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タイトル如来蔵
記事No1583
投稿日: 2012/07/25(Wed) 11:03:00
投稿者修業者
儒教の人間観に、性善説と性悪説がありますが、桃青さんはどちらを支持しますか?
たぶん性悪説でしょうね(笑)。私はどちらかというと性善説です。

儒学は、道徳的倫理を説いているので仏教とは異なりますが、大乗仏教には性善説に近い教えがあります。
それは如来蔵思想です。たぶん桃青さんは好きじゃないでしょうね。

如来蔵思想は、大衆部という部派仏教の客塵煩悩の考え方が基本になっているようです。客塵煩悩とは本来清浄な人間の心に、偶発的に煩悩という塵が付着したものであるという説です。
人間の本性は完全な仏なのに、そこに外部からもたらされる煩悩という塵に覆われてしまうから仏に成れないだけであり、この煩悩という塵を取り除けばそこに完全な仏があるという考え方です。

この思想は、後の密教の成立に大いに寄与し、中国や日本の仏教に深い影響を与えたようです。
涅槃経では仏性ということばを用い、一切衆生悉有仏性という経文は有名ですよね。

日本では一時、比叡山延暦寺で如来蔵思想を取り込んだ中古天台本覚思想が流行し、僧侶としての最低限の修行や規範もおざなりにされてしまったことがあったようです。
このため、仏教の本質の教えではないといわれ、現在でもそのことに固執する僧侶が少なくないようです。

日蓮聖人は、中古天台本覚思想を厳しく批判されたようなので、真筆のない御遺文の真偽判定に中古天台本覚思想が含まれているか否かが判断の基準になっているそうです。
御義口伝(日興上人が執筆、日蓮聖人が査閲されたといわれている)をはじめ、諸法実相抄、百六箇抄、本因妙抄などは明らかに偽書だといわれています。

S学会や富士門流の日蓮系宗門は、偽書をとても重要視しているようですが、なぜなのでしょうか?

タイトルRe: 如来蔵
記事No1585
投稿日: 2012/07/25(Wed) 12:26:22
投稿者桃青
> 儒教の人間観に、性善説と性悪説がありますが、桃青さんはどちらを支持しますか?
> たぶん性悪説でしょうね(笑)。

それは誤解です。
私は、性善説でも性悪説でもありません。
言うなら「仏性説」です。
悪も善もそして「仏性」も縁によって生起するですよ。

>私はどちらかというと性善説です。
>

そぉーなんですか?
私は、修業者さんは「性悪説」かと思ってました。(笑)

ちなみに、哲学者の池田晶子さんは
性善説の本来の意味とは「人間は善を行いたいと願うから性善だというのだ。」と解説されていました。
一般に想定されている性善説「あのひとは本当はいいひと」とは、少々違いますね。
善を行いたい。と願う故に、善ではないと看做したものを酷く排除できるのも人間が性善であるからだという説は説得力があります。

タイトル性善説
記事No1588
投稿日: 2012/07/26(Thu) 09:45:47
投稿者桃青
哲学者池田晶子さんによれば
「人間には、善を行いたいという欲求がある故に、人間の性は善であるという。」
というのが本来の性善説だそうですが、
講義などで、仏性について
「人間に仏性が無ければ、人間が仏の教えを求めることなどないだろう。」
と解説されることがあります。
私は、この解説を聞くたびに、人間というものへの信頼を深くするのですが、似たような「性善説」の解説では、人間への信頼が深まるということはありません。
その違いは、どこにあるのでしょう。
おそらく私には人々が口にする「善」というものへの信頼がないからでしょう。
人々は「善」の名の元に、本当に、本当に酷いことをしますから。

タイトルRe: 如来蔵
記事No1586
投稿日: 2012/07/25(Wed) 16:05:06
投稿者桃青
> 儒学は、道徳的倫理を説いているので仏教とは異なりますが、大乗仏教には性善説に近い教えがあります。
> それは如来蔵思想です。たぶん桃青さんは好きじゃないでしょうね。
>

好きとか嫌いではなく、
現実の人間を観察すると、如来蔵思想より、「縁因仏性」のほうが
人間と仏の関係をより正確に現わしているとしか見えないので・・・。

> 如来蔵思想は、大衆部という部派仏教の客塵煩悩の考え方が基本になっているようです。客塵煩悩とは本来清浄な人間の心に、偶発的に煩悩という塵が付着したものであるという説です。
> 人間の本性は完全な仏なのに、そこに外部からもたらされる煩悩という塵に覆われてしまうから仏に成れないだけであり、この煩悩という塵を取り除けばそこに完全な仏があるという考え方です。
>

こったら話、「誰でも心の中に悪魔と天使が住んでいる。」というのと五十歩百歩のお伽話だべ?

>
> S学会や富士門流の日蓮系宗門は、偽書をとても重要視しているようですが、なぜなのでしょうか?

自分達の組織を正当化できるからではないですか?

タイトルRe^2: 如来蔵
記事No1587
投稿日: 2012/07/26(Thu) 09:24:54
投稿者しんのすけ
参照先http://www.docu21.com/
如来蔵思想に関しては、以前、さんざん書かれていたからパス(+_+)

> > S学会や富士門流の日蓮系宗門は、偽書をとても重要視しているようですが、なぜなのでしょうか?
>
> 自分達の組織を正当化できるからではないですか?

というより、元々正当化するために彼らが作った書ですからね。

タイトル我が門弟委細に之を尋討せよ。
記事No1589
投稿日: 2012/07/26(Thu) 11:10:30
投稿者桃青
> というより、元々正当化するために彼らが作った書ですからね。

「捏造物を使ってでも己が組織を正当化したい。」
気持ちは解らないでもありませんが・・・・。

日蓮聖人は、法華取要抄に曰く。
「爾りと雖も宝山に来り登つて瓦石を採取し栴檀に歩み入つて伊蘭を懐き取らば悔恨有らん、故に万人の謗りを捨て猥りに取捨を加う我が門弟委細に之を尋討せよ。
 夫れ諸宗の人師等或は旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず或は新訳の経論を見て旧訳を捨置き或は自宗の曲に執著して己義に随い愚見を注し止めて後代に之を加添す、」云々。

真っ直ぐに法を求められた日蓮聖人の御心情が伝わって来ますね。

正統性の拠りどころとしていたものが、偽書だったと判明したときに、どのような態度をとるか。です。
純粋にひたすら法を求められた日蓮聖人なら、「偽書であったと公表して、ホンモノを求めよう。」と言われるでしょう。
S学会でも執行部は偽書だということは百も承知でしょう。
今の時代、組織を運営する立場にある者たちや会員の学者たちが、偽書であることを知らないわけがない。
でも、言わないのですね。
このあたりも某M教会の姿勢とよく似ています。
両者とも検証可能な客観的事実を公には認めない。
言いわけはこういう場合どこでも同じです。
「ホンモノだと素直に信じている組織員を傷つけたくない。」
嘘と知りながら、組織員に嘘を教えておいて、それはねーべや。
と、思うのですけど。

伝えている元締めは、嘘だと知っている。
が、大衆に本当のことを告げると大変なことになるから、大衆のためを思って本当のことを隠しておく。ね。
これって宗教団体だけではありませんね。つい最近もありましたね。原発あたりで・・・。原発ばかりではなく、世の中には、そんなことがイッパイあると思う。
本当に大衆や信者のためなんでしょうか?

タイトルRe^2: 如来蔵
記事No1590
投稿日: 2012/07/27(Fri) 07:18:54
投稿者修業者
> こったら話、「誰でも心の中に悪魔と天使が住んでいる。」というのと五十歩百歩のお伽話だべ?

まぁ、早い話そうなんでしょうけど...。、
でも、この思想ができあがった歴史は古いのですよ。
確か龍樹が中論を説いた年代と同じ位だったと思います。

如来蔵思想に関する仏典には、如来蔵経、不増不減経、勝鬘経などがあります。
昔、勝鬘経を読んだことがありますが、なぜか法華経と共通点があったように記憶してます。
作者が同じ人だったのかなぁ〜。
あっ、しんのすけさんに叱られそう。(笑)

タイトルRe^3: 如来蔵
記事No1591
投稿日: 2012/07/28(Sat) 12:24:52
投稿者桃青
> まぁ、早い話そうなんでしょうけど...。
> でも、この思想ができあがった歴史は古いのですよ。
> 確か龍樹が中論を説いた年代と同じ位だったと思います。
>

仏性を言葉で伝えるって、難しいのですよね。
最初に如来蔵を言いだしたひとは、仏性をお伽話にするつもりはなかったのかもしれませんが。

法を聞き始めたころ、師匠に
「塵を払い垢を除かん。のパンタカの話に感銘を受けました。」
と、言いましたら、師匠は、ちょっと眉を曇らせられたのです。
私が間違った方向へ行こうとしていると心配されたのでしょうね。

師匠は、
「うーん、修行の喩えとしては良い話ですが。本当は、そうではないのですよ。」
と。

タイトルRe^3: 如来蔵
記事No1600
投稿日: 2012/08/01(Wed) 18:09:08
投稿者しんのすけ
参照先http://www.docu21.com/
> 如来蔵思想に関する仏典には、如来蔵経、不増不減経、勝鬘経などがあります。
> 昔、勝鬘経を読んだことがありますが、なぜか法華経と共通点があったように記憶してます。
> 作者が同じ人だったのかなぁ〜。

いずれもお釈迦様のお説きになったお経ですからね(笑)
勝鬘経は夫人のお話をお釈迦さまが認定されたんだったかな?

> あっ、しんのすけさんに叱られそう。(笑)
別に叱りませんし、そんな釈迦に説法のような事はできません。

ちなみに日蓮聖人のご遺文には如来蔵という言葉は「本尊鈔」に一か所出てくるだけです。仏性、下種という言葉はよく出てくる。
当時、経は全てお釈迦さまの金言とされた時代ですから、如来蔵を全否定はしていませんが、埃や塵を払えば仏になれるといことは言っていません。
あくまで、お題目を下種しなければ仏にはなれないと言われていると思います。
末法において、仏性は痩せた農地のようになっており、末法になって登場したお題目という品種改良された苗を植えないと成仏という稲はならないということだと思っております。