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唯識には五姓格別説というものがある。 |
唯識には、「五姓各別」と言う考え方があり、衆生を5段階に区別し、仏性を持たない衆生があると言う考え方をしています。 |
確かに声聞にしかなれないとか、仏にはなれないとかあるのかもしれませんね。プロ野球の選手なんかみると、この人はピッチャーになるために生まれてきた人とか、バッティングセンスは天性のもの。という人がいます。今生での努力、本人の努力だけでは限界が確かにある。 |
仏教用語に「劫」という言葉があります。 |
> 慎之輔さん、甘い甘い、「どんなに善行を積み、仏道の修行しても悟れない人がいる」、というのが唯識仏教の立場なのです。 |
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>「無性有情のひと」を現代でいう「俗物」と解説され、・・・ |
> 俗物も何かの機縁で俗物の境地から抜け出すこともある。と解説されています。 |
皆様の御解説が正しいとは、思うのですが、 |
> 皆様の御解説が正しいとは、思うのですが、 |
> 私の引用の仕方がまずかったのかなあ? |
> 「「無性有情姓」の人は、悟りにいたらしめる無漏種子を本来的に持っていない、すなわち仏性がZeroなので、Zeroにどんな年月をかけて乗算(×)しても、Zeroなのです」 |
「凡夫は汚れており、仏は清らかである。 |
> いえ、これも↓に引用する修業者さんによる解説のほうが正しいです。 |
ネットでは、唯識の「本有種子」を(個人が)「先天的にもっているもの」と、解説していることが多い。 |
> ネットでは、唯識の「本有種子」を(個人が)「先天的にもっているもの」と、解説していることが多い。 |
> 「仏種は縁によって起こる」という法華経と相反すると思う。 |
> 私には、仏種が「先天的に無い」と想定して導きだされた論が、どうも現実現象と辻褄が合わないように見えてしかたないのですよ。 |
> 色即是空の空思想が法華経の根底にはあると思います。 |
> 色即是空の空思想が法華経の根底にはあると思います。 |
唯識は、孫悟空に出てくる三蔵法師のモデルである玄奘三蔵が、天竺(インド)で学び、膨大な資料を持ち帰って、その後の20年弱の人生の殆どをこの翻訳作業に捧ました。 |
> ただ、唯識の教義が無性有情姓にも仏性があるというのなら、上記の論争は起らなかったと思います。 |
> 「「無性有情姓」の人は、悟りにいたらしめる無漏種子を本来的 |
> 誰も、行仏性では仏になれない身なのだと、唯識の論理ではそうなるのではないでしょうか? |
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三森さん |
> それに唯識の五姓格別説と、予定説とは、どうやっても悟れないという衆生がいるというのと、どうしても救われない人がいるという点で似ているだけで、あまり接点はないようにも思います。 |
以前、池田小学校事件の被告人は救われるのか、 |
「行仏性」がいまいちよく解からないので、閑な時に調べてみようと思います。 |