走れ、バイクっ! 悠久の時を超えて

序章

 ゼファーは眠っている。沈黙の中にその身を横たえ、静かな時間の流れを紡ぎ出すように、まるでその存在こそが沈黙そのものであるかのように眠っている、、、、。

第一章

 どわあぁぁぁああぁああ〜〜〜なんじゃこりゃぁ〜〜〜〜〜!!!!僕は思わず大声で叫びながらそこら中の立て看板だの、他人のポストなどを蹴り飛ばしそうになった。しかし、そんなことでこの目前に広がる現実は何も、そしておそらく永遠に変化することはないだろう。こんなバカなことがあって良いのだろうか?「まるで夢を見ているような」というありきたりな言葉がそこら中の道ばたに転がっているが、夢どころの騒ぎではない。余りに唐突でそして信じがたい程無惨な姿に変化した僕のゼファーの存在は哀しいまでに現実的だった。

 無いのだ。何もかもが無いのだ。バイクは確かに目の前にある。大地を駆けめぐるための足は地面に突き刺さるようにどっしりと立ちすくんでいる。鉄の心臓は今すぐにでも怒号を響かせながら心拍を始めそうだ。しかしそれは叶わぬ夢なのだ。どんなに精密なキーを差し込み、いくら丁寧に廻してみても決してその心臓が今再び動き出すことは無い。だって、、、、ガソリンタンクが無いんだモン☆。

 ガソリンタンクだけではない。シートとテールカウル(お尻のカバー)、更にサイドカバーがかけらも見当たらない。僕の研ぎ澄まされた動物的直感はすぐにある一つの答えを脳髄に送り込んできた。

「パクられた。」

第2章 

 あれはいつの事だったのか、今となっては正確に思い出すことが出来ない。確か春も近づきつつある西日の強い冬の昼下がりだったように思う。いつものように革ジャンを着込み、バックパックを背負い、家のドアを閉めた。まだ昼過ぎだというのに既に西に傾きかけた太陽を情けなく思いながら、再びバイクで風を切る爽快感を想像していた。その冷たい風圧に体温を奪われないよう胸のジッパーを目一杯引き上げる。

 僕の家は小高い斜面にへばりつくように建っている。その為、家に出入りするためにはどうしたって階段を使わなければならない。ゆっくりと歩き出した僕は、今から食料の買い出しに行くのだ。今日は何を買おうかと考えながらそれなりに急な階段を一段跳ばしで駆け登っていく。クソ面白くもない日常の中でバイクに乗っている瞬間、まるで自分が大空を跳び渡る鳥になったような興奮と恍惚を覚えることが出来るのだ。

 階段を登り終え、細い路地を抜ければそこに僕のゼファーが静かに覚醒の時を待っている、はずだった。しかしゼファーは無惨に食い荒らされ、野垂れ死に、その骸だけが西日に照らされていた。普段はタンクの下になり見ることの出来ないバイクのフレームが埃を被り、まるで打ち捨てられて何十年も経った黒い骨のように横たわっていた。僕は泣いた。うそ、泣きそうになった。「どうしよう、まず僕はどうすれば良いんだ。」何も考えることが出来ぬまま、気付いたとき、僕は部屋の机に呆然と座っていた。かなり頭が興奮していたのだろう。まずは現場から離れなければいけないと思った。それは僕が容疑者にされてはかなわないという事ではなく、ここに突っ起っていたらどんどん頭が混乱しておかしくなってしまうと考えたからだ。しばらく窓から差す西日を頬に受け、不意に冷静な自分が語りかけてきた。「とにかく警察に電話しろ。」僕はあまりいい思い出のない警察の電話番号を押していた。

第3章


 警察のおっさんはそれなりに丁寧に対応してくれたように思う。しかし言葉の端々に「あぁ〜やられたねぇ。多分、絶対、確実に出てこないけど、これもおっちゃんの仕事だから聞くけど君、名前は?」といったニュアンスがこめられていた。僕は絶望のどん底にたたき落とされた。今更落とされたのだ。既に落とされていたのだろうが、その事実にさえ気付くことが出来ないでいた。

 おっさんが帰ってからしばらくして、やっと思考というものを取り戻すことが出来た。まずは被害総額を想定してみなければならない。当然食料の買い出しなんてどっかに吹っ飛んでいる。「タンクが8万、シートが1万5千、、、、、。」ざっと計算したところ20万位はかかりそうだ。そんな金どこにあるんだ。僕の月給はバイト代を全部足しても12、3万にしかならない。フリーターのバイト料なんてそんな物だ。そこから食費だのなんだのでいつも全部使ってしまう生活である。20万なんて金をひねり出す事など、どだい無理な話なのだ。

 僕は絶望の淵をのぞき込みながら、愛車ゼファーの捨て方を考えていた。普通に捨てたのでは明らかに不法投棄か何かの法律に引っかかってしまう。「ナンバープレート外して、車体番号削り取って、どっかの公園においてくれば僕が持ち主だって事ばれないんじゃないかなぁ。」バイク屋に問い合わせたところ、廃車にするだけでいくらかの金はかかるという。部品パクられたうえに廃車代取られたのではたまったものではない。真剣に捨てる方法を思案しているうちに数日が過ぎた。その間、無惨な姿のまま僕のゼファーは道ばたに転がっていた。僕は動かないゼファーをどうすればいいのか全く解らなかったのだ。そのうちにミラーが取られ、工具が取られてしまった。なんと痛ましいことだ。みんなして僕のゼファーを食い物にしやがって。僕は切れた。完全に頭にきた。こうなったら何がなんでももう一度ゼファーの心臓に息吹を吹き込んでやる。あいつを再び甦らせるんだ。

 しかし、この春には僕の最も大口のバイトである教員バイトが契約切れになってしまう。更に夏の教員採用試験に備えて塾講師のバイトもこの2月で辞めてしまった。もう、今の僕には何も残っていないのだ。八方塞がり、もうどうすることも出来ない。ゼファーは何年も眠り続け、僕はバイクに乗ることが、あの翼を羽ばたかせることが出来ないのだ。

第4章

 プルルルル〜、プルルルル〜。その電話は救いの電話だったのか、僕への更なる試練だったのか。ちょうどバイトの一つも入っていない穏やかな土曜の昼過ぎだった。「あっのぶせんさんのお宅ですか?私、横浜市教育委員会の・・・・。」教員のバイトはいつも突然の電話から始まる。どこどこの学校で体育だのを教えて欲しいという話があるが、どうですか?とくる。どうですかも何も、僕達教採落第組に選択権は、ほぼ無い。25才にもなって定職にも就かずタラタラ人生流しちゃってる僕に向かって「子ども達が大勢待っていて、勉強を教えてあげれば良いんです。対外的にも先生っぽく見えますよ」という誘いの電話があれば、その内容が如何なるものであろうとNo!と言えるはずがない。たとえその為に試験勉強の準備が出来なくなろうとも、、、。

 これで何とか生活に困らないくらいの月給は確保出来そうだ。しかもこの新しい教員バイト、かなりの時間働く内容なので、いくらかは余剰金が作り出せそうである。僕は迷った。ここで働けば金が作り出せる。何より、子ども達とまた日々日常をワイワイガヤガヤ楽しむことが出来るのだ。何と言ったって人生を楽しむ達人達が数十人も集まっているのだ。しか〜〜〜しっ!確実に試験勉強は出来なくなる。このバイトを引き受ければ、僕の場合、ほぼ100%今年の試験にも落ちるだろう。長い目で将来を見れば、そろそろ合格を勝ち取って正規採用の先生になることの方が勝ちである。でも、受けなければ、毎日一人で試験勉強し、憂さ晴らしのバイクにも乗れず。あぁ〜〜〜神よっ!私はどうすれば良いんですか?思わず信条曲げて神様信じようと思った。でもやめた。

 教員のバイトは突然の電話で始まり、突然の予定で始まる。「では、来週の月曜日から来て下さい。」「はいっ!解りました。」

 僕はまた、バイト先生になっていた。

第5章

 計画を実行する時が来た。バイクがボロボロになって早2カ月が経ち、バイクに乗れない不自由さにも慣れ始めている僕がいた。しかしその間にも僕は時々バイク雑誌をながめては甦ったゼファーを夢想し、その時が来ることを待っているのだった。そんな4月のある日、僕は思い立った。資金の見通しが立ち、夏もそこまで近づいて来ている。「今だっ!」はっきりとゼファー復活計画をラインにのせる時期が来たことを感じた。

 この計画、実は当初の復活計画よりも更に金のかかる方向へと進んでしまった。そう、カスタム!するのである。普通に取られた部品を買い集めて組み立て直せばそれはそれでゼファーは走り始めるのである。しかし、「転んでただで起きてどうするっ!?」ていう僕の信条がこの単純な計画を生理的に拒否した。

 まず、タンクだとかの色を元のワインレッドからブルーに替えることにした。その上、タンクの形をゼファー型からZ2型に替えるのだ。これでまず20万が吹っ飛ぶ。だってその為にはまず、自分でタンクを買ってきて、それを改造してくれる工場へ送らなくてはいけないからだ。この過程を通してやっとタンクだけが手に入る。次にはテールカウルだとか、サイドカバーだとかを買ってこなければならない。さらに、シート、キーシリンダー(ガソリンタンクのキャップ)なども揃えなければ。しかし一度やる気になれば何とかなるのが僕の人生だ。、、、少なくとも今までは何とかなってきた。今後も何とかなるだろう。

 僕は早速中古タンクを探すため、雑誌に書いてあるお店に片っ端から電話しまくった。間違えて2度電話してしまったお店もあった。結構寒かった。雑誌2冊分のお店に電話して気付いた。

中古タンクなんて無いっ!

 何故無いのだ。ゼファーはかなりメジャーな機種でその部品たるや日本中に転がっていてもおかしくない。なのに全くない。僕はバイク屋の立場になって考えてみた。きっと部品はあるに違いない。あるにはあるが、タンクだけをバラで売るわけにはいかないんじゃないか。多分この予想はあっていると今でも思っている。思ってはいるが、じゃどうすれば良いと聞かれると困ってしまう。僕はいきなり最初の階段で躓いてしまった。僕はその後1ヶ月間この電話攻撃をやり続けなければならなかった。

第6章

 この計画も座礁かと諦めかけたとき、何とかタンクを一つ見つけることが出来た。しかし高い!本当なら、中古部品なんて値切ってナンボのものなのだろう。しかし、部品の探しまっくて、本当に見つからなかったこの僕にはとにかく喉から手が出て持っていきたいくらいの代物なのだ。結局タンク一つ買うのに数万も使ってしまった。これは最初の計画よりも2倍くらい高かった。そして、痛かった。

 通日後、タンクが本当に家に送られてきた。う〜ん、素晴らしい。何よりもその金属質の光沢が素晴らしい!数ヶ月捜し求めて、今時分の手元に本物があると思うと少々大げさではあるが感動してしまった。僕の心が少し揺らいだ。

「このまま、バイクに取り付けちゃえば、直るんだよなぁ…。」

 しか〜し、ここでそんな甘い考えに浸ってしまってはのぶせんの名がすたる。ここはやっぱり自分に厳しく、あえて金のかかるカスタムに走ろう。

                          (つづく)