は低いのかも…。
神楽姐さんは小袖を重ね着してるので、一般庶民から見たらきっと贅沢な衣装持ち。
犬君は火鼠の衣なので毛織物?これ自体、何らかの魔力がありそうなので復元してても不思議はないのだが、肌着まで復元されてると気になる…楓婆ちゃんが肌着は縫ってくれてるのだろうか。
 
そしてトリはやっぱり着物着用のまま化け犬化するお兄ちゃん。
破けても壊れても何事もなかったように復元されてる着物と鎧。あのお着物はなんとなく絹っぽい気がするが、実はどうなのか。蛾とか蜘蛛とかの織物妖怪が作った物なのか、自前の毛なのか…まさか人間が作ったものじゃないと思うが、なんといっても絹の着物は手入れが面倒くさい。洗い張り(着物の糸をほどいて、洗って、糊付けして、板なんかに張って皺を伸ばす事。それからまた縫って着物にする)なんていちいちするとも思えないし。
でも、あの着物が自前の毛だとしたら、いつものお姿は服着てるように見えても実は裸って事に…?
 
 
【追記】
この頃、一般庶民はどうだか知らないが、ある程度身分が上の貴族とか武将とか坊さんとかの間では、男色はごく当たり前の習慣。…腐女子が妄想しても全然おかしくないどころか、妄想しまくって当然の時代背景ですよね…と、主張してみたりする…。