世界名曲物語 「カントリー・ロード」


昨年(2000年)NHKで放映されたテレビ番組。わずか15分間ですが、名曲「カントリー・ロード」が生まれたてん末や曲が大ヒットしたあとのエピソードなどをたくみにもりこみ、見ごたえのある番組にしあがっています。珍しいジョンのミッチェル・トリオ時代の映像やビル&タフィー、アニーさんのインタビューも必見!

 
「世界名曲物語」のクレジットのあとに「カントリー・ロード〜アメリカ〜」のタイトルが。背景にひろがるのはウエスト・ヴァージニアの広大な野山でしょうか。バックにはのびのあるジョンの歌声が流れはじめます。
場面が変わると、ジョンの歌が「ワイルドライフ・コンサート」のものであることがわかります。ナレーターは、この曲が70年代に世界中で大ヒットしたことを紹介し、こう続けます。

「しかし、この歌の舞台となったウエスト・ヴァージニアに、当時のジョン・デンバーが縁もゆかりもなかったという事実は、あまり知られていません。彼がこの曲に出会うまでには、どんな物語が秘められていたのでしょうか」


ここで、ジョンとともにこの歌の作者として名を連ねているビル・ダノフとタフィ・ナイバートが登場。実は「カントリー・ロード」の元歌は、ビルがウエスト・ヴァージニアの山に住む友人の手紙からアイデアを得て、想像でつくったことが明らかにされます。

ビルのギター伴奏で2人が歌いだしたのは、衝撃の元歌、2番の歌詞でした。

ビルとタフィーは場末のライブハウスで下積み生活を送っていましたが、彼らの才能を評価したあるプロモーターが「ジョン・デンバーの前座で歌って欲しい」と声をかけます。

ジョンはちょうどその頃、ミッチェル・トリオを解散してソロに転向するという時期にさしかかっていました。映像は、めずらしいミッチェル・トリオ時代のビデオから。歌っている曲は、"I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free"。見事な高音域は、大スターへの片りんを感じさせます。

ワシントンのジョージタウンにあるセラードアというライブハウス。ジョンがメイン、ビル&タフィーが前座をつとめたここでのクリスマス公演が、「カントリー・ロード」誕生に通じる運命的な舞台となったのです。
公演が終わったその日の夜、ジョンと妻のアニーが、「あのつくりかけの歌を仕上げよう」と、ビルとタフィーが住んでいたアパートにやってきました。ビルが口ずさんでいた未完成の曲をくりかえし聴いて、ジョンが気にかけていたようだと、アニーは証言します。
数時間後、真夜中の地下室のアパートで曲は完成しました。ナレーターは次のように語ります。

「夜を徹してまとめた歌詞は、ピンクや紫の農家が昔懐かしいふるさとの山々になり、ヒッピーの男女にかわっておぼろ月が登場する、情感あふれるものでした」

あくる日、ライブのアンコールでできあがったばかりの歌を3人で歌うと大喝采が。「カントリー・ロード」は一夜にして人々の心をつかんでしまったのです。

ところがビルには、ひとつ気がかりなことがありました。それは、ある男性から「ブルーリッジ山脈やシャナンドア川はウエスト・ヴァージニアじゃなくて、ヴァージニア州にあるのを知らないのか」と指摘されたことでした。

71年3月に発売された曲は、7月にはトップ10入り、8月にはミリオンセラーを記録するという快進撃を続けました。映像は第2位を記録した71年8月28日付「ビルボード紙」。ちなみにこの時の第1位は、ビージーズの"How Can You Mend A Broken Heart"。

ある公演のあと、女性のファンがビルにこう言ってきました。「あなたがあの曲をかいた場所に主人と2人で行ってきました。歌詞のとおり本当に天国のようでしたよ」。この一言でビルのわだかまりは消えました。

その場所とは、ヴァージニア州、メリーランド州、ウエスト・ヴァージニア州の州境にあるハーパーズ・フェリーという小さな町。イマジネーションから生まれた創造の土地は、本当に実在していたのです。

ふたたびアニーの証言。

「当時ジョンはウエスト・ヴァージニアに行ったことはありませんでした。でもあの曲のリズムと歌詞に共感していたんです。そこに行ったかどうかは関係ありません。ハートで歌っていたんです」

続いてビルとタフィーの証言。

「アメリカの田舎の州の歌がこんなに定着するなんて考えてもみませんでした。ローカルすぎると思ってました。外国の人には関心がないでしょ。ちっぽけな田舎の州なんて‥‥。でも私たちの心ではぐくまれたメッセージが曲にのり、みんなのハートに届いてる。今はその実感があります。私たちが伝えたかったもの、それはふるさと(Home)です」

最後に、これはおなじみの「ワイルドライフ・コンサート」のインタビュー映像から。

「ウエスト・ヴァージニアを知らなくても、里帰りやカントリー・ロードに通じる心象風景は万国共通なんですよ」

「生まれ育ったふるさとへの想いをメインテーマにした『カントリー・ロード』。それは、だれもが心に思いえがく、懐かしくいとおしい風景にまっすぐ通じていたのです」――こう結んで番組は終了します。

う〜ん、なんだか急に故郷が恋しくなってきましたよ。今度帰るときは、車でゆっくり田舎道を走ってみようっと。

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