2017年冬の日記
2017.12〜2018.2

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19
  新春6日は福岡県広川町の「くらしのアトリエ あかりや」で母屋に隣接した空き民家と庭をどなたでもと開放して振る舞った新年会、翌7日の午前中には昭和レトロを滲み出す建物に医と連動する氣と心のもてなしが溢れていた西村医院前で演舞し、午後は白石町に移り元は宿坊を並べたお寺さんが明治より稲佐神社となって佐賀平野を一望する木の神が祀られた境内で「新春まつり」 8日は一気に岡山へ、家を建てるのだから人にも町にも責任をとの想いを合言葉にするミナモト建築工房での「おかげまつり」もまた主に男子を連れた大勢の子連れに散らかり、どこも散らばる発散を抱擁で膨らませて、そんな風景を期待し初めてでも疑わずに飛び込んでくる人たち、解放を許された子供たちの旺盛な好奇心を飛び交わせる声をあげて、個の息切れや利害のぶつかり合いは当たり前にあろうとも、これをイベントときっかけに日常へも深く厚みと温かみをもって少しずつ染み入ってる風景が嬉しくなる。 グローバルな利便は相変わらず勢いを守って生活全般を呑み込んでいくようだけど、地域や人と人の分断をそんな環境を理由にするのはもはや理屈なような、物足りなさに目覚めた次代の反動、まだそこに呑み込まれていない子供たちの正直な表現と訴え、まだまだ途切れさせない緊張と集中を必要とするけれど必ずやってくる。 帰還して実家マンションイベントでは留守を預かってくれる仲間たちと宴を囲み、会社帰りの平日の男たちも常連となりつつ、子供の頃からの連中は経験を踏まえてのご意見番に、急速な世代交代に 芸と宴のベッドタウンは異次元の街創りへと新春の誓いは期待と愉しみに尽きない

正月3
  飛騨小坂湯屋町はずれの川沿いに建つ淡水魚養殖組合の事務所で迎えた静かな年越しからの出発はやはり静か、獣の足跡が一筋あるだけで一帯が蒼白く浮き上がった日の出前の雪景色に、ここでの初めての元旦も雪が降り積もる中に踊って2週間ほど痺れた指先と風景に酔えた憶いが還り、空にスーッと抜けていく静けさに冷たさに音なく舞い堕ちるサラサラな雪の幻想と、剃髪演舞も無事に拓けて自らの正月を迎えられた安堵も重なって出発が惜しくなる心地。 3日間たっぷりな移動はまた普通列車を乗り継いで、まずは簡易宿が林立する大阪西成のドヤ街へ例年通りに、殺気も感じた労務者と路上生活者の街だったのは、いつ頃からか生活保護の年配や酒呑みが街一帯を生活の場と溢れさせる街へと変わり、近頃はいずれの観光名所と同じく増え続ける旅行者が目立つようになって、三畳一間の簡易宿は節約旅行者用のゲストハウスに次々と転身していく様子、コッテリな下町や祭縁日のような演出の店が新たに並んでコンビニも増え、濃過ぎる活き様に魅せられた街風景は、食やモノを見世物にするテーマパークみたいになってきたけど、風情を嬉々と吸い込んでいる人波やさすが大阪の逞しい商魂、以前と変わらずに惹きつけてくれる生活臭を滲み出す人たちが相まみれていて納得しながら散策、消えた風景を想い出しながら時折、河童頭の輪っかがあった辺りが過敏に冷たくて オレ何だっけと、ここに何を吸い込んでいくのかねえ。  新世界からマニアやオタク聖地の日本橋までを巡ればまた非日常に解き放たれる人たち、聖地かあ、世界グローバルの大号令に行動も姿も思想も平均な自制に慣らされて小さな画面の向こうにばかり放つ本性、各地に特殊な街やイベントがゴロゴロ増えたよなぁと感心しつつ時勢への反動なのかもと、世界の各地で湧き上がっている様々な反動と出処は同じような気がする。 ネット予約を受け付け始めた常宿は飛び込めなくなって、替わりの安宿はドミトリーばかりだったのに一軒だけ見つけた三畳一間、館内は整理されて広々し、窓にもちゃんと外の景色があって大風呂もキレイ、共同キッチンがないのとチェックイン前チェックアウト後の荷物預かりがないのが旅行者に合わないのかな、ネットねえ、、世界を歩くにはすごく利便で安心になったのは間違いないけど、世界や旅の幅は狭まって煩わしさも増えたような、なかなか。。


新春2
  ご年輩皆さんの入居施設でこちらも4年続きになる新春踊り、広い茶の間のカーテンに仕切られた控え室で化粧していれば、職員さんから河童さんの大道芸あるよの声に毎年よねえと弾んだ声が還っていて 河童さんとにこやかな声に丸坊主を撫でて一息、昨日の巌立峡を受けて今まで通りじゃ無くなった演舞を?みこめた余裕、待ち時間に煽られながらいろんな遊びや空想が湧き上がって、娯楽としての演芸に目の肥えた皆さんの緩やかに熱い視線に囲まれた演舞は所作と勢いを丁寧に感触、丸坊主演舞は2日目で初日を迎えられたような乾杯。 演舞後にますます湧き上がってくる理想空想、この先の巡業にも覚めていくだろう自らに明けましておめでとう。 河童に招かれ導かれ続けた毎日は好きでも嫌いでも善しでも悪しでも同じ土俵と向き合わされた日々で、今の解放感は経験を糧に試される自己暗示、知るか知らぬか早速福来たりで偶然な必然は相変わらず、活きる心地の交換を爽快に冷たい空に囲まれて、改めまして、新年明けましておめでとうございます

2018年元旦
  
テレビもラジオもwifi環境もない山間のアジトでの年越しは、山に日が隠れるとあっという間に夜になって時間を遊べずに眠ってしまい、新年は夜明けを待たずに流れてきた町内チャイムで目覚め、すごく久しぶりに高く遠くに飛んだ夢を見て目覚めて、以前はしょっちゅう見ていたのに もう飛ぶのは辞めるとある夜に夢の中で宣言してから本当に飛ばなくなっていたから驚き、15年を連れ添ってくれた河童から独り立ちして迎える初演舞の朝に何か告げられたのかなと。 今年も初演舞は飛騨小坂の景勝地、御嶽山から流れ出た溶岩が屏風岩となってそそり立つ巌立峡にて、4年続きで上がらせてもらいチラシには初めて演舞時間の案内を入れてもらって、おかげさまで付き合いある皆さんや宿から勧められての皆さんが演舞に絡めて上がってくれて輪が膨らんだ初踊り、河童離れに何の備えもしてこなかったから今まで通りに踊って、所々でそりゃそうだと隙間や窪み、埋めるべき自分を突き付けられてようやく目醒めた心地で、河童がどうのよりそもそも演舞への緊張感、1ヶ月の歩き旅で突っ立った身体をそのままにして迎えたし、河童を理屈に疎かにしてきた踊りの基礎、久しぶりに味わう当たり前の緊張感に河童以前はいつもこうだったかなと、予想通りに河童からの独り立ちも断酒への試みも1ヶ月の徒歩行脚も正解だったとつくづく、広げていけそうな予感も、広げなきゃね、新年の寿ぎ、明けましておめでとうございます

1231
  ほぼ10年周期で訪れる放浪逃亡失踪願望に揉まれた酉年からようやくと安堵を思える新年への出発、NYに失踪したりロンドンからイスタンブールまでヨーロッパを徒歩と野宿で縦断したり獅子頭背をって世界一周行脚に飛び出したりと、まんまの自分を異世界異環境異常識に飛び込ませたこれまでの逃亡から自らの当たり前を否定してみたこの度、人生初の断酒日の試みは年間50日以上にもなって祭や宴での運転手も務めた驚き、若い夢想と理想の溜まり場にといずれホラ吹くカフェ計画の前身と地元に借りたアパートは若手に譲り、15年以上も共に歩いて旅の所作を伝えてくれた河童からも独り立ちの断髪、勝手に旗振ってきた実家マンションでの年中行事は同志による合議制に移して、なんだか自らに空っぽを感じながら来る戌歳に吸い込まれてくるものへの期待と緊張、期待すべき五十路へが明日より始まる。 明けてすぐには初めての豪州タスマニア島へ2ヶ月の飛び込み行脚があり、桜を愛でた後には創り手側になった韓国へも長期行脚、実家マンションでの世代枠を広げた行事計画、他、他、浮かべようにも浮かばない夢想に悶々とさせられる。 まずは新春皆さんの期待を裏切って丸坊主、その視線が新しい呼吸を導いてくることに期待して

1218
  米原駅から始発列車、大都市に向かってすぐに混雑した列車は大都市を過ぎてまた長閑な生活列車と旅人列車に戻り、だんだんよく見慣れた風景に還ってくる。  行脚出発前にアジトだったアパートは若手に主人を譲って戻る場所は実家に、地元駅を降りればよく昼宴の場にしていたスーパー脇の広場でアパート主人の若者を呼んでから実家に還り、平日オッケーの近所にも次々と声を掛けて、不在中の報告を受け白紙の次をホラ吹き煽る。 久しぶりの宴であっという間にまわる酒、座っている行為に圧迫感を訴えてくる尻上部、浮腫む足、良かった事に行脚を振り返るような心地は一切生まれず、それでもあと10日で出発する新春巡業から初めてのタスマニア島巡業にも夢想拡げず白紙な夢想、歩く鞭がなくなって一気に崩れた心身に、どこかに残ってるはずの向き合った縁も繋げながら余熱冷めればハッパをかけて、慌てず焦らず集中させていこう

1217
  散歩のご夫婦の声や新聞配達のバイクの音に朝は近くなり残り6キロを歩き始める。 バイパスの案内看板には 県庁 はりまや橋来たなあ、2キロを広いバイパスで進んでから旧道に、しばらくすれば路面電車の線路とぶつかって改めて期待感、線路沿いに歩いてまた広い国道にぶつかればもう中心市街で、案内看板には四万十市や愛媛松山の地名があって歩きたくて行ってみたいけど呑み込んで、午前6時にはりまや橋に到着、打ち上げて乾杯、確か昔は三大ガッカリ名所と言われてたけど歩き旅にはこの位が呑み込めて好くて、この小さな橋の周りに生まれている風景も含めて大きなシンボル、路面電車も交差する大きな交差点での日の出をゆっくり拝み、駅に移って帰還用の普通列車乗り放題切符 青春18きっぷを購入、連絡を待ってもらっていた新春の演舞先に挨拶を入れて心地を整理しながらの市街散策へ、ちょうど駅前の大通りから高知城に向かう通りで日曜市が開かれていて、これがまた、降り注いだ日差しをたっぷり吸い込んだ土に育まれた生姜や根菜、もちろん野菜も果物も、思わず御年輩の売り子さんとを見比べ納得してしまう漬物や梅干しや干し柿、黒潮の干物にあらゆる鰹、餅や饅頭、おこわに赤飯、密集した客は売り手と話しながら買い物を進め、もう昂ぶる気持ちをどう過ごして好いのか分からずスーパーに脱出して一息、ふう。 全国で唯一らしい当時の建造物が揃っているという高知城もまた、活性化は経済じゃなくて育まれてきた風土への誇りだとつくづく魅せられ、一昨日ここを一区切りに決めなくてもそうなっていただろうと満腹な刺激。 正午に駅に戻り普通列車を乗り継ぐ帰還、阿波の山深い町に降りていく男子高校生は生まれ育った地元をどう想いどんな進路を描いているんだろうとか、帰宅ラッシュ時間の岡山で俺も元旅人だと喜んで話しかけてきた70代のおっちゃん、最終電車の終着になった米原では何があったかずっと叫び続けて崩れている韓国人男性、生活列車での風景もまた唄に充ちて

1216
  残り40キロ少々で一区切りを決めた脱力は身体にも意識にも、ちょうど海沿いの自転車道に入り車道や人目からも離れられてぼっと散歩気分、遠く見つめれば湾沿いに果てしなく広がっていく地図、周りには放ったらかされた景色が挑むような存在感で点々と転がり、まだまだ雑が活きられる可能性、準備不足のまま飛び出したのは準備不足のまま過ごされ、歩きに特化して柔軟性なく突っ立った身体の頼もしさ、単調に集中して選別されていく生活、このまま続けていきたい欲求と間もなくやってくる現実とにどう構えていくべきか想い歩く。  耽り歩いていると前から大きなバックパックを背負った同世代ほどの旅人がやって来て、北海道稚内を出発して日本一周の歩き旅で10カ月目と、九州を折り返して四国を一周中で、愛媛から大分に渡り山陰を北上していくと活きてる喜びを惜しみなく発散していて、輝いてるなあと、こんなタイミングでホントに会うもんだと最初から決められている。 後ろ姿を見送って、ん? ?冬の北海道を出発したのか、イかれてるわ凄いな、でも持ってる地図は違う、明確な時間も目的地も描けてある彼の地図に、自分のは今以外は霞んでぼんやり白紙が広がっていく、広げていくのも畳むのも自分次第で、昼のチャイムに童謡故郷が流されとっさに口から 志しを果たして?いつの日にか還らん…“ って可笑しい。 まず目指した桂浜まで残り10数キロで日が沈んできて真っ直ぐ市街へ向かう事に、今晩中にも着ける残り6キロで買い物を終えて、最後の休憩にと座ったバイパス沿いの大きな家具屋前で、明日朝一に新しい心地でと休む事にする

1215
  しっかりした壁に囲まれたバス停とはいえ夜中に暑くて防寒具を23枚と脱いで南国黒潮、相変わらず海鳴りを轟かせ続ける海の上に受け皿みたいな薄い月が昇ってきて少しだけ明るみを帯びた景色、でもあと2時間もすればこの月も朝に呑み込まれるのにと思うと愛おしい。 計算通り日の出時間に室戸岬へ到着すれば向こうの海にすごい数の漁火、ここまでの荒い海には船の姿は全然見えなかったのにあそこらが黒潮なのかなと、船の上はどんなだろうと吸い込め吸い込む。 空全体が白んで夜空を切っていた灯台はまだ回っているのに明かりの線を消され、月や街灯が作っていた淡い影も消され、まだ陽が昇る前の朝は夜より明るくなったのに影がなくなって不思議。 室戸岬を折り返して進路を北西に向けると海は静かになって、海と山の隙間に細長く続く町を歩きながら緩やかな湾の向こうに霞んでいるのが目指す足摺岬だろうか、それとももっと先だろうかと、浮かべた地図より果てしない風景に深呼吸なのか溜息なのか。 夕暮れになってコンビニカフェがありメールを開けてみると新春演舞の誘いが、なんかグサッときてしまった。 一向に近付かず広がっていくばかりの風景を追い続けて追い続けたくて、でも何処かで深呼吸しなきゃいけないと急に、準備不足で始まって治し直しながら妥協し続けて、描けなかった時間や風景に一歩一歩飛び込んでいく毎日だったけど、描いとかなきゃいけない時間と風景が待っていてくれるありがたさにもしっかり目を向けないとなと、いやあ果てしなくて、高知で新春へと向かう事にした。 バイパスが出来て通りがほとんどなくなった旧国道脇の「道の駅」 周りには廃墟が並んで静まり返った風景でも何でか活力が新しく湧いてるような

 

1214
  左手少し後方の海から朝がどんどんやってきて度々足を停めて振り向き、透き通って眩しく強く冷たい空なのか宇宙なのかが景色を色鮮やかに浮かび上がらせて、目につくもの何でもに捉われて歩くどころじゃない、描くことも出来なかった時間や風景に一歩一歩と、ホントに知らなかった事ばっかりだ。 熊野古道が自然の壮大な深さ厳しさ優しさ優雅さに包まれながら自然崇拝の本山へと詣でる道ならば、お遍路は浮き世俗世煩悩を廻りながら徐々に説かれていくような、一つ一つに思わされること多々。 すぐに高知県入れば人も景色も車のナンバーも驚くぐらい一瞬に変わって首都圏からの身には不思議な光景、刺激的で魅力的でどうしていいのかわからずついつい朝酒に手が伸びた。 まずは室戸岬を目指して、海からすぐ切り立った山との間に小さな町が幾つかあるだけの一本道、国道の通りはめっきり少なくなって、お遍路に広く造られている歩道、荒い波が止めどなくぶつかって海鳴りが切れ間なく続いて、正面から降ってくる日差しの暑さ、何だか眠くなってくる。 で暑い、地元の人は寒い寒い言ってるから体感で暑がってるのは自分だけみたいだから、紀伊半島の南東部みたいに南国黒潮に戻ってきたんだろうか。 町ごとのスーパーマーケットが嬉しくて3件に立ち寄り買い物、品揃えに限りがあるし値段は高いけど必要なものを熟慮させられて好い感じがする、それに次々やってくる地元の人たちの飾りっ気のない振る舞い装い表情会話、こんな日常に活きるとこんな自然体に活きられるんだろうけど、すでに与えられた事は覚えちゃってるからなあ、旅に踊らなきゃね、シンプルに。 室戸岬まで一気で日の出を拝もうと思ってたけど手前7キロ、長寿園のバス停で休むうちに狭く壁に囲まれ風避けの心地よさで今晩はお願いしようとベンチに吸い付い

1213
  夜中いっぱい吹いた風も壁に護られ安心な眠り、小便に起きれば満天の星空で当たり前に星が流れて、こっちの人はふとした時に夜空を眺めるんだろうかと、都会では街灯りやイルミネーションに歓喜しても空には期待しないような、環境で当たり前に変わる活き方感じ方過ごし方だから旅して知らなかった常識や日常に出会う事、もちろんカゴの中の鳥だって幸せだろうけど、知ってるつもりだった事ばかりを知ってたつもりだった事にふと思う旅はいつでも。 水たまりに氷が張っていて、昨日も低い山の上に薄っすら雪が被っていてすっかり冬、体感の冷たさはあるけど余裕あるのは馴染んだおかげさま、いきなり今日から野宿だったらどうだったろ、このまま春まで野宿を続ければもっと感じなくなるんだろうと思えば不思議だ。 2年前の2月にフランスから自転車でリヤカーを引いて大陸横断してきた旅人に会って、徳島と高知の県境の町にリヤカーを置いてきたからと便りがあって高知から逆回りで歩いた道、無事確認して徳島まで北上した時の通り道でその時は午前零時を廻って到着した日和佐、冷え込みがすごくて数時間の仮眠で出発したけど今回は午後2時に到着、町が活きて動いてる時間に訪れたいと思っていたから嬉しく散策して、さらに次の牟岐町まで15キロの緩やかな峠道も同じく夜歩きだったから明るいうちにと意気込んで、速足だけど景色をこうだったのかと見つめつつ、日は沈んだけど白みが残るうちに一気に歩ききって万歳、歩き足も四国に入ってまた復活した。 乾杯するのに駅前スーパーへ直行したら何と定休日、前回はここで野宿のつもりだったのに雨から雪になって、東屋も見当たらずしばらく駅で宿らせてもらってから勢いで峠越え、この町とはそんな縁なんだろうと面白くて、スーパーを求めてさらに12キロ先の海南町まで往くことにした。 集落はほとんどなく暗くて、海沿いに出るたびの静かな海と夜空の光景に見惚れてコーヒー沸かしたりラーメン作ったりと休み、幾つかの低い山を縫っていくと裏の空が明るくなってきて到着、期待のスーパーはなかったけどコンビニが数件あって、カフェ利用以外では今回初めてコンビニでの買い物、避けてたわけじゃないけど結構どこにでもあって24時間営業だから、当たり前に活用すると思考や準備の怠慢が常態化しそうで日頃から使わないように、でも今回はありがたく、でも次はないように思考と準備は心掛けないと、今日の道中はスーパーがなかったしこれが現代なんだから歩き旅ではね。 寝床の駅前ベンチから道向かいにもコンビニで、夜のお客さんはほとんどいないけど猫が自動ドアを開けて入っては店員さんに優しく追い出されて微笑ましい

 1212
 
新都市造りのアートオブジェも散らばった用水路的な川沿いの遊歩道公園、駅から500mほどで向かいには高層住宅も建っていて、歩行者用の橋を渡って駅方面へ向かう通勤者の足音がいくつか聞こえてきて自分も駅へと身支度、駅に置いてあった徳島県と高知県の観光地図をもらい、もうほぼ決めていたけど目標の地を高知県の足摺岬に決める。 気分一新、新しい一歩は明るくなってから、少しくねくねしながらの県道を選んだらやっぱり旧道のようで、町並みも積み重ねがあって歩き心地が好い、でも片道一車線の道は中心市街に向かう上りは大渋滞で動かないほど、脇をするする抜けていく高校生の自転車は寒そうだけど爽快そう、毎日ご苦労様です。 2年前の冬にフランスから自転車でリヤカーを引いて大陸横断してきた旅人が高知と徳島の境にリヤカーを置いてきたからと確認に、その時は逆向きに歩いたけど、どの道を歩いたんだろうなと懐かしく想い出していたら、小松島の港でこの風景見たかも、食事を作ろうと防潮堤を乗り越えて浜に降りたら隣に並ぶ工場に 前回もここで食べたわまた同じ場所を選んでいるのが可笑しくて、地図を眺めながらだんだん前回の風景を思い出してきた。 日暮れになって阿南町、前回は夜歩きが多かったから今回は日中を歩きたくて寝床探し、でも地図を見ても適地が見当たらず、強い北風予報が気になったけど一晩くらい良いさと海水浴場に決め、流通バイパスのスーパーで一杯飲んでから海へと向かう広い耕作地に入り、と何か、耕作地の真ん中にたっぷりな異質感で東屋のような、未舗装の農道を近付いてみるとやっぱり公園で、二つの東屋のうち手造り感な方は北側と西側に薄い壁が張ってあり風がピタッと、お遍路道でもなさそうだし、貼ってあった小さな注意書きを照らしてみると 農家皆さんのご好意で出来た公園ですと、ありがたいです、感謝です、キレイ丁寧に眠らせていただきますと、感謝

 1211
  また温かくよく眠れた目覚め、夜中は静かだった国道は徐々に交通量を増やしてまだ暗いけど朝が近いと意識も覚ます、と足音がして年上世代の男の人、散歩の風じゃなくて表情も歩き方もすでに就業モードで、続いて同世代くらいの女性も挨拶してくれたけど真っ直ぐ、まだ暗い午前5時半、ご苦労様だなあとパッパと身支度して出発する。 国道は上りも下りもすぐにすごい交通量になって、しばらく離れてた浮き世の忙しい日常を思い出し、脇道や旧道を歩くようにするけど雰囲気のある長閑な町の朝も通勤通学の人の流れが真っ直ぐに小さな駅に吸い込まれ、海岸も工場やコンビナートがどんどん幅を広げて、そして和歌山市街に近づくとドーンと整備された流通道路の両脇にチェーンの大型店舗が無数に並ぶ圧巻、還ってきたなあと実感する。 で、決まったなと、あとは奈良から京都に抜け旅を納めて東海道を川崎へと帰還するそんな計画もすでに次への求心力は萎みつつあり、あと10日以上を惰性と歩き続けることへの違和に何度も地図を描き直していたから、これで決まったなと、キリがないから振り払っていたけど海に浮かんでいた道に抜ける、ここまで来たんだからと和歌山からフェリーで四国徳島に渡ることに決めた。 途端に昂り膨らんだ期待と好奇心、和歌山市に着けば天守閣を拝んでフェリー乗り場に直行し、日の入り30分前に出航のフェリーに乗り込む、やっちゃったなあと、明日が真っ白になった可笑しさと愉しみ、船内の2時間は顔が火照って火照って野外の日々が長くなってきたことを感じ、テレビで明日はこの冬一番の冷え込みで強い北風で雪の可能性もとやっていたけど今更大歓迎、徳島港に到着すれば何から始めていいか、市街へ向かう途中の巨大モールに入って観光地図の立ち読みと食材をたっぷり買い込んで、整備された河沿いの遊歩道でちょっと贅沢な食事、明日はまた始めの一歩と嬉しくなる

 1210
  防寒具を余らせたのに温かくて久々眠ったなあと思えた寝起き、でも住宅地内の駐車場に善意な感じで設けられていたバス停ベンチ、夜中も時々車や自転車や人がジャリジャリと砂利を鳴らして通っていたから午前4時には起きて移動する。 隣の由良町まで4キロ少々の峠越えは国道で、地方道の峠越えも試みたんだけど日の出前で細い道があちこち別れてわからず、歩道がない国道をまさか歩行者と飛ばす車に気をつけながら、由良港が見えて国道を外れられると静寂な朝があって、あの忙しかった流通国道とのギャップがいつでも不思議に思える。 由良町からは喧騒を離れて海沿いの道をずっと往き、長閑な漁港続きから白岩の岬に出たり、散歩のご年輩が あれが徳島であれが淡路島と霞んで見える陸を指さし教えてくれて、黒潮の太平洋じゃなくて瀬戸内の海に入ったんだなあと満足感、湊町も黒潮側みたいに強硬ではなく穏やかな感じになって、日曜日の車には大阪からのナンバーが多く見られ、紀伊半島一周もあと少しと昂ぶってくる。 山の傾斜が緩んでくるとミカン畑が平地から山の上の方までに見られるようになり、鈴なりの蜜柑が点々と見えて少しだけの紅葉と緑の木々に強い陽射し、それに蜜柑を啄ばんでいるのかすごくたくさんの鳥がさえずっていて心地が良い。 昼を過ぎて醤油発祥の地の湯浅町に到着、20年前くらいには巡業で度々来ていたから懐かしくて楽しみだったけど、やっぱり20年の歳を重ねたというか、伝統建築保存地区も日曜日なのに観光客は少なくて、新しいのは流通道路に面したチェーン大手のスーパーとドラッグストアに、路地が迷路のような駅前で建設中の大規模な観光と交流施設だけのような、近隣住民の生活にも旅行者にも利便だけど、なんかこの風景からの違和感を覚えるのは、ここでの下積みがないまま大きなマニュアルで出来てるからかな、今更時勢だから仕方がないけど。 いつも滞在した呑気なお母さんがやっていたユースホステルは、観光案内所の方も気まぐれでやってると言ってたけどやっぱりドアに休業日とあって可笑しく嬉しく、ミカン狩りを手伝った畑や仲間と夕食を調理して呑んだ漁港やら、見覚えある風景にここここといろいろ思い出して嬉しく、かった。 有田市の箕島にはもう日が暮れてから到着、寝床探しを兼ねて散策すると神社の会館からお囃子が聞こえて、川沿いの一筋入った通りには雰囲気の良い長い商店街が続いていて、ここは日中に歩いてみたかったと思ったけど、大きな川を挟んだ向こうにはショッピングバイパスが走っているから、日中は人気が少ないかもと思うとこの時間の方がいろいろ空想できて好いのかもと、程よく商店街は国道バイパスに合流して、閉店後のスーパー前のベンチ寝床に、感謝

 129
  風がビュービューと冷たくて目覚めても寝袋に包まって、完璧に冬入りしたみたいなこの数日の冷え込み、まあ良い、昨日は夜歩きが長かったから今日は明るくなってからの歩きだ。 「道の駅」からまずは来た道を4キロを戻ったけれど、こんな所を歩いてたんだと新鮮、夜歩きにはまた夜歩きの好さがあるけど呼吸感が違う、今日も元気のなれる朝。 みなべ町は梅干しの郷であっちもこっちも大きな梅畑、剪定され跡から青味がかった若い枝がグングン伸びて生命力を魅せていて、あと3ヶ月後にも華やかだろうなと見てみたい。 印南を抜けて御坊まで、熊野古道はまだリンクしているけど並走している新しい道に繋がり生活道路になっていて、今の活きている生活感に満ちていて魅力的、紀伊半島に入ってからの町歩きはずっと、歴史とか伝統とかの積み重ねが散りばめられていて、残しているとか残されているじゃなくて残ってる風景が雑多で自然なバランスがあって素敵。 廃墟みたいな空き家は多くて、歯抜けて更地になったり新しい建物が出来ていたりもしてこの風景もギリギリに思えるけど、新しく流れてくる風景か、創造とか信念とか、信仰、生活、工夫と作業、活きることと向き合っていれば自然と次代へと風景は繋がれる、踊らなきゃね。 何度も立ち停まって深呼吸した一日

128
  背中から冷えて目が醒めると夜露で寝袋の表がビショビショに濡れていて、まだ午前1時半だったけど明け方にはもっと冷え込むだろうし、この3日は空が白むのを待ってからの歩き始めだったからなんか嬉しくて出発、山間でもバイパス風によく整備された国道、いつもは敬遠する道だけどこんな時はありがたくて、車通りもほとんどなくて安らか、と思ったらポツポツ雨、旅は色々やってくれるなあと何か、峠道の3日間は快晴で今日の長閑な歩きにはこんな刺激、予め決められていたようでありがとうな不思議心地。 一気に海まで歩いて南紀白浜の温泉が次の目標、夜の暗い静かな山間の雨も降ってきた歩きを肴に飲みながらにしようと、ウヰスキーを割る炭酸飲料を自販機で買っていたら配達の兄ちゃんが来て、おはようと挨拶したらこんばんわって返されて可笑しい。 冷たく強い風、雨は小降りながらも断続的な中を4時間半ほどを歩いて朝、白浜駅に着いて2時間近く休ませてもらい、また雨の中を1時間ちょっとで白良浜に到着、雨はもう気にならなくなって白い砂浜への達成感を祝いにまた一杯、公衆温泉で溶けるように温まらせてもらい、天気予報では午後から回復とあったから正午に出発、まだポツポツ降るけど気にならず、田辺までの10数キロはもう1日の終わり気分でまた1本、しばらくして雨は止んで、田辺駅で休めばもう日没時間、風が相変わらず強く吹くから寝床には10キロ先に見つけた「道の駅」を目指すことにして、また度々スーパー見つけて呑みながら、すっかり休日気分だったけど、久しぶりに50キロも歩いてた

127
  
山々に挟まれた広く静かな河川敷には靄が覆って幻想的な暗がり、古道中辺路の峠道はあと35キロあって、日中が短いから一気に行くなら早く出発したいけど空が白むのを待って、天理教のお勤めか午前6時に太鼓が聞こえてきて出発。 民家のタライに氷が張ってる、季節が進んでるなあといつの間にか出発3週間。 今日も快晴、空気が冷たいけど急坂を登れば汗が流れてすぐに冷やされ、急勾配の峠を3つ4つと越える道中は平安時代に貴族や皇族の熊野詣での宿所や休憩所跡が多くあって、なだらかな所に出れば民家や町もあり、茶屋や民宿や商店、湧き水や杉の古木、昔話の跡ばかりでなく活きている宿場町に旅の心地を膨らまされる。 中辺路峠越えの出口になる滝尻まであと峠一つ残して午後2時半、案内板では3時間半ほど掛かるら間に合わないかと思ったけど、こんな早い時間にまだ休めないと入ることにして、風景を呼吸すとか考えずにひたすら早足で、もう反対からの旅人もこなくなって急がなきゃとつづら坂を大汗掻いて登っていると、前にホームレス?と思えた華奢な男の人、巾着風の小さなザックを背負って両肩にパンパンに膨らんだエコバックを掛けて、Yシャツにトレーナーのズボンの裾は靴下に入れた装い、声掛けて追い抜くと 高速道路みたいに抜かれちゃったな?“ “日暮れまでに間に合うかな?顔を真っ赤に汗流して登り坂、まだ入り口なのに大丈夫かなと思えた足取りだったけど まだたっぷり時間ありますからと返して先に行かせてもらった。 訳ありで巡礼の道に引き込まれたんだろうか、こんな旅をしているとたまに出会うけど、失踪とか蒸発とか、なんかそんな匂いを発している方だった。 目の前の山に沈んでいく夕陽を追いかけるように飛び歩いて日が隠れるピッタリに町へ、間に合った、峠入口のお地蔵さんに手を合わす。 終着の滝尻まではもう少しあるけどここまで来ればどうにでもと、でも日暮れると古道はすぐ闇になって足元が見えなくなり、まだ続く急な下り坂を前にここまでと引き返して林道に出ることに、あと2キロ、残念だったよりも充分な達成感、古道が続いているはずの峠を横に見ながらつづら坂の林道を下の町灯りに向けて、そして流れがある国道に、橋を渡ったすぐにバス停のベンチがあって、歩道がない道路脇だけど、近くには他に場所はなさそうでここにする。 今晩も冷えるけど、あの男の人は抜けられたかなと気になりつつ、パンを齧って寝袋に包まる

126日 熊野本宮詣
  冷え込みで夜中に目を覚ますと月明かりにぼーっと青白く浮かび上がった古道と山の風景、このまま歩こうかとも思ったけど目を脇に向けると暗闇の杉林、だいぶ冷え込んでいるしもう一眠り。 次に目覚めるともう向かいの稜線の空が白くなっていて朝日の手前、急いで身支度とコーヒー、で、もう眩しいほどに光を放って昇ってきた朝日、今日も好い朝に出発。 昨日のうちに峠まで登ってきたからハイキングのような気楽さで10キロを歩いて峠から出ると立派な国道に当たって、でも車通りは少なくて、営業時間のはずのコンビニが閉まっていて仕方なく自販機の炭酸飲料を買いウヰスキーに割って乾杯、裏の家の方が玄関で日向ぼっこをしてると思ったらデイサービスの迎え待ちで、元気に車に乗り込むおじいちゃんと、よろしくお願いしますと頭を下げる娘さんかな? 今はどういう時代なんだろうと、巡礼の道から丸一日ぶりに降りてきて想わされる。 熊野本宮参拝の前に3つある温泉地巡りをして、川を仕切って造られた大きな仙人風呂で汗と凍えを流し、そして本宮詣、目指してきたおかげさまで多過ぎるほどに恵まれた縁に感謝しかないなぁ。 観光案内所で別の古道の地図をもらい、ここから吉野までの修験の道、高野山までの道と興味深いけど、今回は巡礼とか修験とかはもう目的じゃなくなって、もっといろんな風景に呼吸したいから次の夢想の糧にすることにした。 本宮周辺にはスーパーがなくて、4キロほどの小さな町の「道の駅」に農協スーパーが中に入っていると聞いてついでに寝床にさせてもらう。 観光客よりも地元の溜まり場な感じで、本宮へと続く河川敷ではたくさんの子供が遊んでいて日暮れ前に親御さんたちが迎えに、仕事帰りに次々と来る地元の買い物客、「道の駅」ではよく見かける車のキャンパーはいない。 川沿いだからかすごく冷え込んで早々と眠ることにした

125日 大雲取越え
  熊野古道の中辺路歩きの始まり、日の出前に那智駅前を出発して那智大社へ続く石階段、大門坂入り口で山陰から朝日が顔を出してまず手を合わせ、熊野三山の那智大社と隣り合わせる西国三十三ヶ所の一番札所、那智の大滝に手を合わせて古道に入る。 大雲取越えになるほどと雲を取りに行くとように急坂の石畳がずっと続いて足が進まず、小さな町に出るまでの15キロの行程はずっとこんなんだろうかと早々と挫けそうになったけど、最初の峠を越えればあとはそれほど長い坂はなくなり、楽でもなく苦でもなく、昔の人たちもこうして巡礼の道と歩いてたんだなと負けたくない。 世界遺産にもなってるけどこの季節だからか歩く人は少なくて、欧州人7人と東洋人女性女性3人日本人は同世代前後の女性3人だけ、最後に同じような大きなバックパックを背負った青年が急坂を登ってきて、いたか男子、と声掛けたらやっぱり台湾か中国からか、日本の若者が歩かないのはなんとなく分かるけどね、登山みたいに眺望がなくてほとんどが植林の杉林、茶屋跡は何ヶ所かあるけど茶屋はなく、ひたすら登り降って本宮へと向かう巡礼の道、でもたまの眺望は熊野三千六百峰と言われる山々の景色から太平洋まで、冷たい風に吹かれて杉がワッサワッサと音を鳴らして揺れる様子は精霊を想えたし、登山ブームに沸く山じゃなくて静かに独り歩けるここで良かったと思える。 日が短くて1日では本宮まで届きそうになく、もう一つの小雲取越えの前の町で野宿予定だったけど、峠の出口には多分昔は宿場だったのか廃墟が並んで、商店は店休日なのか営業してないのか、町の人は気さくに昔の賑わいを話してくれるけど、キャンプやバーベキュー禁止の張り紙があちこち、わかるな、この時勢にこの道歩く人たちはそんな人が多いはず、蟻の熊野詣と言われるほどに賑わったらしい平安や鎌倉時代、那智のスーパーで声掛けてくれた両親と同じ年のお母さんも あの時はブームだったからと登山ブーム時代もかなりの人が歩いていたよう、次はどんな風に人が戻ってくるんだろう。 町中での寝床を止めて地図に東屋の印があって小雲取越えの峠道に入る、また石畳の急な上り坂が延々と続いて汗だくだく、少々呑んでたし旅人に優しくしない巡礼の道にこれじゃ誰も来ないさと悪態つきながら登り続け、そして日暮れみ元茶屋があった東屋へ、間に合った、景色は開けて向かいの山の稜線に落ちていった夕陽、暗くなれば小さな町灯りだけで周囲は闇、こんな野宿に縁があるとはね、悪態ついた古道に感謝感謝

124  古道前夜
  早寝のおかげで午前3時過ぎに目覚めたけれど目指す熊野古道の入り口も那智までは30キロしかなくて、まずは2時間少々を砂浜脇の景勝地で空が朱と青に染まるのを待ってから出発、しばらくして海霧の向こうに日の出、今回の日の出はこれで見納めだなと手を合わす。 一度通った道をゆっくり道草して戻ろうと思ったのに、休んだおかげさんの快調と雲が厚く天気怪しくなってきてやっぱり急ぎ足、正午ピッタリぐらいに往路では夜で散策できなかった捕鯨の町、太地町の手前でポツポツ降り始めてどうするか考えたけど、那智まではもう10キロもないし折角だから廻ってみればやっぱり良かった。 古式捕鯨発祥の地で今でも捕鯨の町は、西洋の愛護団体の格好の的になって愛護側から描いたドキュメンタリー映画が賞を獲って一躍有名に、鯨漁との関わりや伝統の発信があちこちに見えると思えば、漁の舞台では遊歩道に鉄柵が設けられ関係者以外は入れないようになっていたり、臨時駐在所、獲ったイルカの生簀付近では撮影禁止になっていたりとちょっと物騒、ドキュメンタリー映画を受けた日本の映画のポスターが道の駅に貼ってあって 二つの正義の物語 小さな町に押し寄せた鯨を巡る大きな衝突訪れてみればホントに小さな町、当たり前だった日常を追いかけられた人たちは大変だったろうなと思う、今日もいい勉強。 古道への入り口になる那智にはまだ日があるうちに到着、観光案内所で情報を頼ればいかにも健脚そうなご年輩が相手をしてくれて、険しさと遣り甲斐を熱く語ってくれ一気に昂り、観光情報誌にも載ってるぐらいだからとフラフラ来たけどこりゃ結構充実しそう、さらに他の古道ルートの事もチラチラ口に出してくれて、その後の道が一瞬に白紙になるほど興味を惹かれた。 今日みたいな雨でも滑る靴、用意し過ぎて大きな荷物、まずは2日で熊野本宮に着くらしい歩きを経て、次にどこへ向かうかは白紙にして飛び込みたい。 駅前の足湯、スーパー前のベンチと休んでいると大荷物に声かけてくれる人は古道行脚へのエールを送ってくれる、大した下調べもしてなかったから急な昂り、ホントにそんなんだろうか、明日の早朝から飛び込んでみる。

123日 折り返し
  本州最南端の潮岬の最南端のキャンプ場、テントを南東に向けて入り口を開けっ放しのままに寝て朝を待てば、濃紺の空の根元が血が滲んだような暗く赤くなって、そして明るさを帯びていつものようにじっくりゆっくり焦らされながら日の出、昨日の夕陽を見送ってから13時間とちょっと、地球は回ってるんだと実感する。 広い芝の高台にあるキャンプ場にもう一泊して、橋で結ばれているお隣りの大島や街中散策を予定していたけど、荷を背負っていない体はフワフワ浮かび、ついでに気持ちも意識もフワフワと、こんな時は本を読んだり美術館や資料館に行けばいい吸収力があるんだけど、用事もある町に出たらそのまま呑んで終わりそうな気がして出発することにした。 ズシッと体にも意識にも負荷、歩かなきゃの想い再びだけどあくまで休息日と出来るだけ歩かない心掛け、町には正午に到着し、食材の買い出しと段ボールをもらって使わなくなる荷物を送る、荷を降ろしての名所巡りにあと数回を考えていたキャンプも休まりすぎて今回のみに、冬野宿を意識しすぎて多目に持ちすぎていた着物も詰めて、重さはあまり変わらないようだけどパンパンだったバックパックに隙間ができて、パンとかバナナとか卵とか、もっと食材を詰める余裕ができた。 電源を入れてない時間が多かった携帯電話もついに充電が減ってきて販売店に立ち寄ればもう日が傾き、 近くの海水浴場に降りて、自然のイタズラで海に一直線上に20ほどの大岩が立ち並ぶ景勝を眺めつつ今日初めての食事の準備、とその向こうにボーッと空に混じって浮いているまん丸なお月さん、満月かな? 海水浴の休憩所になる東屋もあって今日はもういいかと休息日、ついつい先へ先へとせっかちになってしまったこれまでの歩き旅、期間が長い今回は歩き過ぎなくても自らを囃さない余裕がようやく生まれてきたようで嬉しい。 海は波穏やかで砂がすごく細かく、食器を砂で擦って海で流す、この海あまり塩気がない。 どんどん光を増して昇っていく月、月から地球を見てみたい、もっと丸い地平線から青くて大きな地球が顔出すのを見てみたいなあ。 長くてあっという間な折り返し、まだまだこれから、古道の山歩きもあって、明日はどんな計算でどこまで歩いて行くんだろう。 夜中にはまた蚊がブーンと、ちょっとだけ痒いけどもう免疫できた

122日 本州最南端
  温かくて緊張を抜かれた屋内の目覚めは身支度も意識が休んだままでサッサとせず、外でコーヒーを沸かして流れる冷たい空に当てられ心身を引き締める、どっちが快適かはどんな日常を迎えたいかだなと。 今日も歩き出して1時間半ほどで海沿いの日の出に手を合わせ、途中の景勝に立ち留まりながら本州最南端の町、串本に正午過ぎに到着、来た、到達した満足感と折り返し感と、ようやくスタート地に立った想いが同時に興って、いや、国道の案内看板にはこの先に続く半島西側の地名が距離表示されていて、和歌山から徳島に渡って四国縦断して愛媛から大分にあと1ヶ月あれば、いや全部で3ヶ月、いっそ1年、気が済むまでとキリがなくて断ち切る断ち切る。 更に本州最南端の潮岬までは歩いて1時間少々、今日明日と2泊をキャンプする休息日を前に、ここまでを流す気持ちでコインランドリーで雨具を着て全部を脱いで洗濯、昨日の温泉に続いてこれで折り返した。 潮岬に向かっていれば海に降りていく夕陽が見えて急ぎ、ちょうど日の入り直前に展望場所に着いて水平線に雲がなく海に直接沈んでいく夕陽を、地球が回ってるとか間に宇宙があるんだとか、地球のどこかで常に朝を迎えてるんだとか、文化や風俗信仰や置かれている環境とかでどんな心地でこの夕陽や朝日を見るのかなあと、すぐ脇に目をそらせば細長く縮れた雲の集まりがチベット辺りの大陸の雪化粧した壮大な山脈のように見えて、また世界を見てみたくなるった。 さてキャンプの休息、テントを張ればアジトにじっと引きこもり安堵、明日はまた日の出から始めよう

121日 熊野詣
  人工物がほとんど見当たらない玉石の海岸線は続いて熊野川河口の手前で日の出を待つ、遠くの水平線に低く伸びている雲がマグマが噴き出ているように灼けはじめて、そして背後から更に灼けた日の出、こんなにじっくり日の出を拝んだのも久しぶり、今日も快晴。 熊野川を渡って和歌山県の新宮市に、橋の上から眺めても街には信仰が漂っている感じがして、渡ればすぐに 新宮の名の由来にもなった神道神社の本家本元という速玉神社があって参拝し、そして近くの急勾配な山に最初の神が降臨したという大石を祀っている神倉神社があると案内地図にあって、健脚じゃなければ易くない天然石の階段を昇って参拝に この階段急じゃないですか??オレ高所恐怖症なんですよと四つん這いで昇る男の人、旅は今日も愉しい。 社殿からは黒潮の太平洋に流れていく熊野川と街の景色、岩崖のてっぺんには丸岩が載っていて、神様が降臨するにちょうど良さそうな大きさでなんかイメージできるかも。 風や海、木に草、日、水、土、月や岩、神話でも信仰でも宗教でも元々は自然からの不可思議な力をを崇めているのは世界共有、朝から何度も手を合わせたくなる風景に向き合えるのも旅。 海岸で食事をしていたら車から どこかで見たんだよねえとみかんをくれる。 福島から原発事故で九州に避難してからずっと軽自動車で各地を転々としているらしく、もう6年も車内泊だけど快適でねえと笑い、避難生活がいつの間にか放浪生活になった様子、見かけも話すこともすごく普通の還暦以上な男の人だけど、理由はともあれ社会から解放され自由な毎日を見つけて満喫してるんだなあと、ホントの放浪者だ、まただ、自分は放浪者にはなれないとつくづく。那智では熊野本宮や古道の案内板やパンフレットにいよいよ入ると武者震いな感じ、そして出発15日目にしての初風呂は那智勝浦、紀伊半島に入ってずっと続く漁師町でもここの活力は桁違いな感じで、温泉地でもあるから観光客も多くやっぱり中国や台湾の団体さんが賑やかに目立ち、中型の漁船から降りて街へと流れていくのは東南アジア風な若者たち、グッと背筋伸ばして視線定めて闊歩する姿勢が逞しく、商店街もまた漁師町の活気が漂って、日暮れるまでは風呂に入るのが勿体なくて紀の松島と呼ぶ島々に囲まれた漁港で一杯二杯、これまた紀伊半島に入ってからどこの町や集落でも商店や酒屋はすでに廃業しているようでも酒の自販機はあって、ここの男たちの日々が浮かんで見えるようで嬉しい、そうでなくちゃ。 酒屋で食材を求められる所を聞くと今日開店したコンビニがあると教えられ、ちょっと似つかない気がしたけど覗いてみれば、中高生ばかりが立ち読みやイートインで屯したり、店前にも男子女子それぞれのグループが居て大人は姿なし、いずれは街の利便になるだろうけど なるほどと思わされた光景だった。 温泉は船から降りた漁師たちばかりの小さな公衆浴場、15日目の初風呂は素っ裸になった感触がすごく解放された感じで、湯をかぶるのも浸かるのも洗うのもそりゃ気持ちが良かったけど、入らない日常が出来ているからこれからも毎日は要らないかなと、服を着ればまた汗が漂って、また歩こうと気分爽やか。 1時間半ほど歩いて鯨やイルカ漁で世界に知られるようになった太地町、歩いてみたいけどもう暗く「道の駅」へ、トイレ脇の屋内ベンチも充実していてコンセントもあり、外が気になりつつ充電を兼ねて屋内の寝床