タイトル | : 神が降りる |
記事No | : 1820 |
投稿日 | : 2013/01/08(Tue) 19:19:11 |
投稿者 | : 桃青 |
宗門のとある集まりに参加したおりのことです。 年輩の尼僧様がうら若い尼僧様と御話をされていました。
「ちょうどその時、ここに(と、御自分の横を指さされる)神が降りたのですよ。」
ん、ん、ん?? 仏でも菩薩でもなく神とはなんぞや? と、思わず聞き耳を立ててしまいました。
御話は、うら若い尼僧様に憑いている守護霊の話に移りまして、 神が降りた。という話はそれきりになりました。
年輩の尼僧様が話される守護霊の話に、 「そうです。まったくそのとおりです。思い当たります。 ○○様の御話は、とても勉強になります。」 と、真剣に頷かれるうら若い尼僧様。 御話からは、御二人の下へは、多数のかたが相談に訪れていることが伺えました。 あらためて守護霊や、神が降りる御話を求めるかたが多いのだなあ。と、痛感いたしました。
私も、霊感体質(乖離しやすい。)ですが、どうしても、そういった事象に意味を見出してのめり込めないのです。 知識を捨てて、のめり込んだら、何か見えるかもしれない。とは思うのですが、そうすることを妨げる何か、があるのですね。
ふと、思った。 キリスト教系ではしばしば「知識は信仰の妨げになる。」とか 「頭で読んでは聖書は理解できない。聖書は霊によって読むものです。」 というのを聞くが、それは、こういうことなのかしら・・・??
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