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記事No : 2099
タイトル Re^4: 信仰の寸心
投稿日: 2013/06/16(Sun) 12:20:08
投稿者桃青

> > >
> > > 汝に対し 謙譲の寸心 というのはおかしくない? 
> >
> > ぽん州さんが言われていることと同じことを言っていると思いますが・・・。
> >
>
> そうですか;;;;;;;謙譲とは自分をへりくだって言うものだと思って
> いましたが、、、相手の心をへりくだるのですか;;
>

多くの御遺文の中で、「寸心」という言葉が出て来るのはここだけじゃなかったかな?

「広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず、悲いかな皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る、愚なるかな各悪教の綱に懸つて鎮に謗教の網に纏る、此の朦霧の迷彼の盛焔の底に沈む豈愁えざらんや豈苦まざらんや、汝早く信仰の<寸心>を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し。」
(『立正安国論』<>は私がつけました。)

古文の用例も載せる一般的な日本語辞書には、
寸心=寸志
とあります。
「志」が出て来る御遺文なら多数あるのですが・・・。


立正安国論は、客と主人の問答のかたちで書かれています。
「汝早く信仰の寸心を改めて」
の下りも、文章の構成上では、主人が主人の意見を聞きに来た客に言うことばですから、主人と客、同じ立場の気安さや、「私が教えてあげよう。」というやや上から目線で「汝、寸心」と言う言葉遣いでも問題はないのではないでしょうか?

御聖人が時の権力者時頼を本書中で名指しして、「汝、寸心」と言っているわけでもないでしょう。

「信仰の寸心をあらため」は「邪な信仰を捨てて」と現代語訳されることもありますが、その前に法然上人の選択集を引用した文章があって
その引用文中に「浄土門に於て<其の志有らん者>は須らく聖道を棄てて浄土に帰すべし」
つまり<浄土門において、浄土往生を志すならば>
というくだりがありますので
「信仰の寸心」を「邪な信仰」とはちょっと言い過ぎで、「あなたのその浄土往生などというちっぽけな志をあらためて」でも、いいんじゃないかなぁ。と、私は僭越ながら思うわけですけれども・・・。


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