狛犬の名称は日本独特のものです。

      中国においては、獅子(ライオン)は虎や豹をも食い殺す動物で、百獣の王と

されており、その威厳ある容姿は古くから狩猟物語や動物闘争物語に登場しています。

      オリエントの狩猟物語はアッシリアのニムルド王宮の壁面彫刻に表現されてい

る、その彫刻には、騎士が馬から乗りだし、獅子を射る姿が有る、この獅子狩の彫刻さ

れた銀皿はペルシャにも多く残されている。

      この獅子(ライオン)狩から判断すると、獅子は人間を襲う、人間の敵であり

、害獣でもあると伝わっていたわけで、威厳のある百獣の王と害獣の両面が伝えられた

と思われます。

日本においては、法隆寺の「獅子狩文錦」に獅子狩があり、正倉院の「花樹獅子人物文

白橡綾」にも獅子狩の絵があります。また正倉院の「紫地獅子奏楽文錦」にもあります

このことから考えると、日本に獅子が伝来しても、獅子は怖い動物であり、人間を襲う

害獣であり、にわかに天皇の御帳の間に獅子を祀るとは信じられません。

平和を愛する天皇家が人間を襲う獅子の像を御帳の間に祀るとは考えにくいからです。

始めは一対の狛犬を祀っていたに違い有りません。

「唐獅子」について

  日本において、「しし」という言葉は猪も鹿も「しし」と読みます、そのため獅子と

  混同するので、

  区別するため、獅子を「唐獅子」と表現したとも言われています。

  この獅子の姿を描いた絵が、最初に渡来したのは、9世紀に密教両界曼荼羅図の絵であ

  り、空海の

  帰朝(806年)や円仁の帰朝(847年)時にもたらされた胎蔵界曼荼羅

には十二天宮の一、にあります。

中国における獅子像の歴史は古く、中国山東省の嘉縣にある武氏祠石獅や、四川省雅安

縣の高墓前石獅などは、いずれも漢代の作品で高墓前の石獅は建安14年(209年

)作られたものとされる。中国の石獅は古いものがあります
.

 中国の獅子像は古くから口を開けて巨大であり、屋外に置かれています。

 日本の場合は、建物内にある天皇の御帳の間に小型の狛犬が祭られていたわけで、日本

の狛犬の発祥は室内から生まれたものであり。口をつぐんだものであり、狆がモデルと考

えられます。

中国の屋外にある巨大な獅子とは内容を異にします。中国の獅子像のモデルはライオンと

考えられます。

 この中国の獅子像や獅子の絵が日本に渡来し、日本流にアレンジされて流行りました。

また、狛犬は段々獅子の影響を受けて、大きくなり、屋内から屋外に置かれるようになり

、木彫製から石彫製や金属彫製に変化してゆきます。

 狛犬の全体の容姿は初期のころの優しさから、時代を経るに従い、段々と獅子の影響を

受け、勇猛な姿に変わってゆきました。

獅子はライオンをイメージした架空の動物です、ライオン像は古代オリエント・インドに

おいては勿論、現在にいたるまで、エジプトピラミットのスフインクスを始め、ヨーロッ

パ諸国の王位の象徴にしたり、大建築物の玄関などに設置して飾り、百獣の王ライオンを

守護獣として、外敵の侵入から守り、威容を誇る形になっています。

狛犬発祥物語 − 狛犬と狆の渡来   教科書「コマイヌサン」   天皇の御座所

中国語の狆(chin)の紹介

 

 

 

     犬名のつけ方  犬種別子犬の成長(体重)例メールマガジン案内

御帳の間の幕の揺れを防ぐ重しの鎮子(チンス)にしたとありますが、狛犬は神や天皇

の象徴として御帳台の前に祀られていた置物であり、また徳川家康が死後東照大権現の

神号を贈られ祀られた時の狩野山雪の描いた画像にも狛犬が一対描かれています、この

ような尊い狛犬を鎮子にしたとは私は考えられない問題だと思っています。おそらく狛

犬のレプリカを鎮子にしたのではないかと考えています。

 

 

平安時代の末期には中国から獅子像が渡来して、狛犬の顔が獅子の顔に影響されて険し

い顔に変化してゆき、段々とチャンポンの顔になってきたと考えられます。

狛犬の頭頂の一角は意味が良く分かりませんが、武士のチョンマゲからきているのでは

ないかと考えています。チョンマゲの有るものは価値のあるものとされたのではないか

と推測します。

狆の場合、江戸時代に頭頂に黒い斑のあるものを、

点星と言ってチョンマゲを表現している狆であ


として大変価値のある狆とされました、

点星のない頭頂の白い頭の狆をチョンマゲのない

奴斑と言って価値のない犬としていました。

このようなことを類推すると、狛犬の頭にチョ

ンマゲらしき一角を取り付けて価値があ

る狛犬としたことも考えられます。

政府は明治十年に教部省を廃止して内務省

のなかに社寺部を設け、社寺部の行政下で神

社の制度や祭祀を改めました。そのとき狛犬

の基準もあるていど決めたため、一角の狛

犬は基準外だったようです。

明治にはいって、武士がチョンマゲを切るよ

うになったのと、狛犬のチョンマゲ的一角

が廃止されたのと共通点があるように感じま

すが如何でしょうか。

○ 日本狆クラブの設立

天皇に最も近い皇族である東久邇宮稔彦殿下が、終戦処理の内閣総理大臣に就任されまし

た。その長男が東久邇宮盛厚殿下です。

盛厚殿下は陸軍大学を卒業されて、昭和天皇の第一皇女の照宮成子内親王とご結婚されま

した。そして、東久邇殿下は、筆者と動物愛護について常に語り合っていました。

盛厚殿下は大変動物がお好きで、ペットをこよなく愛しておられました。動物を愛する哲

学をお持ちでした。

ところで、日本狆(チン)クラブと言う団体をご存知でしょうか、この団体は、国犬であ

る狆犬種の血統登録(血統証発行)、チャンピオンシップ展覧会,狆の改良発展のための

啓蒙、などを行っている団体です。

この団体は昭和34年に創立されました。東久邇宮盛厚会長,池田宣政副会長で事務局担

当は筆者で設立しました。筆者が会計の決算書などを作成できて、事務能力があるなどの

理由から、事務担当をまかされ、狆を愛し復興しようと言う、同志によって発足しました。

池田宣政氏は岡山の藩主で、もと侯爵です。令息の池田隆政氏は昭和天皇の第四皇女厚子

様のご主人で、池田動物園の社長や日本動物園水族館協会の会長をしておられます。

狆の祖先犬は約1200年前の聖武天皇の天平四年に現在のチベットから,短吻種犬が天

皇に貢物として献上されたとされています。その後,貴族や将軍などによって寵愛され、

座敷犬として改良され、江戸時代には大衆に普及しました。  長年上流階級に可愛がら

れてきただけに,気品にあふれた犬です。優雅な立ち居振舞いや、無駄吠えをしない静か

な気性は、洋犬にはない日本的な魅力をかもし出しています。狆は海外で100年以上も

前から認められ
,第二次世界大戦以前は、世界公認の日本の犬は狆だけでした。狆は日本人

が誇れる日本の文化なのです。この大切な狆が戦前に減少したのです。

 

この狆を戦後、保存と普及,発展させることで、皇族と殿様が立ち上がり日本狆クラブを設

立したわけです。 著者は設立当時から東久邇宮盛厚会長や池田宣政副会長と一週間に一

回はお会いして、クラブの運営について相談をし、動物愛護について語り合いました。盛

厚殿下とはお亡くなりになる10年間苦労を共にしてまいりました。また、筆者は池田宣

政副会長とは35年間苦労を共にしてまいりました。公私共に親しくして頂き、筆者の結

婚式にはご両人がご出席頂き、過分の祝辞を頂きました。

日本狆クラブは東久邇会長が昭和44年に亡くなって、池田宣政氏が会長になり昭和63年に

亡くなりましたが、それまでの
19年間会長として亡くなるまでクラブの運営にたずさわっ

て頂きました。お二人とも、「犬を飼うなら先ず日本人なら狆を飼いなさい」が口癖でし

た。その間も筆者は池田宣政会長と共にクラブの運営を行いながら、動物愛護のことを語

り合いました。

現在の日本狆クラブの会長は現在の天皇陛下の義理の兄であり、池田宣政氏のご令息の池

田隆政会長です。

東久邇宮盛厚殿下も池田宣政殿様も共に深い動物愛護の精神と、ペットを愛する哲学をお

持ちでした。。              

このように、東久邇殿下、照宮様、池田 宣政様など、皇室関係の方々が狆を大切に考え

ていたことは、1200年前からの伝統があるからです。 皇室が狆と狛犬を大切にして

いたことが良く分かります。
 

     狛犬(狆)と柴犬の頭蓋比較思考

 犬には大別して長吻犬種と短吻犬種があります。

長吻犬種にはコリー、シェパード、柴、パピヨン

などがあります。

短吻犬種には狆、ブルドック、パグ、ペキニーズ、

このように犬の場合、長吻種犬と短吻種犬との区別は素人でも頭蓋の形を見て直ぐ分かります。

 
人間の場合、東洋人の頭蓋か西洋人の頭蓋か、はたまたピケタントロプスか北京原人か

素人には区別はつかないと思います。


誰が見ても短吻種犬の頭蓋と同じ物です。頭蓋骨の形から判断しても狛犬は短吻種犬をモ

デルにしたとしか考えられません。

 1200年前、狛犬が作られたときは、長吻種の柴犬の祖先犬と狆の祖先犬しか存在し

なかったわけです。

 日本ペット学会日本ペット学会について東久邇宮盛厚殿下について寄稿原稿について供養会について

賞状授与について開運招き狛犬についてリンク、リンク  -ペットと泊まれるホテル、ペンション

 京都市伏見区深草の藤森神社の狛犬は、体のバランスといい、ふさふさとした体毛の生え

具合いといい、頭の大きさといい、正に現在の狆をモデルにして彫刻したように思われます。

この様に長毛や飾り毛が生えている様に表現している狛犬が多く、これはライオン、獅子

には無いところです。

現在の狛犬考では、広義の狛犬と狭義の狛犬とがあると考えられます。

神社で狛犬を見た時、誰でも「あっ、狛犬がある。」と感じるはずです。

少し狛犬を研究している人は、獅子型はどちらだろうか、などと気になるようです。

広義では狛犬の中に、狛犬と獅子があり。狭義では一般的に次の様になります。

     狛犬………………吽型……………口を閉じている…………左側に置かれている

                             角がある場合がある。

     獅子………………阿型……………口を開いている…………右側に置かれている

   「阿吽の呼吸」という言葉の「阿吽(あうん)」で狛犬を区別しているようです。

      あうん(阿吽・阿?)の説明

「阿」は口を開いて発する音声で字音の初めであり、「吽」は口を閉じる時の音声で字

音の終わりです。「あ」は50音の最初の言葉で、「うん」は最後の言葉です。

密教では「阿」は万物の根源で、「吽」は全ての帰着を意味する漢字です。

寺院、山門の仁王や狛犬などの、一つは口を開き、他は口を閉じる相を阿吽とする。

「あうんの呼吸」「阿吽の呼吸」とは阿は呼気と吽は吸気であり、共に一つのことをす

る時などの相互の微妙な調子や気持ち、それが一致することを言う。

一説には、東大寺の金剛力士像の二体は、かの有名な仏士 運慶の作で建仁3年(12

03)に作られました、片方は口を開けている阿形像(あぎょうぞう)で、もう一方は

口を閉じている

吽形像(うんぎょうぞう)になっており、阿形像は息を吸う姿であり、吽形像は息を吐

いている姿であり、この両方の像が出来てから「阿吽の呼吸」(あうんの呼吸)と云う

言葉が生まれたと云われています。

 浅草神社(三社様)の狛犬は体毛がふさふさしており正に狆の体毛を表現しています。

万物の初めと終わりを象徴しています。

      狛犬考

『狛犬』を字引で引くと、高麗からきた犬の意味、天皇の御帳の間に置いてある魔除け

の置物、

帳帷や幕が風で揺れるのを防ぐ鎮子(重石)などとあります。

私は1200年まえに朝鮮半島を経由して渡来し天皇に献上された狆の祖先犬をモデル

にして作られた木彫りの置物が狛犬の始まりだと考えています。

奈良時代の724年から749年の聖武天皇が即位していた間、前記したように狆

の祖先犬が渡来して天皇の寵愛するところとなり、天平文化といわれる美術や建築

の盛んなときに優れた彫刻家は沢山おり、天皇が狆をモデルにして狛犬をつくらせ

 このライオン像の影響が中国の獅子像に移り、獅子像の影響を後に狛犬が受けるかたち

になりました。

狛犬像と獅子像とは混同されチャンポンになって、殆ど外形は同じになりました。

 平安時代から鎌倉時代になると神社や寺院の建物の中にも置かれるようになり、その後

、神社の鳥居の前とか参道に狛犬や獅子を置くようになりました。

狛犬は昔、神社や寺院に置かれていました。江戸時代に寺社奉行があった時は神社とお寺

は同じあつかいをされていました、明治時代になり神仏分離の令が出されてから狛犬は主

に神社に置かれる様になりま
した。

    狛犬の顔の変遷は、初めは狆の祖先犬の顔の様に、おだやかな容貌をしていま

した、天皇も日本人も昔から大声を発したり、騒がしい人を好みませんでした、犬にお

いても無駄鳴きしたり、獅子が吼える様に威嚇するように口を開けて吼える姿は好みま

せんでした。したがって初めの狛犬の顔は口を閉じた吽型だったと考えられます。

昔も現在も狆は無駄なきしない、体臭が無い、大人しいというのが定説になっています

 その後、中国から伝来した獅子の顔に近づいて勇猛になり、そのまた後、武人が好んで

獅子頭を兜の飾りなどに使用するようになり、それらの影響から益々怒り猛る勇猛な野獣

性の顔に作られた狛犬も現れました。

中国の獅子の顔は殆ど阿型で開口しております、これは獅子が勇猛な動物で、しかもそ

の獅子が周囲を睥睨して威嚇の獅子吼ゆのポーズをとっている姿です、その点、狛犬は

閉口の顔が多いいようです。

● 現在の狛犬と獅子の関係

 口を閉じているのが狛犬で(吽、うん、護)吽型と呼び、口を開いているのが獅子で(

阿、あ、攻)阿型と区別していますが、何時の時代からか決まっているようです。

 容姿は狛犬も獅子も殆ど変わりがなく、口の開閉で区別しているようです。

 この狛犬と獅子は常に一対になって置かれており、神前に向かって左側が狛犬で右側が

獅子とされているようです。

 また例外もあり、左側が獅子で右側が狛犬と言うように逆になっている場合もあります

 左側、右側と云っても、内側から見た場合と、外側から見た場合では逆になります。 

  この狛犬と獅子は一般に鳥居の前とか、神社の参道に向かって置いてあります。

 また狛犬の頭頂に一角をもつものがあります、これの意味は計り知れません。獅子より

強い犬の表現なのでしょうか、中国にはこのような姿の像はあまり無いようです。

 一角狛犬の銅製像のことを?像(じぞう)と云うようです。

 狛犬は当初、宮中天皇の常の居所で儀式・公事を行った清涼殿の御帳台の前に祀られて

、天皇・皇后を守護し、魔除けの意味などがあり、儀式の調度として加えられました。

天皇家だけでなく一般貴族の家にも祀られるようになりました。

 それが平安時代以後、鎌倉時代には神仏の世界を護るため寺院や神社の建物の中に置か

れるようになり、やがて参道に置かれるようになります。狛犬を屋外に置くのは江戸時代

に盛んになったようです。

 古い歴史の有る伊勢神宮の外側に狛犬は有りません。

 明治神宮は日本式、古式にならい、参道やご社殿には狛犬はおいていません。

 明治神宮は平安時代のように、ご社殿の中の最も奥に有る、御神体や御霊代(みたまし

ろ)を奉安する内陣(ないじん)に狛犬を祀ってあります。

厳島神社にある狛犬の中に、檜の寄木作りの一角狛犬があり、目玉が飛び出しているよう

に彫られているが、狆の目は飛び出しているように丸く大きく出来ており、走って顔を物

にぶつけた時、目が飛び出すことがあります。 まさにこの狛犬は狆の性体を表現してい

るように感じます。ライオンの小さい目や獅子の目とは異なります。

法隆寺五重塔初層の内陣の弥勒仏像土(南)をあらわす群像のなかに日本最古に近い獅子像

一対があるが、これは姿形を見る限り獅子像と云うより犬像としか見えないように感じる像

であり、やはり獅子像の元は狛犬であり、狛犬のモデルは狆と云えます。

また、京都府宮津市の籠(この)神社の石造狛犬は全体に体毛がある。これは全体に長毛が

生えている表現であり、ライオン、獅子とは異なります。

また、京都の栂尾(とがのお)の高山寺にある木造の狛犬は狆の体毛の様に胸毛、肢毛、

腰毛の飾り毛が房々とした表現があります。

また、岩手県水沢にある黒石寺の鉄製の狛犬と獅子は体に直毛の長毛を表現する風車様の

文様が陽刻されており、この像も体毛は狆のような長毛を表しています。

 京都市伏見区深草の藤森神社の狛犬は、体のバランスといい、ふさふさとした体毛の生え

具合いといい、頭の大きさといい、まさに現在の狆をモデルにして彫刻したように思われ

ます。

この様に長毛や飾り毛が生えている様に表現している狛犬が多く、これはライオン、獅子

には無いところです

現在の狛犬考では、広義の狛犬と狭義の狛犬とがあると考えられます。

神社で狛犬を見た時、誰でも「あっ、狛犬がある。」と感じるはずです。

少し狛犬を研究している人は、獅子型はどちらだろうか、などと気になるようです。

広義では狛犬の中に、狛犬と獅子があり。狭義では一般的に次の様になります。

     狛犬………………吽型……………口を閉じている…………左側に置かれている

                             角がある場合がある。

     獅子………………阿型……………口を開いている…………右側に置かれている

   「阿吽の呼吸」という言葉の「阿吽(あうん)」で狛犬を区別しているようです。

    あうん(阿吽・阿?)の説明

「阿」は口を開いて発する音声で字音の初めであり、「吽」は口を閉じる時の音声で字

音の終わりです。「あ」は50音の最初の言葉で、「うん」は最後の言葉です。

密教では「阿」は万物の根源で、「吽」は全ての帰着を意味する漢字です。

寺院、山門の仁王や狛犬などの、一つは口を開き、他は口を閉じる相を阿吽とする。

「あうんの呼吸」「阿吽の呼吸」とは阿は呼気と吽は吸気であり、共に一つのことをす

る時などの相互の微妙な調子や気持ち、それが一致することを言う。

一説には、東大寺の金剛力士像の二体は、かの有名な仏士 運慶の作で建仁3年(12

03)に作られました、片方は口を開けている阿形像(あぎょうぞう)で、もう一方は

口を閉じている

吽形像(うんぎょうぞう)になっており、阿形像は息を吸う姿であり、吽形像は息を吐

いている姿であり、この両方の像が出来てから「阿吽の呼吸」(あうんの呼吸)と云う

言葉が生まれたと云われています。

狛犬と狆の渡来

こ   ま   い  ぬ     ち  ん

本文に
リンクします

この文章は犬の雑誌「愛犬の友」
に平成15年5月、6月号に掲載し
たものです。

狆の祖先犬である短吻種犬(鼻のつまった犬)が天平四年(732年)、聖武天皇の時代に中

国の奥地、
現在のチベット方面から大陸を渡って、日本に渡来しました。また、朝鮮半島

を経由して来た場合があります。

 狆の日本への渡来と狛犬

ものの本によると「渡来した小型の犬は、顔は平たく、こっけいな犬」と記されています

鼻のつまった短吻種犬(たんふんしゅけん)は当時も今も珍しい犬でした、短吻種犬の祖

先犬はチベットが原産と世界的に認められており、大変貴重な犬とされていました。

 これらの説の根拠は次の文献にあります。

『続日本紀』に天平4年(732年)聖武天皇の御代、夏5月、新羅より蜀狗一頭献上し

たとあります。

次いで『日本紀略』に天長元年4月(824年)越前の国へ渤海国から契丹の蜀狗二頭来

貢とあります

 『日本書紀』(720)にある天武天皇(672)の章に、新羅から駱駝、馬、狗など

動物が献上されたとあります、狗を高麗犬とも書かれています。

これらの記録は、狆の祖先犬が日本に1200年前頃渡来した時のことを証明しています。

 駱駝のような大きな動物を長距離輸送したぐらいですから、珍しい小型愛玩犬をそれ以

前にも輸送して天皇に献上したことは容易に考えられることです。

 この珍しい鼻のつまった狆の祖先犬を、日本の天皇に献上したのです。

また、朝鮮半島の高麗を経由して来た狆の祖先犬を高麗犬(こまいぬ)とも言われていま

した。狆は天皇や貴族に大変寵愛されたのです。

 勿論、天皇に献上された狆の祖先犬は、そのグループの中で最高の犬だったに違いあり

ません。

姿形は毛がふさふさしており、健全で動きもキビキビしていたでしょう、また性格は大人

しく無駄なきしない利口な犬だったはずです。しつけも出来ており、まさに愛玩犬に相応

しい可愛い犬だったのです。

ヨーロッパのイギリスにおいても、王室に珍しい犬が献上され、ビクトリア女王(1837年

頃)はペキニーズ、ポメラニアン、マルチーズなどを犬種として寵愛し繁殖して遺伝的に固定

したことは世界の認めるところです。

日本の天皇も狆の祖先犬を見た時、鼻のつまった犬を見て驚くと同時に、これは神の使い

ではないかと感じたに違いありません。

 もともと、日本において見なれている柴犬のような鼻の長い長吻種犬(ちょうふんしゅ

けん)でも、利口で、人間に貢献するこの動物を人は敬愛していました。

それゆえに、昔は各地方において、お犬様信仰があり、家庭で神の使いの犬形像を祀る習

慣もありました。

 天皇に献上された狆の祖先犬を犬の代表のように感じたことでしょう、小型で可愛く利

口で、尾を振ってじゃれ慕って来たので、たまらない。正にこの犬は、神の使いであり、

守護神であると感じた。
また、狆は目は丸く大きくパッチリして愛くるしく、チンクシャと言われる

ほど鼻が詰まっていて愛嬌のある滑稽な顔をしています。

 天皇が家族の一員として長い間寵愛したその愛犬が、永眠した時、天皇は我が子が亡く

なった如く大変悲しみ、名工を呼び、ありし日の狆の座った姿の木彫りの狛犬の置物を作

らせました。

大きさも狆の大きさに近いものです。これが狛犬の始まりであると考えます。

 このように、天皇と狆と狛犬との情景があったと考えられます。

また献上された狆の祖先犬は、恐らく生後一年以上の犬と考えられます、何故なら天皇へ

献上する犬の姿形は最高で性格も良く、またしつけもある程度出来ているとなれば生後一

年は必要でしょう、また、小犬は体力もなく輸送中に病気になる恐れもあります。また犬

の寿命は現在15年ぐらい長生きすることもありますが、当時は蚊も多くフィラリヤの治

療方法もなかったため病にかかり、寿命は10年以内と考えられ、天皇と狆との生活も

10年以内と思われます。

ところで、当時は写真も無ければテレビも無く、文字で記録が残っているに過ぎません。

 当時の大衆は狆の祖先犬など見ることも出来ません。天皇家と側近が見ているだけです

恐らく珍しい猫のような犬を天皇が寵愛していると言う、うわさが一部の人達に広がった

と思われます。

 絵を書いて伝えた人がいたとしても幻の動物の姿が描かれ、似ても似つかはない姿が伝

わっていたと思われます。 

天皇は清涼殿の御帳の間に天皇、皇后の魔除け、お守りとして、狛犬を大切に祀りました

その後、御帳の間の帳帷の鎮子(ちんす)(一種の重しであり、魔よけ)として狛犬を置

いたと記録されています。天皇、皇后の守り神として、また、いつまでも愛犬の思い出と

して身近に祀りました。

 所謂、狛犬を建物内の御帳の間に祀った始まりです。室内で飾る始めの頃は木彫りだっ

たと考えられます
.

平安時代には、皇后になると、天皇から大床子(だいしょうじ)と言う衝立と獅子、狛犬

を賜る風習がありました。御帳台の前に獅子と狛犬を両側に調度品として祀り置くのです

平安時代の木彫狛犬が滋賀県御上神社にありますが、胸毛がふさふさ有り狆のように見え

ます。

 ● 狛犬の起源

 

今から、1200年前に天皇の御帳の間に狛犬を一対魔除けとして祀りました、また帳帷の鎮

子として狛犬は祀られました。

前述したように、丁度、狆の祖先犬が日本に渡来した時期と一致します。

 狛犬のモデルは狆です。狆の祖先犬が狛犬のモデルであったと云う方が正しいでしょう

狛犬を高麗(こま)犬という人がいます、朝鮮半島を経由してきて、天皇に献上された犬

に対して高麗犬と称したのではないでしょうか。

朝鮮半島には在来の鼻の短い、短吻種犬は存在しません、現在も輸入犬以外はいません。 

 昔の日本人が狛犬像を狛犬、高麗犬と称したのですから、犬に違いありません。

犬がモデルだったことは間違いありません。

 狆は鼻の短い短吻種犬です。 狛犬の姿と一致します。

むしろ、狆の祖先犬を狛犬と称したのではないでしょうか。

 犬について

犬は地球上に現れて、一万二千年ぐらいになるといわれています。

そして、原始の頃から人間のパートナーとして、人間と共に生活してきました.

その証拠は、古墳に、人と一緒に犬が葬られていることで明らかになっています。

犬が人間に対して服従心が強いことから、昔から、共に助け合い、協力しあってきました

 最初は番犬や狩猟犬として人間に貢献してきました。

現在では、盲導犬、聴導犬、救助犬、軍用犬、警察犬、介護犬、麻薬犬、捜索犬,その他数

えれば
15種類以上にものぼる使役などに活躍しています。

 これほど、人間に貢献している動物は他にありません。

人間の命令ならば、例え火の中、水の中といえど飛び込むことを、やってのけることが神

様のお使いではないかと感じられたことでしょう。

昔は日本の各地方でお犬様信仰がありました。

昔の天皇が犬を、狆の祖先犬の狛犬を、祀る気持ちは当然あったと考えられます。

 狛犬と獅子

狛犬の研究家は沢山います。狛犬は日本の文化でありながら、分からないことが多すぎる

ので、色々の説が発表されています。

1、狛犬と獅子は別物である。と言う説。

2、狛犬と獅子は同じ物である。と言う説

3、狛犬は獅子であり、ライオンである。と言う説。

上の説に対して、筆者が主張する

4、狛犬は狆がモデルである。と云う説。

この四ッの説を検証するために、次の比較表を作りました.

 狆と狛犬と獅子とライオンの比較表

   頭部 狆 ………     頭は犬の大きさに比べて大きい方が望ましい。

    狛犬…………・   頭は身体に比べて大きい。

    獅子………・・   頭は身体に比べて大きい。

    ライオン………・  頭は身体に比べて大きい。

 頭蓋 狆…………………適度に丸みを帯び前額部は丸く張り出している。(頭のこと)

    狛犬………………   ほぼ同じ。

    獅子………・・    ほぼ同じ。

    ライオン………・   ほぼ同じ。

 口吻 狆…………………  太く短くて幅広い。(口のこと)

    狛犬………………   ほぼ同じ。

    獅子……………    ほぼ同じ。

    ライオン………・・  ほぼ同じ。  

 眼  狆…………………   大きく丸く、両眼は広く離れ、出目である。

    狛犬………………    ほぼ同じ。目の飛び出しているのもある。

    獅子……………・    ほぼ同じ。

    ライオン………・・   眼は小さい。

 耳  狆…………………   長三角形の垂れ耳で、長毛で覆われている。耳と耳との

                
間は広く離れている。長い飾り毛がある。              
    狛犬………………    ほぼ同じ。   

    獅子…………・     ほぼ同じ。(垂れ耳が殆ど)

    ライオン…………    立ち耳で毛に覆われていない。

 尾  狆…………………   誇らしげに背負い、直毛が長くふさふさと垂れているほ ど

               望ましい。長い飾り毛がある。

    狛犬………………    ほぼ同じ。(全部毛がふさふさとはえている)

    獅子………………    ほぼ同じ。(全部毛がふさふさと生えている)

    ライオン………・   尾に毛は生えていない、細い長い尾の先に少し毛がある

 被毛(体毛) 狆……・   ふさふさとした長い直毛が望ましい。長い飾り毛がある。

        狛犬……    長い体毛を表現した像が沢山有る。

        獅子………・  長い体毛を表現した像が幾つか有る。

        ライオン……・・体毛は短毛である。 

 たてがみ   狆………    たてがみに相当する飾り毛がある。胸毛など。

        狛犬……・・  たてがみが目だってある。

        獅子………   たてがみが目だってある。

        ライオン……  たてがみが目だってある。

前脚の後ろ  狆・・・・・・  ふさふさとした長い毛がある。
 側の毛    
        狛犬・・・・   ふさふさとした長い毛がある。

        ライオン・・・・ ほとんど無い。    

   
性格     狆・……     大人しい

        ライオン(獅子)・・ 獰猛

この表を見て、狆と狛犬とライオンの違いは、

眼   狆は丸く大きく出目で、狛犬も眼は大きく同じであるが、

●ライオンの眼は非常 に小さい。

尾   狆の尾は背負い尾、或いは巻き尾と云って秋田犬の尾のように背中に背負っており

、    その尾に長い毛がふさふさと生えている、狛犬の尾は背負っており毛がふさふさと

    生えている。
。   

    ● ライオンの尾はへびのように細長く垂れ下がって先に毛が少し生えている。

体毛  狆はふさふさとした直長毛が体全体にあり、狛犬も長毛の体毛を表現したものが

               多い が、巻き毛を表現したものもある。      
 

    
     ●
ライオンの体毛は短毛である、ただ鬣(たてがみ)はふさふさとしている。

              

        ライオン(獅子)は獰猛に吠えるので口を開いた表現になる。

私は(4)の説を主張するものです。私は日本狆クラブの副会長をしていますが、40年

以上、日本狆クラブの運営を行い、狆の研究をしている間、常に狛犬のモデルは狆ではな

いかと考えていました。

 あるいは、狆の祖先犬を狛犬(高麗犬)と称していたと考えられます。

狛犬像が日本国内に先に存在し、そのあと中国から獅子像が渡来し、段々狛犬と獅子がチ

ャンポンに混同されるようになったと考えられます。

 チャンポンに混同した訳は私は理解できます、狆の祖先犬が1200年前ころに、外国

から天皇に献上された歴史的記録があっても、実際は一般の人は見たこともないわけです

から、その後の芸術家や彫刻家も同じように見たことがないわけで、時代が経過するにし

たがい想像の狛犬に出来あがっても仕方が無いと思います。

縄文時代から日本には、柴犬のような長吻種犬(鼻の長い犬)が山野を駆け巡っており、

飼い犬としても鼻の短い短吻種犬は存在しませんでした。珍しくもない鼻の長い犬など献

上するはずはありません。

 昔は珍しい犬を貢物にすることが盛んだったと云えます。

耳   狆は垂れ耳で毛に覆われており、狛犬と同じである●ライオンは立ち耳で毛 がない。

    狆も狛犬もたてがみに相当する飾り毛がふさふさと生えている。

性格(表現)  狆は大人しく無駄吠えしないので口を閉じた表現になる。

 昭和30年に私の家に獣医さんがみえて「獣医を長いことしていますが狆を写真でしか

見たことがないので是非見せて下さい。」といわれ、狆をつくづくとみて、感激して

帰られました。

 昔は写真やテレビなど情報メディアが無かった分けですから、天皇家の人以外は見たこ

ともなく、ただ想像をしたために狛犬と獅子をチャンポンに混同したことは無理も無いこ

とです。

 獅子について

獅子の原型は、古代オリエント・インドにおけるライオンをモデルにして作ったライオン

像に起こり、中国、朝鮮を経て日本に渡来したものと云う説があります。

古代オリエント諸国では聖なるもの、神や王の守護獣として百獣の王ライオン像を祭るこ

とが流行っており、エジプト・ピラミットのスフインクスがその代表的例です。

 然し、インドにもライオンは生息しているので、オリエントの影響もあると考えられる

が、また、中国での獅子はオリエントのライオン像に中国の文化的センスで獅子像が作ら

れたと考えられます。

 「中国の狛犬は、」と表現する方がいますが、これは間違いだと思います。「中国の獅

子像は、」と表現する方が正しいと考えられます。何故なら中国には狛犬の名称は無いの

ですから。

たことは、ごく自然の流れだったと考えられます。現在、正倉院にある、そのころ

の優れた彫刻の宝物を

見ても納得できます。
などがあります

鎌倉時代には狛犬は神社や仏閣の参道や境内などの外に置かれるようになりました。室

内から室外にでるようになり、木造から風化の少ない石造や金属造、陶磁器造に材質も

変化してゆきます。

かし、犬の場合、長吻種犬と短吻種犬の頭蓋かは誰が見ても分かります。
狛犬の頭蓋を見てください長吻種犬の頭蓋では絶対に有り得ません。,

 交易と狆について

天平四年(732年)に狆が大陸から日本の聖武天皇に献上されたことは歴史の知るところです、

何時の時代でも交易はあったわけで、中国文化は交易によって日本に伝えられ、その影響は計り知

れないものがありました。交易は文化だけではなく、荷物を積んだ船が大陸と日本を行き来してい

たわけです。

中国から来る船には沢山の交易品が積まれていたわけで、その交易品と文化は一緒に伝わってき

たわけですが、帰りの船にも当然日本の交易品が積まれたはずです。

 今で言う、空車で帰るような無駄な交易はありえません、となると、中国には無いような珍しい

ものが日本から沢山積み出されたと考えられます。

中国の文化だけが日本に来て影響を与えたのでは無く、日本の文化も中国に影響を与えたと考え

られます。

 そのなかには、優れた狆を交易品として積み出したこともあると考えられます、日本で改良され

た優秀な狆を中国人も欲しがったと考えても不思議ではありません。

 狆も日本の貴族と中国の貴族の間で交流があったのではないかと考えています。