◆ かくれんぼ ◆


 

雷鳴が轟く。そして、水桶をひっくり返したような豪雨。
宿を借りた名主の家の縁側から外を眺め、かごめはため息を付く。
「泊めてもらえてよかったね、ものすごい雨」
「不吉の雲じゃなくて、ただの雨雲じゃったがな」
コロコロと笑う小狐の七宝に、弥勒は渋い顔になった。
「別に私の方から宿を頼んだわけではありませんよ」
「普段だって『頼む』んじゃなくて『騙す』なくせに…」
「人聞きの悪いことばかり言いますね。いいですか?犬夜叉。私は法師の務めとして、人々の不安を取り除く手助けをしているのですよ」
「御託はいいっつーの」
説教臭くなった弥勒に、犬夜叉は追い払うように手を振った。

「やれやれ、人の心の機微の判らない人ですねー」
「どういう意味でぇ」
「暇だからって、喧嘩してるんじゃないよ、まったく」
子供じみた事を言い合っている男連中に、珊瑚はやれやれといった風に首を振った。
「別に今夜泊めてもらったのは法師様が騙したからじゃないだろ?相談してきたのはこっちの名主様なんだから」
「おお、そうじゃった、そうじゃった。何か胡散臭い話だったがな」
ポンと七宝が手を叩く。
「本当に妖怪なのかな?だって、声を掛けられただけなんでしょう?」
「わら人形が歩き回ってたら、それだけで怪しいじゃねえか」
「だっていつも夕暮れなんでしょう?見間違いって事も…」
「こういう村じゃよそ者は目立つからね。村の子供以外の子供がいたら、大人が気が付かないはずがないし、村の子供同士なら、見間違いなんてあり得ないよ」
妖怪退治屋の娘が断言する。

通りかかった犬夜叉達に――正確には法師である弥勒に――相談を持ちかけてきたのは、村の名主。
この所、夕方になると見知らぬ子供が村の子供達に「遊ぼう」と声を掛けてくると言う。
ただしその子供というのが、どう見ても着物を着た「わら人形」。
何人もの子供達が同じ事を言うため、さては妖怪が子供を攫いに来たのかと、村の大人達は 不安におののいていたのだ。
その妙な妖怪騒ぎを解決してもらうかわりの、今夜一晩の宿なのである。
だから断じて弥勒がいつもの「不吉の雲が上空に!」をかまして確保した宿な訳ではない。

「でもまあ、話を聞く限りさほど手強い相手とも思えません。明日、晴れたら手分けをして探しましょう」
弥勒のその一言で方針が決まり、一行は雨の降りしきる音を聞きながらその夜は休んだのである。


翌日、昨夜の話し合いの通りに皆それぞれに別れて村の中を探しはじめた。
犬夜叉とかごめ、七宝と雲母と珊瑚、そして弥勒は1人、という組み合わせである。
あくまで相手が格の低い妖怪である、というのが前提の上でバラバラに別れたのだが、邪気も妖気も感じない状態では本当に妖怪がいるのかどうかも定かではなく、眉唾物の考えすぎの騒ぎではないか、という気がしないでもない。
子供というのは想像力が旺盛で、時には目に見えない物まで見えたと思い込む。
弥勒は錫杖を肩に担ぎ、親の仕事を手伝ったり子守をしている村の子供達の姿を目で追う。
忙しく立ち働いているようでいて仕事の合間に小石や木の葉、虫や蛇の抜け殻などのささやかなオモチャで遊ぶ子供達の姿は、逞しいことこの上ない。

村のあちこちには無骨に彫られた地蔵が置いてあった。
戦や病などで幼いうちに死んだ子供を偲んで親が刻んだ、石くれに辛うじて目鼻が付いたような代物ばかりだがその数の多さに、弥勒は瞠目して静かに手を合わせた。
(だが、一族全員死んじまったとかで供養されることもない子供達に比べたら、ここの子供達は幸せだなぁ…)
地蔵の前には、必ず何かしら添えられている。花や木の実や、子供達が遊んだオモチャとか。死者を思いやる余裕がある、良い村なのだと思う。

ふと、弥勒は目の端を駆け抜けたものに、弾かれたように反応した。
木々の間から飛び出し、山の方へ消えてゆく小さな後ろ姿。
子供ほどの体格のそれは、だが人間ではなかった。
ぼさぼさとした手足、端端をそれこそ藁で縛って形を作っただけの――わら人形。
青い縞のボロボロの着物を着た人形が走っていく。
弥勒はその後を追って走りだした。


人形が走る先の木々が割れ、道を造る。
別世界に紛れ込んだようなその光景に、弥勒は後を追いながら思わず目を見開いた。
(こんな力があるのに、なぜ妖気も邪気も感じない?)
人形を追ってたどり着いた場所には、古いが大きな館があった。
開け広げられた門をくぐり、黒光りした板の間が続く館の中に張り込む
太い柱の影には、何かが弥勒の姿を伺いながら隠れている。
目を向けるとさっと身体を隠し、背を向けるとこちらを見ている気配がする。
弥勒は奇妙に落ち着かない心地で、廊下の奥へと進んでいった。
気配は途切れることもなく、だからといって敵意も感じなく、なんとなくかくれんぼの鬼をしている気分になってくる。
館の奥へ、奥へ。そうやって入り込んだところで、弥勒は見覚えのある縞の着物の端を見つけ、その後を追って走りだした。少し前をパタパタと走る軽い音が響く。
間違いなくその足音が隠れた、と思う襖の前に立ち、弥勒はそれを両側に大きく開け放つ。畳が敷かれたその室内に――1人の子供がいた。

「りん?」
畳の上でぐっすりと眠っている少女に驚き、弥勒はりんを抱え上げた。
遊び疲れたような満ち足りた顔つきで、りんはただ眠っている。
その身体を腕に抱えたまま辺りに油断なく目を向ける弥勒の背後で、かさりと軽い音がする。
振り向くと――予想したとおりの青い縞の着物を着たわら人形。
『ごめんな、おら達、ただ遊びたかっただけなんだ』
そう言った人形の後ろから、また違う人形が現れる。
木ぎれで作られた者や、木の枝を蔓で縛っただけの人形や、着物を着ている者も、そうでない者もいる。
ゆらりと館中から集まってきた人形達は、口々に声にならない声を発しはじめた。

『おら達、遊びたかったんだ。楽しく走り回ったり、かくれんぼしたり』
『暖かくて柔らかい肌を持つ子供と、遊びたかったんだ』
『村の子供達はみんなおら達を見ると怖がって逃げていったけど、この子だけは怖がらなかった』
『おら達と一緒に遊んでくれたんだ』
『追いかけっこしたり、花摘みをしたり、…おら達に花冠作ってくれたんだ』
小さな野の花を編んで作った花輪を頭に載せているのは、手足もなく炭で目鼻のかわりに線を引いただけの石ころ。それがとたとたと跳ねながら、弥勒に懸命に訴える。
『すんごく楽しくて、それで時間を忘れちまったんだ』
『ごめん、ごめんな』
奇妙な人形達は口々に詫びる。
『ごめんな――、間に合わなかったみてぇだ』
青い縞の着物の人形がそう言う。

「間に合わなかったって、どういうこと――」
弥勒がそれを聞きとがめた瞬間、轟音と共に天井が抜け、土砂が押し寄せてくきた。
はっとして弥勒はりんを腕に抱え、片手を頭上にかざすが、それだけで凌げるほどの土砂ではない。
「畜生、間に合わなかった、これのことか!」
歯がみをする頭上に、土砂は圧しかかる。
が、弥勒の周囲に何か幕でも張り巡らされているように、土砂が弾かれて砕けた。
人形が1つ岩に押しつぶされて消える。
人形達は最後の力で弥勒を守り、そしてその代わりに次々と潰され、砕け、壊れていった。
最後に残った青い縞のわら人形が、涙声で叫ぶ。
『ごめん、ごめんな、おら達の力はもうこれっきりなんだ。ごめんな』
最後の人形が土砂に潰され、弥勒は周囲にあった幕が消えたのを感じた。
回りすべてが土砂に埋まりつつある。
(畜生…終わりか)
今度こそ終わりか、と覚悟を決めかけた弥勒の襟首が強い力で引かれた。
「…え?」
「その手を放すな」
聞き覚えのある声が背後から聞こえ、長い銀の髪がふわりと揺らいで視界をふさぐ。
一瞬息が詰まったような感じがして、そして次の瞬間弥勒は新鮮な空気を肺一杯に吸い込んでいた。


りんを腕に抱き、土の上にへたり込んだまま目を開けた弥勒の前にあったのは、崩れた土砂に押しつぶされた小さな社の残骸。
転がり出た枯れた花の輪の巻き付いた石ころを、弥勒は手に取った。
半分に割れてしまってはいるが、炭で目を描いた跡が残っている。
「…私はここに迷い込んでいたのですか…」
ぼんやりと言って背後を見上げた。
「あなたはりんを探しに来たのですか?」
「貴様もいるとは思わなかった」
感情の見えない声で答えながら、殺生丸は座り込んでいる弥勒を見下ろした。
「助かりました…本当にこれで終わりかと思いましたよ」
そう言って微笑む弥勒から目をそらし、殺生丸はまだ眠っているりんの身体をつまむように抱き上げる。
「もう行ってしまわれるので…?」
その素っ気ない態度に、僅かに未練の残る声で弥勒が言う。
「犬夜叉がこちらに向かっている」
ぶっきらぼうに言って殺生丸は弥勒に背を向けかけ、そして躊躇いがちに振り向いた。
「そのうち、また機会はある」
それだけ言うと、殺生丸は弥勒の表情も確かめずにふわりと飛んだ。
足下に霞のような雲が湧き、殺生丸と抱かれたりんをあっという間に遠くへ運んで行ってしまう。取り残された弥勒は二、三歩それを追いかけ、足を止めた。
「次の機会……」
避けられたり、厭われた訳ではない。それだけははっきりしている。
弥勒は噛みしめるようにその言葉を呟き、そして僅かに安堵したような表情を浮かべた。 それから土砂に押しつぶされた社の側へ歩み寄り、両手で土を除けはじめた。

ややあって犬夜叉と共に村の男達がやってきた。
周囲を驚いて見まわす名主に問うと、この社が昔の飢饉の時に亡くなった子供達のために作られたものだと言うことが判った。最近は村の老人にも忘れられ、訪れる人もなかったらしい。
弥勒が人形の残骸を焚き上げて供養したいと申し出ると、名主は頭を下げて礼を言い、その後村の中に新しい祠を作りたいと言った。
青い縞模様の布をまいたわら人形は、名主が生まれる前に死んだ兄を偲んで、両親が奉納した物だったそうだ。

◆◆◆◆◆◆
 

村の広場の中央に小さな櫓を組み、そこで壊れた人形を焚き上げる。
面白がって集まってきた子供達も、大人達に言われてよく分かっていないながらも立ち上る煙に手を合わせていた。
(これが一番の供養かも知れませんね)
子供達の殊勝気な様子を見て弥勒はほっとしたように思う。
遊ぶことを知らなかった哀れな子供達も、浮かばれることだろう。
そんな事を考えていると、憮然とした顔つきの犬夜叉が脇腹を突っついた。
「なんですか。供養の最中に」
「おい、真面目な面してんじゃねぇ。何があったのか言えよ」
「はあ?」
険しい犬夜叉と対照的に弥勒はとぼけた声を出した。
「何がとは?祠が土砂崩れにあったのを目撃しただけですが?」
「ほー。つまりなんだ?てめーはあのぶっつぶれた祠を見ただけで、この村の騒ぎの原因はぜんぶこれで、これで全部丸く収まるって分かったってか?」
「おや、まあ」
鋭い犬夜叉の言い分に、弥勒は素直に感心した声を出した。
「お前も物事の裏を読むようになったんですねぇ」
「感心してんのか、誤魔化してんのか、どっちだよ」
「……」
僅かな沈黙の後、弥勒はあっさりと言った。
「仏のお導きです」
「てめえ、やっぱり誤魔化してんだな!」
「しつこいですね。別にお前も悪い気配とか何も感じないのでしょう?なんでそんなに絡むんです?」
今度は犬夜叉が沈黙する。不満げな顔つきで少しの間言い淀んでいたが、やがて思いきったように言いだした。
「さっきの場所、殺生丸の匂いが残ってたぞ」
「おや…」
殺生丸があの場にいたのはほんの短い間だったが、それでもちゃんと判ってしまったのかと弥勒は内心で少し焦りながら思った。
「あいつ、いたんだろ」
犬夜叉は適当に流す気がないらしく、頑固に言い張った。
(当たり障りのない程度に説明してやるべきだろうか…)
表情には出さずにそう考えていると、二人の様子を端で眺めていたらしいかごめが犬夜叉を止めにはいる。
「犬夜叉ったら。村の人たちの前で何やってるの。弥勒様は色々とお務めがあるのに」
「いや、これは…」
説明しようとする犬夜叉をかごめは問答無用で黙らせる。
「邪魔したらダメよ。ほら、こっち。あたし達は後ろに下がってましょ」
犬夜叉がかごめに叱られているうちに、弥勒はそそっとその場を離れた。
火の側で合掌し誦経を始めると、さすがに犬夜叉もそれ以上声を掛けてこない。


立ち上る煙に乗ってあの子供達は浄土へと無事に行けたのだろうか。
あの世では思う存分、遊べるのだろうか。
残された思いが無邪気であればあるほど不憫に思う。
願いはたった一つ。
気が付いて欲しかった――それだけだったのだと弥勒は思う。
現世で元気に遊ぶ子供達が愛しければ愛しいほど、自分達も一緒に笑いたかったのだろう。
そんな願いに気が付いて救ったのは、貴い聖でもなんでもないたった1人の子供。
探しに来る鬼のいないかくれんぼを永遠に繰り返していたあの子供達を見つけたのはりん。その少女を土砂崩れに巻き込まないために見込まれたのは、たまたまここを訪れただけの弥勒。そして危ないところだった二人を救ってくれたのは、りんを探しに来た殺生丸。そうやって結果的に哀れな子供達は みんなに見送られる事が出来た。
思いがけない所で繋がる縁もあるものだと、そんな風に考える。

そして弥勒は殺生丸が別れ際に残した言葉を思い出した。
次の機会がある。
またいつかどこかで会うと、そう確信しているも同然の言葉だ。
また会える。
それがどこで、どちらが先に見つけるのかは知らないけれど。
まるで鬼の決まっていないかくれんぼ。
そう思って弥勒はくすりと笑う。
今回、私を見つけてくれたのは、あの方。では次は私の番。
(今度は私が鬼ですね。探しましょうか、あの方のことを。あの方の見せない心の内を、見つけだしてみましょう)

――自分達の縁は、間違いなくどこかで繋がっているのだから。

最後の一筋の煙の行方を目で追いながら、弥勒はそう思い定めていた。

 
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