記事No | : 1774 |
タイトル | : Re: 某M教への拘り |
投稿日 | : 2012/11/30(Fri) 11:02:55 |
投稿者 | : 桃青 |
> 桃青さんは、なぜここまで某M教に拘るのですか?
そうですねー。
何故でしょうねー。
私は「現存の某M教という組織」に対して拘っているのではなく、
某M教的なモノの見方、考え方が気になってしかたないのですよ。
例えば、「自己責任」の使われ方や、何事も「努力」と「忍耐」に帰結する考え方や、手に負えない相手に対して地道に問題解決の糸口を模索するのではなく、「手に追えない相手は抹消すれば問題解決する。」とだけしか考えられないとか。
手に負えない相手、気に入らない相手は、抹消すればよい。
というのは要は二者択一の考え方でもあるわけですが・・・。
そして、そう言った、某M教的モノの見方、考え方は、某M教内部だけにあるのではなく、どこにでもあるものです。
ああ、そんなモノの見方、考え方をしていると、解決できる問題もできなくなるのに、と、気になってしかたないのです。
一番気になるのは、「自分と自分の仲間だけ良くなればいいんだ。」という考え方ですね。
選民思想とか、部族信仰とか、どれだけ高尚かつ麗しい言葉で飾っても、それらの根底にあるのは、「自分と自分の仲間だけ良き思いをすればいい。」という思想です。
これも、某M教内ばかりでなく、世間にどこにでも見られる考え方ですが、こういう考え方が多数をしめているかぎりは、社会の諸々の問題は絶対に解決しないでしょう。
某M教の学者さんは、「某M教は中流以上に受け入れられる。」
とか、「中国で某M教の集会に集まる中国人は富裕層の知識人ばかりである。」
とか、いわれますが、それはもしかしたら「自分と自分の家族だけは良い思いをしたい!」という願いの強い人が、そういう思いでがむしゃらに頑張って富裕層になり、某M教の教えがそういうかたがたのメンタリティにぴったんこだからなのじゃないか、と、思いたくなります。
(笑)