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タイトル某M教的気になる思考、その一
記事No1663
投稿日: 2012/09/26(Wed) 12:13:44
投稿者桃青
某M教を成り立たせている思考のひとつに、

「汚いものをどこかへ排除すればきれいになる。」

というものがある。
一見正しいようですが、これは実は間違った思考であり
このように考えているうちは、解決できる問題も解決できないばかりか、問題が問題を生んでどんどん拡散して行きます。

最近その発言が問題視された某大統領候補ですが、
問題視された発言の根底にも、この「汚いものをどこかへ排除すればきれいになる。」という思想が見て取れるでしょう。

タイトルRe: 某M教的気になる思考、その一
記事No1670
投稿日: 2012/09/29(Sat) 07:35:53
投稿者しんのすけ
> 「汚いものをどこかへ排除すればきれいになる。」
これは某M教だけでなく、ほとんどの人と言って良いくらい世間に
はびこった考え方ですね。
私が法華経、ご聖人の教えに惹かれているのは仏にも凡夫にも
地獄、仏、餓鬼があるという一念三千の教えです。残念ながら
ご聖人の教えを標榜とする宗派、団体にその教えを無視する排他的な思想がはびこっているのも事実です。
最近、ご縁をもった人がクリスチャンで、そちらの方の教会に伺いましたが、ここで聞くM教の教えや会員さんと異なり教会に反発するもや
会費を納めない人も受入れて、うちの宗派とおなじく貧乏で共感を覚えました。
ただ、教会とか聖書というのはどうも苦手、あえてキリスト教を信仰するなら内村鑑三の無教会派かな?仏、神さまへの信仰であって、組織や教会への信仰ではないのが原則だと思うのに、まちがった宗教、宗派が団体が多すぎです。

タイトルRe^2: 某M教的気になる思考、その一
記事No1671
投稿日: 2012/09/29(Sat) 12:46:37
投稿者桃青
> > 「汚いものをどこかへ排除すればきれいになる。」
> これは某M教だけでなく、ほとんどの人と言って良いくらい世間に
> はびこった考え方ですね。

そうなんですよねー。
諸々に発生している問題の元であり、また、解決から遠ざけているのも、この考え方じゃないんでしょうかね?

でも、この考えかたのどこが違うのか、陥ってしまうと抜け出せないのですよね。

> 私が法華経、ご聖人の教えに惹かれているのは仏にも凡夫にも
> 地獄、仏、餓鬼があるという一念三千の教えです。

某M教もまた十界互具の世界にありますからね。
某M教にも、当然人間の全ての姿があるでしょう。

>残念ながら
> ご聖人の教えを標榜とする宗派、団体にその教えを無視する排他的な思想がはびこっているのも事実です。

排他的な思想がナムミョーホーレンゲキョーと共に世界に広まって、それが仏教であり日蓮聖人の教えだと思われていくのでしょうか。
困ったものですね。

> 最近、ご縁をもった人がクリスチャンで、そちらの方の教会に伺いましたが、ここで聞くM教の教えや会員さんと異なり教会に反発するもや
> 会費を納めない人も受入れて、うちの宗派とおなじく貧乏で共感を覚えました。

某M教でも教会に反発したからといって、破門にはなりませんし、
収入の無いひとは献金をしなくてもよいのですよ。
ただ、某M教の教えの基本が「汚いものを排除すればきれいになる。」ですから、周囲の締め付けが厳しいものになるのは頷けます。

他の教会の雰囲気は、指導の牧師さんなり神父さんなりの人柄が大きな影響を与えるけれど、某M教は相互監視システムですから。
相互監視システムって、真面目なひとが真面目にやれば、だんだんエスカレートして、とんでもなく嫌な雰囲気になって行くものなのですね。

> ただ、教会とか聖書というのはどうも苦手、あえてキリスト教を信仰するなら内村鑑三の無教会派かな?仏、神さまへの信仰であって、組織や教会への信仰ではないのが原則だと思うのに、まちがった宗教、宗派が団体が多すぎです。

内村鑑三は無教会派で知られていますが、いざ、無教会派ではじめてみたら、「無教会派」という集団になってしまって、そこがまた排他性がきつい集団になってしまった。
その解決策を模索して会衆制の「組合教会」に近づいて学んだ。とあります。
選民思想の元は人間の排他性なのでしょうが、排他性がきついかたは、ユダヤ教の選民思想が見え隠れするキリスト教の排他性の部分に惹かれやすいのかな??
とも、思いますが・・・。
もちろんキリスト教は排他性だけで成り立っているわけではありませんので、排他性が弱いかたは、それとは別の部分に惹かれるのでしょうけども。

「組合教会」を日本へ持ちこんだのが、同志社大学の祖、新島譲です。
来年の大河ドラマの主人公ですね。
なので、新島譲と親交があった内村鑑三もドラマに出て来るのではないでしょうか。
でもなー、内村鑑三て、「ジョセフスミスと日蓮は似ている。」と、書いたのですよね。
(「代表的日本人」内村鑑三)
内村鑑三は、あのジョセフスミスを結構高く評価していたのでしょうか??
うーん・・・なんかなー。

タイトルRe^3: 某M教的気になる思考、その一
記事No1672
投稿日: 2012/09/30(Sun) 01:11:35
投稿者しんのすけ
> でもなー、内村鑑三て、「ジョセフスミスと日蓮は似ている。」と、書いたのですよね。
> (「代表的日本人」内村鑑三)

ほんと?
そんな箇所ありましたか?覚えがないけれど?

【 投稿者により修正されました。】

タイトルRe^4: 某M教的気になる思考、その一
記事No1673
投稿日: 2012/09/30(Sun) 19:11:25
投稿者桃青
> ほんと?
> そんな箇所ありましたか?覚えがないけれど?

確認してみました。
あら??ほんと???

大変、失礼しました。<(_ _)>

うーん・・・どこかで、確かに、
「アメリカで、ジョセフスミスがアメリカのキリスト教を創造したように、日蓮が日本の仏教を創造したように、日本には日本的キリスト教を創造すべきだ。」
と、いうような内村鑑三の文章を読んだような記憶があるのですが??

タイトル余談ですが・・・
記事No1674
投稿日: 2012/09/30(Sun) 19:47:43
投稿者桃青
確かに、どこかで読んだ覚えがある。とネットの内村鑑三の文章を検索しているうちにこんな文章がありました。

==========================
聖書は来世の希望と恐怖とを背景として読まなければ了解わからない、聖書を単に道徳の書と見て其言辞ことばは意味を為さない、聖書は旧約と新約とに分れて神の約束の書である、而して神の約束は主として来世に係わる約束である、聖書は約束附きの奨励である、慰藉である、警告である
  (聖書の読方 来世を背景として読むべし 内村鑑三)
===========================

あるかたの講義の中に、時々キリスト教を連想させる表現が飛び出して、
「あれ?」と、思うことがあります。
前ふりに「来世がなく、今世だけで終わってしまうとしたら、何をしてもよいということになります。」
と言う言葉で、話が始まるのも気になります。

久遠実成の仏と同じ寿命なのですから、「としたら」は、無いでしょう。と、私は思うわけです。
仏の寿命の長大なるを知って、「たしかにそうだ!論理的にも、また現実の事象に照らしてもまったく破綻はない。その通り!」と随喜しているところへ、
「としたら」と言われると、がくっとします。

この文章を読んで、ふと思いました。
そのかた内村鑑三に説き方を学ばれたのでしょうかね?

タイトルRe: 余談ですが・・・
記事No1676
投稿日: 2012/09/30(Sun) 23:15:25
投稿者しんのすけ
> この文章を読んで、ふと思いました。
> そのかた内村鑑三に説き方を学ばれたのでしょうかね?

いや、久遠の仏をまだ信じていない、出会っていない初心の方へ向けての講義なのでは?
たまたま、すでに久遠の仏様を信じている方が聞いたので違和感を覚えられたのではないでしょうか?
それとも、講師の方がまだ心底信じていないのかな。

タイトルRe^2: 余談ですが・・・
記事No1677
投稿日: 2012/10/01(Mon) 09:52:22
投稿者桃青
> いや、久遠の仏をまだ信じていない、出会っていない初心の方へ向けての講義なのでは?

でもね、
「久遠のいのち」を説くのに、時系列的永遠を想起させるような説きかたでは、久遠のいのちの本質は絶対に伝わらないですよ。

> それとも、講師の方がまだ心底信じていないのかな。

時系列で永遠を捉えておられるから、キリスト教的な表現になってしまうのかも・・・。

タイトルRe^5: 某M教的気になる思考、その一
記事No1675
投稿日: 2012/09/30(Sun) 23:01:52
投稿者しんのすけ
> 「アメリカで、ジョセフスミスがアメリカのキリスト教を創造したように、日蓮が日本の仏教を創造したように、日本には日本的キリスト教を創造すべきだ。」
> と、いうような内村鑑三の文章を読んだような記憶があるのですが??

プロテスタント、メソジスト派の教会で洗礼を受けていますから、カソリックやプロテスタントから異端とされるモルモンを評価するような発言は、モルモンの創作でしょう。
また、当時の時代の流れスピードからいって、1857にユタ戦争が終結したばかりで、明治初期に日本に伝える力があったか?確かに鑑三は米国に留学しているが、ちゃんとした神学校に学んでいます。
ジョセフスミスを礼賛することは絶対無いと思いますけどね。

タイトルRe^6: 某M教的気になる思考、その一
記事No1678
投稿日: 2012/10/01(Mon) 11:23:20
投稿者桃青
> また、当時の時代の流れスピードからいって、1857にユタ戦争が終結したばかりで、明治初期に日本に伝える力があったか?確かに鑑三は米国に留学しているが、ちゃんとした神学校に学んでいます。
> ジョセフスミスを礼賛することは絶対無いと思いますけどね。

某M教が日本へ最初に伝道を試みたのは、明治34年(1901)です。
新聞等で有害宗教と批判がされるなか、大正14年(1924)には撤退しています。
内村鑑三は、1884年〜1888年アメリカへ留学したものの、当時のアメリカのキリスト教会や神学校の状況に、どこへいっても次々に失望した。
と年譜にありますから、そのキリスト教会からこぞって批判される某M教に同情的であったとしても不思議はないと思うのですが・・・。
無教会派を提唱した内村鑑三氏からみれば、既成教会の権威を否定し、「会員のみ」という某M教会の主張にも共感できるものもあったのではないでしょうか。
また『代表的日本人』では、日蓮について
「彼のことを山師だ、詐欺師だと世間のひとは言うが、」その宗教的情熱は尊敬に値する。というような記載もありますので、
ジョセフスミスに対しても、そのような評価をもっていたとしても不思議はないでしょう?

「アメリカで、ジョセフスミスがアメリカのキリスト教を創造したように、日本で日蓮が日本の仏教を創造したように、日本には日本のキリスト教を創造しなくてはいけない。」
と、いうような内村鑑三の文章を確かにどこかで見た記憶があるのですが・・・。

タイトルRe^7: 某M教的気になる思考、その一
記事No1680
投稿日: 2012/10/01(Mon) 19:04:54
投稿者桃青
「アメリカで、ジョセフスミスがアメリカのキリスト教を創造したように、日蓮が日本の仏教を創造したように、日本には日本的キリスト教を創造すべきだ。」
というような文章を内村鑑三のものとして、読んだ記憶があるのですが、
見つけ出せないままになっています。
もしかしたら内村鑑三についての評論中にあった記載を、内村鑑三自身のものと、思いこんでいるのかも・・・。
だんだん自信がなくなって来ました。<m(__)m>

タイトルRe^8: 某M教的気になる思考、その一
記事No1681
投稿日: 2012/10/01(Mon) 20:16:54
投稿者しんのすけ
//homepage1.nifty.com/fujikikaku/uchimura/goroku/192012_japanese_christianity.htm
こんなサイトの記事がありましたよ。
ここらをネタにした創作のような気がしますけれど、どうかな?

タイトルRe^9: 某M教的気になる思考、その一
記事No1682
投稿日: 2012/10/02(Tue) 10:43:15
投稿者桃青
しんのすけさん

> こんなサイトの記事がありましたよ。
> ここらをネタにした創作のような気がしますけれど、どうかな?

urlを貼っていただいても良いですよ。
http://homepage1.nifty.com/fujikikaku/uchimura/goroku/192012_japa ..... ianity.htm

そうかも・・・。

某M教の学者さんも、繰り返し「日本には日本の某M教を」という提案をされるので、その主張の中で、内村鑑三の文章を引用して、内村鑑三、日蓮、ジョセフスミス並列的に論じてあったの読んだのかもしれません。

日本には日本の某M教を、という、日本の某M教とはどんなものだろう?
と、初めは期待して読んだのですが・・・。
内村鑑三は、武士道に根ざした(武士道を旧約とした?)キリスト教を日本のキリスト教と捉えていたようですが、
「日本には日本の某M教を」と主張される方々の、日本の某M教とは、、
「毎朝の少年向けプログラムは、部活がある日本の実情に合わないから廃止する。」
「お茶を知恵の言葉から外す。」
に代表されるように、どうも本部から指導される某M教徒としての生活様式や教会の運営方法が日本の社会事情に合わないので、日本の社会事情に合った教会標準の生活様式や運営方法を日本人で決めよう。
ということのようです。
ただし、今のままの運営方法で充分だし、生活スタイルも特に問題に感じない。
という声のほうが大きいようですが。