以前入ったときの昆明飯店の料理に対する印象、それはただ一言、「旨味の濃さ」に終始する。
同じ轍は踏まず。俺たちは料理と一緒に白飯を注文した。
基本的に、この食べまくりでは最初から飯物を頼むことはあまり無い。腹を米で満ちさせないことで、より多くの料理を味わいたいという自然な要求がそうさせるのだ。
だが、あえて米飯。過去の記憶がそうさせるのだ。


最初の皿は、空芯菜炒め。もはや定番。ドコで喰っても旨味が強い料理だが、ここ昆明では、輪を掛けて濃いい。
炒める時のダシに、鶏スープと小エビをコレでもかってくらいに絡めて、油の風味とあいまって、これが本当に旨味濃い。
東南アジア一帯で調味料として一般的に使われているこの小エビ。車えびなどの大きなものを上品に使ったダシとは違い、一匹一匹のなかに満ちている内臓、殻、身の旨味全てが、それも何十匹もガガッと、使われているのでとにかく濃いのだ。
写真の通り、唐辛子が一本。炒め物に丸ごと入れると、それほどきつい辛味にならずに全体に絡みが染み込む。
旨味の強いものを喰うと、口の中、特に喉の入り口の辺りに味が残りません?
韓国料理、タイ料理などに辛味が多いのは、このしつこい旨味から味覚をリフレッシュして次の一口に備えるって効用もあるのだと思う。
激辛なんとかって、ただ香辛料の量が多いだけの料理が多いけど、旨味と切り離されたところにある辛味には俺は何の意味も見出せないのだ。
全ては旨味のために。
「こ、これ、飯に乗っけて喰ったらうまいだろうなァ」と、前回と全く同じ発言のブルース。俺も全く同意見。
しかし、白米の碗未だ鳴り響かず。


続いてこれは、モミジのサラダ。
これを注文したとき、店のにいちゃんは難色を示した。大丈夫ですか?鶏の脚ですよ。
そう、モミジとは鶏の脚のこと。コラーゲン豊富でぷりぷりしててうまい、俺の好物なのだが、しかし、その形状ゆえに日本では敬遠されることが多いという。
実際、メニューに入れているみせはホント、少数派。多分、ここでも中国人やミャンマー人が頼むために入れてあるのだろう。
心配すんな。俺たちは旨いもんが大好きだ。そして、命を喰っているという自覚がある。
生きている姿を連想させられても、今さら食欲が変わるわけもないだろう。
そして、出てきたのがコレ。
なんと、骨が抜いてあります。モミジを大量に喰うとき、骨に薄くついている見の部分を歯でこそげ落とす作業のなんと面倒くさかったことか。
骨抜きのモミジはほんとうに嬉しいのです。文字通り僕ら骨抜きです。
コレの味付けは、甘、酸っぱ、辛。タイ料理などのインドシナでは類型の味。
そして、ボイルしたモミジのクニクニ感、タマネギのシャリシャリ感。
そしてこれもくどいほどに濃い旨味。甘と酸っぱがくどさを助長し、さっきと同じく辛がキレを担当。そして、今回は香菜。
中国では香菜(シャンツァイ)、東南アジアではパクチー、ヨーロッパではコリアンダーと呼ばれる匂いの強いハーブ。
日本では苦手な人が多いけど、やはり口中のリフレッシュには恐るべき威力を発揮する。
俺なんかは好きで好きで堪らないこの香菜。東南アジア系の味付けで油っぽいものを喰うときはこれがないと物足りない。
それでも、喉の奥に味が残り始める。ビールで流す。しかし、米は未だ来ず!

米はまだか!
次の皿は炒め物。
まこも筍や木耳なんかのしゃきしゃき野菜に油とスープが程よく絡んでいる。
いや、程よくねえ!強い!片栗とか使って絡みやすくしてやがる。
旨い。旨いがやべえ。辛味も香菜もねえ。剥き出しの旨味が下に、喉に襲い掛かる。
ああ!もう!!
「白飯、まだですか。今、今下さい!」

今思うと、俺とブルースが初めて分かり合えたのは一緒に焼肉を食ったときかもしれない。
昔から俺は、焼肉は飯がないと喰えないタイプ。そして、それはブルースもそうだった。
しかし、焼肉屋とは肉が出揃うまで決して飯を出さない店。それに感じる不満を俺とヤツは共有していることに、その時気づいたのだ。
それ以来、焼肉屋では、飯は先にくれと頼むもの。この店でも、そうすべきであったのだ。

そして・・・・
白飯は、来た。



昔の香港クンフー映画の修行後の食事のシーンのように、片手に茶碗、片手に箸。そしてオカズは飯の上に乗っけて飯と共にかきこむ。
これが俺の本来のスタンダードライフスタイルだ。
何故、白米はこうもうまいのか。
濃すぎるはずのオカズを包み込み、薄めるわけではなく更に旨味を引き出す。
オカズと一緒に飲み込むと、喉の内側までシッカリと旨味を味わえるのに、しかし、あとにはくどさは残らない。
まこも筍の炒めだけでなく、モミジも飯に乗っけて喰うとやっぱり旨い。旨すぎる。
空芯菜はもうない。勿体無いことしたなぁ。


水餃子は、肉、野菜、炭水化物(皮)全て揃った完全食なので、ご飯のオカズにはしてはいけないそうです。
「美味しんぼ」の雁屋哲先生が仰っていました。満州生まれのセンセイが言うのだから、間違いはないと思いました。
でも、飯で喰うぜ〜。正しかろうと間違っていようと、もう止まらない、俺たちの中の飯パワー。
だって、どう考えたって、まずかろうはずが無い餃子ライス。
また、ココの餃子が肉汁ジュワーの旨い餃子。皮もモチモチで俺好み。


次も炒め物。鶏とかニンニクとかフクロダケとか、これも濃いいスープで炒めてある。
そのうえ、なにやら酸味が。
この、黒いのが、どうやら果物みたいなんですが、梅干的な酸味で味を締めているのです。
なんだろう、不思議で素敵な味。
後日、タマリンドであると判明。インドから東南アジアにかけて、酸味を生かして酸っぱいスープの味付けとかによく使われているそうです。

締めは麺類。
ブルースの頼んだ焼きソバは、もはや焼きソバではなくソバを具の一つとした野菜炒めである。
相変わらず濃いい味付け。
俺が頼んだのは腐乳麺。
濃い!ひたすら濃い!辛味とひき肉ダシと、なにより発酵調味料の濃い味わい。
これが雲南の秘伝かというほどの濃さ。
飯も使いはたした俺らの口には、やはり最後には濃さが残ったのだった。



そこで、デザート。ミャンマーの代表的デザート「ファルダ」
溶けかけたアイスクリームにゼリーとかドライフルーツとかタピオカとか入れてる甘〜いデザートだ。
これを混ぜて、いただく。



うわ、やはり甘〜い。なんかシャリシャリ言ってるよ。
「ザラメじゃねーか、これ」
うわ、甘いはずだ。でも、ウマイ。そして、なぜだろう。食後感もいい。くどさが消えていく。これがデザートの力なのか。


全てが旨味を出し切るために作られた料理。前述の通り、俺はそこに俺の原点を見た。
濃すぎる旨味を白米で喰う!
これだ。この行為自体が俺なのだ。
最新の研究では、稲の原産地は中国雲南省にあるという。
雲南からインドシナにかけての照葉樹林帯に自生していた稲の栽培を始めた人々が何故、水田という手間をかけてまで主食にしていったのか。
考えるまでも無い。うまかったのだ。
米に合う料理を作り、料理に合う米に改良する。
米という無限の包容力をもつ主食を得て、アジア人は果てしなくクド過ぎる境地にまで旨味を追求できたのだ。
その全ての原点が、稲の原産地雲南省・・・・・・
かつて俺たちの魂を揺さぶり、一生を食べまくりに懸けると誓わせた店が、台北の雲南料理「人和園」だったのは、当然の帰結だったのだ。
人和園で始まった旅の回答が、今ココで明らかになった。
世界を知る前に知るべき自分の一端が、今ココで明らかになった。
だから、今こそこの言葉が相応しい・・・・・・・・


第一部  完