天王寺支部広報誌「夕陽丘」 2001年新年号

「岸和田だんじり祭」  西野 津 

 私は生まれも育ちも生粋の岸和田っ子です。岸和田市といえば巨人の清原選手やデザイナーのコシノ三姉妹の出身地として有名ですが、やはりだんじり祭を語らずにはいられません。

 岸和田では祭当日は小・中学校は「休校」になります。又、職場でも飲食店以外はほとんど「臨時休業」になります。岸和田の人は親の葬式と祭が重なった場合は祭の方に行くと言われております。又、地元の指名手配犯が祭に戻ってきて捕まった(祭当日は警官が警備のため町にあふれている)という話もあります。私も生まれてこの方一度も祭は欠かしたことはなく、岸和田人としての「義務」を果たしております。

高校生(地元の高校でも休みにはならない)のとき、先生(生活指導部長兼野球部の監督)から祭前日に呼出を受け、「おまえあした休むなよー」と注意をうけ、さらに当日の朝自宅に電話があり、母親に「学校に来るよう言ってください」。その時私はすでにだんじりを曳いていた。祭明け後の登校日、やはり呼出があり、散々怒られたあげく校庭の草刈をやらされました。

社会人一年生の時、祭当日の朝、電話で「今日風邪ひいたので休ませてください」と上司に電話し、その時はしてやったりとの思いでありました。祭明け後の出勤日皆の視線が冷たく、早速上司に呼び出され、「風邪はどうや」 <はいおかげですっかり直りました>「ほーほんまは祭行ってたんやろー」<・・・ええいや・・そのー>。がらがら声(祭の後はこうなる)で頭にはハチマキの日焼け跡がくっきりでは言い訳のしようがないですね。

ある祭の日、私はだんじりに乗り太鼓をたたいていた(鳴物係という)ときです。やりまわし(全速力で走りながら直角に方向転換する祭最大の見せ場)の途中でだんじりがバランスを崩し横転しました。だんじの屋根には兄も乗っていたので母親が血相を変えてとんできました。幸いけが人はありませんでしたが、私は横転した後も身体を横にしながら太鼓をたたき続けました。後で「これぞだんじり魂や」と皆に絶賛されました。

いよいよ21世紀を迎えました。いつになっても三世紀もの伝統を誇る岸和田だんじり祭は変わらずになお一層発展してほしい。また、私は幼いころから祭の太鼓の音を子守歌代わりに育ってきたせいか、太鼓の音を聞くと血が騒ぎます。今後共「太鼓の音」と「そーりゃ、そーりゃ」の掛け声を発奮材料として、「だんじり魂」であらゆる困難を乗り越えて行きたいと思います。