2001. 6.30
日本国(標高555m)
日本国:堀切峠を新潟側に抜けた所から見る |
登山日 :平成13年6月24日(日) 天 候 :晴れ
同じ名前の山は意外に多いものだが、「日本国」と呼ばれる山名は、
おそらく国内の山でここだけではないだろうか...。
山形県と新潟県の県境に位置した山で、地元(山形側)では石鉢山と呼んでいるようだ。
山頂には山名の由来を記した看板があった。(そっくり引用↓)
「日本国」山名の起りは、諸説ありて定かでない。 人皇第三十二代崇峻天皇は在位五年にして、
時の権力者蘇我氏のために暗殺される。その第一皇子、蜂子皇子はその時御年五歳である。
聖徳太子は皇子の身の上に魔の手の延びるを案じて、皇子を都より落しめた。さすらいの身となった皇子は、越の国の最はてに来て大いに産業を興し五十三歳で出羽国羽黒山で没した。
皇子は晩年この高山に登りて、故郷飛鳥のある末申の方位を指差して
「これより彼方は日本国(やまとのくに)」と仰せられた。これが「日本国」の始まりとも言う。
皇子なきあと、大和朝廷は大化の改新を行い、蝦夷地平定大業を進め、越の国の要害の地に柵を設けた。その渟足柵、磐舟柵、そして幻の柵と言われる都岐沙羅柵は、日本国と一致するとの学説もある。
又、江戸後期、遠藤太郎次なる若者がこの山の頂で見事な鷹を捕らえ、
徳川十代将軍家治に献上せしところ、将軍は「これは天下無双の鷹なるを持って、
捕らえた山を「日本国」と名付けよ」と賞したという言い伝えもある。
まさに名峰「日本国」は、千古の謎を秘めし山である。−山北町−
山北町は新潟県である。登山道も山頂の物見櫓、テーブル、ベンチ、避難小屋も
新潟県側の方が行き届いているが、山形側は.....。
堀切峠から中ノ俣林道に入り、 林道終点が登山口となっている。 杉林の中を奥へと進む。 |
|
画像ではわかりにくいが、 道幅が狭く細かいクネクネの急坂が続く。 30分程で主尾根に出て一息付けたが、 この先も頂上まで急坂が続いた。 |
|
登山口から1時間ほどで頂上到着。 頂上にいた人に聞いたら 普通は新潟側から登るんだそうです。 ......。 ←物見櫓から見た山頂の様子。 |
/ HOME / 山形県の山 / what's new / LINK / mail / BBS /
Copyright(C) Norichin