記事No | : 1728 |
タイトル | : Re^2: 治ると信じることが家族の役目 |
投稿日 | : 2012/11/07(Wed) 19:01:48 |
投稿者 | : 桃青 |
> 精神障害関連の組織のお手伝いもしていますが、その中の雰囲気はというと・・・
> ノーマライゼーションは、おどろくほど人気がないですね(>_<)
肢体に関する障害では、ノーマライゼーションという考え方は比較的受け入れられやすいようですが、精神障害関連には、ノーマライゼーションは人気がないですね。
どうしてなのか。
理由はいろいろで、何かひとつが正解ということではなく、いろいろな理由全てが、理由なのだろうと思います。
> むしろ「必ず治る」と言わなければならない雰囲気があります。
MLでも、それを書いている精神科医自身は、体質、資質だから治らない、と知っていると感じました。
「治ると信じるのが家族の役目です。」とは書くけれど、
「必ず治ります。」とは、書きませんでしたから。
しかし、患者や家族の絶望を怖れて、本当のことを言わない。
希望を持って生きられるようという配慮なのかな、と思いました。
本態をありのままに見つめないと、適切な対応策も考えられないのではないか、と思われてならなくて、実生活で複数の精神科医、心理療法士に尋ねてみましたが、
「患者さんも家族も、そのように考えるひとは殆どいません。」
と、いう答えでした。
ただ、ノーマライゼーションという言葉はあっても、実際に、では、精神障害のかたが、どういうかたちで社会参加して行ったらよいのか、となると、ちょっと思い浮かばない。
某M教コミュニティでは、障害のあるかたは、神によって自由競争への参加を生まれながらに免除されているひとたち、という位置づけです。
税金(什分の一献金)を免除するかわりに、男性なら神権から遠ざけられる。
神権から遠ざけられるということは、コミュニティの運営に参加できない。運営に参加できないということは、自分の意見を言えない。
つまりは、足手まといで邪魔だから、何も言わずに隅にひっこんでろ、ということです。
しかし、これは、某M教コミュニティだけのことではなく、今現在の日本の精神障害者の状況も似たようなものでしょう。
某M教会員には、たとえ良識派的ひとであっても、精神障害や精神障害者に対して差別的な思想を何かの機会にふっと披歴されることがあって、驚かされることがあるが、これも某M教の「障害者は自由競争を免除されたひと」という思想が影響しているのだろうか、と思われるのだが・・・。
自由競争を肯定し、大いに競争することを本分とするコミュニティにあって、その自由競争を免除されるということは、それは、そこにいるのは場違いな人ということになる。
某M教の学者は、韓国、日本の某M教会は経済的に自立していることを誇らしげに書くが、献金を免除される障害者ばかりがコミュニティ内部に増加したら教会の金持ちさを誇るどころではないだろう。
しかし、現実には、そのように精神障害者に対して差別偏見の思想を内包する某M教会に、精神障害を持つ教会員が多くおられて、障害者年金、生活保護費を収入とみなして献金を徴収されておられる。
これなども生活保護、障害者年金制度のある日本ならでは、であろうが、国民の税金が日本の某M教の経済を支え、「我が教会は金持ち」という彼らの誇りを支える一部となっているのか、と思うと複雑な気持ちになる。