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タイトル神秘主義・・・もっと大切なものがある。
記事No1606
投稿日: 2012/08/08(Wed) 18:39:11
投稿者桃青
あるひとが書かれた、こんな話が心に残っています。


小学生○年生の時、テストで初めて100点を取った。
家にテスト用紙を持ちかえると、母も祖父母も大喜びで
大層褒めてくれた。
自分も得意ではしゃいでいた。
すると、それまで土間で黙って何か仕事をしていた父が、
一言
「そうか、よく頑張ったな。
 でもな、世の中には、テストで100点とるよりもっと大切なことがあるんだよ。
 そのことを忘れないようにしなさい。」
と、言った。
そのひとは、冷や水を浴びせられてように、ドキッとし、家中がしんとなった。
それからは、そのひとは何かある度に
「世の中には、もっと大切なことがある。」
と言った父の言葉を思い出し、そのお陰で自分は曲がりなりにも道を踏み外すことなく生きて来られたと思っている。

と。
今の時代は、どうでしょう。
「褒めて育てる。」で、褒めておだてて。という話ばかりを聞きますね。
テストで100点取ったら、褒めて褒めて、次また頑張らせようとする親は多いかもしれませんが、

「世の中にはもっと大切なことがある。」
と、静かに力強く諭せる親は、どのくらいおられるでしょうか。

私は、神秘体験の素晴らしさが語られ、その体験を周囲がちやほやする場面に遭遇すると、この話を思い浮かべ
「世の中には神秘体験よりもっと大切なことがある。」
と、ひそかに胸のうちにつぶやくのです。

ネットでも、つい書いてしまいたくなる時もありますけど、
大抵は我慢します。

タイトルRe: 神秘主義・・・もっと大切なものがある。
記事No1607
投稿日: 2012/08/11(Sat) 08:40:47
投稿者桃青
以前、この時期には、怪談番組が定番だったのですが、
ふと気が付くと、ここ何年か「無い」と言ってよいくらい放映されませんね。
今年はオリンピックもあって、まだまったく見かけません。

神秘体験が個人の脳内の出来事だという知見が一般的になってきたからでしょうか。

しかし、スケプティックスの安斎育郎先生は
先生が大学の講義中に
「奇跡」といわれる幾つかの現象を「手品だ。」と種明かししつつ学生の眼の前で再現して見せても、講義後の調査で
「先生がしたのは手品だが、○○がしたのは確かに手品では無い奇跡だ。」
と、答える学生が2,3人は必ずいる。

と、書かれていましたが、そのように、
「確かに脳内現象で説明できる神秘体験はあるであろうが、
 脳内現象では説明できない神秘体験がある。」
と主張されるかたや
「他の者が体験したのは、単なる思い込み。
 ワシはそうではないホンモノのホンモノの神秘体験をした。」
と、言い張るかたが必ずおられるものなのですね。
某M教あたりには、必ず。

こうなると「他の者とは違う」と、明言される根拠が何なのか知りたくなります。
で、尋ねてみると、
「違うから違うのだ!俺様の神秘体験を疑うやつはバカだ。」
と、罵倒された。
このかたもそうですが、某M教のかたがたには老若男女、気に入らない相手を言葉を尽くして罵ることに躊躇がないかたが多い。
アメリカのディベート文化では、当たり前なのだろうか?
と、想像しているのだが・・・。
ちょっと気に入らない言いまわしに出逢うと、待ってましたとばかりに、本来の議題をそっちのけに、キャンキャンと謝罪を要求し、たとえ謝罪しても、以後対等な立場での論議を決して許さないところがある。
こういう場面は、某M教徒とのネットでの論議ばかりでなく、最近の日本でも多く見かけるようになった。
日本人が全般にアメリカナイズされてきたのだろうか?

「ある問題を解決するのに、その問題に対しては両者は対等。」

論議すべきは、問題の解決方法であるはずなのに、
まずは、自分が相手より優位な立場になろうと、相手の言葉尻を取らえてキャンキャン吼え出す。
彼らにとっては、「問題の解決」もまた自分が相手より優位に立つための道具にしか過ぎないようだ。

二元論を採る某M教は、異邦人を見る目も二元論のようだ。
「敵か、味方か、奴隷か」
味方で無ければ敵。
味方でないものは、反抗できない奴隷にしておかなければ安心できないのであろう。

タイトルRe: 神秘主義・・・天空の湖
記事No1608
投稿日: 2012/08/11(Sat) 10:22:19
投稿者桃青
カシュガルの奥地に天空の湖と呼ばれる湖沼群がある。
そこに佇むと、えも言われぬ音が聞こえた。

仏教遺跡と玄奘三蔵の足跡を追って、天空の湖に至った私は、
仏の声を聞いたと思った。

天空の湖で、仏の教えを学んだものは仏の実在を確信し、神を知っているものは神の実在を確信する。
神も仏も知らないものは、圧倒的な「何か」の存在を感じるのだろう。
そして、当然、天空の湖で何の存在も感じない者もいるだろう。

私は、神秘主義というものは、
「カシュガルの天空の湖みたいなものなんだろうな。」
と、思う。
神秘体験は、妙なる体験として確かにそこにある。
大きな感動や何かを得たという感覚を与えては呉れるだろうが、
それだけでは現実の問題は何も解決しない。

タイトルRe: 神秘主義・・・BGM
記事No1609
投稿日: 2012/08/14(Tue) 10:34:53
投稿者桃青
ワグナーをイヤホーンで聴きながら街を歩いたことがある。
見慣れた退屈な街の様子が映画の中のできごとのように意味ありげにドラマチックに見えた。
面白かったので、別の日、津軽三味線を聴きながら街を歩いた。
旅した東北の風景ばかりが脳裏に浮かんで、街がドラマティックに変わって見えるということは無かった。
あと、いろいろ試してみたが、多少の差はあったものの、ワグナーほど見慣れた街が意味ありげに見えてきた曲は無かった。

神秘体験というものも、一度体験すると、それまで見えていた光景が全く違った見え方がしてくるもののようだ。
そのようにこれまでと違った見え方がして来たことをもって
「自分は真理を得た!」と、思うひともいるのでしょうね。

タイトル神秘体験にはあくま憑きもあるので用心
記事No1610
投稿日: 2012/08/15(Wed) 10:06:34
投稿者冥界
> 神秘体験というものも、一度体験すると、それまで見えていた光景が全く違った見え方がしてくるもののようだ。
> そのようにこれまでと違った見え方がして来たことをもって
> 「自分は真理を得た!」と、思うひともいるのでしょうね。

 神秘体験も悪魔で見せる白日夢のものと、神からの霊感のものがあるので要注意です。
 ヨハネやダニエルの黙示録は、神からの霊感に基づいて書かれたといわれてます。ダニエルの見た夢はバビロンからローマまでの古代の悪魔的な都市国家について警告されてます。エホバの証人たちはダニエルの預言を信じ活動してます。

タイトルRe: 本質は同じ
記事No1612
投稿日: 2012/08/15(Wed) 11:33:54
投稿者桃青
>  神秘体験も悪魔で見せる白日夢のものと、神からの霊感のものがあるので要注意です。
>

そうですか?
私は、どちらも同じ現象だと理解しています。

タイトルRe^2: 神秘主義・・・再現性
記事No1611
投稿日: 2012/08/15(Wed) 11:31:50
投稿者桃青
音楽をイヤホーンで聴くと、耳で聴いているという感覚ではなく、
頭の中心で音が鳴っている、という感じがする。

ワグナーをイヤホーンで聴きながら街を歩くと、日常見慣れた光景が壮大なドラマの世界に見えたのは、脳のどこかにワグナーの音楽が直接に刺激を与えたせいかもしれない。


某M教のあるかた。仮にワンさんとしよう。
ワンさんは、某M教会員になる以前の高校生の時に御霊を受けたといわれる。
ワンさんが言われるには、御霊はワンさんの「御霊を得る方法」を行えば誰でも得られるものだそうだ。
それがどのような方法なのか、は教えていただけなかったが、
「まずは、こう、精神を集中して・・・」
と、何らかの方法で精神を集中するところからはじまり、御霊を得ると、フラッシュのようにビジョン(映像)が見える。
ということのようだ。

うーん・・・一定の条件下である現象が繰り返し起きるというのであれば、再現性があるということですから、それは「科学」の分野なのではないでしょうか。

タイトルRe^3: 神秘主義・・・再現性
記事No1613
投稿日: 2012/08/15(Wed) 15:42:33
投稿者冥界
> 某M教のあるかた。仮にワンさんとしよう。
> ワンさんは、某M教会員になる以前の高校生の時に御霊を受けたといわれる。
> ワンさんが言われるには、御霊はワンさんの「御霊を得る方法」を行えば誰でも得られるものだそうだ。
> それがどのような方法なのか、は教えていただけなかったが、
> 「まずは、こう、精神を集中して・・・」
> と、何らかの方法で精神を集中するところからはじまり、御霊を得ると、フラッシュのようにビジョン(映像)が見える。
> ということのようだ。

それは悪霊です。モルモン教の御霊というのは、普通のキリスト教の聖霊とは違うと聞きます。桃青さんはモルモン教の悪霊に取り付かれていらっしゃるようです。エホバの証人の正しい指導のもとに、神の霊感を授かる神秘体験に会うでしょう。

> うーん・・・一定の条件下である現象が繰り返し起きるというのであれば、再現性があるということですから、それは「科学」の分野なのではないでしょうか。

 それは科学でなく、モルモン教のマインドコントロールです。きつねつきと変わりません。

タイトルRe^4: 神秘主義・・・再現性
記事No1614
投稿日: 2012/08/15(Wed) 17:25:30
投稿者桃青
>  それは科学でなく、モルモン教のマインドコントロールです。きつねつきと変わりません。

マインドコントロールもきつねつきも再現性がありますので、
科学ですね。

タイトルエホバの証人と大いなるバビロン
記事No1616
投稿日: 2012/08/15(Wed) 20:32:39
投稿者冥界
> >  それは科学でなく、モルモン教のマインドコントロールです。きつねつきと変わりません。
>
> マインドコントロールもきつねつきも再現性がありますので、
> 科学ですね。

 きつねつきが科学?
 大いなるバビロンという悪魔があってアメリカか国連そのもんだそうな。エホバの証人の人にとっては重要な教義だそうな。
 桃青さんはワグナーの音楽が神秘体験だそうですね。つまらない神秘体験のようだが。聖霊の体験こそすばらしい神秘体験ですよ?

タイトルRe: エホバの証人と大いなるバビロン
記事No1617
投稿日: 2012/08/15(Wed) 21:46:25
投稿者桃青
>  きつねつきが科学?

きつねつきと呼ばれる現象は、科学で扱えるということです。

>  桃青さんはワグナーの音楽が神秘体験だそうですね。つまらない神秘体験のようだが。

ワグナーをイヤホーンで聴きながら、街を歩いたら、
見慣れた街が、映画をみているような非現実感をもって見えてきた。
と、書きました。
ワグナー風味の非現実感も感覚的には面白かったですが、それは「神秘体験」ではありません。
神秘体験が何を指すのかは、ネットで検索してみてくださいね。

私のワグナー体験は、そうした「神秘体験」を考察する一つのヒントとして書いたものです。


>聖霊の体験こそすばらしい神秘体験ですよ?

そうですか?

神秘体験をされたかたで、客観的に神秘体験を見るという作業をする方以外は、全員、
「自分こそが本物のすばらしい神秘体験をしたのだ。」
と、言われますね。
私は、そう言わるのを聞くたびに、
このひとは、
「自分ごときどうてことのない人間が、このような体験をしたのだから、他にも同じような体験をしたひとがいるに違いない。」
とは思わないのだろうか?
と、不思議でなりません。

神秘体験の本質は、皆同じです。
なので、神秘体験がどんなに素晴らしいものでも、神秘体験どまりの宗教や神秘体験を過度に持ち上げる宗教は私にはつまらない。
仏教は神秘体験どまりでないところがよいのです。

タイトルRe^3: 神秘主義・・・再現性
記事No1615
投稿日: 2012/08/15(Wed) 17:49:14
投稿者桃青
一定の条件のもとで、決まって同じ現象が起きるというのであれば、
それは科学なのではないか。

と、ワンさんに問い掛けたところ、激しく感情的に反発された。
しかも、ワンさんは、ワンさんの指導のもとにワンさんと同じ方法を通じて体験したのではなくては、御霊を受けたとは言えない。
と、いうようなこともいわれる。
それって、同じ条件のもとで、同じ現象が起きる。と、言ってることと同じだと、気がつかないのだろうか?

神秘主義の周辺には、おかしなことが起きるなー。

タイトルRe^4: 神秘主義・・・再現性
記事No1618
投稿日: 2012/08/16(Thu) 09:44:30
投稿者桃青
某M教のワンさんは
ワンさんが会得した方法を実行すれば、誰でも御霊(の導き)を受けることができる。

と、言われるが、何らかの神秘体験をしたかたの中には、ワンさんのように思われているかたは、実は珍しくない。

某M教は、教祖の神秘体験からはじまった宗教であるが、
某M教が定める方法(儀式等)を体験しなければ、御霊は受けられないと、説いている。
某M教教祖もまたワンさんやその他、神秘体験をしたかたによくおられるような、
「なんらかの方法を行えば、誰でも自分が体験したのと同じ体験をすることができる。」
と、考えたかただったのだろうか?

もし、そうなら某M教教祖やワンさんの直感は正しい。
何故なら、ある一定の条件下では誰にでも幻覚(視覚、聴覚、知覚等)が起きうることは、科学実験によって証明されているからである。

「ある方法を行えば(一定の条件下で)神秘体験が必ず起きる。」と某M教の教義やワンさんが力説すればするほど、
それは、本人達の思惑とは懸け離れて科学的実験の正しさを証明するものになって行く。

神秘体験の実態が、幻覚であるからといって、神秘体験に値打ちがない。
とは思わない。
幻覚によって何を得たか、の「何」に値打ちがあって、
でも「何」を彩るものは、やっぱり「私」なんですよね。


某M教の教祖は、「個人の導きは個人が受ける。」「教会の導きは教会幹部が受ける。」というようなことも言っていて、
アンチから「教会幹部が教会を私しようとするするものだ。」と、批判されているが、個人的な事柄を熟知しているのは、個人しかいないし、教会の諸事情を幹部以上に知っている者はいないのだから、
この言い分は、御霊の導きの限界を直感していたという点では、正直な発言ではないかと、思う。
が、神秘体験に「私」以上のものをもとめる人々は、啓示とはそんな程度のものか、と、がっかりするかもしれない。

どんな神秘体験も体験をする「私」を超えるものではないのです。