◆ 交差 ◆


 
偶然と言えば偶然。
必然と言えば必然。
同じ相手を捜しているのだから、どこかで道が交わることもあるかも知れない。
奈落の消えた先を追い、ある里で手分けして話を聞いていた時に弥勒は一つ気になる話を聞き込んだ。

『首が二つある竜が山向こうに飛んでいった』

ひょっとして――期待半分、諦め半分でその方向に向かった弥勒は、まさしくその両方の気分を味わった。
双頭の竜はいなかった。
そのかわり、その川の辺には子供と小妖が所在なげに留守番をしていたからだ。

「あ、弥勒様だーーー!」
「なんでお前がいるのじゃ!」
退屈していたらしいりんが大喜びで駆け寄ってくる後ろで、緑の肌をした小妖が杖を振り回して声を枯らしている。
「元気そうで何より。お留守番ですか?」
しゃがみ込んだ弥勒がそう言うと、りんはまっすぐに目を見ながら大きく頷く。
「うん、待ってろって言うから、二人で待ってるの」
「……まったく…この小娘はともかく、なんでわしまで置いてけぼりで…殺生丸様の意地悪…」
ぶつぶつと不満そうに愚痴る邪見を、弥勒は錫杖の先でこづいた。
「何を愚痴愚痴愚痴愚痴と。お前は留守を守るよう言いつかったのでしょう」
「やかましいわ!貴様なんぞに、わしの気持ちが分かるか!どうせ、殺生丸様はわしの事なんて…わしの事なんて…」
惨めったらしくしゃくり上げるように言い始めた邪見に、りんは弥勒の袖を引いた。
「邪見様ね。さっき川で転んでケガしたんでちょっといじけてるの」
「誰のせいだと思ってるんじゃ!お前の食い扶持のためではないか!」
「でも魚捕まえたのは、りんだもん」
しらっと言い切るりんの背後では、まだ煙を上げている焚き火の跡と散らばっている魚の骨。
どうやら食事の直後だったらしい。
「お前がわしを、あっちだこっちだと川の中を駆けずり回らせたのじゃろうが」
「だって邪見様、魚追いかけるの下手くそなんだもの」
「わしは魚なんぞ喰わん!魚の捕まえ方なぞ、知るものか!」
怒鳴ってはいるが少女の方が主導権を握っているのはあきらかで、りんはなんと言われてもへこんだ気配がない。
逞しい少女に、弥勒の頬に思わず笑みが浮かぶ。
それを見とがめた邪見が喚いた。
「何がおかしいのじゃ!人間のくせに!人間のくせに…揃いも揃ってわしを邪険にしおって……殺生丸さまーーーーー!」
誰もいない方に向かってそう呼びかける邪険に、りんは大人びた仕草でやれやれと首を振ると、弥勒の手を引っ張った。
「邪見様っていじけると長いんだよね。あっち行ってよ」
「いいんですか?」
さすがに邪見を哀れに感じた弥勒が確認すると、りんはにこっと笑って言い切った。
「いいの!」


丘に登りきったところで下を見ると、邪見はまだ焚き火の側でぶつぶつ言っているようだ。
「本当にほったらかしでいいのですか?」
「いいの。邪見様って大げさなんだ」
そう言って息を付くりんの表情が大人びて見える。
殺生丸がこの小さな子をどう扱っているのか。少なくとも女親のように気を回したりはしないだろうと思うと、思わず気遣うような言葉が弥勒の口をついた。
「お前も苦労しますね」
「そうでもないよ」
りんはにこっと笑って弥勒を見上げる。
「殺生丸様も邪見様も、りんに優しいもの。りん、こんな綺麗な着物着たの初めてなんだ!」
そう言って袖丈も着丈も丁度の着物を、りんは自慢そうに弥勒に見せる。
「それにね。邪見様も口ではああ言ってもね、りんが食べ物探しに行くときは必ず付いてきてくれるし。りんがお喋りしすぎてうるさいーって叱られることはあるけど、殴らないし。あれしろこれしろって、五月蠅く仕事を言いつけないし」
指折り数えながら言う少女は本気でそう思ってるらしく、実に楽しそうだ。

「ですが、殺殿も邪見も妖怪だし、怖い思いとかしたことはありませんか?」
妖怪と人間ではどうしても価値観にズレが出る。
大人の殺生丸達にはどうという事がなくても、人間の少女であるりんには恐怖を感じさせるという事は十分考えられる。
りんは少し悩んだ風で、首を傾げながら答えた。
「怖くないよー。だって殺生丸様、強いから。こーんなおっきな熊が出ても、お化けが出ても、全然怖くないよ」
とすれば、殺生丸はりんの前でも力をふるうことがあると言うことか。
この戦国の世、どこで戦いが起きるか判らない時代で甘い事を言う気はないが、日常的に殺伐とした物を見せるのは子供には良くない気もする。
そんな事を考えて顔を険しくする弥勒に構わず、りんは楽しそうに続けた。
「殺生丸様はね、ほんと強いんだよ。お化けなんて殺生丸様の前に出ると小さくなって頭を下げたり逃げていったり。熊も狼も、殺生丸様がじろって睨むと絶対に近付かないの。村にいた頃は人も狼もお化けも怖いものが沢山あったけど、今は怖くないんだ。だって、殺生丸様、強いから!」


絶対的な信頼。
りんと殺生丸の出会いを知らない弥勒は、どうしてこれほどまでにりんが盲信するのかよく分からない。
弥勒は殺生丸に惹かれている。心の底から。
だからと言って、ここまでの盲信は出来ないだろうと思う。
考え込んだ弥勒にりんは何を思ったのか、急にしゅんと沈んだ顔になった。
「ごめんなさい、弥勒様。五月蠅かった?」
その表情に弥勒は慌てて明るい顔を作った。
「うるさくなんて無い。色々聞けて楽しいよ」
誤魔化してみても、りんの沈んだ顔つきは変わらない。
「りん?怒ってないから」
「…あのね、本当は怖いことがあるの」
少女は泣き出しそうな顔つきで呟いた。
「夜、夢に見るの。おとうやおかあが死んだときのこと。おっかない顔して刀を持った人がたくさん来て、あっちこっち壊して、火をつけて、みんな殺したの。今も夢に見て、怖くて怖くて目が覚めるの」
下を向いた少女を弥勒は痛ましげに見る。慰めてやりたくて言葉を探す弥勒をりんはしかめっ面で見上げた。
「怖い事はね、全部、殺生丸様が居ないときに起きるんだよ」

その声音に弥勒はどきっとした。
声も表情も、まるで幼女の物とは思えない。
幼い頃の恐ろしい経験は、少女を一気に老女に変えてしまったようにも見える。
だが、すぐにりんは子供の顔を取り戻してにこっと笑った。
「でもね、怖い夢見て起きるでしょ?そうすると、いつも殺生丸様が近くにいるの。りんの事を見てるわけじゃないけど、すぐ側に居るのを見ると、ほっとするの。だから、きっともうすぐ怖くなくなると思う。夢を見て、おとうやおかあを思いだして泣きたくなる時があっても、もう刀を持った人は怖くないよ」
弥勒は思わず手を伸ばし、りんの頭を撫でた。
自分を見つめるりんの力強い瞳に、ほっとしたように笑顔を作る。
「りんは強いですね」
「りんは強くないよ、邪見様がね、何かある度にお前は邪魔だー!後ろにいろって喚くもん。りんもあの杖貸してもらえたら、きっと強くなるのにな」
りんは両腕をぶんぶん回して不満そうに言う。
その仕草に思わず吹きだした弥勒に、りんは怒り出した。
「あー笑った!りんは小さいから、無理だーって思ってるんでしょ!りんだってすぐに大きくなるもん!」
「いやいや、そうではありません…いやはや」
くすくす笑っている弥勒を、りんはじっと睨み付けている。
弥勒は笑うのを堪え、りんと視線を合わせた。
「あなたを見習いたいと思ったのですよ。…本当に、強い子です」
りんは首を傾げ、不思議そうな顔をする。やがて何かを思いついたのか、ぱっと楽しそうな顔になった。
「判った!弥勒様も、殺生丸様のこと、好きなんだ!」
ぎょっとした弥勒が目を丸くすると、大当たりとばかりにりんは喜ぶ。
「やっぱり!大きくて強い弥勒様がりんを見習うって言うから、何かと思った!弥勒様もりんを見習って殺生丸様といたいって、ちゃんと言いたいんでしょ!」
「と、突然なにを言い出すのですか!」
思わずしどろもどろになる弥勒を、りんは不満そう見る。
「えーー?違うの?弥勒様は殺生丸様のこと好きだから、遊びに来たんじゃないの?」


大人びて見えても、やはり子供。自分と同じようにみんなも殺生丸を好きで当たり前、 そう思ったらしい。それは確かに当たってはいるのだが、弥勒にはりんほど素直に口に出せない。
気持ちをあっさり口にするには、弥勒の心中は複雑すぎる。
風穴のこと、種族が違うこと、同性であること、自分の呪いのこと、そして何より殺生丸本人の気持ちが見えないこと。
曖昧なままで、関係だけが変わっていく。
殺生丸は弥勒が何を考えて自分に近付いてくるのか、理解してくれているのだろうか。
相手が察してくれることを願っている自分自身が、ものすごくずるく感じる。
りんがひたむきな目でじっと弥勒を見つめている。
今までに何度も感じた、大人びた表情。
弥勒が言葉を選びながら答えようとしたとき、りんの顔がぱっと子供のものに帰った。
「あ、殺生丸様だ!」


りんが指差す方向の雲が割れ、双頭の竜が空を泳ぐように姿を現した。
その背には銀の髪を後ろに長くひいた大妖の姿。
弥勒がここにいる事はとうに気が付いているらしく、竜は低空をぐんぐんと近付き、丘の上で空を見上げるりんと弥勒の頭上を駆け抜けて河原へと降り立った。
りんは弥勒への質問などすっかり忘れた風で、殺生丸の元へと駆けだして行く。
のろのろと身体を河原の方に向け、弥勒は殺生丸が竜から降りるのを見ていた。
駆け寄って嬉しそうにはしゃぎ回るりんに、殺生丸の袴の後ろから首だけ出した邪見が何か喚いている。
ごく当たり前の事なのか、自分の周りで追いかけっこを始めたりんと邪見を殺生丸は無感情に見やるだけで、止める気配がない。
弥勒はぎくしゃくとした足取りで丘を降り始める。
さっき自分達の頭上を駆け抜けた瞬間、竜の背から殺生丸が自分達を見下ろしていたような気がした。

見ていたのだろうか。
少しは気にしているのだろうか。
表情を見せない金の瞳は、そんな些細なことにまで惑乱させる。
自分のことを殺生丸はどう思っているのだろう。
自分の留守の間に訪ねてきた人間を、疎ましく思ってはいないだろうか。
後ろ向きな思いばかりが前面に立ち、弥勒は殺生丸を探したことを今更ながら後悔し始める。
偶然の出会いなら良かった。
そうしたら、あれこれ考える暇もなく近付いていけた。
自分の気持ちだけで精一杯だったときは夢中で色々考えることもなかったのに、相手の気持ちを想像し始めると、どうしてこんなにも臆病になるのだろう。
自分を好きになって欲しい、受け入れて欲しいと願い出すと、ほんの一言を口にするのも怖くなる。

殺生丸は優しい、一緒にいたい。
それだけを一途に願うりんを、殺生丸は無言で受け入れているように見える。
雑念だらけの自分の願いを、殺生丸は受け入れてくれるのか?
そんな事をあれこれ考えながら近付いていく弥勒に、殺生丸は静かに目を向けた。
変わらない表情。それでも弥勒から視線を外すことはない。
その向けられる視線から逃げないようにと、まっすぐに顔を上げたまま弥勒は黙って歩き続ける。
交差した視線の向こうで、殺生丸が何を考えているのか弥勒には判らない。
殺生丸は視線を逸らさず、黙って弥勒を見据えている。 動かない金の瞳はまるで鏡のよう。弥勒の落ち着かない気持ちをそのまま写しているように、陽光の中で揺らぐ光を放っている。

どうか、その目に自分の気持ちが違わず映し出されるように。
一歩一歩近付きながら、弥勒はそう願っていた。

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