タイトル | : 排除する集団 |
記事No | : 1584 |
投稿日 | : 2012/07/25(Wed) 12:00:49 |
投稿者 | : 桃青 |
心拍数を一気に上昇させて、不安や恐怖の対象から走って逃げようとするのも人間なら、不安や恐怖の対象を排除しようとするのも人間なのだ。
イジメの背後には、異質なものを排除して身を守ろうとする人間の防衛本能があるとも言われる。
某M教はその根本教理で、 「人間は、神と同じ姿にならなくては、神と共に暮らせない。」 と説く。 この一見、いかにも崇高な思想も「神と同じ姿になるには、まず教会員にならねばならない。」と、続くと、「なーんだ。人間の異質なものを排除したいという本能が生み出した妄想か。」 と、底が割れてしまう。
「異質なものを排除したい。」「仲間でないものを排除したい。」という本能を教義で正当化している故か、某M教の其処此処には、イジメに似た現象が常に表出している。 表出しているばかりでなく、それがイジメだということを誰も指摘しないのも、根本教義が「異質なるなものを排除せよ。」故なのだろうか?
しばしば集団には、2・6・2の法則があると言われるが、(これはたぶん正規分布を言っているのだろうが) 例えば、集団にとって有益なもの2割、そこそこ有益なもの6割、無益なもの2割。 無益な者2割を排除すれば、集団は有益なものとそこそこ有益なものばかりになるかと言えば、残ったものがまた2・6・2の法則で、無益なものを生みだすというのだ。
ある某M教系の掲示板で、掲示板の参加者の一人が排除されて出て行ったと思えば、残った者の中でまた排除するターゲットが定まるのを見る。 おそらくそのひとが出て行けば、また違うものを排除する対象とするのだろう。 「神に選ばれし者」という思想に惹かれる人々は、振り向いては自分と異なるものを選別排除せずにはいられない人々なのだろうか。
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