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記事No : 2292
タイトル Re: 脳幹のひと
投稿日: 2013/10/31(Thu) 10:35:53
投稿者桃青

「戦うか逃るか」そして「耐え忍ぶ」か。

脳幹宗教某M教が説いている困難への対処法は、この三つである。
年がら年中、「戦うか逃るか」「耐え忍ぶ」かで、思考している。
ひとを傷つけたくない。という優しい心の持ち主がとる道は「耐え忍ぶ」しかないということになる。
耐え忍びが限界点(ひとによって、高い、低いあり)に達すれば、たちまち脳幹にスイッチが入り
「黙ってされるがままになっていろというのか。」「戦うか逃げるかだ。」
と、攻撃態勢になる。

この思考法は特別某M教のオリジナルでは無い。
どこにでも、この思考法をするひとはいる。
そりゃそうだ。「戦うか逃るか」は、緊急時に備えて配備されている脳の反応だもの。
だから意図的にこの思考法を人々に強いる者がいると、たちまちそれに呼応する。
この思考法に必要欠くべからざる存在は「敵」ですね。
敵がいなければ、思考のバランスが取れなくなった者は常に敵を探している。
ですから、こういう思考法に取りつかれたひとの傍によると、いつ敵にされてもおかしく無い。
どんなに友好的であっても安心してはいけない。
彼らは眼の前の者への敵意を「耐え忍んでいる」だけのことがある。
ちなみに、本国での某M教会員への評価には
「どんなにニコニコ友好的であっても、イザとなると何をするかわからない人達。」と、いうものがある。

「戦うか、逃げるか」「耐え忍ぶ」
問題の解決に、この三つしか呈示されない社会はどうなんだろう。
なんだか、最近脳幹思考を言いたてる声が大きくなってませんでしょうか?

仏教を学んだひとが、
「問題解決の道が、もっと、こう、ぱーっと無数に広がったような」
と、言われたことがある。
私にも似たような体験がある。
脳幹思考から脱した瞬間だったのだろう。

仏教は脳幹思考に効く。
もっと、広まって欲しいなあ。


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