記事No | : 2102 |
タイトル | : 九界を具するをもって |
投稿日 | : 2013/06/17(Mon) 18:12:35 |
投稿者 | : 桃青 |
> で、草木を仏になし給う法華経が、母親を仏にしないわけがないなあ。
>
「無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、」
(『観心本尊抄』)
私はね、認知症になった母をみていて
「わざわざ誰もが嫌がる認知症になってまで、あなたに法華経を受持・読・誦・解説・書写する機会を与えてくださった菩薩なのです。」
という言葉より、日蓮聖人のこの御言葉のほうが「真実」だと思うのですね。
なので、母も、その他の認知症になったかたも、認知症になった、という点だけを取り上げて、仏、菩薩だと思うべきだ。
とは思わないのです。
母も私も、十界互具といえども、凡夫の私の眼に見えるところは九界の相。
認知症もまた人間が現わす相に過ぎないと思っています。
日蓮聖人が「現じ難し」と言われた仏界をぽん州さんが御覧になったことは素晴らしいと思います。
ただ、いくら勧めてくださっても母を仏だと見えるようになりたいとは思わないのです。
私如きが母を仏だと観よう、観ようとして見えたら、それは何か違うものを見て「仏だ」と勘違いしそうなんですね。
せっかく日蓮聖人もこのように言われているのですから、九界を見て仏界が確かにあることを信じられるだけで充分だと思っています。
母として現れた<私>も私として現れた<私>も、法華経をいただいてまめにこつこつやってれば、いつかは仏に成るでしょう。