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タイトル否定する。
記事No1567
投稿日: 2012/07/05(Thu) 09:05:06
投稿者桃青
某M教の人々だけではないが、宗教について論じる場では、
ある宗教の教義の矛盾点を指摘した者に対して、指摘された側が、
しばしば
「自分達の宗教を否定するのか」
「自分達は、それを真理だと信じているのだから、信じていない者がとやかく言うな。」
と、相手を詰っていることがある。

が、そういって相手を詰っている人々は、
そもそも自分達の奉ずる宗教が説く真理を「唯一の真理、絶対の真理だ」と言っている時点で、他の者が奉ずる真理を全否定していることを忘れているのだろうか?

自分達は、他の者が奉ずる真理を自分達の真理をもって否定しながら、他の者へ向かっては「私たちの真理を否定するな。」と、言うオカシサや自分勝手さに気がつかないのだろうか。

タイトルRe: 否定する。
記事No1569
投稿日: 2012/07/07(Sat) 12:04:50
投稿者明快
> 某M教の人々だけではないが、宗教について論じる場では、
> ある宗教の教義の矛盾点を指摘した者に対して、指摘された側が、
> しばしば
> 「自分達の宗教を否定するのか」
> 「自分達は、それを真理だと信じているのだから、信じていない者がとやかく言うな。」
> と、相手を詰っていることがある。

 某M教は結局はフリーメーソンの支持母体であり、ルシファー(悪魔)崇拝のようですよ。ユダヤ教では神はエホバで、某M教では神はモルモン・イエスのようです。モルモン・イエスは通常のキリスト教のイエス・キリストではないようです。
 フリーメーソンのロッジは悪魔の会堂とカトリックでは呼んでます。
 この世とあの世に人の肉体と霊魂は存在し、この世は物質界であり、あの世は霊界であるとよくいわれます。霊界は精妙な世界であり神霊がおわせられます。悟れない霊は天界または極楽にいけないといわれてます。ルシファー(サタン)や悪魔は、人を神や仏から遠ざけて天界や浄土にいけなくさせます。
 フリーメーソンの例は、ケンタッキー・フライドチキンやボーイスカウトやロータリークラブなどで、モルモン教はまだましなようですよ。モルモン教徒の中にはフリーメーソンやロータリークラブクラブに加入しているもんがいてこれが悪魔的なのでしょう。

タイトルRe^2: 否定する。
記事No1570
投稿日: 2012/07/07(Sat) 12:46:54
投稿者桃青
明快さん こんにちわ

明快さんの某M教についての情報は、どこかおどろおどろしいですね。
私が知っている情報と少々違うようです。
日本の某M教は、市井のどこにでもいるような人々が寄り集まって、誰でも考えそうなことを、互いに言い、言いしている集まりです。
アメリカの事情はよく知りませんが、アメリカ人も人間ですから、そんなに変わりはないでしょう。

某M教だから、特殊なひとが集まって、何か特殊なことをしているかといえば、そんなことは何もありません。
某M教にあるようなことは、某M教の外でもあるようなことばかりです。
某M教の方々がされているようなことは、某M教でない者でも、時にはしているようなことばかりです。
つまり、某M教に存在する問題だと言われているようなことは、人間が居るところには、必ず存在するようなことなのですね。

私の言わんとするところが、おわかりになっていただけますでしょうか?

タイトルRe^3: 否定する。
記事No1571
投稿日: 2012/07/07(Sat) 22:33:57
投稿者明快
> 明快さん こんにちわ
> 明快さんの某M教についての情報は、どこかおどろおどろしいですね
 モルモン教の創始者のジョセフ・スミスは、フリーメーソンに加入してから堕落したようです。そしてフリーメーソンに煽動された暴徒によって銃で殺害されました。ジョセフ・スミスの後継者であるブリガム・ヤングは最初からフリーメーソンであって、マウンテン・メドーの大虐殺など残虐事件を引き起こしました。
 ローマ法王はカトリックの司祭に対して警告を発しました。「兄弟たちよ。フリーメーソンという悪魔の会堂に近づいてはいけません。それは本当に悪魔の会堂だからです」この警告があっても、バチカン内部にフリーメーソンが潜入してきました。ローマ法王のパウロ1世はフリーメーソンによって殺害されたともいわれてます。
 キリスト教は、現世の利益よりも、個人の魂の救済を願ってます。
「人は全世界をもうけても自分の命を失ったら何の得になろうか」新約聖書、マタイ16章26節)
 ソロモン王のように富み栄えても、野のゆりの花にまさらない。仏教ではこれを極楽往生というようです。

タイトルRe^4: 否定する。
記事No1572
投稿日: 2012/07/09(Mon) 17:43:56
投稿者桃青
明快さん

>  ソロモン王のように富み栄えても、野のゆりの花にまさらない。仏教ではこれを極楽往生というようです。

仏教では「ソロモン王のように富み栄えても、野のゆりの花にまさらない」をさして、極楽往生とは申しません。

タイトル冥土までの距離は?
記事No1573
投稿日: 2012/07/18(Wed) 03:28:09
投稿者明快

> 仏教では「ソロモン王のように富み栄えても、野のゆりの花にまさらない」をさして、極楽往生とは申しません。

 極楽浄土または冥土までの距離は十万億土あるそうです。どれくらいの距離を現世と冥界は離れているのでしょうか?

タイトルRe: 冥土までの距離は?
記事No1574
投稿日: 2012/07/18(Wed) 08:59:49
投稿者桃青
明快さん

>  極楽浄土または冥土までの距離は十万億土あるそうです。どれくらいの距離を現世と冥界は離れているのでしょうか?

計り難し。

タイトルRe^2: 冥土までの距離は?
記事No1575
投稿日: 2012/07/19(Thu) 00:51:15
投稿者明快
> 計り難し。

 この宇宙の年齢が130億年といわれてるので、宇宙の大きさは130億光年ということになる。
 130億光年より遠いところに天界があり、多くの天使や悪魔がすんでいるそうな。
 仏教でいうと多くの仏や鬼が住んでいる極楽と地獄というこっちゃ。
 生身の肉体ではこのように遠いが、霊は天国の門(hevens gate)や地獄の門(hell gate)を通って一瞬の内に霊界に入れるようだ。
法要が住んで49日たつと死者の霊魂はあの世へ引越しだ。

タイトルRe^3: 冥土までの距離は?
記事No1576
投稿日: 2012/07/19(Thu) 09:01:06
投稿者桃青
> > 計り難し。
>
>  この宇宙の年齢が130億年といわれてるので、宇宙の大きさは130億光年ということになる。
>  130億光年より遠いところに天界があり、多くの天使や悪魔がすんでいるそうな。

そのように天界の場所を「光年」で測った時点で、「天界」はお伽話になってしまいます。
天使というもの、悪魔というものは、仏教の中にはない概念です。

>  生身の肉体ではこのように遠いが、霊は天国の門(hevens gate)や地獄の門(hell gate)を通って一瞬の内に霊界に入れるようだ。

仏教には、天国の門も地獄の門もありません。
門はただ一つ。呼び名は、法門、不二の法門、甘露門など。

> 法要が住んで49日たつと死者の霊魂はあの世へ引越しだ。

49日という思想は道教の影響を受けていますね。

タイトル話が横にそれてしまったようです。すべての人は罪人なのか?
記事No1577
投稿日: 2012/07/20(Fri) 02:00:00
投稿者明快
話が横にそれてしまったようです。本題に戻しましょう。

>某M教の人々だけではないが、
 あれはキリスト教でないですよ。キリスト教もどきといっていいのかな。
>「自分達の宗教を否定するのか」
 桃青さんはくちぐせのように仏教ではという。相手は仏教でなんと言おうと聞く耳ないですから。
>「自分達は、それを真理だと信じているのだから、信じていない者がとやかく言うな。」
 うむうむ、一理ある。あいては桃青さんを改宗させたい気持ちでいっぱいなのでしょう。
>と、言うオカシサや自分勝手さに気がつかないのだろうか。
 桃青さんはどうなのでしょう。人の意見を頭から否定して返り見ない点はないでしょうか?

 正当のキリスト教は、人の罪を重視します。モルモン教にはそれがないから、ちゃらんぽらんな人が紛れ込むようです。そのような面白おかしな人とつき合って、他のまじめなモルモン教徒といっしょ
にしてしまう。どの宗教(幸福の科学でさえも)でもいい点はあるわけですから、むやみやたらに否定されるのは、罪深いですぞ。
 ところでキリスト教はどんな聖人も罪があると説きますが、仏教ではどうなのでしょう?

タイトルRe: 話が横にそれてしまったようです。すべての人は罪人なのか?
記事No1578
投稿日: 2012/07/20(Fri) 12:51:56
投稿者桃青
> >某M教の人々だけではないが、
>  あれはキリスト教でないですよ。キリスト教もどきといっていいのかな。

カトリックのクリスチャンである曽野綾子さんは、
「世の中の人々は、キリスト教、キリスト教と言って、キリスト教という確固たるものがあるように思っているが、実は、キリスト教には、キリスト教とは、これです。という「これ」というものはない。」
「なので、これこそがキリスト教と言い合っている人々や、キリスト教を批判している人々を見ると、この人達はそういうことを知ったうえで言いあったり、批判したりしているのか心配になる。」というようなことを書いておられました。
(週間ポストに連載されている「昼寝するお化け」だったか、
新潮45の連載「人間関係愚痴話」だったか)

これを読んで、なるほど、と思ったことがあります。
以前より、複数のかたから「キリスト教は調べれば調べるほど、何が何だかよくわからなくなる。」という言葉を聞いていましたが、「キリスト教には、これと決まったものがない。」のであれば、調べれば調べるほど訳がわからなくなるのも無理ないですね。

> >「自分達の宗教を否定するのか」
>  桃青さんはくちぐせのように仏教ではという。相手は仏教でなんと言おうと聞く耳ないですから。

『ものの見方考え方』(松下幸之助のではなく小林秀雄の)と言いますが、
ものの見方、考え方のヒントとして、仏教ほど素晴らしいヒントを次々に与えてくれるものに私は出逢ったことがありません。

日常生活では、折が有れば、仏教由来であることを隠して、仏教用語はいっさい使わずに「それは、こういうことじゃないのかな?」と、いう言いかたで話すことが多いのですが、
すると、大抵の場合、「は!」という表情と共に「そういうことだよねー。」と、真面目に頷かれます。
仏教的なものの見方、考え方をすれば、今まで見えなかった解決のヒントも見えて来ます。
その時すぐには見えなくても、そのうちにだんだんと霧が晴れるように見えて来ます。
問題解決の方策が見えた!という瞬間に味わう晴れやかさが、私をして仏教を伝えずにはいられなくさせるのですよ。

> >「自分達は、それを真理だと信じているのだから、信じていない者がとやかく言うな。」
>  うむうむ、一理ある。

でもね。
どう見たって真理だと見えないものを集団の数を頼んで「真理なのだから真理なのだ。」
と、言って歩くのは問題だと思うのですけど・・・。
しかも言ってる本人たちに、教義のオカシサを言うと
「教義を信じて入信しているわけではない。」とか、言いだす。
「誰も口で言うほど信じてないから大丈夫」とは言っても、現実とずれてる真理を毎日唱えているうちに、現実とずれてるひとはますますずれて来るし、ずれてなかったひともだんだんずれて来る。
本来、真面目で誠実なひとのその誠実さが向かう方向が変わって来る。
やっぱり、現実から乖離した真理を真理とする教えや、人間の問題を解決することを目的としない教えは、長い目でみれば世の為ひとの為にはならないのではないのではないですか?。
宗教とは、前にも書きましたが、モノの見方考え方のヒントを与えてくれるものですから、「我と我が家だけの栄達」を最終目標とする教えが生み出すヒントは、「我と我が家が栄える。」ただそれだけに留まるものでしょうし。

> >と、言うオカシサや自分勝手さに気がつかないのだろうか。
>  桃青さんはどうなのでしょう。人の意見を頭から否定して返り見ない点はないでしょうか?
>

私は、ひとの話を聞くことは好きですから、
まずは「このひとは何が言いたいのだろう。」と、興味を持って聞きます。
聞いているうちに「だめだ、こりゃ」と去る。ということはありますね。
ただ、それが誤解で、何年もたってから、「あ!あの時あのひとが言っていたことは、こういうことだったのか!」と、気付くこともあります。
此処でも過去に何度もありました。
なので、気付かないままになっていることもきっといっぱいあるでしょう。
ずっと肯定的に捉えていたことが、間違いだったということもあります。
こちらも気付かないままになっていることもあるのでしょうね。

なので、私が何かを肯定するも否定するも、私の中では常に「仮定」です。
否定が肯定に変わる瞬間、肯定が否定に変わる瞬間、どちらも問題解決に向けて新しい世界がぱっと開ける、あの感覚はなんとも言えません。
この「常に仮定」という捉え方も、仏教的ですね。

>  正当のキリスト教は、人の罪を重視します。モルモン教にはそれがないから、ちゃらんぽらんな人が紛れ込むようです。そのような面白おかしな人とつき合って、他のまじめなモルモン教徒といっしょ
> にしてしまう。

某M教でも罪は重視してますよ。
原罪は無くなりましたが、複数の守るべき事やすべき事があれこれ定められていて、それに反則すれば、罪となる。
つまり、キリスト教が説く原罪は、キリストの贖いによって無くなり、罪といえば他でもない自分が犯した罪だけによって裁かれる。
教会は、日常全般、罪とならない生き方、行いを教える。
ただ、某M教会といえども人間の集団ですから、人間の集団にありがちなことは、全部あります。
例えば某M教で罪を規定する戒律は、一つの集団を統一する道徳であり、律法であり、規約ですから、某M教の律法の周辺で起きる現象は、世の中の集団の規約の周辺で起きる現象となんら変わりがないですよ。

>どの宗教(幸福の科学でさえも)でもいい点はあるわけですから、むやみやたらに否定されるのは、罪深いですぞ。

そうですか?
「我と我が家の栄達だけを教える宗教」は、私的にはペケですから。
人でも、我と我が家だけの栄達を最終目標としている人には、あまり近づきたくないんじゃないですか?
そういう人は、周囲のひとやら何やらを自分と自分の家族の為に利用することしか考えてませんからね。
宗教でも同じです。
ははぁ、この宗教は麗しいことを言っていても結局は「我と我が家の栄達だけ」しか頭にないな。と見たら、私の中では警戒信号がピーピー鳴りまくりです。

>  ところでキリスト教はどんな聖人も罪があると説きますが、仏教ではどうなのでしょう?

この場合、聖人の罪とは「完全でないこと。」でしょうか?

日蓮聖人が言及されている罪は「謗法」だけだそうですが、私は日蓮聖人のこの見識は仏教的で素晴らしいと思います。

タイトルRe^4: 冥土までの距離は?
記事No1579
投稿日: 2012/07/23(Mon) 03:07:02
投稿者明快
> > > 計り難し。

>>  この宇宙の年齢が130億年といわれてるので、宇宙の大きさは130億光年ということになる。
>>  130億光年より遠いところに天界があり、多くの天使や悪魔がすんでいるそうな。

> そのように天界の場所を「光年」で測った時点で、「天界」はお伽話になってしまいます。
> 天使というもの、悪魔というものは、仏教の中にはない概念です。

 現代科学の宇宙論のビッグバン理論によると、ゴマ粒のような爆発から発した光が四方八方に広がって、現在のわれわれの住む宇宙ができたらしい。
 この宇宙を取り巻く天球の層があって、ここに神や天使や悪魔が住んでいると、ユダヤ教の密教に相当するカバラで唱えている。中世のキリスト教でも惑星に付随する天球があって、それぞれ大天使が治めているそうな。
 ダンテの神曲という小説に、地獄の入口に地獄門があり、その門には「この門より入るもの、すべての望みを捨てよ」と書かれているという。
 いやはや、恐ろしい。三途の川の入口と似てるのだろう。 地獄門については次の解説を参考にしてください。
ダンテ・アリギエーリの「神曲」地獄篇・・・。http://blogs.yahoo.co.jp/kaku19512000/51573964.html

タイトルRe^5: 冥土までの距離は?
記事No1580
投稿日: 2012/07/23(Mon) 11:47:27
投稿者桃青
明快さん

>  現代科学の宇宙論のビッグバン理論によると、ゴマ粒のような爆発から発した光が四方八方に広がって、現在のわれわれの住む宇宙ができたらしい。
>  この宇宙を取り巻く天球の層があって、ここに神や天使や悪魔が住んでいると、ユダヤ教の密教に相当するカバラで唱えている。

カバラは3世紀ないし6世紀に始まり、16世紀にはほぼ現在の形になったとされています。
16世紀には知られていなかったビッグバン理論とカバラの宇宙観を結びつける根拠とはどのようなものでしょうか?

>中世のキリスト教でも惑星に付随する天球があって、それぞれ大天使が治めているそうな。

西洋でいう中世とは、おおよそ5世紀から15世紀を指すようです。
惑星そのものの存在は、有史以前から西洋でも東洋でも知られていましたが惑星という名を与えたのは、古代ギリシアの天文学者だそうです。
惑星に附属する天球すなわち衛星の存在の可能性を示したのは、地動説を唱えたコペルニクス(1473〜1543)です。
1610年ガリレオが木星に4つの衛星を発見するとコペルニクスの地球以外の他の惑星も地球に対する月のような衛星を持ち得るという説がにわかに説得力をもつようになりました。

>中世のキリスト教でも惑星に付随する天球があって、それぞれ大天使が治めているそうな。

中世のキリスト教会はコペルニクスの地動説は否定したのに、地動説から導かれた惑星の衛星の存在の可能性は、ちゃっかり受け入れたのかな?

19世紀になっても「月には白い服を来た人々が住んでいる。月へ伝道に行かねばならない。」という妄想を真実だと思った人々がいたくらいですから、中世ならまだまだ宇宙の彼方にはなんでもありだったのでしょうね。

>  ダンテの神曲という小説に、地獄の入口に地獄門があり、その門には「この門より入るもの、すべての望みを捨てよ」と書かれているという。
>  いやはや、恐ろしい。三途の川の入口と似てるのだろう。 地獄門については次の解説を参考にしてください。
> ダンテ・アリギエーリの「神曲」地獄篇・・・。http://blogs.yahoo.co.jp/kaku19512000/51573964.html

ダンテの神曲(1304〜1308)がどんなに恐ろしい地獄絵図を描きだしても、本当のテーマは「道徳と神の恩寵によって人間は救われる」です。
日本では985年に源信が「浄土教」の観点から『往生要集』で地獄の様相と念仏を説きましたが、日本人の地獄観はこの往生要集から始まったとされています。
こちらも、源信の描き出した地獄がどんなに恐ろしい様相であっても、本当に伝えたいテーマは「念仏によって人間は地獄の業苦から救われる。」です。

さて、人間は恐怖を与えられると、そこから逃れたいという思いが先に立ち、思考力が働かなくなりがちです。
現代の科学は、それは脳の扁桃体の働きが活発になるからだと説明していますが、扁桃体は刺激をうけると心拍数を一気に上昇させる。
扁桃体に刺激を与えるものが「恐怖」です。
何の武器も持たなかった人間の祖先たちは、取りあえず心拍数を一気に上昇させて恐怖の対象から走って逃げることが、危険への基本的対処法だったのでしょう。

人間は恐怖にかられると思考力が衰え、容易に相手の言うことを受け入れるようになる。
源信僧都は人間観察を通してこの事実をよく御存じだったのかもしれませんね。
キリスト教では黙示録を使って終末の恐怖を与えますが、
キリスト教の指導者達も人間が恐怖に思考力を低下させることを知っていたのかもしれませんね。
オウムは想像力に訴えるというまどろこしいことではなく、手っ取り早くお化け屋敷のように映像と音響で信者に恐怖を与える手法をとったようです。

オレオレ詐欺から保険屋。政治から教育現場、また商品を販売する場合でも、たとえまともな商品の販売でも最初に恐怖を与えることによって相手の思考力を停止させ、相手を意のままに動かそうとする手法が見て取れることはよくあります。
お化け屋敷は作り物だと解っていても、巧妙に計算された仕掛けに出会うと思わず恐怖してしまうように扁桃体への刺激は生理的現象なので、それが恐怖を煽って思考力を低下させる手法だと解っていてもつい思考力が低下してしまう。ということはあるのでしょうね。

タイトルRe^6: 冥土までの距離は?
記事No1581
投稿日: 2012/07/23(Mon) 23:37:26
投稿者明快改め冥界

> 惑星に附属する天球すなわち衛星の存在の可能性を示したのは、地動説を唱えたコペルニクス(1473

 これ誤解です。「惑星に附属する天球」とは惑星の公転円を含む球面のことで、衛星ではありません。

 ビッグバン理論とカバラ
 トマス・アクィナスは、地球の周りをまわる月天球、太陽天球、惑星天球、恒星天球の外に、最外殻の天球を付け加えている。そして神は、この天球の外に広がる「永遠の火」の領域に住んでいるとしている。すべての天球には天使がいて、機械工のようにそれぞれの球を押し転がしているんだとか。

 でもよく付き合ってくださってありがとう。

タイトルRe^7: 冥土までの距離は?
記事No1582
投稿日: 2012/07/24(Tue) 10:23:20
投稿者桃青
冥界さん

>  これ誤解です。「惑星に附属する天球」とは惑星の公転円を含む球面のことで、衛星ではありません。
>

ご指摘ありがとうございます。

>中世のキリスト教でも惑星に付随する天球があって、それぞれ大天使が治めているそうな。
>

↑これを読んだ瞬間、某M教の根本教理である
「人間が神になって新たな地球を創造し、そこで霊の子供を作って、肉体を与えて人間とし、その人間が神となって、また新たな地球を創造する。
これが果てしなく繰り返される。」(←一種の多元宇宙論か?)
を連想してしまい、
なんだ、キリスト教でも、昔から某M教と似たようなことを言っていたのだな、と。つい。(/_;)恥、恥。

>  ビッグバン理論とカバラ
>  トマス・アクィナスは、地球の周りをまわる月天球、太陽天球、惑星天球、恒星天球の外に、最外殻の天球を付け加えている。そして神は、この天球の外に広がる「永遠の火」の領域に住んでいるとしている。すべての天球には天使がいて、機械工のようにそれぞれの球を押し転がしているんだとか。
>

質問ですが、
トマス・アクィナスの言っていることは、カバラなのですか?
トマス・アクィナスの言っていることとビッグバン理論のどこが似ているのでしょうか?
 此処に書かれているかぎりでは、ビッグバン理論とは全く別の宇宙論としか、私には読めませんけど?