転生そして覚醒
一年数カ月に及ぶ司法修習から解放された優子と秀信の二人は、恭子の特別な計らいで二泊三日のグァム旅行を楽しむことになった。
関空から三時間、経度がさほど違いがなく、時差は一時間と少ない。ホテル・ニッコー9階、テラスからはタモン湾の眺望が広がり、朝日、夕焼け、夜景が楽しめる。夜になると、ビーチサイドではタモン湾の夜景を眺めながらバーベキュー、ステージでは情熱的なポリネシアンダンスショーとファイアーショーが演じられる。イブニングビューではピアノ演奏を聴きながら、美味しい夕食が摂れる。
優子が「Please play MY WAY」とリクエストすると、「Do my request earlier」と横合いから大柄な白人男性がピアノ奏者に注文をつけてきた。
「I give priority to the request of this
woman」と奏者は男を説得し、“MY WAY”を弾き始めた。日本人客は優子と秀信だけで、他のテーブルには白人夫婦と思しき客ばかりだ。
彼らの黄色人種に抱く差別意識は強いが、優子から鋭く、冷たい視線を浴びせられ、初老の男性は肩を落としながら自らのテーブルに戻り、妻らしき老女から厳しくたしなめられている。
二人は気づいていなかったが、US・NABY
の情報部員が二人を警護していることを、何故かこの老婦人は察知し、無礼な態度を働いた夫をたしなめていた。
翌朝、バンザイ・クリフから海原を眺めていた優子の瞳は曇り、涙が頬を伝い流れ落ちる。
「どうしたの?」
「あなたは無神経でございますから、ここから身を投げた方々の無念さが判らないのでございますわ」
「ここから投身自殺をしたのか・・・・」
優子の強い悲しみが、はるか彼方の水平線に無数の米国太平洋艦隊を浮かび上がらせ、陸地に向かって艦砲射撃をする様を蘇らせた。
これ以上、思念が強まると、仮想空間が現実空間に位相して、グァム空軍基地から戦闘機が飛び立ち、米国の海軍対空軍による第三次大戦が勃発しかねない。
秀信が優子の掌を握り締め、鎮めの思念を送り込む。
水平線に湧き立った黒雲は消え去り、鮮やかなマリンブルーが復活した。
グァムから戻った秀信に、高山弁護士は仕事を命じてきた。
「秀信くん、弁護士としての初仕事としては、手頃な案件だと思うが?」
「依頼人はどなたでしょうか?この被告には、国選弁護人はつかなかったのでしょうか?」
「大北恵津子さんが依頼人だよ。
医師の診断や治療行為に難癖をつける患者や家族が耐えず、病院だけでは対応仕切れないので、以前から私が大北総合病院の顧問弁護士に就いている」
「被害者の母親が、加害者の弁護人の費用を出すのでしょうか?」
「外形的な事実だけだと、包丁を隠して病院に乗り込み、君の第三夫人とも言うべき憲子さんを脅した凶悪な犯人だが、彼にもそれなりの事情があってね」
子宮頸ガンを患った小和田正恵62才は、大北総合病院に通院して、婦人科などで放射線治療と抗がん剤治療を受け、入退院を繰り返していた。正恵の内縁の夫・宇多元77才は、40年ほど前、知り合いの手形を裏書し、自宅と寿司店を手放す破目に陥り、妻と二人の子供を棄て出奔。山越市に流れ着き、板前として真面目に働いてきた。30年前、割烹料亭の仲居として働く正恵と親しくなり、以来、二人は文化住宅(2K)で同居してきた。
しかし、正恵が子宮頸ガンを患い、宇多元は懸命の看護をしたが、遂に死亡。ガンは進行性のもので、主治医の大北憲子医師によれば、この場合に外科手術と放射線治療の効果は等しく、手術費を心配した正恵の希望を入れて放射線治療を選択していた。
しかし、宇多元は、『神の手と称される大北院長が手術をしなかったため、内妻の正恵が死亡した』、と逆恨みした。
思いつめた元は、文化住宅を引き払い、その後、主治医の大北憲子を包丁で刺そうと決意、出刃包丁をタオルで包み隠し、大北総合病院へと向かった。ところが、病院内に入ると外来患者でごった返し、包丁で刺すと混乱が起こると考え犯行を自重した。
自分が内妻の恨みを晴らしに来たことを伝えるため、外来診療申込書の裏に、『オマエのせいで、俺の大事なカミさんが死んだ。必ずオマエを殺してやる』と、鉛筆で走り書きした文章と、タオルに巻いた包丁を窓口に置き、受付の看護婦に読み上げさせた。
数日後、刃渡り30cmの刺身包丁を背中に隠し、大北憲子医師に面会を求めたところ、巡回警邏中の警官に逮捕された。
罪状は、銃砲刀剣類所持等取締法違反、建造物侵入、脅迫。
11月某日、濃津地裁刑事第二部201法廷、二人の警務官に先導され、うつむき加減に被告人席に着いた宇多元は、弁護人の生駒秀信と前田優子に静かに頭を下げた。
形式犯なので、法廷には緊張感は少ない。検事は『事情に汲むべきところがある』と、暗に裁判長に寛刑を求めた。
弁護人:大北医師からは、治療方針の説明はありましたか?
被告:正恵がガンだと判り、治療方法の説明を受けました。素人判断ですが、院長先生に手術して欲しいと頼みました。
しかし、手術するより放射線治療の方が良いと言われました。
弁護人:放射線治療は大北医師の奨めだけでなく、亡くなられた正恵さんの選択でもあった訳ですね?
被告:はい、治療にカネが掛かり、蓄えもなくなり、二人で睡眠薬自殺を図ったこともあります。真面目に、コツコツと生きてきたのに、何故、こんなに辛い目遭わなくてならないのかと、随分と世の中を恨みました。
弁護人:もう、こんなことを起こしませんか?
被告:今になって考えれば、大北先生に感謝するところを、逆に恨んだことを後悔しています。
弁護人の被告人質問に、途中から検事も参加する。
検事:包丁を持って、如何なる理由があっても、人を脅してはいけない。それは理解できますね?
被告:はい、反省しています。
弁護人に就いた秀信は、宇多老人が失踪宣告を受けて戸籍が抹消されていることを知り、戸籍上の妻を探し出し、籍を回復した上で離婚手続きを進め、出所後は前田家で住み込みの賄い方として働くことを斡旋し、晩年の生活の安定を確保していた。
弁護人:あなたは30年前、失踪宣告が確定し、死亡扱いとなり戸籍はありません。九州に居る長女の協力を得て、改めて籍を回復してから、正式な離婚手続きを行ないますが、それに同意しますか?
被告:はい
弁護人:二人のお嬢さんは、あなたを恨んでいないと言っています
2週間後、濃津地裁201法廷において、裁判長から判決が言い渡された。
主文:被告人を懲役1年に処する。この裁判が確定した日から2年間、その刑の執行を猶予する。被告人をその猶予の期間中、保護観察に付する。
裁判長は判決文の中で、弁護人の奔走により今後の生活の安定が図れていること、事件を深く反省し再犯の恐れがないこと、更に被害者の大北憲子医師から減刑嘆願書が提出されていることなどを挙げている。
生駒秀信、前田優子、二人の弁護士としての船出は、マズマズの結果と言えるだろう。
12月8日、午前9時27分、東証マザーズに新規上場されたジェイコム(総合人材サービス会社)の株式(発行済み株式数14,500株)を、某M証券の担当者が、“61万円1株売”とすべき注文を、“1円61万株売”と端末に入力した。
端末の画面には注文を異常とする警告が表示されたが、担当者はこれを無視して注文を執行した。
「警告は稀に誤作動表示されるので、つい無視をしてしまった」(某M証券広報)
この注文が出るまでは、90万円前後に寄り付く気配の特買で推移していたが、この大量の売り注文を受けて株価は急落、初値672千円がついた。
その後、続落して、9時30分、ストップ安572千円となった。
突然の大量の売り注文が出た瞬間、ネット掲示板“2ちゃんねる”では話題が沸騰し、様々な憶測の書き込みが相次いだ。
“誤発注”と判断した投資家は大量の買い注文を入れ、株価の急落に狼狽した個人投資家は安値で売り注文を出すなど、東証のシステムはパンク状態に陥った。
某M証券の担当者は、直ぐに誤りに気づき、数度、注文の取り消し作業を行なったが、東証のシステムは受け付けず、東証に直接電話して注文の取り消しを依頼したが、東証にはそのような処理システムはなく、あくまでも某M証券の端末から手続きを取ることを求めた。
その間、買い注文が増え続け、自動的に約定されてしまう危険性が高まり、某M証券は61万株を『反対売買で買い戻す』を決めた。
これが大きな失敗の原因となり、すべての注文が成立し、9時43分、772千円まで上昇した。
その後、証券会社やディトレーダーの利益確定売りや押し目買いなどが入り、株価は乱高下し、10時20分以降、ストップ高となった772千円に張りついた。
某M証券の反対売買に関わらず、既に注文を出されていた10万弱の買い注文については相殺仕切れず、そのまま市場での売買が成立してしまった。
市場関係者から、「誤注文は○○か」と様々な憶測情報が流失し、ジェイコムの幹事会社の日興證券が当事者ではないか、との観測が流され、誤発注の損害額が数百億円に上ることが予測された。このため、前場引け時点で日興證券の株価は急落、日興證券は「この売り注文に当社は無関係」とするコメントを出すに至った。
前場中ごろから、「あの会社か」と、疑心暗鬼になった投機筋や個人投資家たちは、証券、銀行株を売りに出た。後場になると、この動きに加えて、「誤発注した会社が、損失の穴埋めに自己売買部門で利の出ている銘柄を売りに出すのでは?」との見方が広がり、売り一色の展開となり、大引けの日経平均株価は、前日比301円安の15,183円と大幅な下げとなった。
誤注文を行なった証券会社が、某M証券だったことが明らかになったのは、大引け後、同社が記者会見で発表した午後6時のことだった。
しかし、情報の開示が速やかでなかったことだけでなく、誤発注の全容を把握した正午頃、大株主のM銀行と農林中央銀行だけに報告していたことは、市場の透明性を損なうものとして非難された。
誤注文が明らかになった時点で、証券等取引監視委員会による調査が開始され、翌日以降、ジェイコム株の取引は、一時的に停止された。
発行済み株式総数の四十数倍に当る売り注文に対して、実際に約定された枚数は96,236株。現存する株式は、14,500株。
売り方の某M証券は、7倍弱の株式の引渡しを求められ、通常の決済では不可能となり、日本証券クリアリング機構は“現金による強制決済による解け合い処理”と裁定し、既に買われた株は、誤発注の直前に寄り付きつつあった価格912千円での買い戻しとなった。
これらの一連の流れの中で、某M証券が被った損失は“400億円超”となった。
直接的な原因は、第一義に某M証券の担当者による“大量の誤発注”だ。
が、人為的なミスは起こりうることで、システムに瑕疵(入力時のチェックシステムが、人的ミスを回避するように設計されていない)があったとしか言えない。
更に、対応マニュアルが現場の担当者に理解されておらず、不幸なことに東証などの関係機関との連携が不十分だったことが、混乱に輪を掛けた。
また、某M証券は東証担当部署に連絡を取り、誤注文の取り消しを依頼したが、東証は注文の取消しは“1円61万株売りの注文”ではなく、ストップ安の価格“572千円61万株売りの注文取消し”と指定すべきと撥ねつけた。
後日、システムを点検して判明したことは、“1円61万株売りの注文を取り消し”を、東証側システムで“572千円61万株売りの取り消し”と読み替えて、受け入れるべきであり、取り消し注文について某M証券に手続きのミスがなかったことである。
東証側のシステムでは“1円61万株売り”を“有効な価格の下限で61万株売り”と読み替えするみなし処理が行なわれ、この“みなし処理”の注文を処理中は、取り消しを受け付けるシステムは存在しなかった。
株価が一定ラインになれば売り買いを自動的に行なう「システム売買」を採用しているファンドや証券会社は、この騒動において思わぬ利益が転がり込んできた。
金融担当大臣が『火事場泥棒』と揶揄し、得た利益を還元することを求めたが、法人が法人に金品を無償で譲渡できず、市場安定化基金を創設するなどの案が持ち上がっているが、未だ詳細については具体化していない。
証券会社がそのような行動に出れば、株主代表訴訟を提起されるは目に見えている。
「紙屋グループ会長の紙屋英吾氏を、秀信くんは知っているだろう?」
「はい、南紀勝浦沖でボートを浮かべて魚釣りを楽しんでいたところに、暴走した水上バイクに突っ込まれ、まきぞいで事故死した青年の父親でしょう。TVのワイドショーで取り上げられていたから、覚えています」
「そうだ、グループ全体の売上が二千億円、従業員四千人を率いるオーナー経営者だ。
その彼が、人を殺めたと河原町署に自首してきた。
君も株式市況ばかり見ていないで、インターネットのニュースを見るようにしないとね」
「紙屋氏の旧姓は、長崎だそうです。何でも、養母が勤務していた会社の営業マンで、担当していた得意先の社長に認められ、そこのひとり娘と結婚、先代社長の亡き後、紙屋グループを大きく成長させたと教えられました」
「それなら話が早い、彼の奥さんから弁護人を引き受けて欲しいと依頼があり、これから河原町署に接見に出かけるところだから、君も一緒に行こう。
これは基本的なことだから、一度、体験しておくと、後々、助かるからね」
長崎英吾54才、大学卒業後、専門商社F社に定期採用され、一年間の物流倉庫勤務を経て営業として、主に京都市内の得意先を担当。
その内の一社に紙屋商事があり、歴代の営業担当者は紙屋社長から一人娘との見合い話を持ち掛けられたが、余りのブサイクさにいずれの担当者も尻込みし、紙屋社長の思惑は成功しなかったという伝説があった。
人事異動の季節になると、営業部の内部では『紙屋商事の担当は誰になるのか?』と、噂が噂を呼び、社内に怪しげな伝聞情報が飛び交い、『どうやらあいつに決まった』という噂が流布され、名指しされた男性社員が交際中の女性社員との婚約を発表することもあったらしい。
紙屋社長から『当社の担当は、恋人の居ない優秀な独身男性』と注文を付けられていた営業担当常務は、起業意識が高く、野心満々の若手営業マンの長崎英吾に白羽の矢を立てた。
両社トップの思惑は一致し、長崎英吾は紙屋結香と結婚、京都府内に商圏を持つ“紙屋商事”の後継者の地位に就いた。
「彼って、営業事務をしていた小林志穂さんと付き合っていたのよ。社内では有名なことで、金色夜叉の男版ねって噂したのよ」
「ねえ、ねえ、お養母さん、金色夜叉って何よ?」
「秀信は知らないの?
来年の今月今夜のこの月、いや十年後の今月今夜のこの月を、きっと、きっと、僕の涙で曇らせて見せる」
「知らない、そんな陳腐なセリフ!」
「志穂さん、確か生理が来ないって、悩んでいたけど・・・・
彼が辞めると、会社に居づらくなって、彼女も辞めたから、その後、どうなったのか判らないわ。
結婚後、半年ぐらいで赤ちゃんが生まれ、F社の展示会に夫婦で来たから、興味半分で奥さんの顔を見に行ったけど、噂とは大違い!清楚でお淑やかな京美人で、“長崎は果報者だ!”と評判になり、会いもせずにブサイクだという噂を信じた男性たちは悔しがったのよ」
「この夏、その一人息子が海で事故死、夫は見も知らない男性と喧嘩して、誤って殺してしまう。
奥さん、大変だろうな?」
「ご夫婦の自慢の息子で、一浪して京大に入学したって聴いているわよ。
卒業してからは、紙屋グループに入社、何でも今年の春からは小さな会社の経営を任せられていたわ」
「お養母さん、どうして?そんなに詳しいの?」
「紙屋商事はね・・・・今では株式を上場し、年商三千億円の企業に成長しているけど、昔、経営不振に陥ったのよ。
債務超過って言うの?紙屋社長と英吾さんの二人が、F社の先代社長を訪ねて来て、社長室で土下座して救済を依頼したわ。
売掛金40億円の内、売れずに不良在庫となった商品10億円は返品、残った売掛金30億円の内15億円は値引き、F社は25億円を棒引きにしてあげたの。
それで紙屋商事は持ち直し、英吾さんが主導権を持って、廉価な商品を取り扱うショップを展開し、それが当たり、今の紙屋グループとなったのよ。でも、大恩人のF社の商品は高級品、安売りショップには似合わないから取引は激減、恩には報いていないわ」
「ひょっとして、お養母さんなの?奥さんから英吾氏の弁護を依頼されたのは」
「そうよ、観桜会にも来て貰ったし、茶会でもご一緒するから、結香さんとは親しいわ」
自首した紙屋英吾は、河原町署の取調べに対し、
「息子が死んで、ムシャクシャした気持ちを晴らそうと木屋町で呑み、通りを歩いていたら肩がぶつかり、口論となったことを覚えているが、相手の男とどのような喧嘩をしたのか覚えていない。気がつくと、相手の男が路上に倒れ、私の右手にはビール瓶が・・・・
だから私が殺したに違いないと思い、携帯電話で110番通報しました」
と、素直に供述している。
相手の男は、岩崎海上火災保険大津支店に勤務するサラリーマンで、紙屋英吾との接点は見当たらない。
高山弁護士、生駒弁護士、前田弁護士との接見においても、紙屋英吾は憔悴しきった様子で、自らの非を認め、相手の遺族への謝罪と賠償について高山弁護士に一任した。
河原町署は紙屋英吾を傷害致死容疑で地検に送致し、紙屋容疑者も検事に対して素直に供述しているため、第一回公判の予定は直ぐに決まった。
被害者男性の調査、紙屋英吾が泥酔するまで呑んだ店の特定など、公判に必要な事項の調査を中川事務所に指示し、優子と秀信の二人は容疑者の妻・結香から事情を聴くことにした。
「あの夜、英吾氏は何時頃、自宅を出られたのでしょうか?」
通子が秀信に教えたとおり、紙屋結香は五十才を越えた今も、往時の美しさを保つ婦人だ。
「主人は・・・・確か午前0時頃まで家に居りました。急に用事を思い出したのか、タクシーを呼び、どこかに出かけました」
「そうですか・・・・木屋町辺りに、行きつけのお店があるのでしょうか?」
「いいえ、主人は接待以外では、お酒を呑みません」
「英吾氏には、奥さまの他に女性が居るのでは?」
「私と逢う前には、結婚を約束した方が居ると、主人から聞いています。
結婚してからは、仕事一筋、それに息子の成大を可愛がり、外に女を作るなんて」
「息子さんの事故について、少しお話をお伺いしたいのですが」
「大学時代の友人七人が集まり、南紀・勝浦の別荘に出かけ、そこで事故に遭いました。うちの息子ともう一人・・・・確か、愛宕英吉さんと言われる男性が亡くなりました。他の五人が軽症で済んだのに、何故、うちの息子が・・・・と恨みましたが、これも定めでしょうね。
私が主人を略奪したから、罰が当ったのだと諦めています」
「加害者との示談はどうなっておられますか?」
「そのようなことは、すべて会社の顧問弁護士さんに一任しています。
主人も、私も、そのような場に出ると、感情的になるのが判っていますから、事務的にお話し合いを進めていただくため、弁護士さんに任せています」
「英吾氏の弁護人も、その方に依頼するのが?」
「いいえ、民事専門の弁護士さんと聞いています。通子さんから、常々、高山先生の評判をお聴きしていましたから」
疎水分流近くの京大グランドのスタンドに腰を掛け、
「不思議だな・・・・自宅を出たのが午前0時、ここから木屋町までタクシーで20分、事件が起こったのが午前1時。
英吾氏の供述では泥酔状態で、前後の記憶が途切れている・・・・って、30分程度で前後不覚になるまで呑めるか?」
と、秀信は“斗酒なお辞さず”の優子に問いかけた。
「アブサンか、ウォッカをカブ呑みすれば・・・・でも、通常は急性アルコール中毒になりますわ」
「そうだろう・・・・河原町署は、血液検査をしていないから、事件当夜の血中濃度は判らないが、現場に駆けつけた警官の証言だと、英吾氏は酒臭く、呂律が回らない状態で、とりあえず留置場に入れたそうだ」
「被害者の勤務先に行ってみましょう。被害者がどのような人物だったか、それを確認しないことには、弁護方針も立てられませんわ」
「事故死した愛宕という青年、彼の方の調べは未だのようだから、中川さんに連絡しておくよ」
「善は急げ、これから大津まで出かけましょう」
優子と秀信の二人は、市バスに乗車、京阪三条で地下鉄に乗り、御陵駅から京阪・京津線に乗り換え、浜大津で下車。
岩崎海上火災・大津支店は、岩崎地所が所有するテナントビルの5階にあり、被害者男性・塩谷達郎は損害査定部門に所属していた。
被害者・塩谷達郎の上司だったという男性が現われ、「不思議なこともあるんですね」と、加害者・紙屋英吾との関係を教えてくれた。
「この夏、南紀勝浦沖での事故、あの加害者が私どもの契約者でした。いつもは琵琶湖で水上バイクを乗っていたのが、騒音の苦情が多くなり、琵琶湖ではスピード規制が厳しくなり、契約者は南紀勝浦まで遠出したようです。そこで、あのような大事故を起こし、その被害者や遺族との示談交渉に当っていたのが塩谷くんでした。
紙屋氏との直接交渉はなく、すべて先方の会社の顧問弁護士との間で話し合いが持たれ、三カ月前の示談が成立しています」
示談書には、死亡弔慰金として三億円、葬儀・遺体搬送などの費用として二千万円、遺族代表として紙屋英吾が自筆で署名押印している。
「重ねてお伺いしますが、塩谷さんと紙屋さんは面識がなかったのですね?」
「はい、塩谷は弁護士だけとの話し合いなので、愁嘆場を避けられ、楽な交渉だったと報告しています・・・・・が、・・・・・ただ・・・・・
もう一人の遺族との話し合いが難しく・・・・このところ、遺族と毎日のように話し合いに出かけていました」
「その遺族とは・・・・」
「新聞やTVでは、紙屋英吾さんの息子の死亡ばかり取り上げられていましたが、もうひとり青年が亡くなっています。
たしか、愛宕英吉、母ひとり、子ひとりで、母親の志穂さんは何回もこの支店に来ては、塩谷と言い争っていました」
「母親の志穂さんは、木屋町でお店を開いていませんか?」
「良くご存知で・・・・書類によると、木屋町でスナックを営んでいます」
「お養母さんは、小林志穂さんという女性と親しかったの?」
「何よ!いきなり・・・・親しいというほどでもなかったわ。実直な性格で、コツコツと仕事をするタイプで、男性社員からは“おしん、おしん”って呼ばれていたの。でも、佐貫さんは嫌っていたわね。何でも、ドンくさいという理由で」
「小林志穂さんも、佐貫氏が面接して採用したのでしょう?」
「佐貫さんは東京地区の採用担当だったから、大阪本社の採用には関与していなかったから、佐貫さんの不在の時に採用試験を実施したのよ。佐貫さんの部下の女性ふたりが結婚退職することになり、人事部長の本居さんが新人二人を人事部に配置したの。
その内にひとりが小林志穂さん、志穂さんは一生懸命に頑張り、上司の期待に応えようとしたわ。
どうも、その頑張りが佐貫さんの勘に触ったようね。相性が合わないというか、佐貫さんはもうひとりの新人女性、この子は短大出身だけど、この女性ばかりに仕事をさせたの。
田名家洵子さんという女性だったけど・・・・そうね、恭子さんに負けないぐらいの能筆家よ。洵子さんからは、毎年、年賀状を貰っているから、あなたに見せてあげる」
ゴソゴソと年賀状の束を取り出し、その中の一枚を取り出した。
「彼女は小林志穂さんと親しかったはずだから、電話で小林さんの近況を聴いてあげるわ」
「ねえ、ねえ、おしんって、どういう意味なの?」
「恭子さんなら知っているはずよ。あなたたちは、教師と生徒の関係でしょう」
数日後、通子と秀信は、ネオンが煌く木屋町の通りを歩いていた。
「確か、この辺りだったけど・・・・」
「この建物の三階に“楡”があるけど・・・・ここじゃないの?」
「入って見れば判るよ」
十五大明神近くのスナックやバーが入居している建物で、外壁に取り付けられた螺旋階段を上がり、二人は“楡”の扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
縦に細長い店で、カウンター席のみでテーブル席はない。その数は、ひい、ふう、みい・・・・やっつ。
先客が三人ほど座り、カウンター内の中年女性と談笑している。
ほの暗い紅い灯りの中、通子には馴染みのある顔ばかりだった。
「こんばんは、志穂さんでしょう!懐かしいわ」
ツカツカと店の中に入った通子は、カウンター内の女性に声を掛けた。
幼かった秀信の思い出の中に居る通子と、二十数年経った現在の通子の容姿は、さほど変わっていなくて、往時の美貌とスタイルを維持している。
それはカウンター内の志穂だけでなく、三人の男性客も同じ思いだったようだ。社長秘書として社内を闊歩していた通子が、過去からワープしてきたと錯覚した。
「ワァー、生駒さん!」
志穂だけでなく、三人の中年男性も声を上げた。
昔馴染みだと、数十年の隔たりは関係なく、当時の仲に戻れるようだ。
往時の純情さを失った中年男性は、通子が離婚して独身だと打ち明けると、アケスケに卑猥なことを話題にする。
「この男性は、通子さんの若いツバメ?」
「それにして、ブサイクだな。あっちが凄いのかな?」
一人の男性が、「アレッ、五年ほど前、週刊○話に載っていた女教師と教え子の結婚、あれは確か通子さんの子供だったよね?」と、旧聞を思い出した。
「あの男の子が、君なの?」
話が弾み、盛り上がった数時間後、三人の中年男性は店を辞し、店内には通子、秀信と志穂の三人だけとなった。
「志穂さん、今夜は懐かしいだけで訪ねたのではないの。この子が、紙屋英吾さんの弁護人となったのよ。
だから教えて欲しいの」
「ふーん、長崎のことなんか、何も知らないわ」
「英吾さん、この店には顔を出さなかったの?」
「一度も来たことはないわ。来られるはずがないでしょう。その理由は、通子さんも知っているでしょう」
「そうね・・・・あの時、貴女のお腹の中には、英吾さんの子供が・・・・」
「そんな話なら、話すことは何ひとつないわ。もう、帰って頂戴!」
「後、ひとつだけ・・・・この夏、亡くなった英吉さんは、英吾さんの子供なのね?」
通子の言葉に返事することなく、
「もう、帰って頂戴!勘定は要らないから」
と、通子と秀信に背を向け、それ以降、口を開こうとしなかった。
これ以上は無理だと判断した通子は、数枚の一万円札を取り出し、そっと灰皿の下に置いた。
「ご馳走様、志保さん、今度は洵子さんと一緒に来させてもらうわ」
「どうだった?志穂さんと会った感触は」
四条大橋を渡りながら、通子は秀信に問いかけた。
「十中八九、志穂さんは紙屋氏と会っている。ひょっとして、紙屋氏は志穂さんを庇って、自分がやったと供述しているのかも」
「何の因果かねえ・・・・実の息子を同じ事故で失うなんて・・・・世の中、皮肉よね」
「ねえ、ねえ、お養母さん、志穂さんが自ら犯人ですと名乗り出たほうが良いのか、それとも紙屋氏がこのまま志穂さんの身代わりのままが良いのか、どちらがあの二人にとって幸せなのかな?」
「難しいわね・・・・恭子さんなら、スパッと一刀両断に決めるわよ。
判断を仰いで見れば」
「そうだね、閻魔大王より怖い恭子先生なら、的確な判断をしてくれる」
観世音菩薩のように衆生を救い上げる雰囲気を持っているが、恭子の本質は“一殺多生”。厳しい刑罰を与えられるから、犯罪を起こそうとする気持ちを留まらせる。
苦楽を共にしてきた糟糠の家臣たちが立身出世し、大坂や京都の屋敷を構えたが、苦労を知らない若者たちは夜な夜な街に繰り出し、良民たちを辻斬りで殺めた。
この事実を知った寧子は、不在中の夫・秀吉に代わって、家臣大名の子弟たちの捕縛を命じ、辻斬り行為が明らかになった者たちを死罪に処している。跡取り息子を死罪に処せられた家臣は、息子の死を嘆いたが、誰ひとりとして寧子の処置を恨んだ者は居なかったという。
相談を受けた鳴海恭子が、愛宕(旧姓:小林)志穂とどのような話し合いを持ったかは不明だが、結局、この裁判において、被告側証人として法廷に立った愛宕志穂は、自らの犯行を供述し、紙屋被告の無罪を訴えた。
岩崎海上火災保険の社員・塩谷達郎を殺害するに至った理由を、
「紙屋英吾の息子・成大への賠償金は三億円、同じ紙屋英吾の息子なのに自分の息子・英吉への賠償金は三千万円、お金が欲しくて示談に応じなかったのに、塩谷はそれを理解しようとせず、激しい言い争いになった。狭い店内でもみ合う内に、何かの拍子に塩谷が倒れ、後頭部を角にぶつけたようで、それっきり立ち上がらなくなった。
途方に暮れている時、紙屋英吾が店に入って来た。
一目で状況を把握した紙屋は、“俺がやったことにする”、と言い、ぐったりした塩谷の身体を担ぎ、外に連れ出した」
と、愛宕志穂は証言した。
検察の論告求刑が行なわれる前に、裁判長は検察に対して「訴追理由の変更」を命じた。
罪状から「傷害致死」を外し、「犯人隠避」を加えるようにとの異例の出来事だった。
判決は、禁固六カ月、執行猶予三年。
拘置所を出てきた紙屋英吾は、妻の結香を伴い、高山弁護士事務所を訪れて、愛宕志穂の弁護人に就くことを高山長近に要請してきた。
「信ちゃん、店番しながら勉強しているの?」
隣家の化粧品屋・富永の養女・和代が、帳場の机で勉強している結城信繁に声を掛けてきた。
化粧品屋を営んでいる富永夫婦には子供が授からず、兄夫婦の次女・和代を養女に迎えていた。
兄夫婦は四軒ほど離れたところで雑貨商を営み、和代は幼い頃から伯父夫婦の家に入り浸りだったから、正式に養女になっても特別な感情は湧かない。
周囲の家々の住民も、さほど違和感を持たず、普段と変ることなく富永夫婦と和代に接していた。
信繁の父親は電気工事が本業ながら、工事用に仕入れた部材を小売していたから、日曜日、祝日以外は店を開けている。
夏休みや春休みは、信繁が店番をすることが多く、帳場で勉強するのが常のことだった。
祇園祭が過ぎた七月下旬、午後四時ぐらいまでは蝉の声しか聞えなくなり、アスファルト舗装が溶けそうな暑さの中、宿場町の街道は犬猫さえ歩かない静かさだ。
「ハイ、差し入れよ」
一つ年上の和代は、お姉さんぶってアイスクリームを差し出した。
化粧品だけでは売上が足らず、店先に冷凍ボックスを置いて、アイスクリームや氷菓子を販売している。そこから和代は、養母に黙って持ち出した。
和代は植埜商業高校の二年生、信繁は植埜高校の一年生。
幼い頃から和代は信繁を遊びに誘い、弟のように可愛がったが、高校に通うになってからは朝夕の挨拶ぐらいしか言葉を交わさない。
そんな和代が、何を思ったのか、店番をしている信繁を訪ねてきた。
「オバちゃんは出かけているの?」
「お母ちゃんは市民病院に見舞いに行っている」
「誰が入院しているの?」
「乳屋のおっちゃんが、七月の初めから入院しているらしい」
産後の肥立ちが悪く、母乳の出が少なかった信繁の母・幾代のため、懇意にしていた牛乳屋が特別に乳を融通してくれ、「お前の命の恩人だ」と、信繁は両親から聞かされていた。
敗戦後、農村地区においても食料が不足した時期、十数頭の乳牛を飼育して、数百世帯に牛乳を届けていた。貴重な牛乳を信繁のために、余分に配達してくれたそうだ。
「そしたら誰も居ないの?」
「うん、お母ちゃんが夕方に帰ってくるまで、俺が一人で留守番」
何を思ったのか、和代は通りに出て、左右を確認して、再び戻って来た。
「信ちゃん」
ちょっと湿った声で、和代は信繁の右掌を握り、自らの左胸に当てた。
「どう?柔らかい?」
夏のブラウスの生地は薄く、信繁の掌に和代のドキッ、ドキッという鼓動が伝わる。
「うん、和代ちゃんのおっぱいは柔らかい」
「今夜、部屋に遊びに来る?」
裏の離れが和代の部屋で、小学生の頃は良く出入りしていた。
和世の胸が白桃のように膨らみ始めた小学校六年生の頃から、彼女は信繁にだけ膨らみを見せ、掌で触らすことにためらいがなかった。