記事No | : 1714 |
タイトル | : Re^5: 役に立たない日がきっと来る |
投稿日 | : 2012/10/25(Thu) 10:13:24 |
投稿者 | : 桃青 |
> 僕もお墓は要りませんし、葬儀はこだわりません。
お釈迦様もそう言われてますね。
葬儀も墓も、残された者がするものです。
なので、どんなに「私は、こうして欲しい」と、思っても、その思いを受け止めてもらえない場合もあるでしょう。
私は、もしかして
「本人の希望にそいたい。」と、思ったり
「どうしたらいいのか解らない。」と、迷うひとがいるかもしれないので、
金銭的時間的、そして心の負担になるべくならないような方法を意志表示して置いて、でも、それが叶えられなくても、別に構わない。
葬儀や墓など、好きにしてください。
したくなかったらしなくても良いのですよ。
という感じですね。
私の場合は、葬儀は面倒だと思うのなら直葬で。
墓は一応師匠の寺の納骨堂の一画で、既に先祖代々の供養をしています。
なので、納骨はそこと、身延山へ。
身延山には日蓮聖人の思いが残っている、と信じていますので。
母が元気なころに二人で、「これなら」という気に入りの骨壷を母の分と私の分を用意しています。
でも、それが叶わなくても、どうてことはありません。
久遠実成の仏と同じく「私」も、また生じるのですから。