◆ 紅鏡 前 ◆
 


 
 
秋の収穫の時期を経て、町中は俵を摘んだ荷馬車が行き交う活気に満ちている。
その中を、弥勒は1人気楽な鼻歌交じりに歩いていた。
かごめが現代に帰り、旅の中休みとなったのをよい事に、弥勒は1人でとある城下町を訪れたのである。
むろん口実は四魂のかけら探し。わざわざ「眉唾物の噂を聞き込んだゆえ、1人で確認に行ってまいりましょう」と見え見えの口実を作り、珊瑚と犬夜叉の白い目を後にやってきたのだ。
 
「…あー…1人で歩くのも久しぶりだな」
仲間達と共にいる事にも慣れて別段窮屈などと感じたこともないが、元来ずっと1人で旅をしてきた弥勒である。
時には気ままに好き勝手をしてみたくなるというもの。
この町には馴染みの妓楼もあり、一日二日は遊んでいこうかと呑気に考えていた。
 
ふと、弥勒は前を行く二人連れの後ろ姿に目を止めた。
見覚えのある赤い着物を着た童女と、背の高い被衣姿の女。
…だが、その女の装束の不自然なこと。
弥勒はくすっと吹き出しそうになるのを抑え、足早に二人連れに追いつくと横に並び、声をかけた。
 
 
「突然、失礼…いや、もうお気づきかと思いますが。つくづくご縁がありますなー」
「ただの偶然だ」
「あ、法師様だー」
不機嫌な声と嬉しそうな声が同時に発せられた。
当然、顔を衣で隠した殺生丸とりんの二人連れである。
「偶然も重なると必然という物。同じ日に同じ町へおいでになるとは、これはもう同行せよ、との定めでしょう」
「勝手なことを抜かすな」
弥勒は立ち去ろうとする殺生丸の耳元に囁いた。
「…ご自由にさせて差し上げたいのは山々なれど…そのお姿はいけません。不自然すぎて、かえって怪しまれますよ?」
「…なに?」
被衣の下で殺生丸はいぶかしげに眉を潜める。
やはり気が付いてなかったのかと、弥勒は困ったように頭を掻いた。
 
「ばばと孫の二人連れに見えるようにと思われましたか?前回のように色好みの男に目を付けられぬよう。しかし、いくら着物の色柄を老けたものに変えても、立ち居振る舞いが若い者そのままでは、かえって注目を集めてしまいます。普段から体を鍛えている武士ならばともかく、普通のおなごであれば年を重ねますと腰は曲がりますし足の運びも鈍るというもの。後ろから見てもすぐに分かりますよ、若い者が年寄りのふりをしていると」
はっきりと指摘されて殺生丸は不満げに口を引き締めた。
 
今回の殺生丸は鼠色の地紋の小袖に朽葉色の被衣と地味そのものの出で立ちだが、年を経た人間の歩き方など今まで注視したことがなく、当然、真似できるはずがない。
「それに、前に回れば一目瞭然。そのように白く皺のない手の老女などおりませぬよ」
衣を押さえている右手に触れながら、弥勒は宥めるように言う。
このような出で立ちをしてわざわざ町に出てきた以上、何か理由があるのだろう。
邪魔をする気はないが、この不自然さはどうにもこうにも気になって放っておけない。
むっつりと黙り込んだ殺生丸に、弥勒は取りなすように言った。
 
「まあ、妖怪である兄上が人間のことに疎いのは当然のことでしょう。ですから、ここは物慣れた私がお手伝いをするのが順当かと存じます。子供連れでわざわざ来られたのです、無駄足になってしまっては不憫でしょう」
弥勒は大人しくしているりんの頭を撫でた。
りんはくすぐったそうに笑うと、にっこりしながら言う。
「あのね、殺生丸様、りんに綿入れの着物を買ってくれるんだって」
「ほう、それはよかったですな。そろそろ寒くなりますし」
弥勒が感心するように言うと、等の大妖はばつが悪げになる。
 
「…夜になると冷え込むとか抜かすからだ…」
「幼子なれば当たり前ですな。ちょうどようございました、私が懇意にしている古道具屋で女物の古着も扱っている店がございます。そこならば、すぐにでも冬用の着物から草履から一式揃いましょう」
弥勒はぽんと手を叩いた。
「かってに決めるな」
「おや、でもどこかの店に行かねばならぬのでしょう?町の商売人は抜け目がございません。兄上ほどに物慣れず世間ずれしていない客とみたら、失礼ですが、とんでもなく高くぼられてしまいますよ?そういえばお銭(あし)はお持ちなので?」
弥勒は声を低くした。
 
…残念というか悔しいというか、人間に対して関心なくここまで来ていたため、殺生丸には人の生業にたいする知識がまったくと言っていいほどない。
簡単にいってしまえば、貨幣価値も相場も判らない。
「これで着物を買うには足りぬか」
殺生丸は懐から錦の小袋を取り出した。弥勒が開けてみると、その中には町ごと買い占められそうな程の大粒の砂金が、ぎっしりと詰まっている。弥勒はため息をついた。
「これではなおのこと、あなた方だけで買い物させるわけにはいきませぬな。がらくたに目の玉が飛び出るような値を付けた者に、カモにされるのがオチです」
忌々しげに顔を顰めた殺生丸に、弥勒は笑いかける。
 
「私にお任せ下さい。けして悪いようにはいたしませぬゆえ」
「…いいだろう…」
「そう嫌そうなお顔をなさらず。ああ、そういえば、買い物をするのに女姿のあなたを兄上殿と呼ぶわけにはいきませぬな。殺(せつ)殿…とお呼びしてよろしいですか?」
「好きに呼べ」
完全に投げやりに答える殺生丸に、りんと手を繋ぎながら弥勒はこっそりと笑いをこらえる。
「法師様、何で笑ってるの?」
りんが無邪気に聞く。
「…いや、別になんでもありませんよ…」
背後からの殺生丸の視線に殺気がこもったのを感じ、弥勒は慌てて真顔をつくっていた。
 
 
賑やかな通りを抜け、弥勒は馴染みの古道具屋へと二人を案内する。
様々な店が軒先を並べる通りの一番外れ、川を挟んで橋を渡った向こうに一件だけ建っている大店で、扱っているものが豊富なため、普段であれば客の出入りが絶えないのだが。
橋の手前に来て弥勒は首を傾げた。
以前来たときは橋のこちら側からも感じた賑わいが全くないのだ。それどころか、橋を渡るのはずっと向こうまでの荷を運ぶ荷車だけで、買い物に行き来する者が通る様子がない。
「おや、因業親父。ついに天罰が下って夜逃げしやがったかな?」
近くの茶店の小女が橋のたもとにいる弥勒達を呼び止めた。
「お客さん、あのお店に買い物に行くなら、早くすませた方がいいよ。とくに女連れの客は日が暮れたらその橋を渡っちゃ行けない。神隠しに逢うよ」
弥勒は目を丸くして聞き返す。
「神隠しとは。詳しいことを教えていただけますか?」
 
 
小女の話はそう詳しくはなかった。
ただ、男が馴染みの芸妓を連れて、日が暮れてからあの店に買い物に行ったのだという。
橋の半ば頃まで渡ったところでどこからともなく女が現れ、声をかけられた途端男は気を失い、気が付いたら女が消えていた。
むろん、先に行ったわけでも帰ったわけでもなくそれきり女は行方不明。
女にふられた男が誤魔化そうと作り話をしたのだろうと、最初は笑い話だったものの、他にも買い物に行こうとした女が行方不明になり、ついに良家の娘が父と歩いていたところで行方不明になるにいたり、女達は誰もあの橋を渡ろうとしなくなったのだそうだ。
 
「昼間なら渡っても大丈夫なのでしょう?」
「…でもやっぱり怖いし…」
弥勒の問いに、小女は上目遣いで答える。
「有無…これは放ってはおけませんな」
そう言って弥勒はちらりと殺生丸をみた。むろん、女ではないし、ただの人間でもない殺生丸が、そのような噂にどうこう感じるわけもない。
「教えていただき、感謝します。ではこれで」
弥勒は小女の手に小銭を握らせると席を立った。
「さっさと用事を済ませた方がよいようだな」
「そうですね…」
素っ気ない殺生丸に頷きながら、弥勒はそうはいかないだろうな〜〜と1人考える。
案の定、橋を渡って店にはいると、気の抜けた顔の主が泣きついてきたのだ。
 
「法師殿!あなたとわしの仲じゃ!なんとかしてくだされ!」
平身低頭する主に、弥勒はもったい付けた顔で店先に座る。
「使っていた小女まで怖がって店を休んで出てこんのじゃ」
「そう言われましてもな…なにぶん、海のものとも山のものともわからん事態ですし…」
「法師殿…買い物5割引では如何…?」
こそりと亭主が耳打ちする。
「いや、今日物が入りようなのは私ではなく、こちらのご婦人の連れでございますし。…この店を紹介したのは私ですし…曰くがある店で買い物させるのは何かと失礼かと…」
「…お入り用の物はこちらでご用意させていただきますが?この通りの閑古鳥の鳴く店内では、どの様な品物も宝の持ち腐れとなりますれば…」
 
諦めてそう申し出た亭主に、弥勒はもったい付けたまま頷いた。
「そうですな…やはりここは人助けを生業とする法師の出番かと」
「…生臭不良坊主」
ぼそりと亭主が呟く。
「因業亭主殿。何か祟られるお心当たりでもおありで?」
しらっとした口振りで弥勒が訊ねる。
端で聞いていたりんは面白げにきょろきょろし、殺生丸はうんざりとしてきた。
かといって口を開けば男であることが判ってしまうし、結局殺生丸は不機嫌な顔つきのまま、弥勒と亭主が小声で何か言い交わすのを黙って聞いている。
ややあって、弥勒と亭主が揃ってにっこりとした。
「では商談成立という事で」
「よろしくお頼みいたしましたよ」
因業亭主と呼ばれた店の主は、幼いりんに向かい営業用笑顔を向けた。
「こちらのお嬢様の冬物一式ですな。ちょうどまだ新しい子供用の綿入れも袖無しもございます。見立てて差し上げましょう、さあ、奥へ」
弥勒にも促され、りんは亭主と共に店の奥に消えた。
店先に二人きりになり、弥勒はご機嫌伺いする口調で殺生丸に説明を始める。
 
「そういう事になりましたので、橋の神隠しを解決するまでは帰れなくなりました」
「勝手にすればよい。私は用が済み次第帰る」
「そうはまいりません…何しろ、橋の怪異は女性限定のようで。どうしてもここは見目好いおなごの助けが必要という物…」
「その辺で探してくればよいだろう」
嫌な予感を感じて殺生丸は言い放つ。だが弥勒はニコニコしたまま、殺生丸を指差した。
「普通のおなごでは役に立ちませぬ。協力してくだされ」
「私は男だぞ」
「別によろしゅうございます。どうしても駄目なら、また別の日に珊瑚なり連れてまいりますが、とりあえず出で立ちがおなごであればなんとかなるかと」
「いい加減だな」
顰め面で殺生丸が言う。弥勒は逆ににっこりとなった。
 
「なに、そのお姿をみて男と思う者など居りませぬよ。あの亭主など、私に向かい、どこのやんごとなき姫をお忍びで連れだしたのかと、いやあ、実に羨ましそうに訊ねてまいりました。衣装をどれだけ地味にしようとも、中身の美しさは隠しようもないのでしょうな」
殺生丸はげんなりとなった。
「ま、ま、殺殿。事が済むまでりんはこちらで預かってくれると申しておりますし。今宵一晩だけ、おつき合い下され」
「…一度だけだぞ」
渋々ながら承知する。
「それでは今宵…人通りが失せたらまいりましょう」
弥勒は軒先に立つと、黄昏てゆく町並みを見た。
橋を渡る者はもう誰もいない。