日蓮上人木像(現池上本門寺・国宝) |
日蓮上人没後の7回忌に奉納されたもので、 人々の記憶が新しい時期に作られたということから、もっともお姿に近いのではないかと云われます。 亡くなられた御年61歳よりは若いお姿のようですが、 身近な者の心に残るのは熱情を傾けて立正安国論を掲げて戦われた若き日のお姿だったのでしょうか。 生涯、懐に収めて没後は一緒に埋めて欲しいと願われた御母妙蓮君の御遺髪が払子になっています。 |
日蓮聖人年譜
赤字は出来事 月日は旧暦です
1222 2月16日 1232 8月 1233 8月 1237 1242 1246 3月 1253 春 4月28日 8月 11月 1256 11月22日 1257 8月23日 1258 8月 1日 1259 4月 1260 7月16日 8月27日夜 1261 5月12日 1262 11月 1263 2月22日 11月 1264 7月 5日 8月11日 8月21日 10月 3日 11月11日 1268 閏正月18日 3月 5日 1271 9月12日 9月13日 10月10日 10月28日 11月 1日 1272 正月16日 2月 2月11日 4月 7日 1273 4月25日 7月 8日 1274 2月14日 3月 8日 3月13日 3月26日 4月 8日 4月12日 5月12日 5月17日 10月 1275 6月 1276 3月16日 7月21日 1277 12月30日 1278 5月 6月初め 6月26日 10月 10月下旬 1281 5月 閏7月1日 11月24日 1282 9月 8日 9月19日 10月 8日 10月13日 |
御歳 01 11 12 16 21 25 32 35 36 37 38 39 40 41 42 43 47 50 51 52 53 54 55 56 57 60 61 |
安房小湊に誕生 御成敗式目制定 清澄寺に登る 虚空菩薩に立願 清澄寺道善房のもとで是聖房蓮長と号す 鎌倉へ遊学 叡山遊学 北条時頼執権就任 蘭渓道隆来朝 安房へ 清澄寺に立教開宗 鎌倉松葉ヶ谷に住まいする 道元寂 時頼、建長寺に道隆を招く 時頼執権を退き、同日、北条長時執権就任 鎌倉大地震 大風 飢饉疫病流行 駿河岩本実相寺で蔵経を閲覧する 「立正安国論」を幕府へ献ず 松葉ヶ谷法難 下総中山へ避難 伊豆へ流される 親鸞寂 流罪赦免 鎌倉へ帰還 北時頼 卒 大彗星現る 長時執権を退き北条政執権就任 長時 卒 母の病を見舞うため安房へ帰省 松原大路で地頭景信に襲撃される 蒙古襲来 北条時宗執権就任 竜口法難 相模依智(えち)へ護送される 依智を出発し佐渡へ向かう 佐渡に到着 塚原の配所へ入る 塚原問答 「開目抄」 北条時輔謀反 一の谷へ移る 「観心本尊抄」 「大曼荼羅図」 幕府赦免状を発する 赦免状佐渡に着く 佐渡出発 鎌倉着 平頼綱に対面する 鎌倉大風 鎌倉を出る 身延へ入る 蒙古襲来 「撰時抄」 清澄の道善房寂 「報恩抄」 病を発する 病再発 重体 次第に快方に向かう 再発重体 回復 蒙古襲来 大台風により蒙古敗退 身延山久遠寺に十間四面の大堂が建つ この年春から年末まで病に苦しむ 身延を出る池上着 本弟子6人を定める 入滅 |
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