桂林と鑑真


鑑真和上は第5次渡航が台風にあって海南島へ漂着した後、
楊洲へ返る途中、桂林で1年ほど過ごされました。
現在、桂林にはその開元寺跡に仏塔があります。

写真は、鑑真和上と故郷楊洲の花、桂林の風景です。

733 第9次遣唐使派遣
僧・栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)に特命が下りる
即ち『唐の国より授戒師を連れ帰れ…』
742 唐の国・揚州にて鑑真和上に出会う
和上すでに55歳の高齢にして、高名なる僧。
和上一言『これ仏法の為なり、なんぞ命惜しからむ』
743 第一回渡航計画
   栄叡、普照を海賊だと密告するものがあり失敗!!
 743末 第2回渡航計画
   揚州より船を出すが、嵐にて船は大破!!
743末の末 第3回渡航計画
   第2回にて壊れた船を修理し、再チャレンジ
   またもや大嵐にて船は大破!!
744 密告にて栄叡逮捕監禁される。
ようやく釈放され福州からの出国を計画(第4回渡航計画)
和上の身を案じる弟子の密告により当局より出国を差し止
められる。またもや失敗!!
748 第5回渡航計画
   ようやく出国に成功するが、嵐に船は流され、14日間
   の漂流の後、唐のはるか南、海南島に漂着。一行は1年
   をここで過ごしたのち、陸路揚州に帰る。
   途中、栄叡 死す。
752 第10次遣唐使来唐。藤原清河、吉備真備、大伴古麻呂らが
来る。普照に出会い鑑真和上の来朝に協力することを約す。
753.10月 第6回渡航計画
   遣唐使の帰国に合わせ鑑真和上他一行が密航。
   大伴古麻呂の船にて沖縄着。
   和上の眼、失明!!
754.02月 一行、瀬戸内海を抜け、難波津(大阪港)着。
754.04月 和上、東大寺大仏殿前にて聖武上皇、孝謙天皇に授戒。
東大寺に戒壇を設ける。
759 平城宮右京五条二坊に、唐招提寺建立。戒壇を設ける。
763.05.06 和上、亡くなられる。