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タイトル発達障害と修辞学
記事No1801
投稿日: 2012/12/21(Fri) 11:48:25
投稿者桃青
アメリカでは、アルコール依存症のカウンセリング現場でキリスト教を利用して成果をあげている。
と、聞いたことがある。
カウンセリングを通じて「神の愛」に目覚めさせると、アルコール依存からよく回復できるのだという。
日本では「神の愛」は効果がないので、河合隼雄氏は代りに仏教の利用を模索した。
と、言う者もいた。
「自分は、精神科領域の病気は純粋に病気として対応したいので、治療の現場に宗教は持ち込まないことにしている。が、中には堂々と宗教を利用している者もいる。」
と言った精神科医もいた。

アルコール依存に苦しむ本人、とりわけ家族なら、神でも仏でも何でもいいから利用して、早く治して欲しい。と思うだろう。

アメリカでアルコール依存の治療にキリスト教を利用しているというその方法とは、どんなものだろう。
と、思っていたが、最近「ははぁ、これだな。」というものを見つけた。

「ビッグブックー12のステップ」
これは、依存症の治療法という点でももちろん興味があるが、
私は、別の意味でも示唆をうけた。

タイトルRe: 発達障害と修辞学
記事No1802
投稿日: 2012/12/21(Fri) 18:46:15
投稿者桃青
実際にビッグブックを使って「自助の会」のようなことをされているかたの記事の中に、次のような文章があった。

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発達障害を抱えた人がビッグブックを読むと、ビルの修辞法によって混乱させられてしまうことはしばしばです。

例えば42ページには「最初はか弱く見えた葦が、実は神の力強い愛の手であることがわかった」という文章があります。これだけ読んだら「なんのこっちゃ」ですが、前後の文章や、ビッグブック全体の組み立てを見れば、意味は分かります。

ビッグブックが書かれた時代、つまり初期のAAメンバーたちは、12ステップ(の原型)によってアルコホーリクが回復できるのか心許なかったわけです。「か弱い葦」というのは頼りなさの表現です。けれど、最初はビル・W一人から始まった12ステップが、3年ほどで数十人を回復させるだけの実績を残しました。その結果、彼らは12ステップには確かにアルコホーリクを回復させる力があると確信を深めた、というわけです。それが「力強い神の愛の手」という表現です。

ところが「ここに出てくる<神>って何だろう」というような細部に囚われてしまうと、ビルの言いたいことがくみ取れなくなってしまいます。

だから、「最初はか弱く見えた葦が、実は神の力強い愛の手であることがわかった」という文章を、「最初は私たちも12ステップでアルコホーリクが回復できるのか自信がなかったが、多くの実績が積み上がるにつれ、確かに12ステップで回復できるのだと確信を抱くようになった」というふうに修辞を解いた文章にして伝える必要があるわけです。

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その一。
発達障害でなくても、修辞を解いた文章にしてもらわなくては、解りにくいでしょう。

その二。
「ビッグブックは解りにくい。」ということになっているのは、全体を通して、この例のような修辞で書かれているからだそうだが、
実はこの例に似た文章は、私には馴染み深い。
そう、某M教会の文書で既に経験済みなのです。
私は、つい、某M教の文書を修辞を解いて読んでしまい、不謹慎にも「このように凡庸な内容が、人々をあれほどまでに惹きつけるのは何故だろう?」などと思ってしまいますが、某M教に惹かれるひとというのは、私がぬぐい去ってしまう修辞にこそに惹かれるのかもしれませんね。

タイトルRe^2: 発達障害と修辞学
記事No1803
投稿日: 2012/12/22(Sat) 10:00:09
投稿者桃青
「最初は私たちも12ステップでアルコホーリクが回復できるのか自信がなかったが、多くの実績が積み上がるにつれ、確かに12ステップで回復できるのだと確信を抱くようになった」

という現実を、キリスト教信者だったビル・Wは

「最初はか弱く見えた葦が、実は神の力強い愛の手であることがわかった」

と表現する。

日本人がビッグブックを解りにくいと思うのは、キリスト教で培われたもの抜きに、背後の事実だけを読みとろうとするからではないだろうか。
この自助の会のかたがビッグブックに対して行った作業は、私が某M教の文書を読む時に行った作業と似ているのではないかと思われる。

ビッグブックの修辞学を解いたところにあるメソッドは、真宗から生まれた内観療法に似ている。
これまでしてきたこと、されたことをステップを踏んで、見つめなおし、○○に気付くことによって、アルコール依存症から脱却しようというものである。
この○○の答えは、本来そのひとの中にあるものであって、他から強制されるものではないのだろう。
なので、良き指導者は一つの答えを押し付けたりせず、本人が答えに到達するのを助けるだけなのだろうが、それはなかなか難しいだろうな、と想像がつく。
つい結果を焦って一つの答えに誘導するか、気付きの誘導のテクニック不足で、延々と彷徨わせることになるか、
そこらがビッグブックばかりでなく、カウンセリング一般の難しさなのだろう。
商売カウンセラーなら、カウンセラーに依存して延々と彷徨っていてくれたほうがカネにはなる。

タイトルRe^3: 発達障害と修辞学
記事No1804
投稿日: 2012/12/22(Sat) 16:53:10
投稿者桃青
この自助の会のかたは、「ビッグブック」からキリスト教の信仰に根ざした表現を拭い去って、メソッドのみをアルコール依存症からの脱却に応用しておられるのであるが、「ビッグブック」で検索するとヒットしてくる多数のページの中には、「ビッグブックを通じて神に出会って」神への信仰に目覚めたかたが、同じようにビッグブックを通じて神を求めることを勧めているサイトもある。
・・・その神を称える昂揚ぶりを見ると、もしや、アルコールへの依存が、神への依存に変わったのでは?という疑問がわく。
それでもアルコールへの依存は止まったようなので、良かったのでないかと思うが・・・。
これが「治療にキリスト教を利用する。」と、いうことなのだろうか。