記事No | : 1715 |
タイトル | : Re^6: 役に立たない日がきっと来る |
投稿日 | : 2012/10/29(Mon) 17:33:30 |
投稿者 | : 桃青 |
仏壇の下を整理していたら、母が自分の葬儀と納骨について書き残してあるものを見つけました。
内容は、元気なころに、母の口から聞いていたのと同じでした。
(おそらくそのころに、書いたのでしょう。)
あらゆる延命処置を拒否すること。
葬儀は身内だけで、行って欲しいこと。
葬儀に呼ぶ者の名前。(残念ながら、その中には既に亡くなったかたもおられます。)
納骨は、師匠の寺と身延山と霊鷲山へして欲しいこと。
母がまだ認知症ではなかったころには、確かに心からそう思っていたと思います。
でも、認知症になった母は、今、本心ではどう思っているのでしょうか?
認知症になると、「それまでのそのひとの生き方がわかる。」と言われるお医者さんもおられます。
それまで理性で蓋をしていたものが、飛び出してくる。ということは、確かにあると思う。
主治医の先生から
「100歳まで生きてもらわないと・・・。」
と、言われて嬉しそうに笑う母ですから、本心では延命処置もして欲しいと思っているのではないかと思ったり・・・。
葬式も本心では、盛大にして欲しいのではないか、と思ったり・・・。
書き残してあるから、といって、それが本心なのか、どうか・・・。
結局、葬儀も墓も、残された者が自分の「こう」という思いでするものなんだろうな、と、最近つくづく思います。