2017年秋の日記
2017.9〜11

冬の日記へ続く

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1130
   夜中から雨、でもこれからも山道でどうせ空が白むまでは出発しないつもりだったから余裕に、でも東屋の目の前は漁港で朝が早い漁師さんたちが作業に来たから起床と身支度はいつも通りに、駅舎に移ってコーヒーを沸かす。  始発列車が来たけど乗ったのは1人、次の便も1人、空が白んでちょうど雨も止み出発、ここにも古道の峠越えの入り口があって入ってみよっかとも考えたけど、言ってしまえば登山道、生活の匂いがする国道の方が今回の歩きには向いている、何で惹かれるかっていえば行き倒れも多かったという厳しさ険しさ、歩くなら全部じゃないと自分には、そんな準備と覚悟でまた来てみたい。 ほんとどこまでも山から山、神の降臨とか落ち武者とか、分かるなあ、子供の頃、おの辺りにはまだ狼の生き残りがいるとかツチノコがいるとか信じられてたけどそれも分かる、男性1人をリーダーに4人組のご年輩登山姿グループが居て、何年もかけて少しずつ古道を歩ききるつもりだと、で、こはやはり起伏が凄いと、他に歩いてる人は全く会わなくて猿はやっぱりいたらしい、熊はいないと、私は群馬でこの人は山形だから熊はわかるから、糞もないしと女性、カッコいいなあ、会う人会う人、活きてきた時代も風景も環境も、国道を先へ先へと進む自分は高度成長期の都会育ち、若い人はそれが良いわよ?、と見送られて皆さんは山の中へ。  次の集落への分岐でプーッと後ろから軽トラにクラクションを鳴らされて、乗ってけと言われたら困るなと、窓を開けたおっちゃんは、ずっと先まで行くんか?なら左はアカン、通行禁止や、土砂崩れで通れない、左行ったらまた戻ってこなきゃいかんぞ、右いけ右、と教えてくれてUターンでひきかえしていく。 左に行くつもりだったからありがたかったと思えばちゃんとこの先全面通行禁止の立て看板も、ありがたくて可笑しくて、ここの人たちの強烈な真っ直ぐさ、人も風景も真っ直ぐで優しくて沁みてくる。 次の町には広い海水浴場に降りて朝食、背後から子猫が寄ってきて、振り返ると仙人みたいな人がしゃがんでタバコを吸っている。 猫はこの人が面倒見ているようで、少し離れた防波堤脇で流木を焚いて炊事を始めると猫たちもそっちへ、クーラーボックスを持って海に水汲みに行く姿とかすごく絵になって何者だろうと、防波堤裏の猫が溜まっていた茂みを覗いたらブルーシートで小屋、ホームレスじゃない、都会のホームレスなら何となく行き着いた過程を想像できるけど世捨て人の風格、どうここに行き着いたのか話をしてみたいけど自分の半端すぎで声を掛けられない。 高い所から次の集落を見下ろす峠の茶屋が珍しくあってちょうど開店時間、若い店主さんは移住者らしく共通の知り合いもいて話が弾み、地元の御年輩夫婦もいて仙人みたいな人の話しをすれば、やはり訳あって山の村から出てきたらしい世捨て人、浜の掃除とか魚獲りの上手さとか、やっぱり仙人みたいな人らしい。 いやいや、放浪に出たいとやってきた自分、紀伊半島の山に入って修験の道をとか理屈付けてたけど、修験とか巡礼とかに興味は惹かれるけど足は向かないし、放浪も失踪もその気なし、ただ退屈してたんだなあと、今回の徒歩野宿も2週間になって日々時々の充実感、この日常を続ければ良いだけだ、踊りたくなってきた。 熊野市からは古道も浜街道と呼ばれる海岸線を真っ直ぐに進む道、昔の巡礼の旅人たちは峠をいくつも越えて安堵と開放を覚えたろうけど、どこまでも深い山々を振り返ってなんか悔しさが浮かんでくる。 浜街道では川越えを人夫に託さず自ら渡って高波にさらわれる者も多かったと案内看板にあり、さらにたった一文を節約して命をみたいに続き、いや、違うわ、お伊勢参りから更に急峻な峠をいくつも越えて熊野詣へと、次々に自らを試してみたくなるさ、今の時勢ならそうとられるのも仕方がないけどこの案内看板いつまでもここに立ってるんだよね、うかばれないな、自分も次々に試していきたい

1129  海沿いローカル国道
   痒い!耳元でブーンってこの季節に、侵入を防いで寝袋の入り口を塞ぐと今度は暑い、黒潮の温暖なのか気候変動か、防寒具を脱いで寝袋に潜っても暑くて息苦しくて、夏場なら免疫できているのにこの季節、午前3時過ぎには諦めて公園下のコンビニカフェに退避、ホッと。 尾鷲から海岸沿いの町や集落を巡る国道311号線を歩く一日、車は地元の軽トラやバスが走るくらいだけど道はしっかり中央線がある広さで整備されて、所々に旧道跡が見られれば以前の狭くてぐねぐねな国道の姿、脇道のように残っているところはアスファルトも割れて草が茂って枯れた枝葉がつもってほぼ自然に還りかけていて、投棄された車や大型家電も自然の生命力に錆び朽ちていくよう、生命の循環とかそんなことも考えさせられる。 集落や町のたびに国道を離れて立ち寄ればどこの人も風景も当たり前に魅力が濃くて、ご年輩ばかりだけど会う人ごとに話しかければ大らかな受け応え、自己丸出しなのに気遣いがあって、駆け引きを感じない抱擁と逞しさですごく話しやすい。 うちのばあさんたちもそうだった、広島の山ん中と鳥取砂丘の脇に住んでいて里帰りの孫を子供扱いに迎えてくれて、年寄りになれば当たり前にそんな感じになれるもんだと思っていたけどそうじゃないのは時勢を眺めれば、活きてきた時代とか風景とか環境とか、ここでは海と山に閉ざされた小さな集落を狭い路地や階段で繋いで寄り添い活きて、海を拓いて山を拓いて活きてきた人たち、皆さんは都市でも活きられるんだろうか、若い人たちは街に出たのかなあ。 熊野古道はそんな集落を結ぶように急峻な峠を越える道が続いていて、かなり厳しそうで入ってみたいような覚悟ができていないような、国道歩きも海路と峠越えしかなかった人たちの願い想いが詰まった感が伝わってきて興味深く、開通した時にはすごい歓喜だったんだろうなあと、そんな時代も経験したかったように思える。 Tシャツ1枚で歩ける暑さで、淡い枯れ草色の海岸に出るたびに海水浴にでも来たような錯覚、国道は尾鷲市から熊野市への境でガラッと雰囲気が変わって昔ながらに狭さになり車もほぼ走らなく、深い山道が舗装されただけみたいで猿の群れやら日中なのに獣ばかり、集落もなくやがて日暮れて、ようやく着いた小さな集落で熊野までを聞くと、歩きか?朝までかかるぞ、と言われ諦めて、対岸に見えたもう少し大きな町まで向かって二木里という漁師町、ここも海からすぐ山で細長く平地いっぱいを家屋が占めて、寝床はありそうかと案内板の地図を見たら、あった、駅、ちょうど古道の峠と峠の間の立派な東屋と公衆便所も、まだこのあとも獣だらけだろうから安堵、今日もたっぷり揺れたし迷ったし後ろ髪引かれたし、それだけ選択肢に溢れていた一日に感謝

 1127
   夜中の風で雲が吹き去り冷たく星空が瞬く目覚め、空より少し影が濃い山並みの麓には道に沿って街灯が星空を遮らないほどに照って、波がなく黒光りした海には漁船が白くぼーっと浮かんで並んで幻想的、ここの日中も見てみたいなと思いつつ、車がまだ流れなく民家の明かりも灯らない日の出前のこの時間が贅沢。 少しずつ車も家明かりも増えてくると左手の山向こうが青く色を付けてきて、そして日陰の色合いの朝になりやがて日が差して彩が増して今日も始まり、起きてから3時間の朝迎えなかなか。  山とトンネルと海と、相変わらず複雑な海岸線を縫っていく起伏のある道、浦の集落もきになるけど大回りでキリがなく我慢、こんな時は自転車旅とか羨ましく、でもねえ。 海岸線が遠くなって国道はバイパス山の中を土盛りと陸橋とトンネルで結ぶ直線みたいな道になって旧道に、分かりずらい分岐で焼酎呑んでたおっちゃんらが居てこの先を聞けば、バイパス出来てから行ってないからわからないと、トンネルにフェンスが張られたけど歩きなら  すでに午後3時を過ぎて旧い峠道の夜歩きになるかも、とバイパスを考えたけど ええ道やでえ…“ しみじみ懐かしむように出た言葉が刺さって 行ってきます!入り口には通行不可の看板も立てられていた峠越えの旧道は、山に合わせて急斜面の肌をぐねぐねに削って造られた道、以前の山の国道ってどこもそうだったなぁと懐かしい、両脇から樹々が枝を広げて覆い、壁際もコンクリを突き抜いて若い樹々、小さな沢が路面を流れれて侵食を始めているし、バキバキと斜面を逃げて行く獣たち、30センチものミミズ、車や人がほとんど通らなくなった道は少しずつ自然に戻って自然の生命力に満ちてきている。 40分ほどで峠に到着、車のすれ違いも無理な幅のトンネルは昭和終わりにはまだ使われていたはず、入り口には言われた通りフェンスが立てられていたけど脇の隙間から簡単に入れて、100mほどの狭い真っ暗なトンネルを喜び抜ける、なのに反対側は全体がフェンスで閉じられて出られない、先の道は轍の跡もなく放置されている感じで、マジか、もう日暮れ前で急いで引き返す、けど悪い気はしないなあ ええ道やでえとホントにええ道だった。 ちょうど日暮れてバイパスに合流、山深い地に居る事を実感しない歩き道は山の低いところに横穴を抜いて緩い傾斜とカーブと広い歩道、夜の峠越えでもリスクなく、車の流れも街灯もなくて暗闇の深い山々に半月に照らされた広い道だけが青白く浮かび上がって夢物語みたいだ。 一度海沿いの街に降りてからまたバイパスの造りの山の道へ、更に車は少なく歩道もなくなって、獣は更に多くなり威嚇してくるのもいるけどこっちも声上げて、自然の生命力と人間の生命力、バイパスのおかげでこんな旅は楽になった、けど後退したことも多々あるなぁと

 1126日 自己問答
   身支度していると朝を告げるサイレン、午前5時、海と生きる町の日常なんだねえ。 10日目の歩き、今日も複雑な海岸線に近づいたり離れたりしながら丘を登って降りて一歩一歩ごとの風景の連続、時々何でここを歩いてるんだろうと、放浪願望を叶える理屈付けに選んだ紀伊半島行脚、夜行バスに乗り遅れて地元からの出発になってからは目指せ紀伊半島の目的意識、でも元々大まかな計画しかしていなかったのに、その計画もバスに乗れずで白紙になって、まだ改めた大まかな地図が浮かんでいないままの徒歩野宿、目的だった放浪が始まったんだなあと風景を眺め、それで何で放浪に出たくなったんだっけと自己問答度々、まだまだ始まったばかりだ。  持ってきた玄米がなくなって2キロを購入2キロの重み、ちょうど唐辛子漬けもマヨネーズもなくなって生活の一区切り、小さなオリーブ油を買いこれからは目玉焼きや簡単な炒め物も愉しめる、日本らしい便利でレトルトばかりの食生活もそろそろ考えないと、充分道草のつもりだけどもっとゆっくり歩いていいかも。 日の出頃には晴れていた空が徐々に雲で覆われて日暮れ前に小雨、南勢の玄関口に当たる南伊勢町のスーパーのベンチで空模様を眺め、あとは寝床を探すだけでいいかと一杯やってるとベトナムからの研修生らしい20歳の女の子4人が隣りに、リンゴを珍しいのか各々で写メ撮りって、お菓子食べてキャーキャーと、研修先関係のおっちゃんらに声掛けられてたどたどしく受け応えし、逞しいよね、スーパーを訪れる人に若者はいないし、町にこの世代はいるんだろうか、ショートパンツやミニスカートで華やかな色使いの服装、キャーキャーとはしゃぐ姿、町の人も気になるだろうね。 旅人に声掛けてくる人も度々、何日かかって?1日何キロ?何処まで?年は?仕事は?1ヶ月休みを伝えるとこの時勢に良い職場ですねえと、私もやってみたいけどと答えるのはご年輩ばかり、何とか若いうちにこんなことが出来る時勢になって欲しいもんだ。 南伊勢町を出れば国道には街灯もなくなって暗闇に、丘一つ越えると入り江に出て、漁港に漁師さんの作業場なのか広い屋根と灯り付きの敷地があって寝床にさせてもらう、放浪になってきた


1125日 おかげ参り
  参拝が可能になるのは午前5時から、昨夜の鳥居前での参拝だけでも満足していたけど一晩眠ってやっぱり内宮へ、日の出にはまだまだで星空瞬く暗い参道にジャリジャリと足音を立てる参拝者は数名、おかげ参り、どんな神様が居るとかよりも自身の内っ側を想い起こしてみる機会、寺社仏閣に日の出に日暮れ、手を合わせて自身の内側をさらけてみようと思わされる機会はそう滅多にあるもんじゃない、これまでの縁にもこれからの縁にもおかげ様、夜行バスに乗れなくて善かったというか予めそう決められてた旅だったんだな、身体も意気込みも生活も準備がないうちから山の道ならどうなってたかな、それはそれでだろうけれど、お伊勢さんからにしなさいと仕向けられたような、旅の行方がしっくりした気がする。 参道に戻ると名物の餡ころ餅屋さんはもう営業していてフラフラと吸い込まれる、名物屋に入ることは滅多にないけどこの時間から参拝者を迎えているのはこの一軒だけ、さすが町中から駅から国道からをここの看板一色にするだけのことはあるなと大感心、と思えば先にもう一軒だけ何と屋台で目玉焼きを作ってサンドイッチを売ってる店、意外すぎて朝の挨拶だけで通り過ぎたけど活力をたっぷりいただいた日の出前。 お伊勢参りから鳥羽まで一気、そして複雑な海岸線に沿ってアップダウンを繰り返す観光用の色合いがある道を約30キロ、日暮れ前に抜けなきゃとこれまた一気に歩き続ける。 海女さんと牡蠣と真珠の海岸線は、道沿いに丘の上にも入江にも大きな牡蠣小屋や食堂が並んで旬の週末は大繁盛、車でバイクで、家族で仲間でカップルで、どこも大勢が炭火を囲んでもくもくと煙を上げていて、横目でそんな風景を見ながら黙々と先へ先へ、どっちも健康的。 夕暮れちょうどに街灯が1つもなかった山道を抜け志摩スペイン村が見えて万歳、20キロを休みなく歩ける足が戻って、唯一あったコンビニで持ち歩くウヰスキーをレモンソーダで割って乾杯、年齢確認ボタンが出来てから何処でも何時でも安易に買え過ぎていた酒に変化が生まれたのもおかげ様、周りには相変わらず街は見えず、冷たい空気にグッと流し込む最高。 快い酔い加減でまた数キロ、町からはまだ外れた道脇の高台に東屋がある小さな公園を見つけて寝床へ、紀伊半島行脚の初日はまず

1124
  野宿の目覚めは何の体内時計だかだいたい午前4時過ぎで今日も暗いうちに、突風はないけどやっぱり風が強い土地柄らしく空気はあるんだなと抵抗を感じながら半島の突端を目指す、30キロ、伊良湖岬へと足腰繋がって数度の休みで昼過ぎに到着、ようやく紀伊半島が目の前になって、でも実感も湧かず余韻にも浸れないうちにちょうどフェリーが出航間近で慌しく乗船、離れていく来た道に物思いをとの試みも、出航に合わせて漁港から飛び出して来た一艘の小さな漁船が波に跳ね上がりながら全速で追い掛けてきてピッタリと後を付いてくる、強風で白波が立つ海の波除けにしてるみたいだけど、船名が書かれていないし越境してどこまでも付いてくる強者、自分に酔ってる場合じゃないね。 鳥羽の港に着けばやっぱり異世界で、これまでが江戸から東京に続く現在進行形の歴史の重ねとすれば、こっちはグッと歴史が重みが増し、近代風に造り替えられたような町並みにもにも歴史の積み重ねが見えて、どう歩いていいのか戸惑い、取り敢えずは伊勢神宮へと普段は好んで歩かない国道バイパスに入り、惹かれる見処もまた戻ってくる道と一直線に、お伊勢さんには午後8時過ぎに到着する。 まずはおかげ参りからと思ったんだけど夜間参拝は出来ず、参道に江戸時代のお伊勢詣りを再現しようとしたテーマパークのような横丁があり調理と食事、今後の歩き方をあれこれ夢想していると警備員さんがやってきたけど、おかげ参りで川崎から歩いて来たのに夜で参拝出来なかったことを告げると何となく大目に、歩き旅のおかげ様、江戸時代には乱痴気な風景だったんだろうね、時世。 寝床は参道入り口の公衆便所がベンチと溜まり場付きだったから移動、明日は午後5時から参拝可能らしい、おかげ参り

 

1123
   海の家のようにトタンのところもある屋根がバチバチザーザーと叩かれて朝方も雨、車中泊と思われる旅の車もたくさん停まっていて、町中じゃないから雨の様子をゆっくり待たせてもらえる道の駅は旅の駅、キャベツを搬入しにきた農家の親父さんに天気を尋ねれば 午前中はダメだな 午後は晴れると言われ、身支度整えて天気の回復を待つ。 タブレットを持ち込んでも毎度地図と天気予報は調べない、一緒に空模様を眺めながら地元人の天気を聞いて、方角を見つめ浮かべながら身ぶり手ぶりで教えてくれる地図を想像し、実際に歩いてその風景が見えた時の安堵、調べた事もあるけど呆気過ぎて旅が抜けたんだよねえ。 雨が弱まり出発、東海道を離れて突端の岬から紀伊半島へのフェリーが出ている渥美半島へ、大きな潮流から外れた半島はどこも流れを内で渦巻かせて溜まりを生んでいて時間も風景も人当たりも独自な魅力、一面キャベツ畑だけど風に流されて養豚やネギの香り、何だか滋養たっぷりな元気をもらえそうだ。 天気は強風突風とともに一気に快晴へ、でも身体を斜に風上に傾けて足腰踏ん張っても何度も流されるほどで、風景一帯がビュービューと鳴らして、耳もボーボーと鳴り続けて背後からの車に気づかない事も、歩道のないところではかなりの集中力、風力発電が並んでプロペラが勢いよく回っているから元々風が強いんだと思うけど、地元のおっちゃんも 今日は強いと言うからやっぱりだろう。 半島唯一の街、田原に午後3時に到着したけど、風は益々強くなってもう集中力も消耗し、これから海沿いへの夜歩きはリスクもと言い訳を呑み込んで、この旅で初めて陽があるうちの乾杯にする事にした。  地図に見つけた道の駅でを風除けの寝床にもと思ったのに改装工事中、こんなもんだねえ、もう先に進む気はなくて、近くの公園で風を豪快に受けながら夕日を眺めて乾杯、犬の散歩の人達が肩をすくめて早々帰るのにサッカー少年が独り自主練をしていて、親御さんが呼びにきても無視して風に流されるボールに夢中、 愉しいかい?と声掛ければ 愉しい!祭りだ、確かにそこまで冷たくないから若いカップルさんもあちこちで結構楽しそうに風を受けている。 駅舎は市の交流館のようになっていて学生さんや持て余すおっちゃんら、歩いてない余力でこんな町歩きも好いんだなあ、描いたシナリオ通りにならないもっとドラマな日々に感謝、住宅街の川沿いの東屋に、突風を受けながら食事と寝床の快適

1122日 見附宿から浜名湖へ
   午前4時半頃の起床で、朝一番を大切に活きようと身支度に洗濯に荷造りを終えて、コーヒー沸かして旧見附学校前をのんびり過ごすけどやっぱり焦れったい、まだ夜だしなあ。 足裏のマメが快復してきて歩きが戻り、浜松まで13キロ少々を余力をもたせたまま一気に、初日の午後からマメできてたからやっと足裏から頭のてっぺんまで繋がって、オレ体力落ちたんだろうかと思っていたのにも安堵、紀伊半島が間近になっていろんな準備が整ってきた。 水と食材が切れていて駅中でモーニング、再び出掛けると外は傘をさした人たち、雨、観光案内所で聞けば明日午前中までの予報と、なかなか与えてくれるねえ。 雨具を着てバックパック内の着物をビニール袋に納めて対策、出るか留まるかちょっと考えたけど、駅中の本屋とかぶらつくうちにあっという間に持て余して出発、雨は上がっていて時折ポツポツ当たるくらいで、ここ数日同様に旧東海道沿いを浜名湖方面へ、今日も夕暮れがやってきて、雨降り対策の寝床には新居関所の案内板で「道の駅」を見つけて一安心、スーパーで一服していると強い風が吹いて、そして案の定パラパラと降ってきた。 旅に初めて携帯する折り畳み傘が威力発揮、あまり濡れることなく海岸沿いのバイパス脇にある「道の駅」に飛び込めば、待ってたかのように強い雨風、危なかったなあ、必然的な偶然で毎日がドラマティックに次々演出される。 海遊びの人も多く利用するらしく、屋根下は広々してベンチも多く寝床はどこでもな感じ、旧東海道とはここでお別れして、この後は渥美半島の先端まで往って渡し船で伊勢へと入る予定、明日はいつごろまで雨が降るんだろ、でもここなら持て余すことはないかな、感

1121日 旧東海道 島田宿から
   駅前なのに静かでもう空が明るくなってきた日の出前に起床、季節が一歩進んだ風の冷たさ、これから日々どんどん冬に向かう徒歩野宿になるんだねえ。 昨日に続いて旧東海道を往く一日 箱根八里は馬でも越すが 越すに越せない大井川の大井川にすぐぶち当たって、当時の渡しの様子に興奮、活き方が激しいよ、生活が意気なんだもんな、現代の旅だから長い橋を自転車通学の高校生とすれ違いながら渡るだけだけど、当時の旅の面影を巡るだけでもダイナミックでドラマティックな連続で想像するだけで羨ましくなる。 金谷宿に入れば牧之原台地一帯に延々と広がる茶畑に囲まれながら2つの峠道を越えて日坂宿へ、江戸時代に埋められた石畳道あり、昇るも降りるも足腰ない人には難儀と思われる急坂ありと相変わらず退屈させない旧街道、何度も野宿したことがある城下町の掛川宿でコーヒーを沸かして休憩、まだ午後2時過ぎなのにもう夜を考え始めて陽が本当に短く思える。 夜の調理用のカセットガスの残りが少なくて100均探しに国道バイパスへ、旧東海道では店舗がほぼないから仕方がなく、ついでに太陽光充電器も探してみたりで生活生活、目的があればバイパス歩きも新鮮で、ちょうど晴れた夕暮れ、周囲から少し高い所を走るバイパスの広い歩道から目の前に沈んでいく太陽を眺めるのは悪くなかった。 午後8時を過ぎて磐田市の見付宿着、寝床は旧見附学校前の小さな広場に、商店街の真ん中で住宅もあるけど、昨日の駅前広場もだけどこの季節ならではの寝床、陽が長くて夜でも人気がある夏ならこんな場所では深夜になるまで眠りにくい、この季節ならではの感謝

1120日 東海道 興津宿から島田宿
  日の出まではまだまだな午前4時過ぎに起きて紅茶で温まり、公園の公衆便所で靴下と下着を洗濯、一週間くらいの徒歩旅なら帰ってからと勢いで放っておくとこだけど今回はね、生活良好、次は大きな洗濯とどこで風呂に入るか、いずれ携帯の充電とか現実的なことも考えながらになるな、毎日違った日常がある長旅の生活はまだまだこれから。 興津宿から島田宿まで50数キロの行脚は新幹線に東海道本線、東名高速に国道1号線と物流大動脈のど真ん中を往く一日、旧東海道っていわれてもグローバル生活に呑み込まれて道端の唄とも巡り合わず、いやいや、自分も行き交う真っ直ぐな流れに急かされて、何もないものと立ち停まる意識を持たなかった、地元ベッドタウンでも同様だな、行く先の点ばかりを見つめて進めば足元に転がる唄に気が付かない、明日からまたゆっくりとを心掛けて。  冷え込んだ夜、駅から近い広場のベンチを寝床に、小さなイルミネーションが飾られてるけど冷たい風に人気は見えず、こんな日は野宿も気兼ねない。

 1119日 沼津から清水
   雨に降られたかと錯覚するほどの夜露に目を開けると、星空に幾つかの星が流れてあれ?あれ?後の知人からの情報では獅子座流星群らしくまた貴重なご縁、でも寝袋もバックパックもマットも濡れて午前4時には起床、スープを温めて星空を眺め、今日もゆっくり身支度してから歩き始める。 駿河湾に沿う防波堤上に延々と続く遊歩道、こんな好い道があるなんて今まで気付かなかったなあ、いつもの道は松林を隔てた向こう側の忙しい車通り、気付かなかったなあ。  背中からやって来る日の出は薄白く雪化粧の富士山がボンヤリ浮かんでいたので気付き、やがて姿がはっきりして朱に輝き始め、朝は徐々に標高を下げて海辺へと到着、海は波打ち際に沿って靄を立ち昇らせて幻想的で、今朝もまたいつもと違った朝を迎えられた感謝。  ジョギングやサイクリングや散歩を多く見かけられた日曜日の早朝、ジョギングの人の中になんと裸足がいて 裸足ですか??と声掛けたら はい♪“ と凄く幸せそうな目と笑みで返され、まだ痛みが残る足裏を気遣って歩いているのが恥ずかしい、やるぞ、遊歩道が終わる所で着物や寝袋を干して一休み、今日もまたいつも通りに歩いているだけなのにいつもと違った豊かな朝、ホントに感謝。 何の背景になっても風景を豊かに演出する富士山を見つめながら今日も歩きを抑えて、天気が好いから休み心地が好く、富士川のほとりでラーメン休み、旧街道の各宿場でと休むうちにあっという間に日暮れ、日中が凄く短い。  午後8時になって興津のコンビニでついついwifiを使って寝床の検索、清水駅周辺の公園を調べて無かったら道中の公園を探って良い所有り、ついでに道中のスーパーも検索して寝床へ向かう所に見つけ、安心したと同時にシラけた、明日からはもう止めよう。 携帯電話は13回ほど電源を入れて着信チェックをするだけだけど、今日初めての着信履歴は近所の飲兵衛さんから午前中に、3日で一件、次の時代が始まったんだねえ、どんどん遅れて失踪も放浪も楽になる


1118日 御殿場から
   駅階段の真下なのに人目を忍べた寝床でしっかり休んで目覚め、両足の真ん中にできたマメに一歩ごとに刺されて、長旅の余裕でまずは療養と歩かないことにした朝、富士山の麓だけど雲が覆って姿は見えずに拝んでみるだけの旅の縁、冷たい風が強く吹く朝、詰め込んできたままに雑だった荷物を丁寧に詰め直し、これからは調理や洗濯や風呂やら、少しずつ1ヶ月の旅の生活を整えていかなきゃなあと。 歩かないってのも結構易くなくて、小まめな休憩は駅やコンビニのイートインやスーパーの休憩所にお世話になるけど持て余さないようにの大事、足の裏から足腰を分断されて時折腰砕けにさせられながら思考していると、夜行バスに乗れなかった縁も最初からこの道を往くことが決まっていたみたいに思える。  日暮れ前に沼津に、一瞬雲が切れて灰色の空に囲まれた富士山が現れやっぱり神々しい。 午後5時過ぎには暗くなるこの季節、風景を見渡せないのがもったいなく思えるけど、寝床探しは早い時間からでも遠慮なくてこんな時にはありがたい。 まだ営業中の中心商店街を抜けて千本松公園に接する防波堤の海岸に出て寝床、魚釣りの車がたくさん、沖の近いところに10隻ほどの漁火、水に浸けていた玄米を炊いて夕食、毎日違う寝床を見つけられる安堵感

 1117日 厚木から歩き始め〜御殿場
   数時間の眠りでも空が白めばやはり目覚める野宿の朝、薄暗い運動公園では男の子が1人でサッカー自主練中、俺もやっちゃると思ったけどまだ野宿をしただけで歩いてないなと、呑んだくれてた毎日から踏み出さないと。 荷物の整理も普段通りじゃない生活もまだ省みる心地にならない初日、歩きの目的意識にムラがあるし集中力も今一つで眠気も、でも1ヶ月もあるんだよねえ、取り敢えず目標に向かう予定の紀伊半島まで300キロとか400キロもあるけれど、1日平均で40キロ歩くだけでも1200キロも歩けるんだからちょうど好かったのかも、靴底が硬くて履き慣れない運動靴で両足の裏のど真ん中に出来たマメ、これも治しながら歩いて、心身にも整理整頓が出来たころに紀伊の山々に入れれば好い。 こんな長く歩くのは欧州をロンドンからイスタンブールまで縦断した20年前以来だから、このあと1ヶ月も歩いてる自分の姿にホントかな?と想像できないけど、気ままな道草をしながら日々を生活に過ごせればいいと思う。 夜歩きになって午後9時に御殿場駅前に到着、両足裏のマメで足腰の力が繋がらないから脚腰肩までに変な疲労感、短期じゃないから急ぐことない、明日は歩かないで過ごしても持て余さない1日を模索しよう。 繁華街から飲兵衛さんが流れてきて大声だけど、終電が早かったから眠りやすい御殿場駅、感謝おやすみ

1116日 失踪行脚出発日
   待ちに待った失踪行脚への出発日、横浜を午前1時に出発する夜行バスを予約して随分遅い時間だなといつも通りに地元唯一の赤提灯に立ち寄れば、帰宅後が早くも楽しみになる縁がまたも転がっていて話は弾んで 行ってきます!” “行ってらっしゃい!と景気良く出発したのに、なんと駅に着けば横浜行きの最終電車はすでに、こんなに早いとは知らなかったなあ  でもなんか、赤提灯の同世代の女将からは 修行ならここから出発しなさいよ!と囃されていたしなんかスッキリ、迷いもなく海老名までの終電に乗り、厚木まで歩いて中央公園のベンチに眠ることにした。 逃亡なのか失踪なのか放浪なのか、別に出発はどこでも好かったからなんか納得、1日早く野宿できて得した気分だし、山岳修行と格好つけ坊主にしてもスーパーの顔見知りからは 修行なのにお酒ですか?と突っ込まれ、まずはそこまで歩く事になった縁にも、何だか最初からそうなる事になっていたようで納得できる。 求めていた縁に毎度導かれる徒歩野宿の旅は今回も早速だと期待が膨らんで、取り敢えず明日から、地図を何度も見つめて夢想した紀伊半島までの歩きから、予定外が旅をどんどん贅沢に膨らませてくれる

 1115
  緩やかに多彩で多様な半月だけの秋巡業はホントあっという間に流れて、踊り納めた飛騨小坂で10年ぶりの断髪、ふっと力が抜けたような荷を降ろしたような抜けた心地、以前のような長期の海外逃亡じゃないから、一月半後にやって来る次を思えば今のままの緊張感は保たなきゃいけないけど、紀伊半島を気負わず定めずに放浪する徒歩野宿の1ヶ月にどんな縁と立ち止まれるのか

 静かにふつふつと発酵するような期待や愉しみが沸き上がってくる。 坊主になった河童に「おはよう運動」では その頭変だよ” “河童の方がいいと噴き出し笑いガッカリする子供たちに何だか照れ臭く、交差点まで送りに出ればいつもの朝には素通りする子も俯き笑って豊かな朝、なんだかねえ、中途半端な失踪で消えるのを申し訳なく思うのだけど、代わってアジトの主人になる18才は 任せてくださいよ!と新生活と地域への意気込みが頼もしくて、早速アパートと留守中のイベントを引き継げば同じく頼もしく成長している同世代を巻き込む気も満々で、帰宅の度をこれまたフツフツと静かな発酵のように期待が沸き上がるベッドタウンになるような。  緩やかに多彩で多様だった半月だけの秋巡業の豊か、実家マンションをテーマパークの如く創り変えたハロウィン『大変身の会』では河童不在を待ち遠しそうに意気上がる大人たちが次を結束し始め、東京都内での自由な表現の場と僅かに残された武蔵野公園『はらっぱ祭り』には、韓国で Festival have to be Crazy!と市街地での水かけ祭や2晩続きの夜通し祭りなど発信を続ける『春川マイム祭』の責任者が見学にやって来て、 芸と宴のベッドタウンの現状視察と共に飲み歩き、連日抜群の積極性とホスピタリティーを発揮して次々に倒れてくれる若手達に、韓国都市部でも新たなコミュニティ創りをと模索する彼らから来る年には皆でと招待を受け、自然の恵みへの感謝祭、実行委員の一員として合流した飛騨小坂での『いわな祭り』では、自分流に歩む連中と共の合宿生活で下支え、ホントにフツフツと、相変わらず生な人間の交差とぶつかり合いに溢れた毎日に静かに発酵していく期待と愉しみ、まずは自らもう一度、明日の夜行バスで大阪へと出発


1027  越前大野
  福井県越前大野入り、15年ぶりくらいに寺町で開催される楽市楽座への参加、迎えてくれた日蓮宗圜立寺のお上人さんの変わらずに抜けて飾らずな感じに、戻って良かったと吸い込みたくなる風景、暖かな好日、寺町前から続く七間通りでは朝市もあり、早朝には雲海に浮かぶ天空の城も望めそうな季節、町中で響いてくる豊かな清水(しょうず)、一巡りに手頃な町の大きさ、緩やかだけど多彩な秋巡業が始まったなあと。 半月だけの巡業を明ければこれまた10年ぶりくらいに断髪して久々に河童と別れての独り旅、一月後にはアジトも若い連中に譲って春までは放浪や失踪気分で出掛けられ、以前みたいに全部を整理してという訳にはいかないけれど世界行脚以来の失踪気分に昂ぶれる。  留守中の実家マンション行事には早々と案内チラシやマニュアルを作って代わりをお願いする何人かと意義や意識を語らい、やっとこんな話を交わせられると20年近く続けてきた会を抜ける初めてへの期待、今まで通りの巡業にも違った視野が広がりそうで、初めてにも久しぶりにも想える越前大野の滞在をまずは深呼吸


1022日 六角橋商店街闇市
  季節外れの大型台風接近で蒸し暑くて気持ち良いくらいにザーザーの雨、一週間ちょっと前には時期外れの真夏日と思えば師走の冷たさになってこの台風、出鱈目みたいな天候ももはや異常とは言われないくらい慣れた時勢に、出鱈目と思われながら異常と言われなくなった国政選挙の投票に出向く。 期日前選挙が随分賑わっていたけど、実家マンションの元子供演芸団メンバーが次々大人入りしてくる近頃、今回も高校生と大学生が立会人のバイトに入っていたから彼らの応援に当日投票、ほぼ知った皆さんから冗談で 自分の名前書いても無効だよ  と興味は随分あるけどねえ。   昨日は戦後闇市の香りを漂わせる横浜六角橋商店街の月一楽市楽座『ドッキリヤミ市』の20周年記念市へ、台風接近予報でいつもより人出は疎らだったけど、時勢に乗っからずとも意地意固地と意気で風景を保ち続ける商店街を吸い込みにやって来る人たちが交差し、都会な土地柄、自己表現の素直を抑えられながら一歩一歩と階段を昇っていく社会に、素直な息抜きに不器用な人たちも懐深く迎えられ、いつもみたいに子供や若い連中で周りを固めてなかった河童にもグングン絡みついてきてお陰様の面白さ、ホントにね、時勢に乗っかって生きていくための阿吽な制約、ハレない葛藤を日常と迎え入れている人たちの色濃い解放ぶりに連日の選挙演説が脳裏に浮かんで、自ら選んでいる時勢の重たさにも、ハレな開放感よりな日々に頼るで仕方なしを選択する時勢に自らの旅も確かめ歩かなきゃと今一度、重ねてきた旅もあと3つ、しばし河童と別れての独り旅を待ち遠しく想える

1014日 徒歩野宿 三島入り
 
荷造りを丁寧に、スープを温めたりで明るくなり始めるのを待って出発、すぐに箱根関所跡、拝観券売り場にはまだ誰もいないけど門は開け放したままで有り難く通過、なんだか晴々、出国審査を通ったように江戸時代の旅人もいよいよと昂ったんだろうね、浮世絵に描かれている街道の様子みたいな当時の色濃い風景に飛び込んでみたい。  強く降っていた雨は箱根峠を越える次第に止んで、三島や沼津の町が眼下に広がって山々には千切れた雲が空から降りてくるように、山から昇っていくように張り付く好景、下り道を5時間かけて降りて午前中に三島大社へ到着、いつもなら当たり前に祝杯だったけど、断酒を当たり前に出来るようになって運転も愉しみだから?む気が興らない変化に不思議、午後8時の待ち合わせまでも散策やら図書館や、昼食夕食と公園で自炊したりで持て余すことなく順調だなと手応え。 時間通り午後8時に落ち合って運転手、眠気も湧かずに石川県の館に到着したのは午前2時、起きてくれた仲間たちと明日のイベントへと乾杯


1013日 徒歩野宿 雨行脚 芦ノ湖へ
  夜中に風が吹き続けて気温がどんどん下がり、一瞬の雨に叩かれ午前3時に目覚め、まだ早いと思いつつ予報は早朝から雨、またすぐ起こされるなと歩き始め、まだ灯りを点灯させない家々や団地を並ばせる住宅街を歩いていると低い雲に覆われた空が灰色に薄明るくなって朝、やがて冷たく強い風が吹いて予報通り雨が降り始め、傘さし肩をすぼませバス停や駅に向かう通勤通学の人たちの姿が少しずつ頻繁になって、まだこんな時間かともう5時間ほども歩いてるから軽い時差ボケ感、早起き冥利で午前11時には30キロを歩いて小田原に到着し、待ち合わせの三島までは箱根峠を越えてあと40キロだから、出発前にはここで野宿でも好いかと思ってたけどまだ午前中で雨を半日過ごせるとは思えず、夜の冷え込みが気になるけれど箱根峠の芦ノ湖畔まで進むことにした。 雨は時折本降りでザーザーと降るようになって、名物の蒲鉾屋前に湧いていた地下水を汲んで一休み、道端の無人販売で酸味が強かったミカンを買って一休み、箱根湯本のアーケード土産屋街を関係ないと思いつつ見歩き一休み、そして国道1号は峠道に入ったけど大型車も多く交通量が頻繁なままで、道幅が狭くなり路肩もなく、またいつもの峠のようにヒヤヒヤさせられると覚悟したけど車はどれも凄く気を使ってくれて、マイナスイオンを呼吸しながら、駅伝放送で紹介される名所に気を紛らわしながらちょうど日暮れに芦ノ湖畔に到着した。 50キロ歩いたのに休むを心掛けたおかげでまだ全然余裕がある驚き、次への手応え、雨具の内からの汗と雨とでびしょ濡れになり冷えて、公衆便所で持ってきた服を全部重ねて着替え、手が悴む冷たさが久しぶりで嬉しい、トイレ内で焼酎を一口飲んでから、新しく出来ていたコンビニに休憩所があって暖を求めに移る。  寝床には20年近く前の冬に震えながら眠ったバス待合所に、座布団が付けられた椅子があったのを思い出して期待してたけど撤去されていて、峠を越えて雨の夜歩きになる覚悟もしたけど、少し先の松並木に小屋の停留所があって安堵、すぐにまた雨が強く降り始めてついてるなあと、偶然なのか必然なのか、縁と当たり前に向き合い続ける旅の毎日はまたすぐだなと屋根を叩く雨音を聞きながら


1012日 徒歩野宿 〜茅ヶ崎
  ほぼ10年周期でやってくる失踪の念いが膨らみながらも悶々としていたのがようやく、浮かぶままに吹いてきたホラ話がポチポチと興味深く繋がってきて、この冬を待ちきれなく疼くのをガス抜きに徒歩野宿に出る。 石川県でのイベントへと後輩の車に同乗するため静岡県三島まで100キロ少々を23日で、12月に計画する約1ヶ月の紀伊半島行脚に向けての予行演習は、ついつい先へ先へと歩き過ぎてしまうのを抑えてもっと道端と向かい合う心掛け、この時期なのに連日夏に戻ったような暑さで、明日の朝食用までを用意した発芽玄米おむすびには大きな梅干しを一つずつ握って正午近くになり出発、湘南の海方面へと蒸し暑い陽射しを受けながら南下する。 裏路地や農道にも潜り込みながら日暮れて茅ヶ崎駅に到着して弁当時間、駅前ロータリー上に大勢の帰宅の人を流す通路と踊り場では衆議院選挙の候補者が熱弁中、でも立ち止まる人はほぼいなくてそりゃねえと、大道芸の舞台やイベント会場作り、駅や駅前ばかりじゃなく現代的な街も広場も見通しよく溜まり場を作らないよう整備されているし、一般への豊かな心地を提供する無機質でも華やかに並ぶテナントに社会への不満や不安に眼を閉じる人波、偽りの現実とか不安な将来を演説されてもねえと、駅周辺の夜の煌びやかを見つめれば社会の人任せはまだ変わらないだろうなと思える。  砂浜の遊歩道に出て木製デッキに寝床、防砂林に国道や街とは仕切られて暗く静か

1011日 『流し素麺会』
  小中学校ともに2学期制で各所の運動会で賑わった連休を明けて後期入り、実家マンションでの『流し素麺会』に親密感を増した子供達は更に呼吸を合わせてビュンビュン走り回り、通り掛かった大人に すごいねと苦笑いさせる豊かな朝、昨日貼り出したハロウィンイベント『大変身の会』ポスターにも早くも期待を満面に向けてきて、やってやるかと魅せ場創りに意気上がって子供たちを煽り返す活力交換。  近所のバー勤めの女子がお客さんから 割り竹をもらえると初めてやってみた流し素麺は、ゴミ置場の水道を利用して黒カビが点々と見える割り竹に流すのを、滅菌志向の土地柄でどう受け止められるかと思ったけど、ここでの行事を信じ切って飛びついて来る子供たちの期待に、お父さんたちが慎重に張り切って流し台作りから会場の段取りまで、素麺を茹でたりネギを切ったりの作業に群がる女の子、一緒に流れてくるトマトやキュウリやウインナー、チョコレートにパイナップルに歓声、腹が満たされれば子供は遊びに走って大人は座談宴にくつろいで、毎度の顔ぶれがある程度決まった安定感と内輪盛り上がり感とにそうそうこんな感じだったよなと思い出す。 アジト部屋を若手に譲るのに合わせて旅を続けるこの冬の間にも、巨大ケーキを作ったり広場をイルミネーションで飾ったり、節分会やスキー合宿とイベントは毎月のようにあって、先走ってポスターやら段取りメモ作りなどの作業を始め、20年近くになる実家マンションでの季節を遊ぶ会の河童抜き準備。  近所の風景は巡業に出ていたこの数ヶ月でも こんな土地でもかと感心するほど風景を削り続けて生まれる無機質な風景、個への頑固で自主休学や退学を選んだ連中に活き場を用意しない街作りも相変わらずで、生き様を魅せる風景を残してくれていた強い個も1人、また1人と消えて次代の風景を求められる頃、間もなく始まる夢想の季節へもっと動き始めよう


102
  父親から車を借りて珍しく運転手になって若手を乗せて山梨県北杜市須玉の『甲斐源氏祭り』へ小巡業、いやあ参った参った、歩きや普通列車に夜行バスでの移動が馴染んだ身には身軽快走で、すっかりドライブ気分になってどんどん走りたくなったけど、身体は楽だし葛藤なく精神のメリハリも皆無、いつもの移動と違う集中と硬直感はこれじゃ旅にならんと自戒するけど、何れ近くとホラ吹いてる 全国キャラバンになる程な愉しみと課題が浮かんだのは一歩、それに何より花見明けからまま始めてみた断酒が思ってた以上に馴染んでるのに驚きと可笑しさと、初めての断酒日から丁度丸半年で40日少々もあった断酒日、いつの間にか呑めない当たり前を普通に飲み込んでる自分に関心感心、凄いなあ、これからどんなになってくんだろうと独り善がりに秋。 世話役を務めてくれたのはガソリンスタンド経営の仲間で、打ち上げはBBQやろうってスタンドで??とあり得ない光景を昂ったけどそんな訳なく敷地から少し離れて裏庭、でもやっぱり好い、小さな町の自営スタンド、裏庭には不要物や廃棄物が雑多に散らかっているようで整頓されて、こんな環境に育てば発想も雑多に豊かになるだろうなぁと羨ましく思え、出発前にも やりましょうか!と洗車やタイヤチェックや擦った跡の修復と流れるように次々、活きてる暮らしがカッコ良いなあとやっぱり。 自営に易くない時世でも平たく慣らされる生活からの反転期はやって来て、自主休学や退学からの自信を膨らませてきた若い連中からは、安定よりも将来に 自営を志す声が度々ホラ出て、旅につながってるこんな仲間たちをどんどんぶつけ合わせなきゃと秋の夢想も次々と

 929
  アジトの契約は月末に満了しても、次を引き継ぐ10代男子が11月末まで青森県八戸の農場に出稼ぎ鍛錬に出掛けてあと2ヶ月を管理人、男子が昨夜出発して広々と清々しく迎えた新しい朝、雨上がりの空は季節も移したようで、強くて弱い朝陽が眩しく柔らかに射し込んでくる。 アジトを捌ければ久方振りの放浪へ、実家に荷を預けてまずは師走いっぱいを紀伊半島徒歩行脚、そして新春演舞からタスマニア島に渡って桜を待ち、その次に浮かぶのはと膨らんでいくが、その前に与えられたこの2ヶ月を持て余さず充実させるようと自然に深呼吸になる朝、日めくりのカレンダーをめくれば 不成就日事始めに不向きな日とされながら事始めの吉日 大安今日のことわざには 笑いは人の薬とあって標識は一時停止の 止まれ旅の始まりを暗示されて夢想空想も沸いていく。 朝陽に真横から射されるプランターでは夏前からの緑は枯れ落ちて、替わって覚えのなかった芽が強く伸び、土に手を潜らすとかなり前に埋めていたアボガドと他はわからずだけど日々に生命力と緊張感を投げかけてくれそう、『おはよう運動』では河童の居る朝を思い返した子供達、朝出てくるのも早くなって遊んではしゃいで、10代男子も続けると息巻いてくれるから旅と地元の両立もようやく、 無茶と自制のバランスを保ちながらも新しい旅に、出発までの2ヶ月を始める


925日 アジト帰還
  布伏内を出発して23日の道央行脚は北海道出発前の気分一新、札幌散策から北広島市の西の里神社例祭に躍り、臆さない発散を信条とする女性陣と打ち上げて苫小牧港から茨城県大洗港へと出航、川崎のアジトに戻れば留守を務めていた10代や近所呑兵衛に迎えられて、荷物で散らかった部屋に冷蔵庫からハイボール、手際良く台所から運ばれてくるアテに、出入り自由の良さは帰宅の気はしないけど愉しい賑やか、朝はさっそく実家マンションに出向いて『おはよう運動』に、七夕以来だから子供たちが反応様々に沸いてくれて、新しく引っ越してきた男子もいれば赤ちゃんを身籠っているお母さんも、帰ってきたねえ、大きな声で挨拶を繰り返して住人皆さんへも帰還の挨拶。 子供たちを見送れば人気なく静まり返るベッドタウン、うん、戻った心地、大自然に囲まれた布伏内の方がまだ賑やかだけど、ここにハレた日常を興すのも我らアジト一員の居処、そして2年契約満了のアジトは不動産屋に出向いて12月からは主人が10代にと交替、どんどん発芽していく若い浮かれ魂は自らの好奇心を充たす労力を惜しまず、共に生まれていくはずの新たな街の風景を期待したい。  気分乗ってきた、河童は次の旅に出向いて彼らの好奇心を刺激しよう


921日 館結び
  呑み明けて「布伏内週間」最終日は出発前日の館結び、今日もまた天気良く温かで窓を開け放して大掃除だけど、既に大方を済ましていたから床の掃き掃除と拭き掃除くらい、今回もたびたびの拭き掃除で雑巾がだいぶ汚れなくなったけど、一ヶ月少々の滞在は館を少しはキレイに戻しているのかなと、感謝と来年もとの気持ちで2度を雑巾掛ける。 昼過ぎて「道の駅」の掛け流し温泉へ昨日の化粧を落としに自転車で片道14キロを汗滲ませて、受付でジャガ芋をもらい何だと思えば台風で「農業祭」が中止になったからと、イベントを準備する方はホント大変だ。 とんぼ返りで館に戻れば阿寒湖畔の食堂で働く仲間が昼休みを会いに来てくれて、郵便局への荷物を運んでもらったり、評判らしい町内のソフトクリームを食べに行ったり、布伏内の日常は今日も豊かに。 出発の朝はトイレと台所周りを掃除、物干し台や自転車を車庫に片付けて、水汲みのペットボトルやタンクを乾かして戸締り、大家さん親族皆さんからは年毎に名残惜しんでもらえるようになったかな?とこちらもちょっと名残惜しく ”10ヶ月半で戻りますねと挨拶して友人の車で大楽毛駅のバス乗り場まで乗せてもらう。  家業に家族に今年からは音響照明会社も設立して多忙だった友人に、来年は共演するよと次を始める

 919日 道東納め
  「布伏内週間」の6日目は道東納めに演舞3本、台風一過は北海道らしくない密度のある温かな朝、まずは滞在中たびたび送迎を買って出てくれた仲間の地元、津別町に出向いて「こども園」と敬老施設を訪問、人口減少で町内各所の幼保育園を統合して2年前に開設したという「こども園」は、林業の町らしく木造の広々した造りで100人を越える子供たち、先日の例祭イベントで見たと積極的な子も多くいて、抱擁力ありそうな保育士さんたちにも見守られ怖がりはしても泣く子は少なく、前週末の例祭イベントでは主催した役所との掛け違えで心配もあったようだから払拭の好し良し、午後の敬老施設でも温かな日中にテラスへ出てもらって敬老祝い、テラスの柵を乗り越える勢いで乗り出し、頭っから笑顔を絶やさない皆さんは何をやっても拍手拍手、演舞後には一人一人から握手を求められ、子供たちとご年輩との大らかな心持ちに改めて道産子の包容力かなあと広い風景を吸い込みたくなる。 夜は阿寒湖畔のキッチンダイニング「心花」での門付け、天気は一変して雨降りになったけど、2年前の開店祝いから3年続けての門付けには傘を差して知人友人が次々、演舞時間に一旦雨は止んだけど河童登場の振りでまた降り始め 河童さん持ってるなあと傘差し喜んでくれる皆さん、湖畔では次の舞台の話も沸き始めていて、また来る年の新たな囃し合いを願って打ち上げる。

918日 布伏内敬老会
  公民館で予定されていた敬老会は台風上陸でさすがの 開拓精神布伏内も行政からストップされて中止になり、昼前に公民館への召集がかかり用意された食事を詰め分け配達することに、集まったのは町の若い衆とされる還暦をすでに迎えた方々と、出身者で毎日仕事に通っているのに何故か他所者扱いされる友人と何故か町民扱いな河童、敬老会は中止でもお祝いする当たり前がいい。 ひどい風雨じゃなかったけどまだ台風に馴染みが薄い北海道、太鼓奏者でもある友人と今年の初共演を飛び入りで企んでいたから残念だったけど、館に戻って外を眺めながら食事を頂き、初めての動きようがない休養日に気が抜けてウトウト昼寝、目醒めれば爽快な青空が飛び込んできて一先ずコンビニカフェへ強い向かい風に戻されそうになりながら自転車走、夜は明日の移動のために津別から友人が泊まりに来て、共に応援するプロ野球チームの優勝が決まって祝杯に、何だかいろいろやって来るなあ「布伏内週間」

 917日 パークゴルフ大会
  二家族が泊まった館は賑やかに朝ごはん、本日も快晴、八戸家族が午前中に出発して「布伏内週間」中日4日目はパークゴルフ大会に移動、開拓精神な町らしく公民館の裏までグルッと目一杯、アスファルト道もゲートボールコートも側溝も土手もコースに組み込まれて、切り株に石にブッシュにベンチに水飲み場に短いけど笑えるくらい多彩で遊び心な障害物に翻弄されるのが魅力の難コース、ホール毎に異質な面白さを魅せてくれるコースに何だ何だと一同笑いながら呆れながら、一廻りしてももう一回と挑戦心を掻き立てられ、自然に囲まれ人気配のない町にはしゃぎ声を響かせる。 散歩していた年輩女性が少し離れた歩道にしゃがんで観戦してくれたから終了後に話しかけると、青森県三戸から炭鉱に来たらしく、昼夜と賑やかだった毎日から変わってしまった町に こんな風に変わるんだねえ” ”こんなあっという間に淋しくなるなんてねえと何度も、ホントにだよなあ、時代にあっという間に流されていく風景、消えゆく町からほとんど出ることなく暮らす皆さんの心地を想いながら、江戸時代の探検記には原生林の川沿いに数軒のアイヌ家があっただけという記述、そうだよね、経験してない歴史を想うよりも可能性への希望と期待、訪れる知人友人子供たちのこの町への好奇心にどんどん応えて日々を豊かにしていけば、また次の風景が生まれていくはずなのは何処ででも。   3コース27ホールを廻ってすっかり集中力を消耗してお腹が空いて、週末のみの営業の町一番奥にある喫茶「かくれんぼ」へ、旅人や近隣市街からも人気があったラーメン屋が昨秋に閉まった後は唯一の食事処になって初めての食事、小5男子は店名に掛けて 見?つけたと店内に入り店主さん嬉し笑い、好し好し、定食は自家製野菜や野生のキノコに川魚とらしくて そっか釣りもやりたいねと来年話し、貼り出された町の古地図や写真集にも反応して炭鉱跡までを含めたウォーキングやサイクリング案も「布伏内週間」の来年が始まった。  解散すれば夜は友人カップルが岬でのイベント帰りにサンマを持って訪れてくれて、炭をおこして頂きながら今年あったあれこれ話しと次に可能なあれこれ話し、5年目で一区切りの道東巡業はそろそろ次の一歩へ進む頃のよう


916日 阿寒神社例祭
  北海道の地元、阿寒町皆さんへ顔見世する『阿寒神社例祭』の朝、午前7時前に到着した八戸の仲間一家のおかげでグッと華やかさを増した「布伏内週間」3日目は、一泊二日の強行日程を何も計画せずに飛び出して来たらしい一家を案内してまずは阿寒湖畔に、強い日差しを照り返して眩しく鮮やかに浮かぶ耕作地や原生林の広がりに声を上げ、信号がなく車も走らず続く道路に感心し、午前中だけの予定で片道40キロまで来られるとはと北海道基準を驚いてくれてしてやったり。 アイヌコタンを歩いてモーターボートで阿寒湖を突っ切り熱いまりも湯に浸かり、神社例祭の余韻のままに迎えてくれた知人友人に子供たちも一味を加えてくれて、今回はもう5回を訪れた湖畔がまただいぶ近しくなった。 昼過ぎには未舗装の峠道を越えて鶴居村の下幌呂へ、一昨年は友人宅の庭で、昨年は神社例祭に踊っていたから今年もと、また別の友人宅庭に数組の母子が集まってエゾ鹿肉BBQと演芸会、すぐ脇は釧路湿原、壁や塀や垣根で隔たれていない開放された家々、馴染んだ風景と気にならなくなっていたけど客人を迎えてまたつくづくと吸い込んでみる。 そして阿寒神社例祭、子供会毎で町内を廻る行燈行列に子供たちや付き添いの知った皆さんに声掛けながら付いて歩き、境内に上がって花火の後を受けて演芸舞台、かぶり付きで囲んでくれた子供たちは追えば逃げども怖がらなくなり怯える小さな子を笑いながら匿って、中学生も多くなってきた。  毎日を自転車で走り回ってスーパーでの買い物やコンビニwifiを度々発見されながら待ったこの日、豊かな館の日々に感謝

 915日 カレーライス
  布伏内週間の2日目はカレーライス昼食会、目覚めは空白んだ頃にキッチリと続いて、小雨が降っていてもハヤる心は窓を外して大掃除、そして農園を持つお隣さんからジャガ芋をもらって前夜から仕込んだカレーを煮込んで迎えの準備、毎年数回行っている昼食会に来る人はほぼいないけど期待は期待、家業の木工土産品作りに日々通って実家で昼の友人も喜んでくれるし、町の構成では若造とされる二人で布伏内への夢想やら各所でのイベントやら町のあんなことこんなことを話し、玄関脇に貼り出している日程表をいつも確認してしっかり仕事してんの?” ”どこどこに行ってきたんかい?など声掛けてくれる親御さんや親族皆さんにも、他所者として町民として迎えてくれるからそれらしく。「布伏内週間」のタイトルを付けた昼食会も、いつもの日常を豊かにくらいなノリで来館者は期待してなかったけど、昼時には近くまで仕事に来ていた釧路の仲間が合流して、大掃除を続けていたおやつ時にも仕事を切り上げて来たと鶴居村から友人、そして夜は午後9時過ぎに早々と寝ていればもう寝てるんかいと玄関が開いてデイサービス公演を準備してくれた仲間が、それぞれとそれぞれに話し込んで結局一日中のカレーライス会になった。夕方には青森県八戸での『湊七夕祭り』を共に賑わしあっている仲間から電話があってこれから向かうと、「布伏内週間」やってみれば結構賑やかだ

914日 布伏内週間
  炭鉱の下町として賑わった布伏内は炭鉱閉鎖とともに町は縮小の一途、自分が関わった10年ほどでも小学校の閉校や、高校跡地に建てられた老人ホームが阿寒町に移設されるなど、今は子供どころか30代でもいないようだけど、出身の中堅どころが旧小学校舎で音楽フェスタ『楽音古潭』を開催し続けたり 開拓精神を持ち続ける精力的な年輩世代の元気な発想もあって、5年前に空き家を用意してもらってからは北海道巡業の拠点として作業と想像と工夫に溢れる日常を充実。 そんな『楽音古潭』は昨夏をもって打ち上げ、町唯一の食堂で周辺地域や旅人からの人気もあったラーメン屋も秋に閉店し、これで他所から訪れる理由が無くなったからとホラ吹いてみた『布伏内週間』をホラ吹き直してみる。 昼食会やパークゴルフ大会、BBQにお泊まり会、敬老会などなど、目新しいイベントじゃないけど豊かに日常を過ごす1週間、大窓に囲まれた館の曇りガラスを開けっ放して眠った朝は野宿と同じく空が白んだ午前5時の目覚めて、今は阿寒町に住む仲間で大家さんもいつもより早い午前6時に家業の木工作業場に来たからまず館喫茶、そして日課のコンビニカフェに自転車を走らせれば道脇すぐに丹頂鶴カップルがいて、見慣れているのにここまで近くは初めてだったから驚き、なんかいつもとちょっと違うだけの豊かな幕開けになった。  蛾や蝶の大発生で開けっ放せなかった窓を外した大掃除も開始して、午後は5年続きで阿寒町の複合福祉施設のデイサービス訪問、雨降り予報で今にも泣き出しそうな空を眺めながらも、リスクより愉しさ優先と施設前駐車場での演舞を決行してくれた職員皆さん、凄いな私も布伏内よ  炭鉱の頃だけどね利用者さん女性はおかげ様、ありがたいねえ。 町外れの「道の駅」の掛け流し温泉に浸かって乾杯は社協職員の仲間と布伏内中学校出身の仲間と共に居酒屋で、変わりゆく阿寒町の話に布伏内の話にと華が咲いて、帰りは送ってもらったおかげで二人も今年初めてのご来館、まだ作業をしていた仲間も喜んで、布伏内週間の初日はいつもと少し違っただけの日常を豊かに愉しむ

 913日 演舞日々に帰館
  津別神社例祭から阿寒岳神社絵例祭を廻って館へ帰還、出発までの残り滞在は演舞とイベント三昧に布伏内週間、出身の仲間たちと共に細々でも賑やかな日々を興していきたいと、まずは洗濯炊事に掃除に買い出しに演舞具の直しと館暮らしを戻す1日に。 徒歩野宿の旅を明けて始まった演舞日々はこれまた5年目になった道東巡業の節目を想えた日々で、次へのホラ話を興していく種たっぷりに、まずの津別のイベントでは香具師に遠慮を願う代わりに役所が主催する屋台通りで演舞し、河童のいつも通りは居方在り方立ち居振舞いと役所の希望とはいろいろ合わずに1日のみの参加に、解放発散を囃し煽って抱擁し合う想いと、リスク排除での娯楽提供の思いと、この手のイベントはこれまでも遠慮していたから やっぱりと、合わせ向いていくべき賑わいではないのを確認出来て好し、祭りで神輿を担ぐ仲間から請われての参加で、一筋離れた神社ではちゃんと例祭も行われていてそっちを紹介してくれればなと、政教分離の建前から別イベント扱いでチラシも主催も別、翌日は青空の下で神輿や太鼓に奮いビールを煽り練り歩く本祭を見物しながら羨ましくて可笑しくなる。 阿寒岳神社例祭は5年目のお付き合いで馴染みさんばかりになったありがたさだけど、当たり前に迎えられる嬉しさと馴染みすぎでの緊張感の薄れが同居してやはりもう一度、観光客へも目を向けた新たな興味深い話もやって来て心してだ、演舞者としていろいろな視線で見つめられる感謝、自分の日々を歩み続けていかなきゃなと


98  津別入り
 相生の「道の駅」から出発した今回の歩き旅、ぐるっと一周してゴールも同じく相生に定めて残り25キロ、キャンプ場を名残惜しく出発してからまた雌阿寒温泉に浸かり、行きますか、と気を入れ直したのにあれっ?雨、雨具なんか用意してなかったけど今回初めての雨は幸運にも屋内で、1時間ほどのんびりさせてもらって改めて出発、もうどこに立ち寄るとかの気分はなく黙々とゴールに向けて、相変わらず原生林に挟まれた道だけど大型車が多く久しぶりに排気ガスを吸い込みながら店も建物もない道中をいく。 空には青空と夏のような雲が浮いていたのが次第に灰色に覆われ始め、残り5キロ少しになところでゴロゴロと雷が、来るなよ来るなよと足を速め、最後の休憩地にと先日縁があった造形作家氏さんの美術館に急いだが休館日、なんと、すぐに大粒の雨がバラバラと落ちてきて、美術館の駐車場に大急ぎでテントを建てさせてもらい雨宿り、びしょ濡れ、でも原生林の中じゃなくて恵まれた、降り続ける雨を見つめながらやり切った満足に充たされ、明日からの演舞の日々にと切り替わった好奇心、津別の仲間に迎えを頼んで明日からに備えることにした。  6日間で200キロ少しの歩き旅、温泉三昧にキャンプしたり、いつもみたいな歩きっぱなしじゃなく余裕に視界を広げながら過ごした満足、河童は転換期で晩秋からでも始める次の旅への好い経験値にもなって、旅の荷物に見直すものも多々、一息ついたらゆっくりと振り返ろう


97  オンネトー
  歩き始めが1日早まっただけ余裕が出来て、雌阿寒岳の麓にある神秘の湖、オンネトーに一泊することにする。 阿寒湖から20キロもないから朝は余裕でコンビニカフェ、登校の子供たちに見つかって表に出て「おはよう運動」のおまけ付き、のんびりとしたいい朝だ。 このあとはまた丸2日は買い物する場所がない道中を思いついついゆっくりし過ぎてしまって気付けば10時過ぎ、オンネトーを散策する時間がなくなりそうで、一緒にいた仲間にお願いして分岐点までの数キロを走ってもらい歩き始めた。 小さな峠を越えて原生林がもっと間近になった道へと入り10キロほど、まずはオンネトーへの入り口になる雌阿寒温泉のたっぷりな硫黄泉に浸かって談話室で柔軟もたっぷり、そして雌阿寒岳を背景にした湖沿いの景観を眺めながらキャンプ場へ到着、いやあ、好いキャンプ場、林野庁の管理みたいでさすが国設というのか、施設も設備もしっかりしているけれど、あくまでも国立公園の自然重視のような感じで、自販機とか売店とか、ちょっとした遊び場とか芝の広場とかもなくて極シンプル、倒木や落ちた枝は自然に還るかキャンパーに焚かれるかで片付くようで、自分も落ち葉を集め道産松の枯れ枝を集めて、太い枝を組んで久しぶりに生木の焚き火を準備、そして湖を一周する遊歩道を散策すればそこも最低限な整備で原生林に迷い込んだような心地を味わえて満喫、あとはジュージュー音を立てながら少しずつ燃えていく焚き火とジッと向き合いながら1日を終えた


96日 阿寒横断道路
  明け方が近くなって頬に当たる霧で目覚めて、マイナスイオンを呼吸しながらまた眠り、そして空が白んでも深い霧がかかったままで贅沢な歩きの始まり、霧は朝が明るくなると少し少しと薄なって青空と変わり、弟子屈の耕作地を抜けた道路は森林が続く阿寒横断道路へと突入する。 車では何度も通ったこの道は自動車専用道のような趣で建物どころか休憩できるような場所もなく、ただただ向こう側の阿寒湖畔に向けて3歩き続けるのみ、観光バス、大型車、周辺観光と思われる他所ナンバーの乗用車にレンタカー、親指を立てて、手を挙げて応援を送ってくれるライダーたち、ホントにただ黙々と歩く。 峠を越えてあと16キロのところで阿寒湖畔の仲間が車で様子見にやってきて あと少しだねの声援と写真を撮って戻っていく、喉乾いたなあ。 館のある阿寒町から阿寒湖畔を結ぶ見慣れた国道とぶつかって一休み、そしてあと4キロで湖畔に到着したのはまだ午後2時、バスセンターに預けてもらっていたテントを受け取りキャンプの準備をして町中に出ると、週明けて神社例祭を迎える町は もう来たのか 早いねえと次々に喜ばれ、子供たちもキャーキャーと演舞を楽しみにしてくれる。 国立公園の原生林に囲まれた阿寒湖畔に社会から閉ざされたようにある町、閉ざされた人たちは温かく迎えてくれて、あともう少しで始まる演舞の日々が楽しみになる


95日 温泉巡り
  空が白んだのを告げるカラスの鳴き声で起きて、日の出前に湖の脇に湧いている野天風呂に浸かる。 毎朝仕事前に来ているらしい賑やかなおっちゃんの朗らかな地元訛り、寂れゆく町、仕事のなさ、老後の不安、そんな話ばかりなのに凄く明るくて、時勢を上手に渡れないんだろうけど、駆け引きがないというか、野性の大地に育った人なんだろうなと思えた天然な逞しさが滲み出ていた。 屈斜路湖の向こうの山から昇ってきた日の出を拝んで今日も歩き始め、10キロも歩かないうちにこれまた湖沿いに湧く古丹の野天風呂に浸かり、また数キロ歩いて今度は浜を自分で掘って湧かせる砂湯で足湯と朝ごはん、締めには目に沁みて開けられなくなる強酸性泉の川湯温泉と湯をハシゴして、遊歩道に周って蒸気と硫黄臭を黙々と噴き上げる硫黄山を見学、温泉三昧。  さてまだ午後2時半だけど歩ける明るさが残るのはあと4時間、野宿を予定する弟子屈までを平坦な近道を行けば余裕あるけど早くも1日が終わった心地になってしまうし、摩周湖への峠道に廻れば25キロほどあって早足でも途中で日が暮れ、真っ暗な原生林を夜歩きするのはまだ早いと思ったけれど、やっぱりねえ、旅の好奇心には敵わなくて、ままよと無意識なように摩周湖への道へと入って行った。 そして来た来たウォーキングハイ、肩にかかっていた荷を感じないようになって足の回転もパタパタ進む心地の良さ、標高を上げてどんどん姿を変えていく原生林に笑顔で声掛け大きく叫び、摩周湖の展望台はあっという間なように到着して日暮れへどんどん向かう下り道へ、夜を思える頃には牧草地が広がるところまで降りてこられ一安心、これが北海道だよなあと溜め息が出るほどに広大な牧草地に満月が昇ってきて、なんだかもう夢なのか現なのか、車がほとんど通らない夜道をしばらく歩き、弟子屈市街の国道にぶつかり我に戻ってドッと休憩、あんなにゆっくり休みながらだったのに50キロも歩けた満足感、丸2日ぶりのスーパーマーケットではまた明日から3日間はスーパーマーケットが無いことを想いながら買い物、明日も峠越えだ、温泉三昧な1日は足湯がある道の駅で野宿することにしたけど、駐車場は車中泊の車がたくさんで足湯も常に社交場となっていて、ちょっと静かにいたい心地だったから遠慮して眠る、足湯は入れ替わり立ち替わりで旅の人たちの交換場、かなり賑やかに響く声に度々目を覚ましながら耳を傾けてまあ好し。

 94  美幌峠から和琴半島
  午前5時前の目覚め、こんな広いグラウンドの脇で眠ってたんだなあと、日の出に照らされ始めた広大な芝のグラウンドの開放感に手を合わせ、ゆっくり身支度をして出発する。  美幌峠までは25キロ、耕作地の淡い緑や鮮やかな緑に原生林の深い緑が延々と、そして淡くて青空が広がって強い陽射しが降り注ぐ、陽射しをテカテカと照り返すのは玉ねぎ畑で、褐色に掘り起こされた畑に横たわる朱の人参、山と積まれたジャガイモは土と水を香らせ、眩しくて強い陽射しが肌に刺さるのと同時に乾いて冷たい空気に包まれ、表情豊かな顔のような文様を浮かばせる白樺並木に朗らか、呼吸が自然と深くなるのにもっともっとと欲張りたくなる。 活力をどんどん吸収しているつもりでいたけど、両脇を原生林に挟まれるようになって道から目を向けてみると、数歩の足を踏み込むのも躊躇させられるような野性の自然が薄暗く深く続いていて、ザワザワ静まっているようで生命力を競わせている原生林に、今の自分じゃやられるだけだなあと眠っているままの身体中の感と勘を想い、アスファルトの道を無意識に信じて導かれるだけの歩きだけれど、溢れ出ている活力のみを深く吸い続けて満喫を心がける。  美幌峠には正午に到着、食パンをかじっていると車の中から見たという人たちや店員さんに凄い凄いと声掛けられ、まだ2日目だからと照れくさいけど元気な心地、峠の下りは一気に屈斜路湖畔まで歩いて野天の湯が湧く和琴半島に到着、まだ午後4時過ぎで明るいけれどこの後はまた原生林が続く道のりだからここで宿、遊歩道沿いにある公衆浴場に浸かって半島を一周散策し、夕食を調理するうちに日暮れ、店舗が一軒もなかった道中は久しぶりに自動販売機で飲料を2本も買った、午後7時半、まだ早いと思いつつ夜が来て眠ることにした、湯が湧く半島は温かならしい。

 93日 網走から徒歩野宿へ
  週末2日間を予定していた網走の「七福神祭り」を天気予報での大型台風が接近するのかしないのかのキャンプ泊の都合やら諸々の計算で、1日切り上げ仲間の車で相生の「道の駅」に移動して徒歩野宿へと進む。  網走皆さんとのお祝いが午前3時過ぎまでになって「道の駅」に到着したのはもう空が白んだ4時過ぎ、旧国鉄車両が置かれていて無料宿泊所になっているけどこの時間で白塗りのままだし、他の旅人を驚かしてはならんと旧駅舎で仮眠、台風が過ぎるまで1日ここに滞在かなと思ったのも3時間ほど眠った朝に少し雨が降っただけで予報は回復し歩き始めることにした。 風は吹くけど曇りから青空へと天気は変わり、1日切り上げた網走に申し訳なく思いつつも今年は全く歩けてなかったから1日の余裕をもらったありがたさ、寝不足だから軽やかじゃないけど足は進んで、原生林を抜けて耕作地が広がる津別の町へ、と5キロほど手前ほどで車が停まり さっき相生でも見たよ ここは歩くところじゃないよと津別での野外音楽祭に行くという男の人が乗せてくれ、台風接近で会場が変更になりわからないと言っていたけど元の会場だったところに案内の人がいて明け方まで一緒だった仲間が、縁だなあ、強いなあ、道の駅まで送ってくれた仲間も車で一眠りしてから仕事に出かけたし、溢れる遊び心を抑えきれない浮かれ魂の素敵。  音楽祭をしばし愉しんでから美幌まで歩き、日暮れて町外れの運動公園に宿、深夜の冷え込みで目を開けるとチカチカするほどの星空、そうきたか、今回も予想外を存分に愉しめますように