その間に事務所ではこういう風でした。 「はてな、今日はかま猫君がまだ来んね。遅いね。」と事務長が、仕事のたえ間に云いました。 「なあに、海岸へでも遊びに行ったんでしょう。」白猫が云いました。 「いいやどこかの宴会にでも呼ばれて行ったろう」虎猫が云いました。 「今日どこかに宴会があるか。」事務長はびっくりしてたずねました。 猫の宴会に自分の呼ばれないものなどある筈はないと思ったのです。 「何でも北の方で開校式があるとか云いましたよ。」 「そうか。」黒猫はだまって考え込みました。 「どうしてどうしてかま猫は、」三毛猫が云い出しました。「この頃はあちこちへ呼ばれているよ。何でもこんどは、おれが事務長になるとか云ってるそうだ。だから馬鹿なやつらがこわがってあらんかぎりご機嫌をとるのだ。」 「本とうかい。それは。」黒猫がどなりました。 「本とうですとも。お調べになってごらんなさい。」三毛猫が口を尖せて云いました。 「けしからん。あいつはおれはよほど目をかけてやってあるのだ。よし。おれにも考えがある。」 そして事務所はしばらくしんとしました。 |
さて次の日です。 かま猫は、やっと足のはれが、ひいたので、よろこんで朝早く、ごうごう風の吹くなかを事務所へ来ました。 するといつも来るとすぐ表紙を撫でて見るほど大切な自分の原簿が、自分の机の上からなくなって、向う隣り三つの机に分けてあります。 「ああ、昨日は忙がしかったんだな、」かま猫は、なぜか胸をどきどきさせながら、かすれた声で独りごとしました。 ガタッ。扉が開いて三毛猫がはいって来ました。 「お早うございます。」かま猫は立って挨拶しましたが、三毛猫はだまって腰かけて、あとはいかにも忙がしそうに帳面を繰っています。 ガタン。ピシャン。虎猫がはいって来ました。 「お早うございます。」かま猫は立って挨拶しましたが、虎猫は見向きもしません。 「お早うございます。」三毛猫が云いました。 「お早う、どうもひどい風だね。」虎猫もすぐ帳面を繰りはじめました。 ガタッ、ピシャーン。白猫が入って来ました。 「お早うございます。」虎猫と三毛猫が一緒に挨拶しました。 「いや、お早う、ひどい風だね。」白猫も忙がしそうに仕事にかかりました。その時かま猫は力なく立ってだまっておじぎをしましたが、白猫はまるで知らないふりをしています。 ガタン、ピシャリ。 「ふう、ずいぶんひどい風だね。」事務長の黒猫が入って来ました。「お早うございます。」三人はすばやく立っておじぎをしました。かま猫もぼんやり立って、下を向いたままおじぎをしました。 「まるで暴風だね、ええ。」黒猫は、かま猫を見ないで斯う言いながら、もうすぐ仕事をはじめました。 |
「さあ、今日は昨日のつづきのアンモニアツクの兄弟を調べて回答しなければならん。 二番書記、アンモニアツク兄弟の中で、南極へ行ったのは誰だ。」 仕事がはじまりました。 かま猫はだまってうつむいていました。原簿がないのです。それを何とか云いたくっても、もう声が出ませんでした。 「パン、ポラリスであります。」虎猫が答えました。 「よろしい、パン、ポラリスを詳述せよ。」と黒猫が云います。 ああ、これはぼくの仕事だ、原簿、原簿、とかま猫はまるで泣くように思いました。 「パン、ポラリス、南極探険の帰途、ヤップ島沖にて死亡、遺骸は水葬せらる。」 一番書記の白猫が、かま猫の原簿で読んでいます。 かま猫はもうかなしくて、かなしくて頬のあたりが酸っぱくなり、そこらがきいんと鳴ったりするのをじっとこらえてうつむいて居りました。 事務所の中は、だんだん忙しく湯の様になって、仕事はずんずん進みました。みんな、ほんの時々、ちらっとこっちを見るだけで、ただ一ことも云いません。 そしておひるになりました。かま猫は、持って来た弁当も喰べず、じっと膝に手を置いてうつむいて居りました。 とうとうひるすぎの一時から、かま猫はしくしく泣きはじめました。そして晩方まで三時間ほど泣いたりやめたりまた泣きだしたりしたのです。 それでもみんなはそんなこと、一向知らないというように面白そうに仕事をしていました。 その時です。猫どもは気が付きませんでしたが、事務長のうしろの窓の向うにいかめしい獅子の金いろの頭が見えました。獅子は不審そうに、しばらく中を見ていましたが、いきなり戸口を叩いてはいって来ました。 猫どもの愕ろきようといったらありません。うろうろうろうろそこらをあるきまわるだけです。かま猫だけが泣くのをやめて、まっすぐに立ちました。 獅子が大きなしっかりした声で云いました。 「お前たちは何をしているか。そんなことで地理も歴史も要ったはなしでない。やめてしまえ。えい。解散を命ずる」 こうして事務所は廃止になりました。 ぼくは半分獅子に同感です。 |