[リストへもどる]
一括表示
タイトルゴキブリには冷蔵庫の裏が
記事No1515
投稿日: 2012/05/14(Mon) 16:47:36
投稿者桃青
ずいぶん昔になったが、丹波哲郎の『死んだらどうなる』がブームになったことがあった。

映画にもなり、その後TVで放映されたのを見て、
「悪人には地獄が、ゴキブリには冷蔵庫の裏が、ボウフラにはドブの中こそが天国なのです。」
というフレーズが気に入り、よく真似をして遊んだ。

最近、某M教のかたが「自己責任、競争社会が好ましいと思う。」と書かれているのを見て、「やっぱりな。」と、思うと同時に、
久しぶりに丹波哲郎が独特の口調で語った上記のフレーズを思いだした。

「競争して勝った!」という感覚が好きなかたが、某M教に惹かれるのだろう。
そんな教会員の性向をよく知る最高指導者だからこそ
「人生はレースだ。参加するからには勝たなければならない。」
と、説法するのだろう。
いや、最高指導者は現代の生ける預言者という位置付けなので、「勝ちたい!」と思っている者には、神から「勝って、勝って、勝ちまくれ!」と、言われたようにも聞こえるのであろう。

しかし、何のために勝ちたいのだろう?
「自分の優越感を満足させるため。」
そんなところに帰着するのだろうね。
違うと言うのなら、それ以外に何があるのか教えて欲しい。

タイトル誰のほうを向いて話すのか
記事No1516
投稿日: 2012/05/15(Tue) 15:46:16
投稿者桃青
「議員候補者が何をしようとしているか、は、立会演説する候補者の周りに立っている者をみればわかる。」
と言ったひとがいるが、確かにそういうことはあるな。
と、思う例にしばしば遭遇する。
候補者の周りには、候補者の当選が何らかの利益と直結することがすぐ知れる人々が立っている。
当選すればその者たちの恩に報いるために働くのだろう。

宗教者は、誰に向かって話をするのか。
御布施や献金を出してくれる者に向かって、布施や献金を確保できるように甘い言葉を囁いているのではないか。
と、某M教幹部の説教を読んでいるうちに思った。
その説教は教会員が喜びそうな言葉ばかりで構成されている。
仏教はどうだろう?
寺に足を運び布施と言われて躊躇なく出すのは年寄りばかりだ。
なの年寄りが喜びそうな話ばかりが話される。

タイトルRe: 誰のほうを向いて話すのか
記事No1518
投稿日: 2012/05/16(Wed) 14:02:51
投稿者修業者
> 寺に足を運び布施と言われて躊躇なく出すのは年寄りばかりだ。
> なので年寄りが喜びそうな話ばかりが話される。

やはりそうですか。年寄は結構お金を持ってますから。
お寺の世襲制を何とかしなければいけませんね。仏教に全く興味がなく学ぶ気もない子息が、親の職業を継いで楽して暮らそうと僧侶になっているケースが多いですからね。

某M教のことをとやかく言えませんね。(笑)

タイトルRe^2: 誰のほうを向いて話すのか
記事No1519
投稿日: 2012/05/16(Wed) 17:06:13
投稿者桃青
> > 寺に足を運び布施と言われて躊躇なく出すのは年寄りばかりだ。
> > なので年寄りが喜びそうな話ばかりが話される。
>
> やはりそうですか。年寄は結構お金を持ってますから。

政治家も若者より年寄りのほうが投票率が高いので、年寄りの機嫌をとるようなことばかり言いますね。
年金制度は賦課制度、つまり税金と同じ性質のものなのだから、あなた達の出したカネはもうその時その時で使ってしまっているんだよ。
という事実すら言えないでいるじゃない?
もっとも賦課制度なのに、あたかも積立養老年金と錯覚させるような説明をずーっとして来たので、この期におよんであからさまには言えないってこともあるでしょうけど。

> お寺の世襲制を何とかしなければいけませんね。仏教に全く興味がなく学ぶ気もない子息が、親の職業を継いで楽して暮らそうと僧侶になっているケースが多いですからね。
>

世襲で楽に暮らそうと思えば檀家が300軒以上ないと。
あとは観光寺として何か売ち出すようなものがあるか、敷地を生かして不動産オーナーするとか。
結局そう資本が潤沢な寺と僧侶ばかりが残って、本当に法を伝えたいと志す僧侶がいたとしても、活動する場が無くなってしまうのではないか、と心配しているのですよ。

> 某M教のことをとやかく言えませんね。(笑)

ははは。
宗教をカネ儲けの道具にしようと発想するひとは、ほんと、時代と国を問わずどこにでも居るものなのですね。(笑)

それでも、仏教と某M教は違う。
仏教には「伝えるべきもの」があるが、
某M教は、某M教会をアイデンティティーとしているという教会員自ら「伝えたいものって、さあ?何だろう。」とか、「(教義があまりにトンデモなので)教義は信じていない。自分は言わば文化的教会員です。」とか、言う。
そんな程度のものを「これぞ真理だ。神の福音だ。」と言って歩いて、恥ずかしくないんでしょうかね?

タイトルRe^3: 誰のほうを向いて話すのか
記事No1521
投稿日: 2012/05/17(Thu) 09:34:01
投稿者しんのすけ
参照先http://www.docu21.com/
> > > 寺に足を運び布施と言われて躊躇なく出すのは年寄りばかりだ。
> > > なので年寄りが喜びそうな話ばかりが話される。
他人に話をしようとする場合、「相手が喜ぶ話」というより、「喜ぶ話し方」というのがより良い僧侶だと思います。
僧侶や宗教家の役割は信者に対して、考え方や生き方のアドバイスをすることだと思うけれど、拒絶されてしまっては導く事ができない。
話はわかりやすく、教判はハッキリしなければと思います。
相手の間違いを正さず心地よい話ばかりするのは僧侶ではないですね。
しかし、そういう方が繁盛し多すぎる。

タイトルRe^4: 誰のほうを向いて話すのか
記事No1522
投稿日: 2012/05/17(Thu) 10:45:37
投稿者修業者
しんのすけさんこんにちは、
HM平仮名にしてしまったのですか?
最初は変換忘れだと思ったのですが・・・。

私もどこかで、修業者から修行者に変えようと思っていたのですが、信仰心がまったく起きないので、変えられません。
しんのすけさんに倣って、平仮名の「しゅぎょうしゃ」にしようかな。
でも、何かシックリこないので、もう暫くは今のままにします。(笑)

タイトルRe^5: 誰のほうを向いて話すのか
記事No1523
投稿日: 2012/05/17(Thu) 22:53:08
投稿者しんのすけ
> しんのすけさんこんにちは、
> HM平仮名にしてしまったのですか?
> 最初は変換忘れだと思ったのですが・・・。

いやいや、深い意味はありません。
iPhoneを最近使うので、変換がしにくいだけです(笑)

タイトルRe^4: 誰のほうを向いて話すのか
記事No1526
投稿日: 2012/05/18(Fri) 17:19:12
投稿者桃青
しんのすけさん
レス有難うございます。

しんのすけさんくらいなものですよ。
「釈迦の本意はどうした?!」という私の嘆きをわかってくださるのは。


> 他人に話をしようとする場合、「相手が喜ぶ話」というより、「喜ぶ話し方」というのがより良い僧侶だと思います。

まったくその通りですね。
でも現実難しい。

> 僧侶や宗教家の役割は信者に対して、考え方や生き方のアドバイスをすることだと思うけれど、拒絶されてしまっては導く事ができない。

「あなたー。お義母様にハッキリ言ってくださいよー。」
「いや、こういうことはね。いきなり言っても拒絶されるだけだから、折を見つつに、ね。」
「そう?お願いだから、チャンと言ってくださいね。」

うーん・・・これは一つの例ですが、経験上、こういう会話が取り交わされる場合、ハッキリ言う折などまず、来たためしがない。

拒絶されまいとすれば、相手の意を汲みつづける他はなく、
「そろそろ」と、相手の意に染まないことを言った途端、それまで相手の意を汲むことによって成り立っていた関係はあっさり崩れてしまう。
四悉檀を自由自在にされるのは、仏様くらいなものでしょう。

日蓮聖人は、拒絶も怖れず、相手の間違いを正し、ハッキリと説かれた。
いいなあ。素晴らしいなあ。

> 話はわかりやすく、教判はハッキリしなければと思います。
> 相手の間違いを正さず心地よい話ばかりするのは僧侶ではないですね。
> しかし、そういう方が繁盛し多すぎる。

日蓮聖人のように、暖かい心をもって真っ直ぐに法を説くかたは、もう出ないのだろうか?

タイトルRe: ゴキブリには冷蔵庫の裏が
記事No1517
投稿日: 2012/05/16(Wed) 09:45:33
投稿者修業者
>「悪人には地獄が、ゴキブリには冷蔵庫の裏が、ボウフラにはドブの中こそが天国なのです。」

唯識の一水四見の考え方に似てますね。
一水四見とは、同じものを見ても、見る者の心に応じて、全く違ったものに見えるこという教えです。
人間には水に見えるものが、
天人には、水晶が輝く宝の池に見える。
餓鬼には、血や膿に見える。
魚には、自分の住処に見える。

ゴキブリでも命が危険にさらされると、死に物狂いで逃げます。
最近のゴキブリは頭が良くなったのか、ゴキジェットを噴霧すると、ジグザグで逃げて小さな隙間に入り込んでしまいます。
逃げ遅れて殺されたゴキブリを捨てる際、兜虫か鍬形虫に生まれればよかったのにね。といってやります。

> 人生はレースだ。参加するからには勝たなければならない。

うん、ある意味ではそうじゃないかと思います。苦労し、努力し、社会のルールを守りながら競争して自分の生活をよりよくしていく必要があると思います。
敗戦により日本弱体化政策に同調した、在日、日教組、左翼、同和などが日本の教育を根底からくずし、民主党のような馬鹿政権が誕生したり、大阪の生活保護激増や給食費不払いが当たり前のように横行するようになってしまったのではないでしょうか。

タイトルRe^2: ゴキブリには冷蔵庫の裏が
記事No1520
投稿日: 2012/05/16(Wed) 18:34:04
投稿者桃青
> >「悪人には地獄が、ゴキブリには冷蔵庫の裏が、ボウフラにはドブの中こそが天国なのです。」
>
> 唯識の一水四見の考え方に似てますね。

一水四見というより、「たで食う虫も好き好き」か「類は友を呼ぶ」
に近いと思いますけれど・・・。
「糞ころがしは糞が好き。」も近いかも。

> 逃げ遅れて殺されたゴキブリを捨てる際、兜虫か鍬形虫に生まれればよかったのにね。といってやります。
>

今の家を新築した時、何か処理したのか、以後一切ゴキブリの姿を見たことがありません。
お陰でゴキブリを殺さなくてもよくなりました。
どこかで、ひと知れず死んでいるのか、家の中には入って来ないけれど、庭に居るのか?

> > 人生はレースだ。参加するからには勝たなければならない。
>
> うん、ある意味ではそうじゃないかと思います。苦労し、努力し、社会のルールを守りながら競争して自分の生活をよりよくしていく必要があると思います。

某M教へ行きゃれ。(笑)
自分の生活をよりよくするためには、競争して誰かに勝たなくてはならないものなんでしょうか?
私は誰かに勝とうと思ったことは一度もないですが、そんなにひどい生活をしているとも思えませんけど。

競争、競争と言っているひとを傍から見ていると、競争そのものが好きなんだろうな、というかたか、教えられるままに「嫌だけど競争しなくては!」と、思いこんでおられるかたか、
まあ、そのどちらかなんですね。
そういう方々に「私は競争には興味が無い。」と言うと
「戦わないのは負けたと同じ事だ!」だの、やれ卑怯者だ、臆病者だ、とウルサイウルサイ。

戦いに勝つことばかり考えていても、問題は解決しない。
と思いますが・・・。

高校時代、アメリカ帰りの教師がおられたのですが、アメリカで高校生が授業で行っているディベートをえらく感心されて
「此処でもしましょう。」と、何回か、ディベートをさせられたのですが、
ディベートって時間が経過するにしたがって、相手に勝つためには手段を選ばず。という様相を帯びて来るのですね。
結局、なりふり構わず相手を攻撃して、相手を沈黙させたほうが勝ち名乗りをあげる。
うんざりしました
そうなったのは、当時の日本の高校生がディベートに慣れていないからであって、自由民主主義の国アメリカの高校生なら、そういうことにはならないのであろう。
と、思っていたのですが、後年アメリカ事情に詳しいかたにそのあたりの事を尋ねてみたら、アメリカの高校生でも同じというより、もっと口汚く相手を個人攻撃するのが普通だって。
大統領選挙に見られるネガティブキャンペーン合戦も、そんな高校時代のディベートの延長なのかなあ、とも思います。

>敗戦により日本弱体化政策に同調した、在日、日教組、左翼、同和などが日本の教育を根底からくずし、民主党のような馬鹿政権が誕生したり、大阪の生活保護激増や給食費不払いが当たり前のように横行するようになってしまったのではないでしょうか。

このあたりの関係は正直よくわかりません。
ただ思うのですが、本気で問題解決に取り組んで来なかった結果が、こうなのではないでしょうか?
挙げていただいた組織、そしてそれぞれの対抗組織、皆、どっちを向いて仕事していたのでしょうね。

タイトルRe^3: ゴキブリには冷蔵庫の裏が
記事No1524
投稿日: 2012/05/18(Fri) 09:44:36
投稿者修業者
> 某M教へ行きゃれ。(笑)

沼津に末○聖徒イエスキリスト教会沼津支部があるので、今度の日曜日にチョットと行ってこようかな。
「私は、競争が大好きですし、何事も自己責任だと考えてます。
それに英会話も習ってみたいので入会できますでしょうか?
勿論、教会への奉仕に全力を尽くし、献金は必ず納めさせて頂だきます。」

○文字さんみたいな超活発会員になっちゃって、桃青さんと激しいバトルをすることになるかもしれませんよ。(笑)

タイトルRe^4: ゴキブリには冷蔵庫の裏が
記事No1525
投稿日: 2012/05/18(Fri) 10:44:47
投稿者桃青
> 沼津に末○聖徒イエスキリスト教会沼津支部があるので、今度の日曜日にチョットと行ってこようかな。
> 「私は、競争が大好きですし、何事も自己責任だと考えてます。
> それに英会話も習ってみたいので入会できますでしょうか?
> 勿論、教会への奉仕に全力を尽くし、献金は必ず納めさせて頂だきます。」
>

「Oh!素晴らしい!
 アナタは用意されたひと。ゴールデンです!金人デース♪」
と、大歓迎されることでしょう。
「来週バプティスマできるよう、早速レッスンしましょう。
 レッスンは6回です。毎日すれば、間に合いまーす!」
と、次の週には、某M教会員となった修業者さん。

> ○文字さんみたいな超活発会員になっちゃって、桃青さんと激しいバトルをすることになるかもしれませんよ。(笑)

ちょとだけ、
某M教会員になった修業者さんとやりとりしてみたいような気がしないでもないですが・・・。(笑)

まあ、真剣に神やイエスキリストを求めておられるかたには、お勧めできない宗教団体ですが、
「競争が好き」というかたや、どんな状況にあっても「攻撃は最大の防御なり。」と、眼の前の相手を攻撃することしか思いつかないかたには、居心地が良いところかもしれません。

でもね。
そういう「勝たねばならない。」しか教えないところで、居心地よくあるには、常に自分が相手より優位な立場でいる必要があるのですよ。
ですから、会員は互いに上から目線。
人間、どんなことでもそれを拠りどころとして「自分のほうが上だ。」と思うことはできますからね。
例えば、病気自慢。苦労自慢。と言いますが、
時には病気や不幸でさえ優越感に結びつくこともある。
ですから「勝たねばならない。」しか教えないところの方々が自慢のオンパレードになるのは当然です。
「勝たねばならない。」とは、相手よりは勝ってないと存在価値はないんだよ。と言っているのと同じですから。

そうやって相手より優位な立場になって、「自己責任だから負けた者に手を差し伸べる必要は全くないのであるが、この自分は善を知っているので、負けてる相手を見捨てずに施しを与えているのだ!」というところに至福の悦びを感じている。
いや、そういう悦びを感じたいから、がむしゃらに相手より優位な立場になろうとするのかも?
同じ目線で、同じ人間として一緒に問題を解決して行こう。という教えではないのです。
まず、相手に勝つ。
そして、負けた相手を自分よりは劣位に置いたままに、施しをする。
これが、「勝たねばならない教」が自画自賛する「某M教の優しさ」の本質なのです。

自分をなんとなく優位の人間と思っているかたばかりですから、
修業者さんも、教会員となって、聖餐会やら証会とやらに参加されると、「イエスキリストの御名において」話される馬鹿馬鹿しい自慢にならないような自慢話を延々と聞く事になりますよー。
うーん。他では到底口に出して言えないような、どうでもいい自慢話を公衆の面前で堂堂と話せるってことも魅力なのかも。
「学生のころフライドチキンが食べたくて、でもカネが足りなくて、神に祈ったら、眼の前に小銭が落ちていて買うことができた。
これぞ御霊のみちびきである。」
という話を教会の最高指導者が公式の機関紙で書くくらいですからね。
そんな話、S学会のI先生でも「聖○新聞」に書かないでしょ。たぶん。いや、書いているかな?(笑)