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タイトル発酵と腐敗、現象は同じです。
記事No1539
投稿日: 2012/06/04(Mon) 09:51:06
投稿者桃青
言葉は共通認識があってはじめて意味を持つ。

キリスト教批判をしているブログに、
クリスチャンのことを
「(キリスト教の)専門用語でしか語り合えないバカたち」
とあったが、
言葉というものは、共通認識されなければ、意味を持たないのであるから、「クリスチャンは仲間内だけに通じる言葉でしか話せない。」
と、言われても、そこに共通認識をもった人々が集まっているというだけではバカと断ずるには当たらないのではないかと思う。
専門用語で語られる場は、宗教ばかりでなく、多方面に存在するが、そこではどこでも専門語が飛び交い、専門外の者には、どれだけ丁寧に説明解説されても、理解できないことが数多くある。
例えば、物理学を専門用語を駆使して論議をしている人々を指して
「専門用語でしか語れないバカたち」とは言わないであろう。

しかし、宗教となると、キリスト教にしろ、仏教にしろ、
その宗教独特の専門用語で語りあっていると、
「解るように説明しろ」と非難されたり、バカと呼ばれる。
この違いはなんだろう?

タイトルRe: 発酵と腐敗、現象は同じです。
記事No1540
投稿日: 2012/06/06(Wed) 08:30:54
投稿者しんのすけ
参照先http://www.docu21.com/
> しかし、宗教となると、キリスト教にしろ、仏教にしろ、
> その宗教独特の専門用語で語りあっていると、
> 「解るように説明しろ」と非難されたり、バカと呼ばれる。
> この違いはなんだろう?

まず、専門用語というのは複数の簡単な用語を一つにまとめた
場合もあるので専門用語を使うことにより専門の方には時間の
短縮になります。物理学など科学の世界では専門家が探求し、
それを電化製品なり薬品なりと製品化、日常化された物を素人
は使うことになります。全ての人が物理学を理解する必要は
ありません。
 宗教は、というか仏教は全ての衆生(これも専門用語?)を
救うためのものですから、最終的にその教えを素人に理解して
もらわなければ意味がありません。教学を学ぶ仲間同士は専門
用語を使用することにより時間短縮や文面を圧縮できます。
しかし、全ての人に伝えるためには、なるべく簡単な語句や、
その人の環境に応じた方便を用いて分かりやすくする必要がある
と思います。
反対に簡単な語句より専門用語を用いた方が有難く思う方もいるので
それもまた方便なのでしょう。
小乗仏教僧侶は科学者に似ているかもしれません、難しい素人には
できない修行や会話をして、その自分たちの得た功徳を最終的に
衆生に回す、素人は彼を敬うだけで良いから。

【 投稿者により修正されました。】

タイトルRe^2: 発酵と腐敗、現象は同じです。
記事No1541
投稿日: 2012/06/07(Thu) 10:54:39
投稿者桃青
しんのすけさん
コメントありがとうございます。

> まず、専門用語というのは複数の簡単な用語を一つにまとめた
> 場合もあるので専門用語を使うことにより専門の方には時間の
> 短縮になります。物理学など科学の世界では専門家が探求し、
> それを電化製品なり薬品なりと製品化、日常化された物を素人
> は使うことになります。全ての人が物理学を理解する必要は
> ありません。

確かに・・・。
でも、仏教、キリスト教でも、難解な教学、神学を全ての素人が理解する必要はないでしょう。
すると、専門的知見が役に立つように製品化されているかどうかが、
「専門用語でしか語り合えないバカ」と、批判されるかどうかの分かれ道なのでしょうかね?

タイトルRe^3: 発酵と腐敗、現象は同じです。
記事No1542
投稿日: 2012/06/09(Sat) 09:48:35
投稿者しんのすけ
参照先http://www.docu21.com/
おはようございます。
> すると、専門的知見が役に立つように製品化されているかどうかが、
> 「専門用語でしか語り合えないバカ」と、批判されるかどうかの分かれ道なのでしょうかね?

製品化というと語弊がありますが、それぞれの宗教の知見が実社会、
実生活で活かされるよう専門家は説く必要があると思います。
我々の生活を仏の智慧で照らしていかなければ意味はない、ただ、その手法を学ぶためには専門用語は欠かせないけれど、それぞれのレベルに応じた説き方を工夫しないといけないと思います。
ぜんぜん、疑問に対する答えになってないですね(^^ゞ

タイトルRe^4: 発酵と腐敗、現象は同じです。
記事No1543
投稿日: 2012/06/13(Wed) 09:57:23
投稿者桃青
>
> 製品化というと語弊がありますが、それぞれの宗教の知見が実社会、
> 実生活で活かされるよう専門家は説く必要があると思います。

そうですね!
仏法は、実生活に役に立たなくては意味がないのですよね。
譬えて、「薬」ですものね。
先師先哲達が「薬」と譬えずにはいられなかった仏法ですからね!
飲んでこその薬、飲ませてこその専門家。

> 我々の生活を仏の智慧で照らしていかなければ意味はない、ただ、その手法を学ぶためには専門用語は欠かせないけれど、それぞれのレベルに応じた説き方を工夫しないといけないと思います。
> ぜんぜん、疑問に対する答えになってないですね(^^ゞ

いや、飲ませるのは難しいです。
でも、要は本気で取り組んでいるか、どうかの問題だと思う。