シビレル名勝負

 

暑中お見舞い申し上げます。ワールドカップが終わって1ヶ月が過ぎましたが、あの異常な盛り上りが遠い昔のように感じます。プロ野球も終盤戦、これからますます関西がヒートアップするものと期待したいのですが、やはりこの時期は高校野球ファンにとっては夏の甲子園が見逃せません。地方大会も終了し、代表校が勢ぞろいしました。今年も大いに熱戦を期待したいものです。

 

熱戦といえば思い出すのが、前回W杯フランス大会の1998(平成10)年の夏の甲子園、準々決勝の第一試合、横浜−PL学園戦でしょう。この年は長野五輪で日本勢が金メダルに沸いた年でもありました。振り返ってみると・・・。

 

横浜は超高校級の豪腕投手、松坂大輔(現西武ライオンズ)を擁して春を征し、連覇を狙う優勝候補の筆頭。松坂はこの大会で、大会史上最速の152kmを記録(昨夏に現ダイエーの寺原が154 kmで記録更新)している。対するはプロ野球選手の育成校とも言われる試合巧者PL学園。

 

試合が動いたのは2回、PLが豪腕松坂から下位打線が連打であっという間に3点をもぎ取った。連戦の疲れがあるとはいえ、ここまでの3試合で自責点0できた松坂が下位打線にいとも簡単に・・・、横浜ベンチは異変を感じていた。実は、PLの三塁コーチ、キャプテン平石が横浜の小山捕手が球種によってクセがあるのを見破っていた。小さく構えてストレートとみると「いけ、いけ!」、大きく構えてカーブとみると「狙え、狙え!」と打者に叫んだ(その後このような行為は禁止された)。球種がわかればいくら松坂でも狙いやすい、2回の連打のカラクリはここにあった。しかし、さすがは横浜、これにすぐさま気づき、修正すべく対応した。

 

息詰る熱戦は5回ついに横浜は追いつき4−4とした。7回PLは5−4と突き放したが、8回横浜は再び5−5と追いついた。横浜の渡辺監督はこの8回表二死一塁の場面がポイントとみた。PLの一塁手がベースから離れたスキをついて俊足のランナーが二塁への盗塁を決め、その後のタイムリーヒットで同点とする。PLの一塁手は右翼手への「深く守れ」というベンチからの指示を自分への指示と錯覚し、ベースを離れてしまったのだ。

 

試合はそのまま延長戦へ突入し、ここからがドラマの始まり。11回表、横浜がPLのミスから1点を入れ、この試合初めてリードした。ところが、PLは粘り強くその裏二死二塁からタイムリーヒットで6−6、同点とした。その後も横浜が押し気味に続き、16回表横浜は1点を入れ再びリード、これで勝負あったかと思われたが、その裏PLはまたもや気迫の攻めで7−7、同点とした。

このまま18回までいって再試合になるのでは、と思えた17回表二死一塁から、途中から出場の七番打者、常盤が値千金の2ランホームラン、9−7、これで万事休す。さすがのPLも三タビ追いつくことは出来ず、3時間37分の熱闘が終わった。松坂は一人で250球を投げぬいた。

 

私も高校三年の現役最後の夏の大阪大会での四回戦、今はなき大阪球場で延長15回サヨナラ勝ちというのを経験しました。そのときの我が投手の投球数は188球、3時間12分の熱闘は今も心に焼き付いています。ここまでくれば気力の勝負、疲労から「もうどうでもいい」と思いつつも投手が一人頑張っているのに「何とかしなければ」という気持ちもありました。結局、味方の活躍で勝利することができたのですが、真夏の長時間ゲームは、ほんとーに辛かった!

 

現在では選手の体調を考慮して延長戦は15回までとなっていますが、私にとっては、この横浜−PL戦は球史に残る「シビレル名勝負」として記憶に残っています。松坂投手のグラブには、「ONE FOR ALL(一人はみんなのために)」と縫いこまれていたそうです。甲子園に足を運ぶと、ネット裏では熱心にスコアーブックをつける年配の高校野球ファンを多く見かけます。アルプス席で大声を出して声援を送るのもよし、静かに戦況を見つめながらお互いのかけひきを分析するのも一つの楽しみ方かもわかりませんね。 私の頭も、いよいよ、サッカーモードから野球モードに切り替りつつあります。

2002年8月 西野 津