人間の可能性

先日仕事の関係で聴能・言語訓練教室を営む先生とお話をする機会があった。具体的に何をする人かというと、耳が聞こえなくて言語の発音ができない(聾唖)幼児に対して会話ができるように指導する人で、こういうと通常は手話を指導するのかなあと思うが、手話だと普通学校へは行けないので、普通学校へ行く為に相手の口の動きを読むことでなにを話しているのかを認識するという特殊な技術を教える。子供のことになると親は必死である。こういう特殊な技術を教えられる人は数が少ないので、遠くは大分県から毎週船で大阪市天王寺区のこの教室に通っている人もいるという。

 

この先生がいうには、口の動きが似ている言葉、例えば「イギリス」と「キリギリス」は、口の動きだけでは判別しにくいので、そのときの状況、話題、前後の言葉で推測するという。ちょうど英会話がまともにできない私などが外人さんと話しをするときの状況と似ている。したがって、ハンディを推測能力や勘で補うため、感性が鋭くなるという。また、なかには発音もできるようになって立派に社会で一般の人と同じように活躍している人もいるという。

 

私の事務所の看板は近所の聾唖(ろうあ)の人が設置してくれた。その人は看板屋を経営する社長さんで、いつもメモ用紙を持ち歩き、会話はそのメモ用紙にお互いが書き込むことによって意思を伝えあう(筆談という)。しかも書いたメモ用紙は保存している為、結果的に「言うた言わん」や「聞き間違い」などの問題はなくなり、注文どおりの看板が完成する。立派な看板の取り付けが終わったあと「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしています。」と、紙に書いて感謝の気持ちをあらわしてくれた。ハンディがありながらもこの不況の中、立派に社長として仕事をこなしている。

 

「不景気であきまへんわー」という世間の嘆きが多い中で、いずれも身体的なハンディがありながら、そのハンディを乗り越えて一般の人と同等かそれ以上に社会で活躍している立派な姿にただただ感心するばかりである。

 

シドニーオリンピックの日本代表では女性の活躍が目立った。水泳、ソフトボール、シンクロ、特にマラソンの高橋選手と柔道の柔ちゃんはすごかった。どちらも大会前から相当期待され、柔ちゃんは「最高で金、最低でも金」と自分との戦いともいえるプレッシャーをかけ、開会式も参加せずに調整して見事8年越しの待望の金メダルを獲得した。また、高橋選手はオリンピック最高記録をしかも坂の多い難コースで記録し、オリンピックの陸上競技では日本発の女性金メダリストとなり、日本中を感動させた。小出監督は高橋選手の才能を見出し無名だった中距離からマラソンに転向させてさらに磨きをかけた。昨年の2度の大きなけがを乗り越え、マラソン転向後わずか3年程で世界の頂点を極めた。高橋選手の言葉が印象的だった。「今の時代に生きていて、監督(よき指導者)に会えてよかったとほんとうに思う」。

 

来る21世紀は間違いなく女性の時代であろうことを予見させるこれらの活躍と、磨けばいくらでも光る人間の可能性に感激した今日この頃でした。