記事No | : 1852 |
タイトル | : 若者を中心にキリスト教人口が増えている。 |
投稿日 | : 2013/01/24(Thu) 11:32:03 |
投稿者 | : 桃青 |
> キリスト教の持つ潜在的二元論的思想は、対立構造を産み、現代日本の政治や社会思想の単純化につながっている。
> だから、原発推進対反原発とか改憲か護憲かという貧弱な思想になっているのかもしれないですね。
日本のキリスト教人口は長い間1パーセントだと言われて来たが、アメリカギャラップ社の最近の調査では日本のキリスト教人口は6パーセントであり、若者層では7パーセントになっている。
若者層にキリスト教支持が増えた一つは、ゲームの影響が大きいのではないだろうか。
ゲームのストーリーは、どれもキリスト教的要素で成り立っている。
某M教でも、50歳以下の男性諸君は余暇をゲームに費やしていることが書き込みから伺えるが、元々ゲームのストーリーのような「モ○モ○書」や某M教の教義にどっぷり浸かっていると、さながらニコチン中毒者が、ニコチンに癒されるように、各種ゲームに展開される二元論ストーリーが悩を心地よく刺激するのだろう。
この現象の反対の流れが、若者層を中心としたキリスト教の増加に一役買っているのではないか。
日本のアニメやゲームが世界で多数の支持者を増やしていると、喜んでばかりは居られない。
日本はゲームを通して世界に二元論者を増やす肩棒を担いでいるかもしれない。
二元論は確かに解りやすい。しかし、人間というものは二元論では説明できない。
二元論で人間というものを理解するのは、現実から遊離したセオリーを無理やりに応用しているような不自然さがある。
(彼らはその不自然さを「神の御心は測り知れない。」「神のなされることです。」という言葉で蓋をしてしまうのだが)
人間の問題の解決を二元論で推し進めるのは危険だ。
しかし、その危険な思考方法がゲームと共に広まって行くとしたら、困ったことだ。
親や大人の役目は、ゲームを禁止することでなく、
世の中はゲームのように単純な世界ではないこと。二元論は複雑な世界のほんの一部を切り取って見ているだけだということを示すことだろう。
しかし、50近くなっても新作ゲームに興じているようでは、いつ、人間の問題を二元論で解決しようとする危うさに気付くのだろう?
私の知っているクリスチャンの方々は、もう少し丁寧に人間というものを見るかたばかりでしたので、神を信じるかたがたの人間を見る目の丁寧さに信頼を置いていたのですが、某M教!あれはいけません。
人間というものの見方がいくらキリスト教的二元論を元にしているとしても単純すぎる。
しかも某M教の学者さんにいわせると、あれがアメリカの保守層の一般的なモノの見方、考え方だという。
しかし、某M教のような二元論的モノの見方をするひとが日本にも確実に増えていることも感じています。
困ったものですね。