[リストへもどる]
一括表示
タイトルひるブラ
記事No1646
投稿日: 2012/09/11(Tue) 16:40:57
投稿者桃青
ひるブラ「“モダン門前町ワールド”を堪能!〜山梨県 身延町〜」

NHK今日のひるブラは久遠寺と門前町でした。
短い時間でしたが、内容は、女性向けに綺麗にまとめてあって
門前町の紹介としては良く出来てましたね。

赤やピンクの綺麗な念珠にレポーターの女性は「欲しい!」と歓声をあげておられました。
日本には、かって嗜みの良い女性は、常に念珠を携帯するという時代もありました。
訪問先の御仏前でも、観光で出かけた寺院の参詣でも、さりげなく念珠を取り出して、手を合わせる。
いいなあ。カッコいいなあ。(o^^o)♪

赤やピンクの念珠がきっかけになって、そんな心得がまた広まると良いのですけどね。

タイトルRe: ひるブラ
記事No1648
投稿日: 2012/09/17(Mon) 16:15:29
投稿者しんのすけ
> 訪問先の御仏前でも、観光で出かけた寺院の参詣でも、さりげなく念珠を取り出して、手を合わせる。
> いいなあ。カッコいいなあ。(o^^o)♪

うちの宗派は在家のシンボル的な意味もあり数珠は使いませんが、
それが縁で仏前にお手を合わせる習慣ができるのは良いことですね。
よく読誦中にジャラジャラやられる方がいますが、あれはいただけません、特に唱題中は気が散ります。

タイトル在家の信仰
記事No1649
投稿日: 2012/09/18(Tue) 12:15:38
投稿者桃青
> うちの宗派は在家のシンボル的な意味もあり数珠は使いませんが、

そう、在家!!
そこなんですよねー。
仏法も在家と言われるひとびとが増えなくては、どうにもならない。
いや、在家と意識しなくても仏法に生きる人々が増えなくては、
いや、仏法と知らずに、仏法に生きる人々が増えなくては、

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」

という世界を確かに見るひとも増えないでしょう。
まあ、でも、在家ばかりでなく、専門職でもそのような世界を確かに見るかたは少ないように思われます。

因縁という言葉は、すごく手垢がついてしまいましたが、
因縁を真っ直ぐに見つめたら、自然と、
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない。」
という世界も見えて来る。。。。はず。なんですけれどね。

> それが縁で仏前にお手を合わせる習慣ができるのは良いことですね。

そうですね。
まずは、「仏」というものの存在を知らないと、発露するものも、発露しないこともあるでしょうし・・・。


> よく読誦中にジャラジャラやられる方がいますが、あれはいただけません、特に唱題中は気が散ります。

念珠を揉む、というあれですね。
こちらでも、「念珠というものがどういうものか、良く考えれば、揉むことなど出来ないはずだ。」
と、注意されます。

タイトル数珠
記事No1651
投稿日: 2012/09/19(Wed) 05:59:17
投稿者しんのすけ
> 念珠を揉む、というあれですね。
> こちらでも、「念珠というものがどういうものか、良く考えれば、揉むことなど出来ないはずだ。」
> と、注意されます。

日蓮宗電子辞書には
数を記する珠の意で、誦数、誦珠、呪珠、珠数、念珠などと書き、「おもいのたま」と訓じている。一定数の珠を貫連して輪にしたもので、釈尊在世当時には用いられず、滅後の教団において、バラモン僧の風に倣って用いるようになったもののようである。そして、中国では、隋・唐時代頃から用いられ、はじめは密教僧が修法の際の念仏や陀羅尼の数を記憶する為に用いる実用的法具としての意味がつよかったが、のち次第にひろく普及し、仏教徒の象徴的持物となるに至ったものである。我国では、すでに、奈良時代から用いていたことが、正倉院の御物の中に、琥碧、水精、菩提子などの数珠が残されていることからもうかがわれる。数珠を所持する作法及び功徳については『金剛頂瑜伽念珠経』に「二手に珠を持し、心上にあてて静慮して念を離れ、心を本尊瑜伽の心一境に専注すれば、皆、理事の法を成就することを得。もし、頂髻に安き、或は身に掛け、或は頭上に安き、或は臂に安ければ、所説の言論は皆、念誦と成る。此の念誦を以て三業を浄む。頂髻に安くに由って無間を浄め、頸上に帯ぶるによって四重を浄む。手を臂の上に持すれば衆罪を除き、能く行人をして、速かに清浄ならしむ」と説いているほか、『木禦子経』、『陀羅尼集経』『数珠功徳経』などにも説かれている。(中略)
持つ時は、常には二環にして、左手首にかけ、合掌の際には、左手の拇指と示指の間にかけるを法とする。勧請、唱題、回向の時は、環の途中に綾をつくり両手の中指の中程より上にかけて合掌する。その際緒止の珠(数取のある方)が下位、拇珠の方が上位で、上位を右中指、下位を左中指にかける。法要執行中に、数珠を摺り鳴らすことは、密教の修法や山伏修験の作法に始まることで、本宗の法要では、常には用いない。《宮崎英修編著『新編日蓮宗信行要典』》

タイトル数珠2
記事No1652
投稿日: 2012/09/19(Wed) 06:05:40
投稿者しんのすけ
>法要執行中に、数珠を摺り鳴らすことは、密教の修法や山伏修験の作法に始まることで、本宗の法要では、常には用いない。《宮崎英修編著『新編日蓮宗信行要典』》

とあるように、数珠を揉んで唱題するのはご聖人の嫌われた真言密教や密教化した天台の模倣であり、
本化の精神と反します、こんどから拝見したらしっかり注意します。
実は揉むのが日蓮宗の流儀かと思っていましたので、お寺の方もしっかり指導して欲しいです(笑)

タイトルRe: 数珠2
記事No1654
投稿日: 2012/09/19(Wed) 11:11:16
投稿者桃青
> 実は揉むのが日蓮宗の流儀かと思っていましたので、
>お寺の方もしっかり指導して欲しいです(笑)

「揉まない。」で、統一されたのは、そんなに古くはないでしょう。
なので、現在でも檀信徒さん(特に年輩のかた)の中には揉まれるかたはおられます。
習慣になってしまっていると、なかなか治らないのでしょうね。

念珠は、水晶が一番、で、真珠は良くない。
と言われます。
真珠がどのように生成されるかを思えば、「そうだろうなあ。」
と、思いますが、世間には真珠の念珠が山ほど売られています。
日蓮宗の念珠で、真珠で作られたのは見たことがありませんが。

タイトルRe: 数珠
記事No1653
投稿日: 2012/09/19(Wed) 10:41:57
投稿者桃青
>数珠を所持する作法及び功徳については<以下略>

つまりは、禅定を保つ。ということなのでしょうね。

タイトルRe^2: 数珠
記事No1655
投稿日: 2012/09/19(Wed) 17:30:40
投稿者しんのすけ
参照先http://www.docu21.com/
> >数珠を所持する作法及び功徳については<以下略>
>
> つまりは、禅定を保つ。ということなのでしょうね。

はい、僕の宗派では「数珠」を使用しませんが、私は他の宗派の方が持たれるのを否定はしません。
というのは、日蓮聖人の絵画にも数珠を持たれたお姿が描かれていますから
誰しも尊敬する方を真似したいと思うのは当然です。
形から入り、魂を真似しましょう。

タイトルRe^3: 数珠
記事No1656
投稿日: 2012/09/19(Wed) 23:24:58
投稿者桃青

> というのは、日蓮聖人の絵画にも数珠を持たれたお姿が描かれていますから

大日蓮展に出ていた日蓮聖人の御念珠が心に残っています。
御手に馴染んで使い込まれた感じのもので、じっと見ていると日蓮聖人にお会いしているような気がしましたよ〜。
(「真」でしょうね?もし「伝」だったら、押すな押すな人垣の中で、ひとり感動しまくっていた私って?)