
会の紹介
中野・まちづくりを考える会」とは
私たちは1998年の7月の「基本的なまちの構造」の考え方(案)の地域説明会をきっかけに,中野区の「都市マス」に感心を持つ有志が互いに声を掛け合い昨年数回の議論の場を持ちました.それは、私たちが考えていた「都市マス」と「基本的なまちの構造」の考え方(案)とは違っているのではないかと疑問を持ったからです。私達は区民や区にかかわる人々と行政が手を携えて行う「まちづくりの指針」として「都市マス」が機能するこを願っている点では同じです.そこで討議の結果,中野区へ私達の考えを文章にして提出することにしました.そうした討議の結果,1998年11月に私達の考えを文章にして.『提言書』として中野区へ提出しました.その折の会合では,それぞれの考えには豊かな巾があることを互いに確認し,強いて私達の集まりに名称をつけることはしませんでした.
私達は「都市マス」を住民参加でつくることが行政だけでなく住民にとっても安易でないことを,「地域協議」と「区民協議会」での議論や運営を通じて,またそのあり方を考えることで学んできました.それと同時に,住民参加でつくられる「都市マス」のもつ可能性を信じています.都市マスが区民と行政が協働して行う「都市計画」の指針となるためには、区民と行政が中野の"まち"の将来像や、それに向けた都市計画の方向性を共有することが大切だと考えています。そのために"将来像"や"方向性"を私たちの視点で考え、言葉で語ることが大切なことだと考えています。それには自分達にとって身近なこと,そこから「まち」を考えていくのが自然なことと私達は考えます.同時に,地域の課題だけではなく、中野区全体や隣接した他区も視野に入れて中野区の都市マスについて考える機会も持ちたいと考えています。そこで,1999年の2月から,新たに活動をはじめ,会の名前も「中野のまちづくりを考える会」と名付けました.
1999年春に「都市マス」の中間のまとめができた段階で再び意見の公募があり、私たちは個々の意見を集約したものや、各個人それぞれの考えを、私たちの「意見」として編集し、5月に中野区に提出しました。
2000年4月には、3月の「都市マス」策定完了を受けて、公開ディスカッションの場「まちづくりフリートーク」を開催しました。策定された都市マスを識ると共に、あらためて中野のまちづくりについて考えてみたいと思い、また各地域でまちづくりの活動されている方々との交流の場にもしようとの試みでした。それは、私たち自身が中野区や地域の"将来像"とその実現のための"方向性"を考え、そして語ることが大切だと思ったからです。
■ 私達は「路・みち」というテーマで発表と話し合いを持ちました。(1999〜2000)
「まちづくり」と,私達の個々の暮らしとの関わりはなかなか分かりにくいものです.ましてや20年後を考える都市マスがどのように私達の暮らしを変えるのか,とても想像しにくいものです.そこで「まちづくり」を私たちの生活や暮らしの視点から,それぞれの立場に置き換えて考える一つの手だてとして,誰にとっても身近であり,かつまた,都市計画においては基本の一つである「路・みち」というテーマで話し合いをしました。住民にとっての「路」を考えるところから,住民にとって話し合いたい「都市マス」の姿が見えてくるのではないかと考えたのです。「まち」の在り方を住む側、使う側として捉え、語り、提案していきたいと考えています。路(みち)について各自が、自己紹介の一つとして定例会で語りました.なぜならば皆の思いの中にある「みち」の捉え方がそれぞれに違っていたからです.
なぜ「路」をテーマとするかの討論から:
*都市の中の「路(みち)」は防災まちづくりの中心となっている.
*都市計画は道路計画ともいえるのではないか.
*中野区内には挟合い道路が多く問題となっているが独自の解決や解釈はできないだろうか.
*海外ではアドレスが「路(みち)」によってきめられている.
*いまある「路(みち)」を否定せずに「都市計画」はできないのだろうか.
*「路(みち)」を通して地域コミュニティが育つし,交通道路が地域の関係を分断もする.
*「路」にはマスタープラン的な取組みとまちづくり的な取組みがある
■ そして今後の提案の方向:
*「まちづくり」的なものが「都市計画」に対する具体的な提案になるのではないか。
*国や住民のための理想的な「路」はどうあるべきかを客観的に捉えて示してみたい
*「路」を通じて行政と住民との「間」の関係について、何か投げかけができるのではないか。
*「路」はみな同じではない−地域の特性を認識してそれに基づいて発言していくべき
*地域性を勉強し地域性を生かすことを考える.
*特殊解でも良いから身近なこと,地域性は具体性
*実現することを考える.
*生活者としての感覚を(都市マスに)盛り込むことも考えていきたい.
*システムもきちんと作る
*住民がかかわるシステムを考えていく.
*提言が生かされるシステムを考える.
*区民の中に関心を持つ人を増やしていく方法も捜す.
私たちは「路」の発表を一通り終えた後、具体的な地域での「路」を考えようと思いました。そこで中野区の15の地域のどの地域から始めるのが良いか話し合いを持ちました。まず、中野区はどのような区であるだろう、という話し合いから始めました。商業の町か、ビジネスの街か、…。中野は住むまちであるだろうと私たちは捉えました。「都市マス」では「住宅地」の「路」を防災の視点で多くは捉えています。中野区には幾つかの震災時に甚大な被害が想定される「重点整備地域」があり、緊急車両が通ることのできない、4mに満たない「狭あい道路」(建築基準法で道路とみなされるのは4mから)がまだ残っています。特に中野区の南に位置する南台と北に位置する大和町にはそうしたその地域が多くあります。
でも一方でそうした「路地空間」には利用の仕方の珍しさ、歩くときの心地よさ、路地の良さがあります。住民と訪問者双方にとって快適なみちとは何か、そのような観点で大和町のみちを考えたいとの話し合いをしました。そこで、幾つかのテーマを持ち大和町を歩くことにしました。
「まち」歩きの視点:
1.形態・地勢・気候(季節) 担当:加藤
2.レベル(路地) 担当:千成
3.生活・文化・コミュニティ・福祉・防犯 担当:瀬野
4.歴史・地名 担当:
5.防災・交通 担当:辻
・みちを外から見ているだけでは駄目。毛細管としての住民の感じ方が大事。
・大和町の住民が持っている、住み方の哲学を聞き取ることが肝要。
・大和町のみちも歩行者だけのものであれば、わかりにくさは別として何も問題はない。
・大和町を歩くついでに、中杉通りの計画道路にかかる地域と既存の通りを視察
・ 新旧の対比を探れれば、都市計画あるいは行政の諸問題がみえてくるのでは。
(例えば道路隅切りやL字溝などにおける無神経さ)
・まちのチェックポイント:地域の災害危険度の「尺度」を考える。
・危険度ランキングに、コミュニテイのあり方を探り比較してみる。
また、大和町には「都市マス」にも写真で紹介されている「土塀のある家」があります。ここに面した道路も4mに満たないため、法的には将来建て替え等の時にこの土塀を撤去することが義務付けられています。しかし、大和町の風情の一つをつくり出しているこの土塀の内側には中野区の文化人とも言える田山方南氏の所蔵である茶室があり、その建築と一体の空間を織り成しています。「まち」に誇りを持つことは文化を育む心と共にあると私たちは考え、大和町から「路」の考察と提案を始めることにしました。
-----大和町について
・この地域は関東大震災後に開けたまちで、震災対策の英知が結集されていなければならないにもかかわらず、現在、震災時に甚大な被害が想定される「重点整備地域」に指定されている。
・またそれだけに、昭和初期の懐かしい建物、路地などが散見される所でもある。 星 昭(会員・大和町在住)
