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タイトル普通に暮らすために
記事No1544
投稿日: 2012/06/13(Wed) 11:46:52
投稿者桃青
東京へ所用で出かけまして、ついでに大学時代の友人と会って来ました。
たまに電話で話すことはあっても、会うのは十何年振り。
でも、会った途端に学生時代に戻れるのは、友人の有り難さです。

友人は、私が仏教を学んでいることを知っているので、
「宗教は、中学時代にキリスト教だのなんだのと言っても所詮こんなものか。
 と分かっちゃったので興味はない。
 人間宗教なんかなくても生きていける。」
と、ありがちな意見。
そういう友人でも
「結局、人間、普通の暮らしが一番幸福なんだよね。
でも、人間、普通の暮らしをするって難しいんだよね。」
と、言うところは、さすがに私を友と呼ぶだけのことはある。

ほんとにねー。
普通の暮らしを手に入れるって難しいのですよ。
普通の暮らしを維持するって難しいのですよ。

宗教は普通の暮らしを手にいれる助けとなるものだと、私は思っている。

と、だけ言ったのですが、友人は怪訝な顔をしていた。

タイトルRe: 普通に暮らすために
記事No1545
投稿日: 2012/06/16(Sat) 16:24:50
投稿者しんのすけ
参照先http://www.docu21.com/
> 普通の暮らしを手に入れるって難しいのですよ。
> 普通の暮らしを維持するって難しいのですよ。

今日は雨です、昨日とほとんど同じ状況なのに、
雨の日ははなんでも否定的にしか感じないし考えられない、
頭ではイケナイ事だと思っていてもマイナスに考えてしまいます。
こんな時も心を平静に安心を保てたら良いなといつも思います。
きっとちょっと浮かれて調子づいていた時の反動が今、身に降りかかっているのですが、雨の日は死んじゃいたいくらい、暗い気分です。
この気分が続くと体の健康も蝕んでいるんでしょうね。
ほんとに周囲や自分の周囲の状況に影響されずに普通を保つことは難しいです。

【 投稿者により修正されました。】

タイトルRe^2: 普通に暮らすために
記事No1548
投稿日: 2012/06/20(Wed) 09:17:49
投稿者しんのすけ
参照先http://www.docu21.com/
昨日は台風でした。中途半端な雨よりもすっきりしますが今日は台風一過というよりジメジメして蒸し暑いです。
今、かつてないほど仕事で行き詰っています。天気の良い日は気分も良くこれくらいの負債は精一杯営業すれば返せると思うし、可能な限りの努力をすれば後は神さま仏様にお任せで結果はくよくよ考えないと思えるのですが雨は営業もままならず、このまま朽ち果てていくのか?家族にすまないなぁと思うといたたまれない気持ちになります。平素、信仰心だの安心だのと言っているのとはうらはらで心が揺れまくりです。最近は家で唱題、読誦もままなりません。
もし、信仰が商売繁盛直結で理解していたならよほど楽です。
しかし、そんな状況の中でこそ、心の安心を得て普通でいられるのが真の信仰心だと思うのです。自分の経済状態や生活が不安定で信仰だの宗教だと主張すると何やらそれに逃避しているように思われたり、お前の信心している宗教は大したことないなぁと思われるようで嫌なのです。ああ、ご聖人の龍ノ口の心境は程遠い凡夫だと恥じ入る今日この頃です。
昨年秋頃は保険にしっかり入って清算しちゃおうか?とも思いましたが、健康体では入れないと言われ、いろいろ悩んだあげく、精一杯やって結果はお任せということに考えは落ち着きました。でも雨の日は落ち込むんですよ、そんな時は集金とかあまり気持ちが高揚しなくてもできる仕事をこなしていきます。動いているうちに気持ちは晴れてきます。まあ、気分屋なんですね、法華の特徴?僕だけかな。
家庭の問題も経営の問題も自分で解決できない事と解決できることを切り分けて取組まないといけませんね。長い独り言でした。

タイトル人間は儚い
記事No1549
投稿日: 2012/06/20(Wed) 17:23:14
投稿者桃青
人間は儚い。と、すとーんと来る時ってあるのですねー。
私にも来ました。

以前、あるかたが
「父親が死んで骨になってカマから出てきた時、
 あ!人間これだけのものか。と思ったのですよ。」
と、当時悩みに沈んでいた私に言われたことがありますが、
その「人間これだけのものか。」で、私に伝えたかったものが、ようやく私にも解ったような気がしています。
私は、認知症になった母を見て
「人間は儚い!本当に、本当に儚い。」と、思ったのですが、
私の「儚い」とそのかたの「これだけのものか」は、たぶん同じなんじゃないかな。

「人間はなんて儚いものだろう。」と思った私に、すっと寄り添ったのは、御聖人の

「人身は受けがたし爪の上の土人身は持ちがたし草の上の露、
百二十まで持ちて名をくたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、」

という御言葉でした。
人間は儚い。
どうせ儚いのだから、悪いことより良いことをしよう。
何をやってもどうせ儚いのだから、思い切り(仏が教える)良いことをしよう。
そんな気持ちになったのですね。
母が認知症にならなければ、私は「人間の儚さ」を知らないままだったんじゃないかと思います。

人間て儚いものですよ。
私も多額の借金があって、毎月毎月、「ああ、今月もなんとか返済できた。」と、ほっとし、また毎日毎日、仕事して、「ああ、今月もなんとか」の繰り返しです。
でも、人間は儚い。と知ってしまったので、その繰り返しも前ほど辛くはなくなりました。

>自分の経済状態や生活が不安定で信仰だの宗教だと主張すると何やらそれに逃避しているように思われたり、お前の信心している宗教は大したことないなぁと思われるようで嫌なのです。

まあ、そんな風に思うひともおられるでしょうね。
そして、そういう風に思うひとに向かってそんな風に思うなって、言っても思うでしょうから、気にしてもしょうがないって、思うのですけど・・・。

仏教は大した宗教で、法華経は素晴らしいって、御自分は、よく御存知なのですから・・・。

> 昨年秋頃は保険にしっかり入って清算しちゃおうか?とも思いましたが、健康体では入れないと言われ、いろいろ悩んだあげく、精一杯やって結果はお任せということに考えは落ち着きました。でも雨の日は落ち込むんですよ、そんな時は集金とかあまり気持ちが高揚しなくてもできる仕事をこなしていきます。動いているうちに気持ちは晴れてきます。まあ、気分屋なんですね、法華の特徴?僕だけかな。

私も動いているうちに気が晴れてきます。
良くも悪くもとにかく何かしないと気が済まない。ってひとが日蓮宗に惹かれるという傾向は確かにありますね。

> 家庭の問題も経営の問題も自分で解決できない事と解決できることを切り分けて取組まないといけませんね。長い独り言でした。

解決出来る事と出来ない事を見極めるって、難しいですよー。

タイトルRe: 人間は儚い
記事No1550
投稿日: 2012/06/21(Thu) 09:19:56
投稿者しんのすけ
参照先http://www.docu21.com/
> 「人身は受けがたし爪の上の土人身は持ちがたし草の上の露、
> 百二十まで持ちて名をくたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、」
私も崇峻天皇御書に惹かれました!四条金吾に「あなたが地獄に落ちるならこの日蓮もともに落ちましょう、そうしたら、釈迦もみんなそこにいらっさいます!あんなに感銘を受けたのにときどき忘れてしまう。人間ってホントに儚いですね(笑)

> 解決出来る事と出来ない事を見極めるって、難しいですよー。
結局、今の僕の悩みはまだまだ自分でするべき事があるのに、全力で取り組んでないからなんだろうなぁ〜
全力で取り組めば、自分で解決できるとかいう問題でもないのでしょうね!
昨日は友人である税理士が来て、決して返済も挽回も不可能な金額では無いと言われました。
「たとひ殿の罪ふかくして地獄に入り給はば、日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしら(誘)へさせ給ふにも、用ひまいらせ候べからず。同じく地獄なるべし。日蓮と殿と共に地獄に入るならば、釈迦仏・法華経も地獄にこそをはしまさずらめ」
首の座で刃の下にいるわけでもないのですから、
家族も僕の家族ですから、精一杯努力してダメなときに申し訳ない懺悔するのは努力ができるのにしなかった時だけですね。
仕事にまい進するのみです。!(^^)!
ありがとうございました。
雨なんか、なんだぁ!!(笑)

タイトル宗教は必要ない
記事No1546
投稿日: 2012/06/19(Tue) 10:03:12
投稿者桃青
「宗教は必要ない。」と言った友人は、気功にはまっていて、私にも「気」を送ってくれた。

私は、気功も「宗教の渚」みたいなものじゃないかと思うのですが・・・。

「肩こってない?」と、聞くので
「うん!凝ってる!!」と、答えたら
私の後ろへ回って、首の後ろから肩、肩甲骨のあたりまで、触れるか触れないかで手のひらをゆっくりと移動させて行く。
友人の手のひらから熱気が強く伝わる。
て、これは友人の手のせいばかりでもなく、私は、そういう場合温度を強く感じる体質のようだ。
勧められるままに、「気功」の施術を受けたことも何回かあるが、どこでも熱いくらいの熱気を感じ取った。
時には施術者から「あなたには天性の霊感がある。何も感じないひともいるのに。」と、言われたこともあるが、つまりは私は被暗示性が高いということであろう。(笑)
私は、日蓮宗の念珠を使った神通も受けると譬えようもなく「すー」とします。

なので、友人の手から熱い「気」とやらを受け止めても、特には驚かなかったが、友人の一生懸命さが嬉しかったのと手が移動するにつれて感じる熱気は気持ち良かったので、
「わあ!すごい!すごい!!効くね!!」
と、言っておいた。

友人に「人助けだから商売にしたら?」と、水を向けたところ
「こういう能力は商売にしてはいけない。」とのたまうところが
友人らしい。
以下、何をきっかけのその能力が身についたかなどを聴いたのですが、頻繁に「チャクラ」「カルマ」などの言葉が飛び出すのは、「自分の能力は気功ではないか。」と、何人かの気功師に話を聴いたり、気功の本などで学習したからであろう。
チャクラ、カルマで「気」を説明して、宗教は偽物、気功はホンモノ。
と、言いたいのであろうが、カルマなど持ち出した時点で、「そりゃ、宗教だよ。」と、内心思った。
友人は自分の「気」の理解について一家言を持っていて、
「他の気功師は、気を入れようとするからいけない。
 気は無理に入れると危険。気は送るもので相手に入らないこともあり、入って留まることもあり、入って抜けて行くこともある。」
と、言っていた。

うん!法を伝える心構えにも通じるかもね。

タイトル宗教は必要ない2
記事No1547
投稿日: 2012/06/19(Tue) 10:33:29
投稿者桃青
友人は、「宗教は自分には必要ない。」と言いながら、気功、気を日常生活に応用しているが、それは「気功」や「気」が宗教に抵触するものだという自覚がないからであろう。

しかし、世の中には、レッキとした宗教団体(どことは言わないが某M教)に籍を置きながら「宗教は、人間には必要ない。」「宗教なんて所詮、いい加減なものだ。」と言う人もいる。
こういうひとは訳がわからない。
宗教嫌いで無宗教なひとが、宗教者、信仰者をバカにしたり、嫌ったりするのは、まあ、解る。
しかし、宗教団体に籍を置き、その宗教団体の発展を願いながら、宗教は人間には必要ないだの、宗教はいい加減なものだと、宗教を信仰する者をバカ呼ばわりするのはまったく訳がわからない。

人間とは、複雑なものだ。というしかない。
一念三千。