記事No | : 2151 |
タイトル | : なんでも良いようにとらえて |
投稿日 | : 2013/07/10(Wed) 19:19:06 |
投稿者 | : 桃青 |
「だからね、なんでも良いようにとらえて・・・」
「物事はとらえかただよ。(物は思いようだよ。)」
これも、宗教の集まりでは、よく言われますね。
時には「逆縁」などと難しい言葉を使って話される内容は
要するに、自分にとって好ましくない出来事を前向きにとらえるように努力しましょう。ということであり、
あるいは、小公女セーラのように、自分をファンタジーのヒロインとなぞらえてヒロイズムで、耐えがたい現実を乗り切ろうとすることであり・・・。
耐えがたい現実をのりきるためには、ファンタジーだろうが、なんだろうが良いじゃないか。
と、いわれるかたもおられるでしょう。
宗教関係の集まりでは、どんなことも良いように看做すことや、そうしているかたを称賛するようなところがあります。
でも、それでいいのだろうか?
私はそういうのは、どうもピンと来ません。
世の中には、私のようにピンと来ないかたも多数おられるでしょう。
たとえば、魯迅は『阿Q正伝』の主人公阿Qは、そのような物事をなんでも自分の受け入れやすいかたちとして受け入れる人物として批判的に書きました。
阿Qは悲惨な最後をとげます。
魯迅は阿Qを中国近代社会の矛盾と非合理をありのままに見つめることなく生きる人々を阿Qの姿で表したのです。