◆舌◆


 

血の臭い。
僅かに鼻をついたその臭いに、殺生丸はまどろんでいた瞳を開ける。
傍らに座り込んでいる男は灯り皿を手元に引き寄せ、こちらに背を向けて何かをしている。
身体を起こした殺生丸に気が付いたのか、弥勒はいつもの人好きのする顔で振り向いた。
「起こしてしまいましたか?」
「別に眠ってはおらなんだ」

素っ気なく言いながら、殺生丸の目は弥勒の手元を見ている。
左手の人差し指の指先の小さな傷、僅かな血の臭い。
弥勒はそれに気がつき、照れくさそうに笑った。
「トゲが刺さっていたのです。抜こうと思ったらこれがまた存外に深くて、少々傷が付いてしまいまして」
殺生丸はその手を掴むと、自分の顔の前に引き寄せた。
そのまま、血の滲む指先を目線の高さに上げ、黙って見ている。
心配するほどの傷ではないし、そもそも殺生丸が人の怪我の心配をするというのも解せない話しだし、別に自分の存在を卑下するわけでもなく弥勒は不思議に思う。
これくらいの傷の何を気にしているのだろう?

そう弥勒が思っていると、不意に殺生丸が傷ついた指先をぺろりと舐めた。
刺激された傷口がちくりとした痛みをもたらす。
「殺殿?」
思いがけない動作にぎょっとした弥勒が呼ぶが、殺生丸は聞こえていないように無視をした。
最初は傷を舌先で触れていただけだったのが、徐々に指全体に舌は絡んでいく。
殺生丸の唇が指を横から軽くくわえ、歯が僅かに当たる。
弥勒はぞくりとして目を閉じた。

弥勒の左手をしっかりと押さえている殺生丸の右手。
指を捉える唇。
舌はゆっくりと指を這い、指と指の間を濡らして別の指にも絡みつく。
唾液に濡れた部分が夜気に冷え、温かい舌との温度差が自分に施されている行為をいっそう生々しく感じさせる。

殺生丸は何を考えているのか、動きを止めようとしない。
人と少し形の違う舌が、絡みついた弥勒の指をぎゅっと締め付ける。
濡れた粘膜。
狭い口腔。
身体の先端を締め付ける感触が、もっと直接的な快感の記憶を思い起こさせる。
一度は鎮まった弥勒の身体が再び熱を持つ。
殺生丸の尖らせた舌先が、弥勒の掌から手首にかけて移動していく。
こらえきれずに弥勒は左手を引き戻すと、不満げに目を上げた殺生丸を右手で抱き寄せ、殺生丸の手を自分の口元に寄せた。
掌に口付け、そのまま手首から肘の内側へと唇を移動させながら、白い肌に痕が残るよう時折強く吸い上げる。

背後から腰を抱かれたまま、殺生丸は背を弥勒に預けて目を閉じた。
その眉がきゅっと寄り、細く息が吐き出される。
互いの体温が上がるのが判る。
弥勒の匂いが今までより強く感じる。
不意に快感が背筋を駆け抜け、殺生丸は抱かれたまま身じろいだ。
揃えられていた膝が動き、乱れた裾から白い膝がのぞく。
肩越しに殺生丸の腕を舐め上げていた弥勒の目が、その肌に吸い寄せられる。

あの奥に快楽の中心がある。

どくんと脈打つ鼓動の音が耳に聞こえる気がして、殺生丸は目を開けた。
耳にかかる弥勒の息が熱く、荒くなる。
僅かに首を捩って顔を見るとそれが合図のように、弥勒は殺生丸の唇を吸い上げるとその背を褥に押しつけた。
舌が絡み合い、唾液が混じる。
その甘さに弥勒の身体の熱さが増す。
このままこらえていたら、燃え尽きてしまいそうな程に。
心持ち乱暴になる弥勒の動きに、殺生丸は目を細めた。

小さな傷に滲む僅かな血の臭い。
それが殺生丸の中の欲の一つを刺激した。
おそらくは本性の獣の部分が持つ食欲に近い。
舌で舐めとった血がこの上もない美味に感じたのは、殺生丸自身も不思議に思う。
喰いたい、というような暴力的なものではない。もっと味わっていたいという甘美な衝動がわき起こり、殺生丸はそのまま何も考えずに行為を続けていた。
それが今度は弥勒の中の欲望を刺激したらしい。
それもいつになく激しい欲求。
性急に膝を割り、自分の脚の間に身体を進めてくる男の体が熱い。
殺生丸の両頬を捉える手も、唇をふさぐ唇も、口腔に差し入れられてくる舌も熱い。
その熱に殺生丸も煽られるように熱くなる。

互いに感じた欲は別々なのに、求める行為は同じ。
僅かに離れた弥勒の唇を殺生丸の舌が追う。
ふたつの舌がすぐにまた絡まり合う。
もっと深く、もっと熱く、もっと一つに。
殺生丸の身体はねだるように震える。

もっともっと。もっと強く。



欲望は深くなる。




 
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