タイトル | : それでもやっぱり死ぬのであろう。 |
記事No | : 1693 |
投稿日 | : 2012/10/10(Wed) 11:59:56 |
投稿者 | : 桃青 |
山中伸弥氏のノーベル賞受賞祝賀番組がつづく。
臓器移植しか手立てのない難病に苦しんでおられる方々には、どんなにか朗報でしょう。 純粋には、そのような方々のための研究。 しかし、出来てしまったものをどう使うか。 応用の可能性が大きい研究だけに、そこには手にしてしまった成果を前にたじろぐ人間がいる。
こういう場合、大いにたじろいだほうが良いと個人的には、思うのだが・・・。 小さな声で、これが今の中国の科学者でなくて良かったね。 大きな成果にたじろぐ声があがるのも日本ならでは、なのかもしれないし。 たとえ、そのようなたじろぐ声を打ち消すほどに歓声が大きくても、たじろぐ声は存続しなくてはいけない。 おおぜいが雪崩をうって一斉に動く時、「ちょっと待て、それでいいのか?」という声は、あるべきなのだ。
純粋に難病のため、としても、その手法を受けることなく行かれるかたはいる。 受けても、いつかは死ぬ。 いや、死なないひとも出て来るのだろうか?
人魚を食べて不老不死を得た話しの結末は、必ず悲しいものであったが、どんなに長く生きても、死ぬ時は、「ああ、なんと短い一生であった。」と思うような気がする。
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