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タイトル某M教との出会い?
記事No1765
投稿日: 2012/11/24(Sat) 13:21:16
投稿者修業者
もう17〜18年も前のことですが、2年間の契約で東京の新宿にあった日本シ○テムという会社に出向したことがあります。
三島から新幹線通勤で、東京まで行き中央線(快速)に乗り換え新宿で降ります。
この会社は外資系で、米国のEX○BYTE社の8mm磁気テープのバックアップ装置を扱っていました。
EX○BYTE社の製造工場がユタ州のソルトレイクシティにあり、技術者が何人も出張してきて、昼休みなど一緒に食事に行き、片言の英語で雑談しました。

日本では12月に入ると、街中がクリスマス一色に染まってしまいます。
どこの商店に行っもクリスマスソングのオンパレード、サンタクロースやもみの木のツリー、それに電飾に覆われてしまいます。
彼らは不思議そうな顔をして、日本にはクリスチャンが少ないと聴いていたのですが大間違えでしたね。というので、
私が日本にクリスチャンは1%もいないですよ。というとビックリしていました。

あまり記憶に残っていないのですが、彼らはこんな事をいっていました。「現在、世を満たしているキリスト教は、実は本物ではないのです。だから世の乱れが直らないのです。
もし、出張でソルトレイクシティにいらした時は、ぜひ私どもの教会にお寄りください。唯一真の教えを説く教会ですので。」と、

当時は、宗教に全く無関心だったので、単なる儀礼だと思っていましたが、今考えてみると彼等らはモ○モン教徒だったのだと思います。

【 投稿者により修正されました。】

タイトルRe: 某M教との出会い?
記事No1766
投稿日: 2012/11/24(Sat) 18:10:26
投稿者桃青
> どこの商店に行っもクリスマスソングのオンパレード、サンタクロースやもみの木のツリー、それに電飾に覆われてしまいます。

中国でも、日本と同じで商業主義と結びついて、都市部ではあっと言う間にクリスマスが年中行事として定着しましたね。
2004年の暮に行った時、それまで見ることが無かったクリスマス飾りがぽつん、ぽつんと飾られているのを見て、時代は変わったと感慨が深かったのですが、その翌年には、日本と変わらないくらいになってました。
もっとも聖誕節と名づけられていても、前面に出ているのはサンタクロースで、キリストではありません。

私が師事する中国人の先生が、自己中のひとを
「彼はエホバだ!」と云ったように、中国では、反日と同じで教育によってキリスト教に潜在的に不信感を持つひとも多いのかな?と、思いましたが、ほんとうのところは知りません。
中国の上層階級は、その子弟をアメリカなどで教育を受けさせるのが当たり前みたいなところがあるので、キリスト教に違和感がないのか、人脈の利用などもろもろの利便をかんがみるのか、キリスト教徒も多い。
某M教の学者さんは、中国でも某M教は中流以上に浸透していると誇らしげに報告されています。
同じ学者さんが言われるのに韓国で某M教が伸び悩んでいるのは、韓国経済の落ち込みによって、中流階級が崩壊したからなのだそうだ。
なるほど、ならば日本で某M教が伸び悩んでいるのは、日本も、昨今、階級の二分化が進んで、中流階級が崩壊しているといわれますので、韓国と同じ理由だと思われているのでしょう。
某M教会員自身が、「某M教は、中流以上の人々に受け入れられる。」と考察し、「中国でも某M教の集会に集うのは、中流以上の国をまたいで仕事するエリートとその子弟ばかりである。」とレポートしているのをを見ると、
私の中に「中流以上の人々しか相手にしないのが、本当のイエス・キリストの教えなのか。」という反発心がむくむくと湧いてくるのです。

タイトル全ては自己責任、という妄念
記事No1767
投稿日: 2012/11/24(Sat) 23:57:50
投稿者桃青
もっとも、身に帯びたスキルを武器に国境をまたいで仕事をされる方々であれば、我が力だけで血路を切り開いてきた、という思いも、ひとしお強いのだろうな、とも思います。
そういう方々にとっては、「縁によって生じる。」という教えより、「努力だけがわが身を救う」という言葉に実感を重ねやすいのかもしれないですね。

でも、どんなに我が力だけで、道を切り開いて、このようにハイレベルな地位と生活を手に入れたのだ。
自己責任で全てをやってきたのだ。と、胸を張っても、
自分ではないひとの行為の結果を受けることを免れているひとはひとりもいないのです。
そんなことはほんの少しでも、世の中を観察してみればわかります。
様々なひとの様々な行為の結果が絡み合って、世界は成り立っていることに眼をふさぎ、「全ては自分の行為の結果だ。」という妄想を言い歩く人々に惑わされなければいいのに。
と、思うのですが、何やら昨今、自己責任、という声ばかりが声高になって行く。