記事No | : 2149 |
タイトル | : 浄土 |
投稿日 | : 2013/07/10(Wed) 11:31:31 |
投稿者 | : 桃青 |
某M教では、少し前から「家庭ををシオンにしましょう。」を指針に掲げているという。
古い教会員のかたは、「昔は世界中に某M教会を伝道して、世界中をシオンにしましょう。」というのが目標だったのに、「最近は縮こまって、内向きになってしまって」と、嘆かれる。
傍からみると、元々、選民思想をとり、「教会員のみが救わる」という思想なので、行き着く先が「(モルモン教会員の)家庭をシオンにしましょう。」でもしかたないのではないかと思うのだが・・・。
日蓮宗の浄土化運動、「立正安国」の行きつく先を
「○○家の繁盛」にしてしまっては、せっかくの仏教が、そこらの御利益信心を説く凡百の宗教と同じになってしまう。
御聖人が顕わされた「立正安国」が、「○○家の繁盛」と直結してしまうのは、
「夫れ国は法に依つて昌え法は人に因つて貴し国亡び人滅せば仏を誰か崇む可き法を誰か信ず可きや、先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし」
この「国」を「○○家」とのみ捉え
「家族が生きる場所である○○家がまず安泰でなければ、法を保つことができない。」
と、思うからであろう。
こういう思いは、某M教の「家庭をシオンに」と、似たようなものなので、時と場所を選ばず、人間がいるところなら、いつでもどこでも立ち上がって来るものなのでしょうね。
また、凡百の宗教は、その思いに応えるべく、「うちところへ来れば、その願いが叶う。」と、手招きをする。
しかし、なんというか、人間が登場して以来、
「我が家のみ」の安泰と繁盛を願って、せっせせっせと、あれこれやって来て、現在の世界がこうである。
いい加減「我が家のみ」の繁栄を願っているだけでは、ロクなことにならないな、と気がつくひとが世界に増えてもいいのに、と、思うのですれけれど。